22.凍土の壁

 蝉の〈カウンター〉が、一帯を呑み込み、壊滅して巨大なクレーターのできた戦場跡に、トーリは蜻蛉に運ばれ、降りてくる。そんなトーリに〈残機〉によって生き残った蝉が、飛んできて、止まる。


「はは、ずいぶんと威力、でたなぁ」


 そう言うと、トーリはいつの間にかできていた氷壁により、大規模な凍土と化した、かつての屋敷の敷地に顔を向ける。

 氷壁には、消えかけているが、微かな冷気のような青い炎が揺らめいている。


 そんな揺らめく青い炎を、トーリは見つめる。


「この炎、燃焼の性質の影響を、動きにまで拡張した、ってところかな? 動きを燃やすことで、空気中の水蒸気を、効率よく水に変換し、それと同時に、氷の体積が増加し、強度も上がる、と」


 そう言うと、どこか楽しそうに、トーリは口角を釣り上げながら「これだよ、これ」と呟き、続けて口を開く。


「〖致命の熱〗の配布される能力の、ホントに凄いところは、限られた人間しかなれない《サモナー》の、更に限られた《サモナー》しか扱えない“拡張性質”を、誰でも扱えるようにしたところだ。どんな手を使ったんだか。

こんなこと《精霊エレメンタル》を呼び出せる《上位召喚グレーター・サモン》ができたとしても、できるはずがないんだがなぁ」


 すると氷壁が溶け出す。

 溶け出した氷壁の奥から、半身がしもで覆われた、赤いケープコートをまとったギンガが、ヒリつくよう神経質な、しかし遅い歩みで、水の乙女と風の魚を引き連れ、凍土の壁の作る、暗がりから出て来る。

 溶け出した氷壁の奥から、何十人かの〔ブレイン〕との戦闘に参加していた人間も、様子をうかがうように、チラほらと顔を覗かせている。


「にしても、なんであれを、しのぎ切れるかねぇ。しかも、味方まで守るとか。どんな”拡張性質”の使いかたしたら、こんな芸当ができるんだか」


 トーリは、そうギンガに声をかけながら、ギンガに向き直る。その胸元からは、芋虫が這い上がってきて、その背中が開く。


 ギンガは、そんなトーリを、滑らかに細い平行眉を、キツく寄せ睨みつける。その片手には、氷でできた奇妙な鏡が握られている。鏡は、しかしその鏡面は、周りの景色を写し出すことはなく、ただ延々と風が、鏡の中で、渦巻いている。


 やがてギンガは、鏡を放り捨てる。するとその鏡と、体を覆っていた霜も凍土となった敷地も、氷壁も、全て溶けていく。


「お前ら、無事か? 悪いな。急だったから、雑になっちまった。平気な奴は、生き残りを探してくれ!」


 ギンガは氷壁で守った仲間たちに、そう声をかける。

 その声に、ギンガの仲間たちは、トーリを気にしつつも、辺りの捜索を始める。


 その隙にトーリは芋虫の背中から、もう一匹の蝉を取り出す。


 それにギンガはすぐさま振り向く。

 ギンガが振り向いた瞬間に、ギンガの周りを漂う、風の魚が不自然な風を放つ。その風は、まるで世界に浸透していくかのように、どこまでも吹きすさんでいく。

 すると今度は、吹きすさんでいった風が、水の乙女の目の前に収束するように、戻って来る。そして風の集まった箇所に、水が凝縮しだし、水の塊ができる。


 しかしその水の塊は、今までとは違い、中心に核のような、小さい闇が浮いていた。その闇は、その小ささに反し、どこまでも深い。


 その水に、トーリは微かに口の端を釣り上げ、どこか苦々し気な笑いを、浮かべる。

 その口の端の、幼い滑らかさのある皺が寄ることでできた、頬の肉の盛り上がりを、冷や汗が伝い、顎まで流れ着く。


「《中位召喚ミドル・サモン》で呼び出せる《妖精フェアリー》で水を司るタイプの《ウィンディーネ》。

《ウィンディーネ》は、水の凝縮、凝固する性質が、終了し、拡散した現象まで拡張して、その《シルフ》が、風の押しとどめる性質が、終了まで拡張した、“拡張性質”だって思ってたんだけど。もしかして、ちょっと違ったのかなぁ?」

「あ? 俺の《召喚》が、んな、ショボい性能してるわけねぇだろ」


 トーリの問いかけに、ギンガは女っぽく、若々しいなまめかしさを持った顔を、険しくしかめ、言い返す。


「それより、テメェ。その蝉が使ったのは〈カウンター〉だな? とんでもねぇ威力だがよ。だがカウンター技で俺に勝てるとでも、思ってんのか?」

「いやいや、そういうわけじゃ、ないけど。でも、どっちにしろここでやり合ったら、後ろの人たち、巻き込まれて、もっと死ぬよ?」


 ギンガの問いかけに、トーリは蝉に一瞬視線を向け、飄々ひょうひょうと言いながら、ギンガの後ろの人間たちを、ガタついたような節のある細い指を、向ける。


 ギンガは、その長く滑らかに毛羽立つ睫毛まつげが被り、奇妙な柔和さで、鋭利に釣り上がった目を、後ろに庇う人間たちを横顔を向ける程度に見る。

 その横顔の、鋭利な並行眉が流れ着く、眉間と鼻筋の繋ぎ目は浅い柔和な鋭利さを持って凹み、そして溶けた氷のように角のない隆起をして、柔和さのある奇妙な鋭さを持って湾曲した鼻を形作る。


 ギンガは、トーリとは逆に、少し下がり気味の口角を、更に不機嫌そうに下げると、「あぁ、そうかよ」舌打ちをして言うと、またトーリに向き直る。


「だがテメェ、よくもやってくれたよな」


 ギンガはそう言いながら、屋敷があった場所に視線を向ける。

 トーリは、ギンガの視線を追い、同じく屋敷があった所を振り向くが、意味が分かってなさそうに、小首を傾げながら、またギンガに向き直る。


 そんなトーリに、ギンガは、その薄い唇を、更に不機嫌そうに歪める。


「あの〔ブレイン〕どもの拠点には、まだ、捕虜ほりょも、居たんだぞ?」

「そう? なら、好都合だったね。もしかしたら、あのまま戦いが長引いてたら〔ブレイン〕は捕虜を人質にしてたかも、しれない。そうなってたら、もっと時間がかかってたかもしれない」


 ギンガに返答しながら、トーリは二匹の蝉の、先ほど出したばかりの方を向く。すると蝉がトーリまで飛んできて、それをトーリは抱きかかえる。


「〔ブレイン〕相手に、時間をかけるのは悪手だよ。早く終わらせるに越したことはない。このくらいの被害で済んだのを、喜びな、って」

「なに言ってんだ? お前が殺したのは、一般人だぞっ」


 ギンガの言葉に、トーリはフードの中に手を突っ込み、少し乱暴に頭をかく。


「あぁ、もう、だからさぁ。確かにそうだけどさぁ。でも〔ブレイン〕を殺す方が、先でしょ? それに、捕虜も、救出したって、面倒しかないじゃん? 知ってるでしょ? ブレインの捕虜にされて、治療に成功した人間なんて、ほとんどいないって」


 そう言い、トーリは芋虫に顔を向ける。すると芋虫の背中が開く。


「対処が面倒な、荷物を処分してあげたんだから、感謝くらいしてよねぇ」


 芋虫の背中から、影のような湿った黒い外骨格をした馬陸ヤスデが、揺らめくような動きで伸びてくる。


「あの攻撃で、味方が何人も死んだ」


 氷のようなギラつく眼差しで、トーリを睨みつけながら言う。


 そんなギンガの視線に、トーリは、ブカブカの袖で、口元を覆い、その下で陰湿に楽しそうなニヤつきを浮かべる。


「それが、どうしたの? 死ぬ覚悟でここまで来たんでしょ? それなら、犬死ていどで文句言うの、やめてよ。まぁ、私には死ぬ気だなんて、バカバカしくて理解できないんだけど」


 やがて馬陸が、トーリに抱かれた蝉に近寄っていき、巻き付く。

 そんな様子を見ながら、ギンガはヒリつく溜息ためいきを吐くと「もういい」と言い、舌打ちする。


 蝉に巻き付いた馬陸は、バスケットボールより微かに大きい球体となる。


「それより、お前、あのバカみたいな威力の〈カウンター〉は、いったい、どんなカラクリだ?」


 ギンガの問に、トーリは馬陸の球体を弄びながら「さぁ、どんなカラクリでしょう?」と小首を傾げながら言い、陰りのある笑いを浮かべる。


 ギンガはそんなトーリの、テキトウな返事にスマートに目の下を縁取る涙袋をヒリつかせ「そうかよ。ならいい」とぶっきらぼうに言い放つと、トーリから背を向け、仲間の元に帰る。


 そんなギンガの背を見つめながら、トーリは、微かに肩をすくませると、馬陸の球体を芋虫の背中に〈収納〉して、ふと、ギンガの氷壁によって地面が残った所の、目に付きづらそうな箇所を見る。


 すると、そこでは赤黒く細い、何かが、うねるように地面に潜っていくところだった。


 赤黒い細い何かは、一瞬で地中に潜り込み、その姿が見えなくなる。

 それを見ると、トーリは微かに口を開き、笑う。その微かに開かれた口内からは、細やかに連なり、整列した小粒の歯が、圧迫感を持って整列し、湿った闇の中を揺蕩たゆたうように浮き上がる。


 しばらく、そこを見つめると、やがてトーリは、その場を後にする。

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