解蠱の翅〈カイコ ノ ハネ〉

裏律

【セキコ】編

第1話 荷物運びトーリ

 無数の成人男性くらいの死骸の鋏虫ハサミムシが、どれも焼け焦げ、黒い外骨格をボロボロにして、廃ビルの一階フロアに転がっている。死骸の鋏虫たちの、ほぼすべてが頭を向けている方向には、十何人ほどの人間の死体が、集まって倒れていた。その死体たちは、全員、大穴をあけ臓物をこぼし、多くは上半身と下半身が分かれている。


 同じフロアの、少し離れた位置には、死骸の鋏虫よりも一回り大きい鋏虫が、尻尾の巨大な鋏を揺らしながら、しかし巨体に見合わない静かさで佇む。その鋏虫の脚もとには、フードを被り、大きなリュックを背負った小柄な人影が、鋏虫の太い脚を撫でながら、人間たちの死体を眺める。人影の主であるトーリは、粘度のある動きで、鋏虫の陰湿な艶のある脚の凹凸を、華奢な割には大きい手の、その細やかに節くれだった、長い指の先でなぞる。

 目深く被ったフードから覗く、唇は、上品な薄さを持ち、ほのかに青みがかっている。閉じた唇の、滑らかな溝の流れは、小ぶりな鼻に比べ、少し広く、口角は湿り気を帯びた、微かな釣り上がりを持っていた。

 そんなトーリの頭には、頭を覆うくらいの蜂が止まり、古く薄汚れたブカブカのローブを纏う、華奢な体には、長い馬陸ヤスデが巻き付く。鋏虫の脚を撫でているのとは、逆の腕には、赤子のように丸まったバスケットボール大の団子虫を抱いている。


 しばらくすると、トーリは鋏虫を撫でるのを止めて、ローブの袖を振り、腕を出し、ポケットからスマホを取り出す。ローブの袖からは、青さがにじみそうな弱々しい透明度を持つ、白い腕が露わとなる。

 そして団子虫をあやすように、その身を揺らしながら、スマホをいじる。丸まっていた団子虫が開き、細やかな糸を引くような動きで、その大量の脚が蠢く。


 その瞬間、トーリの正面にある暗がりから、革靴の、高まりのある足音が響く。


 馬陸が鎌首をもたげ、蜂が少し起き上がり、揺らいでいた鋏の動きが止まる。団子虫だけは、相も変わらず、無邪気な陰湿さのある蠢きを続けている。


 闇の奥からは、赤い紳士帽を被った、背の高い壮年の男性が、硬質さがにじむほど端正に整えた口髭をねじりながら、現れる。もう片方の手には、赤い宝石がついたステッキを握っている、

 男を見ると、トーリは、その口角の持つ、滑らかな釣り上がりを、更に引き上げる。


「いやぁ、誰かと思ったら。レイスじゃないか。奇遇だねぇ」


 透明感のある薄く細い唇が開き、明るい子どものような高さのある声が、レイスに話しかける。その声には、甲高い純粋さの奥に、蠢くような粘着質な柔らかさがこもっていた。


「それとも、もしかしてこれって、君たちの差し金だったりする?」


 摘まんだスマホを、レイスに向けて、ゆすり、楽し気な、しかし執着心が強く絡み付く声で言う。ローブの胸元から、一匹の芋虫が、粘液感の強い肉の、波打つようなうねりのある動きで、這い上がってくる。やがて芋虫は、ブカブカのローブのゆとりを締め上げている馬陸の上に、重なり、更にトーリの体に巻き付く。そして、薄く、狭い肩に、その頭を乗せる。


「こういうトリッキーなことは、君たちの本分じゃないって、思ってたんだけどなぁ」


 肩に乗ってきた芋虫の顔に、トーリは自らの、浅くやつれ、微かな凹みを持った頬をすりつけ、笑う。控えめで、染み込んだような幼さを持つ膨らみをした、低い顎を突き出す。


 レイスは目じりに鱗のような小皺が浮く、掴みどころのない眠そうな垂れ目で、しばらくトーリを眺めると、急に興味を失ったような動きで視線を逸らす。そしてその赤いトレンチコートの身だしなみを正しだす。


 そんなレイスの様子に、トーリは芋虫に頬を付けながら、穴だらけの死体たちを見る。


「そういえば、変な炎、使う奴らが居たんだよねぇ。まぁ、ずいぶんとおざなりな使い方だったけど」


 そう言いながら、トーリは、レイスの方を向き、芋虫とは反対の方向に、微かな動きで小首を傾げる。その動きは、小さいにも関わらず、しつこい追及の意思を、明確に有していた。


「これ、君らの炎だよねぇ?」


 レイスは一瞬動きを止めて、やがてトーリに向き直ると、持ったステッキの先を、地面につける。軽く、甲高い乾いた音が高鳴る。


「数要員の鋏虫に、攻撃は蜂で、サポートや守りで団子虫で、その馬陸はなにかね?」


 八の字に整った髭が沿う、輪郭が堀り込まれ硬質さがにじむ、細い唇が開き、重みのある声が響く。しかし、そのしゃがれ気味の細い硬質さのある声には、掴みどころのない曖昧さが混じる。そしてレイスは、被った赤い紳士帽を、重みのある滑らかな動きで、手に取り、胸元まで持って来ると、もう片方の手でオールバックの髪を撫でつける。


「一般的な従魔で、しかも。いったいどうやったら、この状況をかいくぐれるのか、はなはだ疑問だよ」


 そう言い、髪を撫でながらレイスは、深い堀りを作る眼窩の流れに沿う、整った太い下がり気味の眉の、片方を、困ったように、更に下げる。


「まったくもって異常なテイマーだ。分かっていたことではあるが、ね」


 髪を撫でる手を下げると、また赤い紳士帽を被り直す。

 そんなレイスに、トーリはスマホをしまうと、手元の団子虫に視線を向け、重心のバランスを少し崩して、団子虫をもてあそぶ。丸まって、されるがままの団子虫は、やがてトーリの手元から滑り落ち、転がっていく。


「って、ことは、君たち《致命の熱》は、私を殺すために、こいつらをけしかけてきたって、認識でいいのかな?」


 トーリは転がる団子虫を目で追いながら言い、しゃがみ込む。その声は、飽きが来たように覇気がない。しゃがみ込んだトーリは、団子虫に向けて、ぶかぶかの袖に隠れた両腕を広げ、揺らす。無邪気に揺れる袖は、湿り気のある鈍さで翻り、ローブの袖についていたホコリが、舞い上がる。

 転がり終わった団子虫は開き、必死さに見合っていない、無駄の多い遅い進みで、トーリに駆け寄っていく。


 レイスは、微かに身じろぎし、姿勢を変える。


「いや、そういうことではなくてだね」


 そして髭を気にするように摘まむ。


「君も知ってると思うけど、僕たちが組織運営に利用してるギルドシステムには、加入者にリーダーの能力を一部、与えるという機能があるわけなんだがね。これを利用された」


 レイスは、面倒そうな仏頂面で言い放つ。眉間に浮いていた皺が、更に深くなる。


 団子虫を転がしていたトーリは、急に不穏さが絡み付く、鈍い揺らぎのある動きで立ち上がり、レイスに向き直る。その口角は、釣り上がり、滑らかな、しかし粘り気のある弧を描く。


 そんなトーリを、レイスは気だる気な表情を浮かべ、眺める。


「まさかこんな形で、技術が盗まれるとはね。嘆かわしいことだ。我々の力は、犯罪ではなく、この国を守るために、 “ブレイン” の駆逐のためにあるはずなのだが」


 困り顔で言い、細く、しかし確かな主張を持って突き出た顎を、なぞるように触れ、虚空を眺める。顎に触れている方の腕の肘に、もう片方の手を添える。


「あはは。まさか君たち相手に、そんな空気の読めないことするとか、バカな奴らもいたもんだねぇ」


 そんな言葉を聞き、レイスは改めてトーリに向き直る。


「つまりは、このまま彼らを見逃すのは、僕たちのメンツにかかわる、というわけなのだよ。だから彼らにイタズラしたのだが。彼らは、なぜか君が犯人だと勘違いしてだね」

「なるほどねぇ」


 レイスの言葉に、トーリは馬陸の腐敗感を帯びた、粘着質な光沢を持つ黒い外骨格の、細やかな連なりを、引っかくように撫でながら、気の抜けた返事をする。


「あいにくと僕たちも、忙しいのでね。君を相手取るどころか、彼らを潰すにも、時間が足りないわけだ」


 レイスは、困り顔で力なく言う。


「そちらも勘違いとは言え、喧嘩を売られたのは、気に食わないだろう? こちらも一緒なのだよ。こんな言い方で、赤の他人のそちらに頼むのも申し訳ないのだがね。そちらの方で、何とか対応してくれないかね? できる限りのお礼はさせてもらうよ」


 そしてトーリに背を向け、ゆとりのある間隔で、甲高い革靴の足音を立て、歩きだす。


「どうか考えておいてくれたまえ」


 そのままレイスは、トーリの答えを聞くことはなく、その場を去っていく。





 レイスを見送り、レイスの去っていった暗がりを眺めながら、トーリは浅くやつれた、しかし幼さがにじむ滑らかな柔和さを持った頬の凹みの、低い顎までの筋の流れを、染み込むような動きの親指でなぞる。


「ふぅん」


 トーリは呟くと、大きなリュックを降ろし、胡坐をかいて座り込む。

 すると座り込んだトーリに、鋏虫が近づいてきて、頭を寄せてくる。そんな鋏虫を、太股に突き立てた腕に、その幼さのある低い顎を乗せながら、見上げる。


「まぁ、困ってるなら、見逃せないよねぇ」


 そう言うと、口角を釣り上げ、反対の手で、鋏虫の黒く硬質な顔を撫でる。しばらく撫でている内に、鋏虫は細かな黒い粒子となり、トーリの手のひらに吸収されていく。

 そして鋏虫が消えると、芋虫が這い出てきて、トーリは芋虫を抱き上げるように掲げ、胡坐の中に収めるように乗せる。やがて胡坐のなかで蠢く芋虫の、背中に湿り気のある割れ目が入り、開いていく。すると芋虫の背中の割れ目に、馬陸や蜂、団子虫が入っていく。蟲たちを、芋虫が収納すると、その割れ目が、鈍い動きで閉じる。トーリは胡座をかいたまま、芋虫の、張りのない柔らかさを持って膨らんだ肉の、節の溝をなぞりながらスマホを取り出す。芋虫を撫でる片手間に、しばらくスマホを操作して、耳に当てる。


「あ、受付嬢? さっきさぁ、変な奴らに絡まれてね? 返り討ちにしたら、レイスの奴が出てきたんだけど。なんか、そいつらに困らされてるとか。なんか知ってる?」


 そしてトーリは、芋虫を優しく抱きかかえる。すると芋虫が、トーリのローブの胸元に潜り込んでいく。


『武闘派組織の《トグロ》の構成員が、《致命の熱》に所属して、そこで得られた炎を仕事に流用しているそうよ。アナタに襲撃を仕掛けてきたのも、その末端組織みたいね。今から、その拠点の場所を送るわ』


 受付嬢は、まるでトーリの状況を全て把握しているかのように、ピンポイントに必要な情報だけを、淡々と告げると、すぐさま通話を切る。


 通話が切れたスマホの画面を、トーリは眺める。するとすぐにスマホに地図情報が届く。


「おぅ、やっぱり《仲介屋》は怖いねぇ」


 地図の、印の付いたところを見ながら、溶けるような呆然とした声で呟く。そしてトーリは大きなリュックを背負い直すと、廃ビルの出口へ歩いていく。


 そして街に入ると、薄汚れたビジネスホテルを見つけ、入っていく。

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