7  蒸し風呂もある

 オユンが大きめニンジンを咀嚼そしゃくした頃合いで、食堂の入り口で手持無沙汰にしていたノイが話しかけてきた。

「食事が終わるころに、そろそろ、『お風呂にしますか』ってノイが聞くヨ」

「今、聞いて」

 一刻も早くオユンは、ここから立ち去りたかった。

「お風呂にしますか。アルジにしますか」

 今度は二択を示された。


(アルジにすれば移動魔法ね)

 この城の内部は迷路かもしれない。昇降がきついのかもしれない。精霊のおすすめは、やはり、ここも〈アルジ〉だろう。

「——アルジでお願いします」


 ノイは、にっこり請け負った。

「アルジ! 奥方がいっしょに、お風呂に入りたいということダ!」 


 忘れていた。精霊は意訳の生き物だ。

「撤回!」

 オユンは椅子から立ち上がった。

 がっちゃん! がったん! スプーンが皿の上で派手な音を立て、椅子が、ななめにかしいだが気にしている場合ではない。

「自力で行きます! 自力で入ります!」

 青筋立てて、オユンは宣言した。


「そうか」

 すっと立ち上がっていた魔導士は、碧眼へきがんを曇らせ座り直した。




 さて、魔導士の城の風呂はドーム状の天井に、円形の壁に囲まれた立派なものだった。

 蒸気が噴出する岩場まで降りて行くと、内部は小さな円形劇場を思わせる。段々の階段を降りた、いちばん下に湯がためてある。湯は、こぽこぽと湧いていて常に循環しているようだ。

 段々の石も壁もオユンの手や裸足の足に、すべらない絶妙なデコボコ感を残した。

 顔を上げると、壁の高いところには金網をはめた小さな窓が見えた。換気と蒸気の逃げ場所だろうか。


(これは温泉?)

 話には聞いたことはあった。その昔、神が稲妻を投げ落とした場所に、あたたかな湯が湧いたという。地中に火竜の通り道があるのだという説もある。 


 少し汗ばむ、そのくらいの温度が空間に満ちていた。

 きっと、蒸されて汗をかいて身体からだあかを落とす仕組みだ。 

 オユンといえば目のあらい生成りの前開きの衣を着て、段々の真ん中あたりに腰を下ろしていた。 


「そこに、糸瓜へちまタオルがあるヨ」

 横からノイの声が響いた。

「お背中、ごしごししよっか」


「なんで、いる!」

 蒸気で蒸される中、ノイは段々のひとつに座っていた。

「奥方のお世話をするのが、ノイの役目だヨ」


「男子は女子のお風呂に入っちゃダメ!」

 オユンは自分で女子とか言ってしまった。心が痛い。


「ここは混浴だ」

 湯気の中から魔導士が現れた。

 腰布姿だ。


(え)

 思わずオユンは、しっかり見てしまった。

(いや、いや、いや)

「入って来ないでください!」

 顔をそむける。


「風呂は混浴だと言った。それに、わたしがわたしの城でわたしの風呂に入って何が悪い」

 それはそうか。

「わたしがわたしの花嫁と風呂に入ってなにが悪い」

 魔導士は、たたみかけた。


 オユンの心拍数が上がった。


「わたしの花嫁」

 魔導士はオユンに近づく。

 オユンは動けない。

「——したい」

 オユンは魔導士に左の手首をとられた。

「……これで、——いてくれ」

 左手に何か握らされた。

 

 よい香りがする。

 よい香りがする葉のついた細めの枝を束ねたものだった。

「これで、体をたたいてくれ」



 それで、ばしん、ばしん。

 オユンは手首のグリップを利かせて、葉のついた枝を束ねたもので、ひたすら魔導士の背中と肩をたたいた。

 木の枝は白樺しらかばで、束ねたものはヴィヒタというのだそうだ。

 それを木桶の水にひたしては、魔導士の肌を叩く。たたいた刺激で発汗効果、血行促進、美肌効果、保湿効果を得ることができる魔族の蒸し風呂の作法だと、さっき教わった。


「そうそう。奥方、うまい、うまい」

 側で、ノイがほめてくれた。

「やさしいタッチでー。次は、なぞるー」


 そう教わっても、わざとオユンは力いっぱい魔導士を

 「出ていけ! この雑女ざつめ!」そう、男が言わないものかと。


 だが、魔導士は涼しい顔をして、オユンに、しばかれるままになっていた。

 時々、「んっ」とか、「はぁ」とか吐息を吐く。

 オユンのほうが汗だくである。


(もう)

(限界だ)


 オユンにとって、はじめての蒸し風呂だった。

 すぐに、ふらふらへとへとになった。

 ふらりとしかけたところを受け止めたのは、魔導士だ。

「はしゃぎすぎだよ」


「いえ。脱水症状だヨ」

 精霊のほうが冷静だ。


氷結インジマード

 魔導士がつぶやいた。

 一瞬で、ドーム内が薄く青白く凍った。


 天井からは、きらきらと細かな氷のかけらが降ってきた。

 魔導士は空中に手を伸ばし、何もないところから青白い氷のかけらを、ひとつ、つまみ出しオユンの口に含ませた。


「わたしの花嫁」


 そうして、くちづける。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る