4  ファーストキスだった

 さらってきた女は、日女ひめじゃなかった。

 盛大なカン違いだと家令から指摘された魔導士は、私室に引きこもってしまったという。


「すいませんね。わがあるじは、日女ひめとは身代わりが仕立てられるものだと、なぜか信じ込まれていて」

 オユンは家令のハッロ・レカェケムから謝罪を受けた。

「はぁ。こちらこそすいません」

 なぜだか、オユンも謝った。


 魔族の家令は意外にも、とっつきにくくはなかった。品性と忠誠と献身。なんていうことはない、オユンは同業の匂いを感じた。

 それで、少し話してみることにした。


「ところで、銀針ムング・ズーの花嫁の一隊はどうなったのです?」

 それだけが気がかりだった。


「はい。日女ひめをさらうことが、わがあるじの目的だったわけで、氷結魔法ひょうけつまほうは解ければ、命に別状ございません」


「よかった」

 オユンは安堵あんどした。


 オユンが日女ひめだとカン違いされ、おかげで十二日女じゅうにひめは無事に金杭アルタンガダスに着いただろう。今頃は華燭かしょくうたげの最中だろうか。


「変わった方だ。自分の命の心配はしないのですか」

 家令が薄く、ほほえんだ。

 笑えるんだ、この人。オユンも薄く、ほほえんだ。

「していますよ。今も」

 だけれども、当初の混乱は過ぎ去った。


 家令は紳士的で、あの魔導士という青年も見た目は弟ぐらいの年と思えなくもない。

 オユンが日女ひめではないとわかったときの、あの落胆ぶりを見たあとでは、こちらが被害者なのに、わけのわからない心の痛みに襲われていた。


(誕生日の贈り物が、自分の思っているものでなかったときの弟の顔を思い出したわ)


は、たいそうショックだったようですね」


「はい。シャル・ホルスは魔導士としては優秀な方ですが、人との交流体験が少なく、特に人の女性との接触は皆無でしたので、15歳と29歳の区別がつかなかったんですね」


(そこ。蒸し返すか……)


 オユンは恐る恐る本題を切り出した。

「あの。わたしは返していただけるんですか」


「あなたの申告に噓がなければ」

 家令は、まだ疑っているのか。


「嘘などございません」

 オユンは家令の目を、まっすぐに見た。

「オユン・ツァガントルー。29歳。銀針ムング・ズー十二日女じゅうにひめの家庭教師。出自は下級貴族。実家は領地の地税を払うのも精一杯。もし、身代金を要求されましても、払う余地はございません」


「小国の下級貴族に身代金請求するほど、うちの経済情勢はひっ迫しておりません。あるじに、あなたの望みを叶えるべきか、伺いを立ててみましょう」

 優雅な拝礼を返された。


 そして、隣りの応接室へ平行移動した。

 その、また隣りが魔導士の部屋だそうだ。

「わがあるじ。ツァガントルー嬢が目通りを求められております」


「わかった。ふたりにしてくれ」

 扉の向こうから、魔導士の声がした。

 

 想定外の申し出に、オユンの心臓は跳ねた。


 すぐに両開きの扉が開いて、不機嫌な顔の青年が現れた。家令は一礼して、廊下へつながる扉から出て行った。


 気まずい空気の中、オユンが、「――」 あの、と切り出そうとしたら、魔導士のほうが早かった。

「本当に日女ひめではないのか」

 すでに何べんも繰り返された問いだ。


「本当に、でございます」

 オユンは、わずかに膝を曲げ恭順の意を示しながら、つつましやかに答えた。


 青年は、じっとオユンをみつめていた。見惚れているわけではないだろう。ダークブロンドの髪も茶水晶の瞳も、ありふれた容姿だとオユンは自覚している。


「29歳――」

 青年は、しつこかった。

「絶対に、おまえが日女ひめだと思った」

 碧眼へきがんの目元がれぼったいのは、もしかして泣いていたのだろうか。青年は、くちびるを噛んでいた。


「カン違いされましたね」

 オユンは自分の年下のきょうだいと、家庭教師として王の子女に対するときの眼差しで青年をみつめた。


「……スしてしまった」

 かすれた声で青年が何か言った。

「?」

「キスしてしまった」


「そ、そう、ですね」

 思い出したオユンは照れた。そういえば、キッスなんて久しぶりだった。


「――ファースト、キスだったのに」


「――は、あ⁉」

 オユンは思いもかけなかった言葉に、すっとんきょうな声をあげてしまった。


 魔人の青年は眉間にしわを寄せて、恨めしそうにオユンをにらんでいる。


渾身こんしんのファーストキスだった。なのに、相手をまちがえた。不覚——」


 不覚なんだ。


「すいませんでした……」

 オユンは、ほろ苦い気持ちになってしまった。

「でも、その、キッスなんて、ちょっとくちびるが触れ合っただけですよ。そんなに落ち込まなくても大丈夫ですよ。新しい恋人に出会えば、いくらでも上書きできますから」


 ——いや、わたし、経験値ないのに、えらそうに。オユンの脇に変な汗がにじんだ。


 魔導士は、じっとオユンをみつめたままだ。

「おまえにとって、キスとはその程度のことなのか」


 ——いや、わたし、その程度のことと思わなきゃ、29歳まで独り身で生きてこれないから。


「ご傷心中、申し訳ないのですが、わたしが日女ひめではないと証明されました今、銀針ムング・ズーか、もしくは向かっておりました金杭アルタンガダスへ返していただきたく」

 オユンの言葉を最後まで聞かず、青年は仏頂面で言った。

「わたしは銀針ムング・ズーに行く。新しい日女ひめ


「え? 銀針ムング・ズーに、もう婚姻適齢期の未婚の日女ひめはおりません」

 十二日女じゅうにひめが末娘だ。


 青年は天を仰いだ。

「では、次の代の日女ひめでよい」

 けっこうな粘着質だ。


「気が長いことを——」オユンはひとちた。「そうか、魔導士は、魔族とは長命でした」


「だから、人の女を妻にすると決めたら、魔族の男は、自分の精気を人の女に与える。おまえもわたしの——キスで、30年だかは命脈が延びたろうよ」

 青年は、あてつけがましい、ため息をついた。


「え……」

 オユンは目を見開いた。


(ちょっと待って)


「それ。まさか、この姿形を保持したままで30年ということですか」

 ごくりと生唾なまつばを飲み込む。


「それはそうだ。でなければ愉しめないだろう」


(わ!)

 オユンは思わず、「あ、ありがとうございますっ」、90度近くの拝礼をした。


「このままの姿形で30年? お肌の老化対策エイジングケアも気にしなくっていいってことですよね? 60歳で30歳に見えたら美魔女びまじょですね。天からボタモチ~ラッキー


「――急に楽しそうだな」

 魔導士の眉間に、もっと、しわが寄った。


(ふへへ)

 オユンは、つい、笑みがこぼれてしまった。


「わたしは、こんなに苦しいのに」

 ものすごく魔導士ににらまれた。


「えーと。すいません」

 今日、何回めかの、すいませんだ。


 魔導士は前髪をかきあげ考え込んでいた。そして、「よし」と小さくつぶやいて、

オユンを見据えた。


「おまえを解放しない」


「え」

 オユンは固まった。


「おまえはわたしの花嫁だ。わたしに仕えてもらう。銀針ムング・ズーの次の代の日女ひめが育つまで」


「えっ、えぇ~っ」

 青ざめたオユンに魔導士は言い捨てた。

「そういうことだ。自分の部屋へ戻れ」


 そして、銀髪碧眼ぎんぱつへきがんの青年は、くるりと背を向けて私室へ戻っていった。



「交渉失敗しましたね」

 家令があわれむように、少し開けた扉の外からオユンを見ていた。

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