~蹂躙に仕舞い込んだ春の追憶~(『夢時代』より)

天川裕司

~蹂躙に仕舞い込んだ春の追憶~(『夢時代』より)

~蹂躙に仕舞い込んだ春の追憶~

 清廉潔白な我が父親と母親の行く先を講じて我は途端にこの虚空から吊り下げられた豪華な連綿を見て居り、結託した我が眼に落ちて来た尊い落陽の赤は恰好のちっぽけなムスリムの華を苦慮に乏しむ名誉の戦死へと変えて仕舞った。皆がその昔に〝英霊〟、〝訓令〟、〝孤高〟、〝騒擾〟、〝浄化〟、〝純力〟、〝法皇の地〟、〝皇国〟、〝純血無垢の国〟等と声高らかに謳い終えたアスランの地への絶景を見果てぬ山の麓迄来た時、この言葉の数々とは目下陽の翳る事の無い優緑(ゆうりょく)栄える洞穴へと孤軍奮闘し、その所へ燃やし尽せる徒労への勇気を垣間見たが、既に〝英霊〟等と謳われて戦死した御霊信仰の孤高に生きた勇者達は自らの体を持たずに憤死して、彼(か)の米国に掲げられた異国の君制へと悉く持ち得た蟠りの骸は帰され、明日の命をその傍らにて放散し続けた髑髏の将兵達は皆、滞らない可決へとその前進を速めて行った。以来、東京では白日の下で拡げられた教会への拙き理想だけが人の欲望に助長されては生命(いのち)に把握され得ない程の強靭を内在させ、一九四五年から目下今日迄、唐突に起き得た数々の戦いへの死力を賭して贖われる熟慮断行への徒路に自分達及び自身の肉親達まで追い遣った。意味有り気な日陽(にちよう)の糧を今日我が物とさえ出来ずにぴよぴよと泣き続けた〝英霊〟達は、目下先人達が渡り歩くあの細く長いあの世界迄延び得た懸け橋を当面の道標とした儘見上げ続けて、或る者はその命の安らぎへと追従し、又或る者は屈託無く独り切りで落下して行く人の底へと冷笑され得ながら小さな灯(あか)りを知った。言葉を奪われ行動を奪われ、新緑の芽が吹き出て止まぬ程の慈しみと勇気が知り得た〝勲章〟とを持ち得て孤独を知るより先に人の輪の内で子供と命とが殊にこの世で尊いのだと我先に夢見て知り得て、躰を燻蒸消毒され得た己の将校達には、明日を生き抜く為の未知とも知り得た無言の想起と回訓を、程好く熟した手の上に投げ落とされて、未だ夏の暑い日、陽が空高く上った八月の中日(なかび)、孤独を払い除け得た喇叭隊は途端に何者かへの進撃を取り止めて居た。

 投身自殺を図ったこの俺には最早見える物には闇無く、唯何処から差すのか知り得ない夢想への希望(ひかり)のみに着眼して在り、この胴体四肢と頭脳とに依る改進は、目下現行極まり目に触れる存在(もの)と成って行った。憂慮に飛び交う人人の群れは今日にも電車へ飛び乗り皆が己の職場へ向かってその日の各業に携わろうと齷齪動いて、小さな煙を吸いつつ又或る者が或る者の夢に仕えながらに純心の日は良く満ちて行く。新緑色に輝いた個人の夢とは他人にとってそれは痛手と成る日も在って、次第に甦り得る人体の機能程には収拾付かずまま明日からの綱渡りにさえ命を賭し、悉く消え去る群象の命の掟は又知らず内にと郷里を迎える。白紙に満ちた純白の炎に死んでは又黄泉の麓に咲いた曼珠沙華に見た人の活源とは甦るのか、何時迄経っても見果てぬ両親(おや)との空欄へ子供は己の生きた証を継ぎ込んで行った。次第に空虚へ、明るく成りつつあった一日の猛火は遂に悉く破滅への末路を辿る如くに再度〝英霊〟が示した末路(みちのり)を知り、所々が虫に喰われた無力を呈したその綻びを、生身の夢と力を以て回復させて、又世人へ向けての新たな闊歩を図って行くのだ。とてもじゃないが生屍人(いきびとしびと)の夢とはそれ程に強く脆く、それへの凌駕を手に出来る程には又もや疲れる様で、可能な限り、と見知る勇気に尽力しつつもつい鰥夫烏(やもめがらす)に吐き掛けられた過去の屈葬へと己の純朴かつ穏楽(おんらく)の骸は夢破れた儘、滞る瓦礫の道を巡業して行く。彼(か)の川端康成がこの世に託し果てつつ一介の夢さえ知らずに終った苦境の冒険を、悉く又瓦礫の内へと埋没したのは俺への懸念とそうした伝心に呆けた淡い反響が遺された為もあり、芥川に無く、又太宰も知らないこの世の純局に死した悲惨の数は最早彼の道程に於いて〝安かれ〟とされるものに成り得た。明日への希望は徒労に於いて満ち生き、枯れ果てた古豪への賛歌は白紙に生きる凄惨な人への豊穣と成った。

 細心に生きた俺への放念とは又自然特有の流動から成り得た一献の倦怠の様であって、或る教会へ己の生命を賭して殉教し果てる一介の牧師の信仰さえもその豊穣の眼(まなこ)へ投げ遣るもので、到底、暫くは果ても見えない男根の象徴に掲げたホルスの統制が、この世で蔓延る悪への盲信に歯止めを掛ける。人はそうした歯止めについ気弱と成って今を生き行く聡明の土台を壊され、粋な熱にも氷を刺されるのを知り、帳が下り行くのをその前に何とか自重を図って我先にと救いを期した。胴乱を塗り、高下駄を履いて、白日に飢えた街中を闊歩し果てる鰥夫烏の群れとは又暗黒の空から降り注ぐ結託され得た多量の氷で打たれて沼田打(のたう)ち、死なない迄に陽を見る頃にはその体力の余程が抜けて、或る一時(いっとき)を以て未知への翳りを知った。太陽の翳りは人を死に至らせずとも十分な包容の内に月を己の分身とし思考に刺さる一閃を放ち、どろどろとした人の誉への讃頌等はまるでホールへ呑み込まれる程脆くも成るのだ。明日、明後日、と滞らず流れ出て行く人への謳歌は逡巡せずとも真っ直ぐに黒い闇の縁を唯象り始め、透明色したビニール袋に包まれ始める〝春望〟への手向けは悉く生き行く人への未知を浮き出しつつも、端(はな)から人の始業を語らず存分に唯沈黙して行く。言葉数が程少な目の孤独への人の奮闘とは得てして唯正義を連ねて神の元へと連ならず、只管人が講じた悪への始業とも辿って行くのは、人が地上で教え教わる目下自然による伝送の為の骸を知り得るのであり、恰もその夜の間そうして伝送され得た孤独が呈した人への幻想の程は全く悪魔を揺り動かして、小波(さざ)めく人の海原へと唯あの豚の群れが成した幼玉の正義を束ねて呆然と人の中枢へ迄侵入し得る。そうした人と悪を見る以前に既に神が掲げた正義への照準を踏み締め憶えて、捕まり立ちする為の蔦が周囲に生きて在るのを夢の騒乱に於いて目前にしつつも、あの手この手で生き延びようとする生人に付された生の孤独を束ねた儘で人は又陶酔して行くのだ。

 額に鬱陶しい程下り被さって視界を遮る疎らな髪に一層幼春に夢見た手長の〝楽園〟達が猿に化けてこの世を闊歩し、挙句に手にする鰥夫の箱を開ける頃、如何とも言えない生への謳歌を一に隠した武士の魂が俺の麓へ迄と遣って来た。一応の硝子容器に収められた様な遍く培われた筈の青い輪舞曲(ロンド)の様な人の人生はその集気瓶の様な透明の壁の内で唯灰に成るまで燃え尽きたように散在して在り、一寸生きると知った夢の様な怒涛を喫した破天荒を以て〝人の夢〟とは又、俺の生活の行方を慌しく変化させて行った様である。白く映り、時折薄暮れて、又所々に俺の鋭気を貫かせて行く淡い坩堝が目立つ電子のスクリーン上では遍く渡り終えた渡海鳥(わたりどり)が住み、未だ行方知らずの人の〝破天荒〟とは己の生命(せいしん)を扮して凍える程の巨体を身に付け唯俺を威嚇し圧倒して、世間に通じる大胆かつ一端の〝あの手この手〟を仕舞いに我の麓へ投げ掛けた後、人の生き行く道上では唯夢を被って死地へと追い遣る孤独の末路の解消の仕方を口々に伝えて来て居た。

 俺の父親が東京で何かを営み、俺と俺の母親とを賄う為の生計を立てようと孤軍を賭して奮闘して居り、又人の営みを画策して居り、露の日も灼熱伝馬の日にも、その躍動には収まりを知らず儘に唯息長く耐え続ける一介の孤独の功が在った。唯目下の柵とは又人が容易に見付ける幼春の地とは別の処に在ったもので、父親は母親が俺に乳飲み子を寵する程に愛して止まぬ火照りの程度に淡く拡がる手腕による調整を掛けている内、所々で悉く、尽きて朽ち行く人の温もりではなく、俺は悶絶する内、唯母の気苦労がこの淡い春の地で眠りに就くのを黙って見て居た。週の始めの四度の聖餐では父も母も孤高に扮した発育を遂げさせようと目下常人では無い俺の心身を労わるけれども、片や益荒男を着飾る世の常の目前に於いては遂にその蝙蝠の様な傘の内から伝送が漏れ出し屈強とも知る路頭の馬身(ばしん)に紆余曲折を奏でるのであり、白日には晴天から成る流転の末尾を滔々と流し切るまで唯春の小川を麓にしたまま静養祝して安泰している。これが週の末尾に咲いた後の二日、後の一日を以て二匹の狼と一匹の羊はまるで荒地も設けた高山の頂から何かに憑かれて一気に野へと駆け巡り下りる程の尽力を呈してこの世で自分の、自分達の一身の行方を知ろうと努める。父親は先の四日、後の二日に分けて唯〝好い人〟振りながら目下世を照らす照射を操る耄碌しない社長と成って居り、何かを営みつつもその豪商振りには目を見張られて、母親も俺も何も無いのが幼春を仕立てる諧謔であると密かに按じた。功を奏した優駿の日が散る目下午前零時に、孤高を捧げ切った父親の瞳は益荒男の様に唯蒼く成り果て、人人が束ねた現実ドラマの当面の行き先をその蒼い稲妻が駆け落ち粉砕して行く路頭の標と成った事は知る由も無く、俺と母は唯々只管に徒労に尽きせぬ〝逡巡〟への再来が再び父親の身元を訪れるように日夜祈り続けて居た。白天は何処まで延びても暗雲冷め遣らぬこの地を見下ろし続ける白雲に手を染め骸を借りて、淡く漂い続ける破恒(はこう)の魔の手は窮境を生み出す満点の星々をより色濃く振り翳したまま下天を見下ろす幽境の砦を成して居た。父親はそんな一週の内で自社に勤めて長い個人(ひとり)の社員にじりじり責め寄り、詰(なじ)り、虐める様に雑音を吐いて、その光景・情景を見兼ねた同室に居た母の再来は再び父に責め寄り前途を謳って「もうやめてあげて」と顔色変えずまま粛々と父の旋律のピントを正義へ向けて治し始めて、孤独に耐え始めて居た我の姿はその処では唯、母の容姿を見上げて慕う、一個(ひとつ)の淡い青春の糧を頬張り、それ故の微熱で以て自己だけの青春への彩りを謳歌して居た。父親はその個人(ひとり)の社員の襟首を掴みながら怒声を以て暴言を二人共の頭上へと打ち上げながら、母は二人の間へ入り、何とか仲裁して居る。その母親の姿とは、東京に長く住んで居るのだろう、等と思わされる程淡麗極めた貴婦人の様で、〝饗応婦人〟に迄は至らずとも共に期した一介の華社場(デパート)へ設けた自分達の楽園に於いて一時(いっとき)休む程度の享楽を保ち、自家へ来る客へは譬え悪党であろうとその身を隠した洋服・宝石の一切を渡しても正義を庇おうとする鰥夫が欲する技量が在った。その技量は薄暗く光ったBarの内でも褥に咲き綻ぶ平野に立った大樹を想わせ、気狂いでも一瞬立ち止まって見上げて純心を期する程に熱い涙の通った豪華な肢体(からだ)をして居る。皆、一度はこの平野を通り抜け、この慌しく揺れ動き友情が冷め行く業火の熱情に絆されたのだ。屍の様に成って還って来た「東京」の地には多くを残して人は枯れ木と成り果て、故に漸く自己の居場所(おんしょう)を当てたこの婦人の生命(ひかり)に飛び付いたのであろう。従順な〝女〟の瞳は既にその様に誂え物語っていて、その物語とは又自己の為に織り成し構築し立てた〝夢へ誘う樹海〟の様でもあった。

 「経済的に私達が助かる、って言うんなら、その人を辞めさせればいいじゃないですか」と社長である父親に向い、歯を糸鋸の様に細かく震わせ振動させつつその発声は父の心を程好く打ち殺して居たらしい。俺の空想は又もや煙(けむ)に巻かれたように唯父へは行かずに母の身内へ訪れ始めた。そこには小さく光る、青い陶器の花瓶が在ってその内には百合の花が三輪生けてあり、白い敷物に乗りつつ靴棚の上で軽やかに嘲笑(わら)うその横顔には、恩恵知らずの冷たい上気が唯我々の熱微を取り巻き一周も二周もした後(のち)慌てて又壺口の中へと還って行くようである。〝人間の中身を唯記録したいんだ…〟、うっとりそう呟き生きていた俺はその饗応婦人の成れの果ての容姿を見た際から次の真摯へ又母が辿り着く迄に幾ら掛かるかと無産に暗算しており、父は父で母の透明色した孤独を期する有志に目の色変えて沈黙しつつも、「社員」に同化して行った。徒労に終らせぬように、と画策・暗算していった俺は辛(から)くもその修羅場の様に鎮静し得た一室から抜け出て、蒼い、紺碧の虚空が拡がる下天の地へと又大きな足跡を見付ける為の流離いへと出掛けるこの身を用意している。

 俺は唯、二人の親を見上げながら、父が社長である事、東京弁を以て会話をする事、上流の喧騒に身を任せながらもその分身を二手に分けて己が傀儡とし、躍動が嵩む日々への照準がきち、と合されて生き残った矢先の勇気に感動して居り、何か、外景を被った常軌を講じた世間の一端を早くも遅くも健気に豪華に歩を進めて行く我等の真摯を終ぞ垣間見、又初心をさえも啄んで、その様な世間人達に呈する自分達の体裁が通り一遍で掲げられた交流の席でも生き得た事にわくわくしながら嬉しがった。蟋蟀が春を醒ます為にか出て来た広く買い取られて在るうちの庭へ目を遣れば、そろそろ満足さえ成る満点の星空が頭上の晴天を彩るようで、婚期を逃し、独房(ひとりべや)で十万億土を興じて夢見た奈落への問答は一端のサラリーマンの給料でも貰えぬ程の兆万の長寿に変えられて行く様であって、そこでは父も母も訪れないまま一介を期した愚物な自分を呈し続けた経歴と、夢の仄火(ほのか)が成した疾風(はやて)の様な照覧が一刻も見ず程に我先を気取って表れている様に、我は自ず頭上と心々の内に打ち咲いた〝御陵の花〟へと、自ら策した亡念の数々を掲げ始めて居た。精霊も滞り無く咲き誇った一縷の春の乱れに懸念して、何人足りとも行く末按ずる孤高を被り終える事は許さずに、唯幼少の内に数多が見知った群像の流転が又仄かに笑い歩き去って行くその姿の陰に一つ、又一つと、鬩ぎ合わない忘却の数々の火照りを灯して行った。

 歯牙無い柵に何の躊躇も見せずに唯皆無・無音の現行から成る極致の数々は俺の春来への聡明と砂塵を丸毎立たせて、泡立つ苦労の末にと、一つの褒美を俺にくれた。慌てて消えて行く日暮れの「伝送」とは又知らず内に巨躯を以て俺の脳裏へ到達し始め、考える間も無く俺には目下の純正にも似た宿命の数々を各々の帯紐を締めつつ用意して来て熱美を灯し、唯躍起に成って己を苛む目下の日常の行方は名前を付されて今は遠い、遠い社の闇の縁まで飛んで行き、俺は回り道を講じて居ながら唯又晴天を愛して居た。

 目覚めて、コメディアン達の企画したTV番組である「アニメデモミーショー」を眠る前に確か付けっ放しにした儘夢へ埋没した事実(こと)を思い出し、俺は、その矢先に流れ出て来た映像の内で大杉漣が躍動しているのを見付け、その主人公が自分の夢内に光り輝いていた「東京弁を喋る社長」と全く同じ事を呟き躍動しており、演じているのを不思議に見ていた。その主人公、大杉漣の相手役を務めていた女優とは俺の先程迄見ていた夢の内で〝若く綺麗で美しい俺の母親〟の代わりに目前で演じていたのだろうが、全く知らない女優であった。



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~蹂躙に仕舞い込んだ春の追憶~(『夢時代』より) 天川裕司 @tenkawayuji

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