~無考(むこう)~(『夢時代』より)

天川裕司

~無考(むこう)~(『夢時代』より)

~無考(むこう)~

 新春冷め遣らぬ(旧暦)春の日に、言葉の限りを尽した娘女中が何処(どこ)から来るのか知らない恋愛情緒をぽっと紅(あか)くし、再春(さいしゅん)醒ました孤踏(ことう)の瞬間(あかり)に満足追いつつ、幸先見えない俺との場面を構築していた。白く映った幼い日々にはこれまで観て来た独創(こごと)を知りつつ、練り歩いた街の果てまで一つ成らずの目標捜して徒労に暮れ得た新春(はる)の朝日に体温(ねつ)を見出し、過酷の日々には耄碌して行く〝慌て無沙汰〟を片手に担いで頓狂向くまま褥に揺らいだ微動(うごき)の果てなど何時(いつ)まで経っても夜目に活き行き昼間(あかり)を嫌い、〝大事な異性(ひと)など俗世(このよ)に居ない〟と息せき切りつつ訂正して居た俺の孤踏(ことう)は辺りを見渡し麦穂(むぎほ)を紡ぎ、明日(あす)に咲き行く努力の華へと我が身を沿わせる従順(すなお)を仰いで白々して在る。

 長島さんが出て来た。目前ににゅっと表情(すがた)を現し、堂々足る儘、手足を延ばして俺を観て居る。この長島さんとは俺の或る過去に見知った中年男で、訥(とっ)ぽい性質(たち)にて実直成る儘、夜を仰げば〝今日は終り、〟と仕事納めにほつほつしながら、俺の眼(まなこ)に笑顔で居座る、中々堅実ながらに取っ付き難い、上司であった。職場は今はもう無い片田舎に在る公共施設で、或る日を境に働き始めた俺の部署は既にこの朴念仁がどかっと居座り、苦虫噛んだ鬱な顔して、何処(どこ)へ行くにも舌打ちしながら俺を過ぎ行く中年男に在って、けれどもそうした動きに追随するまま素直が立たせる純朴だけには如何(どう)にも採れない無感(つよさ)が在って、俺の目前(まえ)では成人(おとな)と少年(こども)を仔細に分け得る体温(ぬくみ)というのを俺は中年男(おとこ)にふらふら観た為、嫌いにならない運命(さだめ)を感じて今日迄ふらふら共に居たのだ。過して居るのは遠くに離れた二場所なれども、俺の思惑(こころ)は静かに在りつつ孤独で居た為、以前(むかし)の仔細(こと)など幾度も掲げた記憶(ばめん)の内にて様相象り、中年男(おとこ)をついつい寄って居座る立場に見立てて美化して居たので、何時(いつ)も一緒の領土(いばしょ)に居る、との蝙蝠(とり)の嘆きが俺の胸中(むね)まで共鳴し得て、俺は中年男(おとこ)を縛っていたのだ。中年男(おとこ)は別段友に供にも宿敵(とも)にも妻(とも)にも自身を偽り阿らないが、俺の身元(ふもと)永く息衝き成長しており明日(あす)を視(み)るのに役立つのもあり、業(わざ)を磨いて〝思惑(こころ)の友〟など安易に見立てて白息(といき)を吐いて、俺は中年男達(かれら)を緩く縛って遊ばせていた。従い中年男達(かれら)は多重と成らずに個別に増え行き、俺の寝間まで密かに沈んで沈殿して行き、形相化(か)えつつ俺の気に入る姿勢(すがた)を拵え自由に在るのが不自由なれども、ちっとも嫌わず俺の苦慮さえ抱擁し得行く。何故(なぜ)にこれほど長い経過を自由に踏まえて奥行報せぬ領土(かこい)に在っても、これほど一人の長寿を大事に育てて前進するのか知らなかったが、それでも体感(まえ)には奇麗に澄ました自然(さとり)が在りつつ俺の声まで解けて行くので、俺には抗う術も無い儘この中年男達(かれら)に纏わる応援歌(ろっこうおろし)を十分(じゅうぶん)温(あたた)め懐(うち)へと入れて、何にも返さぬ夢想(ゆめ)を観るのはそれほど至難を有さぬ帰路であるのを予測させ行き、予測させ得た無重の主(あるじ)が目下流行(なが)れる中年男達(かれら)に在るのを知って居た為、俺の心身(からだ)は拒絶を起さず自然に拝して矛盾を棄て得た。笑顔が両者が配した隔離(きょり)にあって、両者が認(したた)めた体温(ぬくみ)に在りつつ自転を憶えた技術(スキル)に在って、俺はちらとも中年男達(かれら)の深意を疑問に掲げて相対(あいたい)したのを覚えて居ない。中年男達(かれら)の口から二者択一式の疑問(ことば)が出るのは俺に具わる先見(さきみ)を撫で行く流行(ながれ)が講じて背伸びするので、先見は後見(あとみ)と相対しながら何処(どこ)まで流れる自然(つよさ)の内から一つを採れずに徘徊して行き、独創(こごと)を講じた個人の口では如何(どう)にも解(げ)せない不問の一途(いっと)を尋ねる儘にて先にも後にも白質行李(はくしつごうり)に奇麗に具えた自己の性質(かたち)を知らずに憶え、〝中年男達(かれら)の内にも自分が在る〟など欲に向かった俺の独語が形成(かたち)を剥くのだ。

 何故に思惑(こころ)を天に翳して自分を表し、昔に好いた〝物書き〟なんぞが現在(いま)ではこんなに淋しくなって億劫駆られて、俺の身元を救い得ぬのか。そう成ってしまったのか。確かに〝物書き〟なぞは女子にもし得て術は容易く見立てもそれほど複雑ではなく、専門知識も何も要らずで成り得てしまう。現に俺の書物の内実(うち)など皆そうだ。どう樞(ひみつ)を隠して他(ひと)に観られて好いようにと体裁好くして裁縫しても、読んだ人には皆(みんな)破(ば)れてしまわぬものか?別に専門知識の無い者でも一瞥したまま意味を解せば〝何にも無い〟のに直ぐさま気付いて作者を見抜き、「ああこの作者は唯の思い付きにて誰にも成せる内容等を如何(いか)に複雑を見せつつリズムに気を付け、量定を気にして文豪(あるじ)に従い書いて来たのか、一瞬の内にも捉えられ得る。まるで斬新など無く当り障らぬ狭い分野で延々泣いて居るのが気色に混じって浮んだ様(よう)だ。彼を読むより、こんな空っぽの複雑だけ活き得た駄文を見るより彼の目指した漱石や太宰、彼が沢山参照して居た現代作家の田辺や吉屋や村上を読むのが決って妥当であって、我々に糧在り意味を成す宝が在る事だろう。彼(か)の川端や三島などから〝自分は別離だ〟と豪語した儘、如何(どう)やら彼の身元は彼さえ知らない不毛の別地へ(他愛無い俗世へ)流れたようだ。如何(どう)にも止まらぬ彼(かれ)の熱心だけが夢想を夢見ててくてくとぼとぼ、俗世を離れて真面目に成った。この〝真面目〟は固く成りつつ彼(かれ)にも誰にも緩められずに、彼の孤独を強めて生き得る煩悩(なやみ)と成ろう…」。誰かの噂が俗世へ飛び立ち、正月などさえ益々淋しく、誰にも知られぬ過程を行くのは去年と変わらぬ煩悩(なやみ)を保(も)ち得る〝独断・譲歩〟の意識(おれ)である。夢想を糧に題材にして、これほど多くの物語(はなし)を描(か)いて来たのに、身辺(まわり)を見遣れば自分の軌跡(あと)など微塵に在りつつ利益も取らねば正直(すなお)を損ねて、俺の脚力(ちから)を極度に脆(よわ)める。部屋に還れば孤独が待ち受け、辛い私事(しごと)が散々待ち受け、人の生気は何処(どこ)にも感じず、そのくせ滅法〝私は作家です。あ、自称の作家です。〟等言う台詞の果(さ)きには少年(こども)が描いた漠然(よわ)い形成(かたち)が酷く落ち着き、俺にとってはたったそれだけ、生き抜く上での糧(ささえ)であった。誰に知られぬようにと期した〝打ち出の砦〟は見事誰にも知られずそのまま淋しく失(け)されて壊れる、俺の私財に酷似して居た。そんな思いを散々蹴散らし、語れぬ余興に没していながらそれでも描ける日には、と尽力捜して相対するのを事毎望み、夢の内でも試算が煌めき俺の居場所を落したようだ。

 先述の長島氏が俺に対して大きく居座り、越え得ぬ自然の壁など具に講じて腕組む間に、俺の周囲(まわり)は無色を返(へん)じて環境(かたち)を成して、矢張り学術校舎(がくじゅつこうしゃ)に観るような学校の教室を容易く仕上げて自体を活きさせ、俺へ被(こうむ)る数多の修行をその一室内にて興す試算を始めたようだ。出入口は教室の前後に二つであって、熱気を灯した人の雰囲気(くうき)が見るも無残に俺に解体され行き、残した核芯(しん)には如何(どう)にも覗けぬ樞(ひみつ)が在った。可なりの大人数にて、俺の心身(からだ)はふやけながらに勢い付けられ、流行(ながれ)に届いて宙(そら)の見えない孤島に生れて倒れたようだ。その人数の内に幾つか分れたグループがあり、発表をするよう一室(へや)の主に課された態(てい)にて、嫌とも言わずに従順(すなお)に頷き、持って還った主(あるじ)の独創(こごと)をグループ内にて糧として居た。「発表」と聞いただけで拒絶を起して、蕁麻疹さえ浮かせる態度の俺は暫く、そうした何組かの微動を眺めて独りで遊び、宙(そら)を見ようと必死であった。「宙」を見るのは仄(ぼ)んやりした空虚を紐解き、自分の足場を変える継端(つぎは)を得るのに適してあって、読書を眺める文士(こども)の体(てい)にも恐らく似ていた。俺は呑気である。呑気を知らない学徒の内にもひたすら「呑気」を知るのに童(わらわ)と成って、独歩(ある)き疲れた徒労の末には、自分の幻想(かたち)に他(ひと)を引き込み一人遊びに精(せい)を尽した加減の内でも、〝成功収めた〟とよがった展開(ばめん)は何度も観て居る。孤独が既に宿敵(とも)と成り得て〝他(ひと)を知るのは余興である〟など何度も呟く俺の現実(どだい)はそうそう易くは壊れなかった。

 独り自室(へや)にて残業して在り、残業すれどもそうした労力など分ち合えなく供さえ無いまま時の経過は巡行して在り、階下で両親(おや)が蠢き会話するのも、何処(どこ)か哀しく空に聞えて正味を知り得ず、他(ひと)は一同挙って前進して在り、俺の目前(まえ)から隣(よこ)から姿勢(すがた)を消して、俺に対する用途の果てなど終に無いまま他所に息衝く元気を唱する。都会へ行っても田舎へ行っても、自室に居ても街へ行っても、学舎へ行っても田舎へ行っても、自室に居ても街へ行っても、学舎へ行っても教会へ行けども寸分違わぬ他(ひと)の姿勢(すがた)は俺へ対して冷たく在って、体温(ぬくみ)を報さぬ現行(かたち)の息吹は大地を吹き行く風の匂いに同じであった。少し以前(まえ)まで互いに見合った女性(おんな)が在ったが、彼女も現在(いま)では自分の楽地へ遊びに行って別の他(ひと)との体温(ぬくみ)に供する。何もかも、自分について孤独を消し得る内実(ちから)を見せ得る他人(ともだち)等は宙へ返らず大地へ還り、俺から届く人混(らくえん)等で生き生きして在る。〝お前の中の作家は死んだのである〟という作家の言葉が、又、湧き起る。

 孤独を背にして戻れぬ現在(いま)の俺には〝呑気な奴〟など現れないまま人体(からだ)は痩せ行き、そう成る内にも自然は展開するまま自転へ出向いて目前(まえ)に在るまま少女(おんな)を象り、白紙に灯した美談漫才(びだんばなし)は宙(そら)へ返らず俺に居座る体温(ぬくみ)と成り得た。彼(か)の発表グループに一人居たその少女(おんな)は俺へ出向いて小首を下げて、美男に映った〝一人用〟の俺の体を難無く射止めて攫って行った。少女(おんな)の動作は曖昧成るまま誰にも曇り、後(のち)の億尾は俺を炊いて俺の新参(かえり)を睨(ね)め付けて居た。蛇の様(よう)な幼少に在った。しかしそうした幼少と白光差し込む窓辺の卓にて、歓談(だん)を取りつつ体温(ぬくみ)を散した雰囲気(くうき)の内にてはっきりした視線(め)を互いに捉えて知り得た事から、互いの所在は互い同士で交換せられて浮き浮きし始め、最寄りの〝人体(えさ)〟には必ず止まった異性(あいて)が活き得た。俺は彼女をはっきり覚えてあるのだ。辻褄合せの台本(シナリオ)が出来上がった頃にはこの展開(ばめん)ももう直ぐ俺の目前(ふもと)へ降り立ち何とか居座る形成(かたち)を成すのだろうと、俺の微熱は次第に温もり外界(ほか)を知りつつ退引(のっぴ)き成らずの機会(チャンス)を掴みに、人間(ひと)の深み深みへ、埋没するまま脱して行った。〝発表会〟は俺の期待に関係無いまま銃弾(たま)の態(てい)にて未来(さき)へ転がり俺を置き去り、知らん顔して次第に温(ぬく)もる議論の準備を子供の体(てい)して着々進めて行くのだ。

 何処(どこ)にも転がる疑問の手足が教室(ここ)でも仄かに手足を拡げて根付いて行って、俺の見ぬ間(ま)に蔦のように丈夫に成りつつ活きて行き、辺りに集(つど)った新参達を手当たり次第に糧として行く。糧とされ行く人人の気熱が一つの大樹を呈するようにと模範を捜して鏡に構えて、漸く見付けた模範の在り処へ邁進しながら俺から段々離れて行った。俺の居場所は現行(ここ)に在るのに何故か知られずどんどんどんどん自然は自活し、逞しくもあり、宙(そら)へ返った意識の欠片は漸く採られて悪しきを洗浄(なが)され、俺を過ぎ行き、頭上を覆える天井(しかく)と成った。俺の手足が天井(そこ)を破って外界(やみ)に在るのを、俺は後(あと)から気付いて、他の意識は孤独を忘れて俺から離れて居たので誰も気付かず、晴れた舞台に群れが在るのに俺の独歩は思春を衒った児(じ)の表情(かお)した儘、次の展開(ばしょ)へと踊って行った。その〝発表会〟を講じた展開(ばめん)に入る直前(まえ)には俺の独身(からだ)が宙から生れて群れへ降り立ち、幾つも並んだ人の列など具に睨んで数を数えて、十指に足りない人数(かず)を知り得た俺の独身(からだ)はてくてく歩いて又気色を観始め、上司の元へと心身(からだ)を寄せて、如何(どう)にも懲りない流動(うごき)を止め得た。俺は何時(いつ)しかこの教室を会場のように見立てて何か大事(おおごと)でも始まるものと勝手に知りつつ、何かに仕える司祭と成って、〝仕方が無いから受付しなきゃいけない…〟など誰に(何に)課された司令と知らずに鬱蒼茂った冷気を拵え他(ひと)へと当てて、俺の指にはサックが巻かれて帳面(ノート)を繰り行く意識を採った。丁度拝した長島氏には沢山並んだ人列(れつ)を指差し注意を引き締め、「この場面は如何(どう)して書けばよいのか」、何にも分らぬ少年(こども)の態(てい)して問出し始めて、一々尋(き)き行く俺の調子に取分け無視せぬ長島長者は「この場合は『来訪』と記せばええ」など仔細に捉えた俺の思惑(こころ)を幼春(はる)に芽吹いた新たのようにぐっと引き寄せ真心(こころ)に捕え、俺の還りを祝してくれ得た。しかしそうした長島氏の姿勢(すがた)は俺の他にも幾人かにより好く好く観られて知られた様子で、俺の背後(あと)にはその幾人かが詰め寄り俺の他にも長島氏と話したがっている多くの宿敵(とも)など辺りに散らばり自活に在るのを俺の感覚(こころ)は自然に気取られ知る所となり、焦りを憶えた俺の独身(からだ)は、長島(かれ)の忠告(ことば)を暫く忘れて会場(うち)へと入り、入った拍子に体(からだ)に罹った人の熱気が俺を弾いて外界(そと)へと返して萎縮したため俺の思惑(こころ)は人群(むれ)を忘れて自活に戻り、自分の仕事を具に捉えて逆行して行き長島(かれ)に言われた「来訪」の言葉を出入口(ゲート)に戻って用意され得た白紙手帳に唯つたつたと書き付け得たのだ。何枚にも渡る無数の頁を擁した分厚い帳簿に、唯「来訪」と記入したのみである。その後の俺の行動は案外有耶無耶に成りつつ明然には無く、幾度も幾度も出入りして行く人の数だけ目前(まえ)を流行(なが)れて在って、何時(いつ)まで経っても切れない人の列尾(れつび)に注目する儘、体温(ねつ)を奪った外界(そと)の世界を堪能して居た。

 俺を他所目に会場へ入れば、わんさか集った人群(ひと)の内には、はっきりくっきり佇み居座る栄子が在りつつ気丈を装い、決して俺には空虚(よわね)を見せない女性(おんな)の屍(かばね)が無数に浮んだ人の骸を上手に渡って紡いで行って、俺へ対する檻としたまま無像を呈さず、幼少(こども)の頃から手取り足取り訓(おし)えて貰った教会(いえ)の牧師(あるじ)の不敵に沿いつつ〝愛〟を習って、俺へ対する無情の瞳(め)には一瞬開(ひら)かぬ個室(とびら)が在った。如何(どう)にも近付けないまま俺は言葉を宙へ投げつつ人群(むれ)の周囲(まわり)を進んで独歩し栄子を無視して、ずんずん固陋に居座る自我(あるじ)を見知ると、そこにはこれまで経て来た展開(ばめん)が無数に飛び出て栄子(おんな)を形成(つく)り俺の思惑(こころ)は崩壊し掛けて、そうした両眼(まなこ)ですっと表情(かお)など擡げて人群(むれ)を見遣れば、栄子に似寄った黒髪乙女が栄子を背にして離れて在るのを幾つか知り得た。幾人かに分れた栄子の〝擬(もど)き〟はぐるっと廻った己の表情(かお)など一向気付かず徒労に疲れる俺の背中へ熱意を投げ掛け自活に解け行き、一向添えない他人の熱意を仄かに見せ行き俺の元へはやって来ぬのを、俺から離れて暗算して在る。これは栄子にとって知り得ぬ事にて、栄子の元気(はへん)は程好く跳び行き俺を躱して別路へ跳んで、泡(あぶく)へ渡った人群(ひと)の骸を一つとしたまま悠々自適で、俺を厭わず宙(そら)の彼方へ自体を失う。段々失(な)くなる栄子の躰は軟さを忘れて俺を睨(ね)め付け、警戒するまま言葉を忘れた女性(おんな)の様子に固く出で立ち気丈を揮い、明日(あす)が来るのを待ってたようだ。誰も彼も何にも振るわず、自活に呈した俺の骸は屍(かばね)を着たまま自然に解け込み、女性(おんな)を観るのも俗世を観るのも一線上にて同様(おなじ)に在って、ぴんぴんして居る栄子の姿勢(すがた)が俺にとっては悪魔であった。準じて周りに集った栄子の〝擬き〟も強か成るまま打ち出を狂わす悪魔の分身(かわり)に変わらなかった。

 俺の思惑(こころ)は仕方の無いまま栄子も分身(かわり)も充分無視して俗世を離れ、長島氏に似た中年男を掌(こころ)に抱(いだ)いて外界(そと)へ投げ捨て、心象(こころ)通わぬ現行(かたち)が芽吹いたこの会場(きょうしつ)を横目で射抜いて転々(ころころ)転がし、宙(ちゅう)で冷え切る無駄の長蛇を女性(ひと)から隠れた俺の下腹部(からだ)が分身(かわり)と成って小便ぶっ掛け、体温(おんど)を報せて解かして行った。



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