#37 噂の真相

「部長、これ──俺と岩瀬さんの諸々書類です」

「はいはい。……ん? え? ──マジか」

 美姫と祐宜の上司は山田相談役になるけれど、彼はほとんど本社にいないので総務部長が代役をしていた。必要なものを全て揃えて、祐宜が結婚届を、美姫が結婚届と産休の書類と通勤経路の変更等を、祐宜がまとめて総務部長に渡すと彼は驚いて美姫と祐宜を交互に見ていた。

「俺、何回か聞いたけど、違うて言うてたやろ?」

「言ってないです。浮気じゃないとは言ったけど」

 総務部長には何度も関係を疑われたけれど、否定も肯定もしないうちに彼は続きの言葉を発していた。だから祐宜は何も言わず、周りが勝手に二人には何もないと思い込んでいた。

「堀辺、いつからや? まさか岩瀬さんから言うたとは思われへんのやけど。もしかして異動のときか?」

「そうですね……歓迎会のあと相談役が帰ってから」

「ん? ちょい待て堀辺、俺あのとき、岩瀬さんに何もしてないやろな、て聞いたよな?」

「あれも、何もしてないとは言ってないですね。まぁ……話をしただけですけど」

 祐宜の言葉を聞いて美姫が頷いたので、総務部長は信じてくれたらしい。話をしたあと祐宜の部屋に泊まったことは今は黙っておく。

「そうか……俺が勝手に勘違いしてたんやな。……大学の、て言うてたのは、大学の友達の嫁さんの友達てことか」

「そうですね」

 総務部長はこれまでの美姫と祐宜との会話を思い返して、二人の発言に納得したらしい。祐宜が結婚すると言っていたのは美姫との未来が見えていたからで、美姫が本社で祐宜を気にしなくなったのは彼と付き合い始めていたからだ。

「岩瀬さん、プロポーズはいつやったん?」

「……付き合って一週間後」

「早っ!」

「確かあの日、私の元彼が散々やったって話を聞いてきてて……俺はちゃうぞ、みたいに言ってくれて」

「──そうやな」

 そんな三人の会話は当然、周りの人たちも興味津々に聞いていたらしい。離れた席のバイヤーたちは〝美姫と祐宜がデキている噂は本当だった〟と盛り上がり、店舗従業員と電話していた人に至ってはうっかり口を滑らせてしまっていた。

「てことは岩瀬さん……お腹の子のパパは堀辺君? あのとき休憩室で、まだ言ってないって言ってたけど、さすがにもう言ってるよな……?」

 奈津子の言葉に今度は、近くの席の女性たちが盛り上がっていた。美姫のお腹が大きくなっているとは思っていたけれど、どう聞いて良いのか分からなかったらしい。

「はい。休んでたときからそんな気はしてたんですけど、年明けに病院行って……いま四ヶ月です」

「もう性別は分かったん?」

「それは──私は聞いたけど」

 病院には数日前に一人で行って、性別も聞いた。まだ絶対とは言えないけれど、おそらく確定らしい。祐宜にも伝えようと連絡したけれど、もう少し待って確信が持ててから聞きたいと言われた。

「それは私らが先に聞いたらあかんな。楽しみにしてるわ」

「四ヶ月ってことは……そうか、一週間でプロポーズやったら、子供はあとでできたんやな。できたから責任取れ、て言うたんとちゃうな」

 総務部長はぶつぶつと言いながら、美姫と祐宜が提出した書類に目を通していた。

 クリスマスに祐宜と久々に会ったとき、本当は妊娠のことを伝えるつもりにしていた。入籍の日を早めてほしいと、すぐにでも一緒に暮らしたいと言うつもりだった。けれど病院に行っていなかったので絶対ではなかったし、祐宜に会えたのが嬉しくて他のことは考えたくなかった。

 年が明けて美姫の部屋に来てもらったとき、マンションの契約更新通知が来ていたのは想定外だった。今度こそ伝えると決めていたので、更新する代わりに引っ越したいと言おうと思った。それは予定通り言うことになって──それより先に祐宜は入籍しようと言ってくれた。

 バレンタインの前に祐宜が総務部長に呼ばれたとき、総務部長は前置きなしに美姫のことを聞いてきたらしい。

『岩瀬さんから何か聞いてるか?』

『何かって──?』

『いや──俺が聞いて、もし違ったら怒られそうでよぉ聞かんのやけど──、妊娠してんちゃうんか? 時々しんどそうにしてるのも、つわりかなぁと思ったりするんやけど』

『……そうですね、妊娠してるみたいです』

『やっぱりか……。いつ聞いた?』

『先月やったかな。黙っといてって言われてたんですけど──、呼んできましょうか』

『うん……そうやな。呼んできて』

 三人で話をしたあと、残った美姫と祐宜は同じ日に書類を提出することに決めた。本当は山田相談役が良かったけれど、次にいつ本社に来るのか予定がわからなかった。

「それにしても、よく隠せてたな。そういえば岩瀬さん休んでたとき……ほんまは会ってたんか?」

「いや、連絡取れんかったのは事実です」

「住所分かってんやし行ったら良かったのに」

「ああ──それ……怒られました」

 祐宜が肩をすくめながら言うと、聞いていた女性たちは仕事をしながら笑っていた。

「体調悪いことは前から言ってたし、外に出るの怖いのも知ってるはずやのに……いつも自分の都合で動いてたから」

「堀辺──無理に岩瀬さんに〝付き合って〟て頼み込んだんとちゃうやろな?」

「違いますよ。なんで俺ばっかり責められるんですか」

「そら、だいぶ年上やし。上司の立場を利用して」

 美姫と祐宜の関係をにわかには信じがたいようで、総務部長は何回も祐宜を責めていた。バイヤーたちも同じように笑いながら疑ってくるし、女性たちも──何も言ってはこないけれど疑っているように見える。美姫は何も言わず祐宜の様子を見ていたけれど、それも彼には辛かったらしい。

「ちょっと、助けて」

「あの──プロポーズは嫌とは言わせてくれんかったけど」

「なんやと?」

「いや、それ──まぁ……」

「最初から覚悟はしてたし、告白されたときは……はは!」

「ぬ? やっぱ無理に言うたん?」

「違いますって」

「いろんなこと話してくれて──友達の影響もあるけど──断るっていう選択肢が浮かばんかったんですよ」

 祐宜のことがもともと好きだったのもあるけれど。

 会社に対する思いが一緒で、ずっと美姫のことを見ていたと知って、嬉しさが強すぎて過去のことはどうでも良くなった。告白されて緊張したのは彼が初めてで、上司としても恋人としても頼りにしたかった。

「ふぅん……。ところで岩瀬さん──堀辺ってどうなん? 男として」

「それは……」

「優しいとか正直とか言うてたよなぁ?」

 会話に入ってきたのは奈津子だ。

「嬉しそうに言うてたと思うけど」

「優しいのは良いとして、堀辺が正直……?」

 総務部長はやはり、それが信じられなかったらしい。笑いながら祐宜を見て、それから美姫に答えを求めた。

「正直ですよ。私も最初びっくりしたけど……だから余計に」

 惹かれてしまった、と言う代わりに美姫は祐宜を見た。彼は照れ臭そうに笑いながら、話題から逃げるように仕事の資料を手に取っていた。

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