第17話 其々の想いと決意

 靖久は、子供達の事を考えて決意した事がある。瞳の調査を進める中で、自分の子供ではない事が判った。自分の子供達ではないと、原田に言われた時に思ったのだ。「何となく心通わぬ家族」、そう感じていた本当の意味はこの事だったかと。だからこれを機に、子供達を引き取る事を考えずに離婚問題に向かい合うものだと思った。だが実際は、全く違う感情に支配されたのだ。

お前は「この子供達を何の感情もなく」、他人の子供だったのだと割り切って離婚するのかと。瞳の現状を鑑みても「これで終わりだ」と、なかった事かの様に飛鳥との新しい生活を出来るのかと。その心の葛藤は、いついかなる時にも靖久を支配した。

もしも瞳が、今までの事で社会的に制裁を受ける事になるとする。子供達は、今まで通りの生活は出来なくなるだろう。そうなった時には、お義母かあさんの所でお世話になる事が考えられる。その時に、自分に何が出来るのか。いや、自分が何かをしていいのだろうかと思った。瞳との離婚の話し合いも、今のところは全く進んでいない。瞳が離婚後に、どういう環境を考えているのかも解らない。本当の父親である石川との生活を考えていたのならば、石川が二人を引き取るという事も考えられる。その事も含めて、一度石川と会って話をしてみようと思った。

 そして靖久は、飛鳥に事情を話した。石川と会って、話をしてみると。彼が父親として子供達をしっかりと育てていくと言うのならば、その方向で瞳との離婚協議を進めればいいと。その決意を汲み取って、飛鳥が石川の連絡先を教えてくれた。

こういう時には、決心が鈍らないうちに行動するべきだ。

靖久は、翌日石川に連絡を取ることにした・・・・・。




 火曜日の深夜二時、都内の明治通りを一台のワゴン車が走っていた。東麻布から正仁会の事務所まで、金塊二十キロと現金五億円を運んでいる。新居は運転しながら、事務所の留守番をしている若者に電話をしていた。

『ウィッス、お疲れ〜。今からそっち行くんだけどさ。俺達着いたら、暫くどっか行っててくれ。そうだなぁ〜、飯でも食っててくれよ。ああ、ちょっと色々あってな。もうすぐ着くから、今から出てっていいぞ。』

電話を切って、新居は助手席の奥村に聞いた。

『兄貴、肩大丈夫なんですか?さっき、肩が痛いって言ってたじゃないっすか。』

奥村は、少し肩を回しながら返す。

『まだ三十八なのに、四十肩になっちまったのかなぁ。なんかさぁ、右肩が痛ぇんだよなぁ。』

ワゴン車は、事務所の前に到着した。

『兄貴、俺金塊台車に乗せますんで。先に応接室に行って、金庫開けといてもらっていいですか。』

『おお、悪ぃ〜な。』

奥村は、事務所に入って応接室へと急いだ。壁の中に設置された金庫の扉を開け、新居が台車で通りやすいようにソファーをどかした。そして車の所に戻ろうとした時、新居を乗せたエレベーターの扉が開いた。

『兄貴。金塊の方が何となく重いので、現金の方の台車をお願いします。』

『おお。ってぇ〜か、お前なんか働き者だなぁ。』

そんな感じで、テキパキと新居が金庫内に金塊と現金を入れていく。あっという間に、金塊二十キロと現金五億円を金庫に納め終わった。

『さて、この壁を綺麗にすんのにまた業者呼ぶのかよ。面倒臭いなマジで。』

奥村がそう言うと、新居があっけらかんとした顔で言った。

『ああ、俺がやるんで大丈夫っすよ。』

『ええ、・・・・・お前に、出来んのか?』

新居は、笑顔で頷きながら言った。

『ええ、中学出てすぐの頃にボード屋やってたんっすよ。昨日材料も全部買っておいたんで、チャチャっとやっちまいます。』

そう言うと、新居は車まで材料を取りに行った。奥村はバタバタと過ぎる毎日に、少し疲れてはいたが充実した毎日を過ごしていた。何と言っても、こんな大金が転がり込んできたのだから。新居が戻ってきて、テキパキと作業を進めていく。石膏ボードをはめ込み、ねじ止めをして隙間にパテを塗っていく。

『取り敢えずは、ここまでです。半日乾かしてから、この上に化粧板を重ねていきますんで。あとは、明日っすねぇ。』

『ほう、手慣れたもんだねぇ。』

『じゃあ、留守番呼び返しますね。』

そう言って、電話をかけだした。

『おう・・・・・・・・』

そんな中、奥村は最近の目まぐるしい毎日の事を考えた。最近の、激変してしまったこの状況を。本匠に呼び出された時には、筒井瞳の隠し財産には及ばないがと言う話しだった。筒井瞳が数億円を溜め込んでいると、森高に聞いた時から半年足らずでこの状況だ。数億という話が、いつの間にか金塊と合わせて四十億近くの金が動き出している。もしもこの金額が、本匠に知れると出張ってくるんじゃないのか?

そんな疑念が、奥村の心に芽生えてきた。これは極秘中の極秘で行かないと、掠め取られてしまうかもしれないと。

臆病者が、より一層慎重になって事を進めていく・・・・・。



 

 桜も散ってしまい、大型連休が近くなってきたある日。石川は、余りにも意外な人物からの電話に固まっていた。

『私筒井靖久と申しますが、石川睦さんのお電話で間違いないでしょうか?』

石川は、頭をハンマーで打たれたかの様な衝撃を受けた。「筒井靖久」、自分が数ヶ月前まで尾行したり動画を撮ったりしていたである。

石川は、呆然としたまま応えた。

『はい、そうです。私が、石川睦です。』

『お忙しいところ申し訳ありませんが、一度お会いしてお話をさせていただきたいのですが。石川さんの、御都合は如何でしょうか。』

『えっ・・・・・。』

石川には、返す言葉が見当たらなかった。

それも当然である、相手は”石川の子供”を自分の子供だと思っているのだから。

だが、「何で自分の電話番号が判ったのか?」という疑問。それと、「自分に何の話しがあるのか?」と言う疑問が瞬時に石川を襲った。

『どの様な御用件でしょう。私仕事関係でもプライベートでも、「筒井様」という方を存じ上げないんですが?』

少し間を置いて、靖久が返した。

『石川さん、もういいじゃないですか。去年の年末に、恵比寿のセブンディーティーズホテルの前でもお会いしていますし。その前日の長崎倶楽部でも、短時間でしたがお話したでは御座いませんか。瞳の事も、殆どの事は判っていると思っています。それを踏まえて、子供達の事を話したいと思って御連絡を差し上げています。』

石川は、まさに雷に打たれた。身も心も、雷に打たれたのだ。筒井靖久が、「殆ど分かった上で、子供の事を話そう。」っと言ってきたのである。石川は、この様な事態は想像もしていなかった。だが、もう言い逃れは出来ない。

『分かりました。申し訳御座いませんでした。今でも、筒井さんは何も知らないと思っていましたんで。・・・・でしたら、今週金曜日にでも時間を作らせていただきます。金曜日の十九時に、長崎倶楽部でというのは如何でしょう?』

石川は、心臓の鼓動をはっきりと聞き取りながら返事を待った。

『え〜っと、・・・・・金曜日の十九時ですね、分かりました。もしかしたら五分位遅れるかもしれませんが、それでもよろしいですか?』

『はい、勿論全然構いません。そしたら、今週金曜日の十九時に長崎倶楽部でという事で。』

『有り難う御座います。それでは、金曜日に・・・・失礼します。』

『はい、失礼します。』

石川は、電話を切って思い出していた。瞳に頼まれて、筒井靖久を調査し続けた日々の事を。そう、浮気調査をしていた日々の事を。そして、子供を作るに至った経緯も思い返していた。

 石川は十代の頃から、瞳にゾッコンメロメロだった。自分だけを特別扱いしてくれる瞳に、身も心も蕩けていって恋愛対象以上の存在になっていた。そんな存在になった瞳が、実は既婚者であると知るまでに時間はかからなかった。しかしそれを知ったからといって、石川の心も体も止まる事はなかった。瞳にだけ夢中になり、何も見えなかった。そして出会って数年が経った頃、瞳に「睦の子供が欲しい」と言われたのである。その時の喜びを、石川は今だに新鮮に覚えている。

自分だけが特別で、名前も顔も知らない旦那に勝ったという喜び。瞳の旦那以上の存在として、瞳が自分を感じてくれている喜び。全てが嬉しくって、石川は瞳の話に乗った。「結婚生活はそのままで」、二人の子供を作るという話に。余りの喜びに、それからの瞳との性交がより一層特別になった。石川は瞳の膣内なか射精いく度に、全身全霊で感じて果てた。自身の下半身から、生命と魂が全て射精される感覚に酔いながら。だがそれに伴い、自分と別れた後瞳が旦那に抱かれている現実。そう、嫉妬である。瞳が帳尻を合わせる為に、しなければならない事。それは瞳が自分に抱かれた後、帰宅した後旦那に抱かれなければならない現実。

幸せを感じた直後に襲う嫉妬の嵐。石川はこの嫉妬を抑える為に、ついさっきまで抱いていた瞳を思い出しながら自慰じいをした。他の女体に目移りする事なく、瞳だけを思って自慰をした。激しく、強く自身をしごき果てる。瞳を思う自身にも酔いながら、何度も何度も扱いては果てたものだ。今だにその癖は治らないし、治すつもりなんて毛頭ない。今だに自慰をする時には瞳との性交を思い出しながらするし、森高に抱かれている時にも瞳の事を妄想しながら性交する。なんなら森高の体内なか射精いく時にも、瞳の膣内なか射精いく時を思い出しながら果てている。そんな特別な瞳の旦那が、不倫をしていると聞いた時に石川は珍しく怒り狂った。自分の特別な瞳を、蔑ろにして愛人おんなを作った。自分の事を、棚の上に置き去りにして石川は怒り狂った。その怒りが、筒井靖久への尾行や調査の原動力になったのは必然であった。その上、その愛人が自分の会社にいたのだから。その奇跡の偶然さえも、瞳に身も心も捧げた忠誠心の御褒美なのだと思ったものだった。そんな愚かな旦那を蔑みながら接触を試みたのが、動画を撮りに行った長崎倶楽部での出来事であったのだ。

 石川は、そこまでを思い返した時に思った。この瞳を思う魂と、これまで瞳を思いつ続けて来た時間。それを、精算しなければならない時が来たという事を。瞳に守られていた自分が、今は瞳を守らなければならないんだと。瞳の背中に隠れている時間はもう終わった。もう、瞳の前に立たなければならない。そう考えながら、石川は今週末のスケジュール調整を始めた。




 奥村と新居は、東麻布のビルから現金を運び出していた。最初は金塊込みで正仁会事務所に、そして残りの現金を三ヶ所のトランクルームに今から運ぶ。そのトランクルームは、森高融名義で借りている。その事が奥村を安心させたし、石川の計画にも好都合であった。石川は、近付いてくるワゴン車に手を振って停めた。

『お疲れ様です、じゃっ早速行きましょう。一気に三ヶ所行って、今日中に終わらせてしましょう。』

石川は後ろを振り返って、載せてあるキャリーケースを数えた。

『一・二・三・・・・・・・十二。十二個って事は・・・・・。』

助手席の奥村が、振り返って石川に応える。

『石川さんの指示通りに、分かりやすくしましたよ。一つに・・・・・』

そこまで言った奥村を、石川が笑顔で遮った。

『ああっぁっと、中身は言わないで下さいね。私は、森高さん宛の荷物を運ぶ手伝いをしているだけなんで。』

奥村も、微笑みながら返した。

『おぉうっと、そうでしたね。まぁ、よろしくお願いしますよ。』

三人を乗せた車は、世田谷区内を環状八号線に向かって走らせる。そうして走る事二十分、一ヶ所目のトランクルームに到着した。

『台車があるんで、ちょっと待ってて下さい。』

新居がそう言って、キャリーケースを四つ台車に乗せ始めた。石川は、鍵を開けに中へと向かう。暫くすると、奥村が台車を押す新居を従えて入って来た。

『奥村さん、こちらです。』

新居が重たそうに、キャリーケースを部屋に入れている。それを、見ながら奥村が言った。

『ほ〜う!湿度管理にセキュリティー完璧とは、トランクルームって大分変わりましたねぇ。ついこの間までは、コンテナにドア付けてる物置って感じだったのにねぇ。こりゃ便利だ。他の取引にも、使えそうだしなぁ。』

『勘弁して下さいよ、奥村さん。私は今の、聞こえてないですからねぇ。』

奥村は石川の方へ振り返り、ばつが悪そうに言った。

『悪い〜悪い〜、冗談だよ冗談。ガハハハ・・・・。』

『奥村さん。キャリーケースの鍵は、メール便か何かで直接森高さんに送って下さい。誰の手も介さずにしておいた方が、奥村さんも何かと安心でしょう?』

『んっ・・・・、と言うと?』

石川は、真っ直ぐに奥村の目を見て言った。

『もし私が、中身だけ抜いてしらばっくれたら如何どうするんですか?まぁ、中身は知らないですけどね。そういう事ですよ。』

奥村は、呆れたっと言った感じで石川を見て言った。

『ハァ〜、俺はアンタを舎弟に欲しいよ。そんだけ注意深い奴が、俺の舎弟にいてくれりゃあもっと上にいけるのによぉ。なあ、新居!』

暫し笑顔で荷物を運び、奥村はキャリーケースの鍵をロックして部屋から出た。

『じゃあ、石川さん閉めてくれて大丈夫だよ。』

『はい、では・・・・。』

ドアを閉めて鍵をかけると、石川は奥村に言った。

『じゃあ、次に行きましょう!』

 三人は、同じ世田谷区内のトランクルームをあと二ヶ所回った。それぞれのトランクルームに、キャリーケースを四個ずつ置いて終了する。計十二個、十二億円の分散が終わった。そして、都心に向けて走る車内で石川が奥村に言う。

『あとキャリーケース三個分があると思います、それは森高さんの部屋に隠しますんで。奥村さん、都合は如何ですか?出来れば、今週中に終わらせたいんですが。』

奥村は、少し考えて返事をした。

『明後日の金曜日、午後から運ぶ事にしましょう。明日は、会長に会って話したい事があるんでね。何時いつ身体が空くか分かんねぇ。』

『分かりました。では、明後日の金曜日の午後ですね。十三時に待ち合わせって事でいいですか?』

奥村は、頷きながら応える。

『はいはい、十三時に今日みたいに待ち合わせですね。それはそうと、森高さんの家には入れる手筈になっているんですね?』

石川が、笑顔で応える。

『勿論です。森高さんの了解を得て、鍵も借りでいますんで安心して下さい。』

『いやいや、森高さん公認って事だったらいいんですよ。ははははっ・・・・・』

石川は目黒駅近辺で降ろしてもらい、駅に向かいながら本匠に電話をかけた。

『もしもし、恭介さん。今、トランクルームに置いておく分が終わったよ。あの感じだと、全く疑ってないみたい。』

『 おおぉ〜そうかそうか。後は、森高の部屋か。』

『うん、そうだね。明後日、三人で持っていく。』

『いいか睦、奥村達の顔がハッキリと防犯カメラに映るようにな。それと、くれぐれもお前は頼まれて鍵を開けるだけだ。今回も次回も、キャリーケースの中身は全く知らないんだからな。しっかり頼むぞ。それと、カメラの位置と角度にも十分気を付けるんだぞ。分かったな!』

『うん、解った。・・・・・じゃぁまた。ウィ〜ッス。』

石川は、にこやかな顔をして目黒駅へと向かった。




 迎えた金曜日。石川と奥村は十三時に合流し、森高のマンションへと向かった。エントランスから、ゆっくりと台車に乗せてエレベーターへと向かう。エレベーターが来るまで暫し待つ間、石川は階段で先回りする事にする。

『奥村さん達は、このままエレベーターを待って上がって来て下さい。私は先に階段で行って、部屋を開けておきますんで。』

石川はそう言うと、走って階段へと向かって行った。その石川の背中を、ボーッと見ながら奥村が呟く。

『おい新居、石川ってあんなに頑張る感じのキャラだったっけ?なんか最近、イメージが全然違ってきたんだけどよ。』

一向に来ないエレベーターを待ちながら、新居が半笑いで返す。

『誰だってこんな金が動く仕事になりゃ、張り切るに決まってんじゃないですか!俺だって、最近張り切ってますもん。朝なんて、パチっと目が覚めて。「ウッシ、今日もやるぞ!」って、気合い入りますもん。』

そんなたわいも無い会話をしていると、やっとエレベーターがやって来た。奥村達は乗り込み、森高の居住階を押して上がって行く。エレベーターが到着すると、森高の部屋のドアを開けて石川が手招きをしている。二人は招かれるまま進み、部屋の中へと入って行った。広い室内に、豪華な家具が所狭しと置いてある。新居は口を開けながら、呆然として言葉を漏らす。

『これが、・・・・・・金持ちってやつかぁ。』

『おいおい、恥ずかしいから止めろ!・・・・・で、何処にしまうんです?』

そう言った奥村の視界に、ワインセーラーと壁奥の金庫が見えた。

『ここって訳ですね。』

そう言うと、新居に指示を出して壁の奥の金庫に二億。そして、ワインセーラーを加工した所に一億を隠した。そして石川は、化粧板の様な壁板を新居に手伝ってもらいながらはめ込んだ。

『ふぅ〜・・・・結構かかりましたが、これで終了です。有り難う御座いました。』

『おお、もうこんな時間か。』

時間は、十七時になろうとしていた。奥村が、視線を石川に上げて言う。

『後は、副社長を投資詐欺で嵌め込んでいくだけですね。』

石川が、奥村の目を見て応える。

『そうですね、六月に取締役会が御座います。そこでは、次期会長を睨んでの、常務取締役の推薦者が多数決で決められる予定です。ただその時追加で、広瀬秀幸副社長の新薬研究開発費の不正流用が緊急議題として提案されます。それまで一ヶ月ちょっとありまので、川治と連携して無駄なく失敗のない様にお願いします。』

奥村は、頷きながら応える。

『よぉ〜く分かりました。それで、まずはどう動けばいいんですか?』

細かい打ち合わせをして、石川は奥村達と別れた。そして、会社へと向かいながら本匠に電話をする。

『もしもし、完了です。予定通りに壁裏の隠し金庫と、ワインセーラーの細工の中に金を隠し終わりました。後は、川治達を使っての投資詐欺です。ここからは、恭介さんの出番ですからね。お願いしますよ!』

『おぉ〜任せときなさい。そんで、会社の方はどうなってるんだ?』

『副社長の方は、先月結構いい思いをしています。ですので、そろそろ一発どデカく出資させる手筈になってますよね。そこは、恭介さんと川治におまかせしますよ。その金は、必ず新薬研究開発費から出すことになるのは間違いないですから。』

『おお、そこんとこは大事な所だからな。間違いなく、絶対に会社の金に手を付けさせてくれよ。』

『森高さんの話しだと、裏カジノの借入金を完済するのに一度会社の金を雑に使ったらしいんだけど。川治の勧めでやった、仮想通貨と金先物であっという間に返す事が出来たんで。いい感じで、クセになっているみたい。大きく増資するとなったら、必ず会社の金に手を付けるよ。』

『ああ、分かった。そんじゃ、気を付けろよ。お前はもう、後ろに引いてろ。』

『うん、・・・今日はもう一仕事あるからね。そっちの方も大変なんだ。じゃあ、また連絡するね。』

『ああ、またな。』

石川は電話を切って、筒井靖久と会う長崎倶楽部へと向かう事になる。




 十九時を少し回った頃、靖久は長崎倶楽部の扉を開けた。優樹と葵の父親、石川睦に会う為である。店内を見回していると、聞き覚えのある声で名前を呼ばれた。

『こっちです、筒井さん。』

右手を挙げて、石川が呼んでいるのが見えた。靖久は、小さく会釈をして石川のテーブルに向かう。お互いにぎこちなく挨拶を済ませ、定番の黒ビールとピスタチオをオーダーした。

『お忙しいとこ、申し訳御座いませんでした。どうしても、石川さんと話しをしたかったもので。』

『いえ、とんでもないです。それで、お話しというのは?』

軽く乾杯をすませた後で、靖久が石川の目を見てゆっくりと話し出した。

『まずは、優樹と葵。この二人の子供達の父親は、石川さんだという事で間違い御座いませんか?この事を確認してからでないと、この先の事は話す意味が御座いませんので。まずはこの事の確認をさせていただいでから、話しを進めさせていただきたいのですが。』

石川は、小さく頷きながら応えた。

『はい、間違い御座いません。』

『解りました、有り難う御座います。それでは、話しを進めますね。今のところ、離婚に向けての話し合いは止まったままです。その事を、石川さんが御存知なのかは分かりませんが。子供達の事を、全く話し出来ていないのが問題でして。色々なケースが考えられる中、最悪の事態を想定してみました。瞳がなんだかの制裁を受ける事になるとします、その場合の子供の養育権がどうなるのかという事です。もしそこまでの制裁ではないにしても、瞳がどういう未来を考えているかによると思うんです。石川さんが優樹と葵の父親として、今後責任を持って育てて下さるのであれば。私としては、何も言うつもりは御座いません。そこのところを、石川さんにお会いして考えを聞かせていただこうと思いました。石川さんは、どうお考えになっていますか?』

石川は、下を向いたまま返す。

『正直な事を申しますと、今まで瞳さんと子供達の事についての話しをした事は御座いません。瞳さんもこの一年位、筒井さんとの離婚の事で頭がいっぱいだったと思います。そして自分と致しましても、今から考えようと思っていたというのが正直なところなんです。筒井さんも御存知の通り、今瞳さんは大変な立場にあります。ですがもう暫く致しますと、状況が変わると思われます。それまで、もう少しお待ち願えればと。』

靖久は、「状況が変わる?」っと不思議に思った。瞳の状況が変わっていく、だがそうだとしても・・・・。

『そうですか。ですがまずは、石川さんはどうお考えなのですか?今から、二人の子供は中学高校と多感な時期を過ごしていきます。もし、父親が変わるとしても。子供の視線で父親が変わるとしても、早ければ早い程二人が負う心の傷は小さくて済むと思うんです。瞳の事でも、奔走されておられるのでしょう。その事は、瞳を大切に思っての事だと思います。ただ、子供達の事も少し考えていただければと思うのです。瞳には色々込み入った事情があるのでしょうが、自分の弁護士とも会っていないそうです。瞳の状況が変わるのが何時かは解りませんが、早急に石川さんと瞳で話し合っていただくという事は出来ませんか?』

石川は、靖久の圧倒的な圧力に気押されていた。血は繋がっていなくても、自分が不倫をしたとしても。

これが父親というものなのかと、石川は靖久の圧力を感じて思った。ここで「もう暫くすると奥さんの立場は容疑者ではなくなくかもしれません。」、などと言ったところで何の説得にもならないであろうと。靖久は、血が繋がらずとも父親として聞いているのである。石川は自分が今まで、何にも考えていなかった事をつくづく恥ずかしく思った。この前まで、瞳が離婚をする為の調査をしていたのだ。それなのに離婚した後の子供の事を、一度も考えた事がなかったのである。血が繋がっているのにも拘らず、一度も考えていなかったのだ。

暫く両者無言のまま、視線を落として沈黙が続いた。

石川は自己嫌悪に落ちていたし、靖久は石川が子供を育てる気がない時の事を想定しだしていた。そして、石川が視線を落としたまま口を開く。

『すみません筒井さん。正直に申し上げて、「真剣に考えさせて下さい。」という事で今日は許していただけませんか。しっかりと、自分に出来る事を考えて瞳さんとも話しをします。まだ二人の子供達に会った事もないですし、もしかしたら嫌われて断られるかもしれません。ですが私と致しましては、瞳さんと子供達が許してくれるのであれば一緒に生きていきたいと思っています。そういう決意は御座います。そういう事で、瞳さんと話しをする。そして後日、もう一度筒井さんと話しをさせてもらうという事でお願い出来ませんか?』

石川は話しているうちに、靖久の目をしっかりと見て話していた。正直に、今の考えと決意を靖久に伝えた。そして靖久も下を向いて話していた石川が、話しながら自分の目を力強く見て話す姿に決意を感じていた。

『いえ、こちらこそすみません。自分は、勘違いしていたようです。失礼承知で言わせていただければ、自分は石川さんの事をもっといい加減で嫌な奴だと思っていました。子供の事も、「あなたには関係の無い事だ。」と聞く耳を持ってもらえないんじゃないかと。不倫をして離婚しようとしている私に、こんな事を言われる筋合いはないのでしょうがね。でも今日、石川さんにお会いできて良かったと思っています。真剣に優樹と葵の事を、考えてくれる人だと思えましたから。二人で話し合ってみて下さい。そしてその後、弁護士を通しての話し合いを進めるという事にしましょう。』

それから二人は、会話する事なく残りのビールを呑み干して別れた。靖久は帰り道を歩きながら、石川の言っていた「瞳の状況が変わる。」という事を思い出していた。

 原田さんかの報告で、ヤクザの親分がなんだとか言ってた。でもまさか、その人が出て来ても無罪放免にはならないだろう。でももし彼(石川)が言っていた事が、瞳の今後を左右するくらい大きな事なら。罰金を幾らか払うだけで、全てが終わるのかもしれない。

「それならば、瞳と彼(石川)が一緒になりやすくもなるのか。」

そうなるとすれば、二人の子供達も可哀想な目に遭う事もないのかもなと思う靖久であった。

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