第1話 魔王召喚

「ううん……?なんだここ……?」


  気がついたら、俺は地面に横たわっていた。

 ついさっきまで屋外にいたはずなのに、なぜか天井が見える。


「えーっと、たしかさっきチンピラ共に襲われて……そうだ!訳のわかんねぇ模様が出て急に光ったと思ったら、気絶しちまったんだ!」


 誰かのイタズラで、俺はここまで運び込まれたのだろうか?

 そう思うと無性に腹が立ってきた。


「チッ……クソ!こんなしょーもねえイタズラを……」


 立ち上がろうと上半身を起こしたところで、視界に入り込んできた光景の異様さに言葉を失ってしまった。

 部屋の明かりは壁際に掛けられている松明だけなのか薄暗く、足元には真っ赤な文字で隙間をびっしりと埋められた不気味な図形が広がっている。

 なんだかこの図形を見ているだけで気分が悪くなってくるような気がした。

 この部屋の中にはそれ以外にはなく、無機質な雰囲気がなんともいえない気味の悪さを感じさせてくる。

 

 だが、俺が言葉を失った一番の理由はそこではない。

 

 俺の目の前にではなく、銀色の髪の女が立っていた。

 ただの女ではないにはコウモリのような一対の羽が生えている。

 肌はありえない程に青みがかっていて、とても自分と同じ人間のようには見えなかった。

 

「お目覚めになりましたか。ようこそおいでくださいました魔王様。」


 目の前の女は微笑みながらそう言った。


「……」

 

 状況がつかめず沈黙していると、目の前の女が小首をかしげる。


「……?ああ、これは失礼いたしました。私は古来より魔王に仕えるデーモン族の末裔、レモリーと申します。」


「お……おう……?」


 魔王?デーモン?自らをレモリーと名乗った何を言ってるのだろう?

 

 ……まあいいか、それよりも聞きたいことがある。


「おい!ここはどこだ?何のために俺をここまで連れてきた?」


「ええと、とりあえずここはどこかと問われたら異世界……あなたからするとそう呼べばよいのでしょうか?」


「は……?」


 意味が分からなかった。

 異世界とは一体何なのか?


「異世界というのはそうですね……元々あなたのいた世界から遠く遠く離れた場所にある別の世界のことで、あなたは特別な魔法によってここまでやって来ました。」


「魔法?」


 また聞き慣れない言葉が出てきた。


「魔法は世界の法則を捻じ曲げて引き起こすことのできる超常の力のことです。貴方様をこちらの世界にお呼びする際にも使いました。恐らくこちらに来る直前に、足元に魔法陣が浮かんだと思うのですが……」


「……ああ、あれか。」


 どうやらあの謎の模様と光は、イタズラではなくレモリーの魔法によるものだったらしい。


「それと、何のためにあなたをここに呼んだのか、でしたね。」


 レモリーはそう言うと、さっきまでの優しげな笑みを消して真剣な表情になる。


「あなたには魔王として私達魔族を導いていただくために召喚いたしました。」


 彼女は一呼吸おいてから説明を続ける。


「私達の世界では、私のような魔族と呼ばれる種族と、ヒューマン……あなたと同じような種族ですね。この2つの種族が対立し、長らくの間争い続けてきたのです。ここ数十年は互いの力が拮抗しており、小競り合い程度で済んでいたのですが……」


 言いよどむようにしてレモリーは少しだけ目を伏せた。


「……近年、ヒューマンが爆発的に人口を増加させたことによって、状況は大きく変わりました。戦況を有利と見たヒューマンが本格的に魔族への侵攻を始めたのです。当然私達魔族もそれに応戦したのですが、数の力で押され、敗北を繰り返すことになりました。いくつかあった魔族の国もヒューマンの侵攻によって滅ぼされ、私達魔族は故郷を追われて散り散りになっていきました。」


 戦争というとあまりイメージが湧かないが、スラム街出身の俺はマフィアやギャングのナワバリ争いを嫌という程見てきたし、実際にその現場に居合わせたこともあった。

 思い出すのは、無機質な鉛の弾があちこち飛び交いそこら中に死体が転がる悲惨な光景だ。

 

 あれと同じようなものなのだろうか?


「この現状を打破すべく、魔を統べる者……魔王としての器を持つ人物、つまりあなたをこの魔法陣にて召喚したのです。」


 レモリーは顔を上げると真っすぐにこちらを向いた。

 

「急にこちらの世界に呼び出して不躾な申し出なのは承知しております。ですがどうか……どうか魔王となって私達と共に戦ってくださいませんか?」


 そう言い放った彼女は、頼み込むように頭を下げた。


 魔を統べる魔王か……悪くない響きだ。

 魔族の頂点に立って王と呼ばれるのはさぞ快感なことだろう。


 だが……


「……断る。」


「その、失礼ですが理由を伺ってもよろしいでしょうか?」


 俺の返答を聞いたレモリーが、顔色をうかがうように質問してくる。


「俺には戦う力がねえ。人間が敵になることなんざどうでもいいが、魔族おまえらの事情にわざわざ首を突っ込んで無駄に死ぬのはゴメンだ。」


 弱者として虐げられ、人の醜い部分をよく知っている俺は、人間と戦うことに対する抵抗はない。

 むしろ、元の世界で溜まったウサを晴らすのにちょうどいいと思える程で、そういう意味では魔王になってもよかった。


 けれども、魔法という不思議な力のあるこの世界で、戦う力を持たない俺が魔王になっても、すぐに死んでしまうだろうというのは目に見えていた。


「力、ですか。それなら問題ありません。あなたをこの世界に召喚する際、私の一族に伝わる特別な魔石を使用しました。魔石の効果であなたの体は10歳くらいの姿になっていますが、以前よりも力が出せるようになり、思考力も上がっているはずです。また、魔法も使えるようになっております。……そろそろその体が馴染んできたのではないでしょうか?」


 レモリーに言われて俺は自分の手を見る。

 いつもより指が短く、全体的に小さくなっていた。


 徐ろに立ち上がると、なんだか視点が低いような気がした。

 どれくらい動けるのだろうかと思い、その場で軽くジャンプしてみる。


「おお……!」


 そこまで力を入れていないのに、予想以上に高く跳ぶことができた。


 どうやら、レモリーの言ったことは本当だったようだ。

 これはいいものを手に入れたかもしれない。


「それではもう一度お尋ねします。私たちと共に、人間と戦ってくれませんか?」


 俺の目をしっかりと見て、再び頼み込んでくるレモリー。


 この世界で戦うために必要な力を得たことで、魔王になるのを断る理由はなくなった。

 なら彼女の話を受けてもいいのかもしれない。

 

 ……いや、本当にそうだろうか?

 ここで出会ったばかりの彼女を信用してもいいのだろうか?

 そんな疑問が浮かんできた。


 チラリと彼女の顔を見る。

 美しく整ったその顔立ちからは冷たい印象を受けたのだが、それと同時になぜか安心感を覚えた。


 別に、だからといって彼女を信用する理由にはならないが。


 少しばかりの逡巡の後、俺は答えを出した。


「そういうことなら俺が魔王になってやろう。」


 よくよく考えてみれば、俺に魔王になる以外の選択肢はなかった。

 

 力を得たとはいえ、この世界について右も左もわからないまま生きていくのは難しい。

 それならば、俺が魔王になって互いに利用し合った方がマシだろう。


 そんなことを考えていたら、目の前にいる銀髪の美しい魔族は小さく息を吐いて笑顔を見せた。


「それではこれからよろしくお願いします、魔王様。」

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