その罪人に呪いをかけて

curono

その罪人に呪いをかけて



狙ってやったわけじゃない。

誰だって、運転中によそ見の一つや二つするだろう。

たまたま、本当にたまたま、運が悪かっただけなんだ。


 ふとよそ見した瞬間に――


 オレは、子供をはねていた。





 交通事故なんて、この世界で毎日のように起こっている。

 意図的にはねて、まして人を殺そうなんて、誰だって、思っているわけがない。

 運が悪かったんだ。


 それでも、オレがはねた子供が死んだとわかれば、ショックだし、そりゃあ罪を償おうって気持ちだって、当然湧き上がる。


でも――


心の何処かで思ってたんだ。

「運が悪かっただけだ。オレは本当は――悪くない」




 それは唐突だった。

 オレが刑期を終えて、ようやく「普通」の生活が出来ると思っていた矢先だ。


「これで罪がなくなった、なんてお思いでしょう」


 コンビニで久しぶりのアイスを買い、公園のベンチに座ってそれを口に入れた瞬間、見知らぬおじさんに声をかけられて、割と本気でビビった。


「……」

 無言で振り向けば、黒い服をきた、少し頭のはげた中年の男が、わずかに口の端を歪めて、笑うような顔でオレを見ていた。


 よくよく見れば、特段変わったおじさんというわけでもなく、割と何処にでもいそうな普通の中年の男だ。

 ただ不気味だったのが、その顔だ。普通のおじさんの顔なのに、オレを見据えて笑う顔は、オレの本心をじっと見透かされているような深い目で、妙に薄気味悪く感じた。


 オレが何も答えずにおじさんを見ていると、おじさんは気だるそうに歩み寄ってきながら言葉を続ける。


「長かった刑期も終わって、これで晴れて羽が広げられる、そんなところですよねぇ」


 なんでそんな事知ってるんだと思って、俺はアイスを食べるのも忘れておじさんを見る。もしかして、俺が刑務所から出てくるところでも見ていたんだろうか。


「刑期、何年でしたっけ?」


 言いながら、中年の男は俺の隣に腰掛けてくる。わずかに座る位置を変えて、男から距離を取りながら俺は、男をジロジロ見ていたに違いない。


「……おっさん、なんなんだよ?」


 ようやく出せた声は、自分でも驚くほどかすれていた。ようやく問いかけた言葉に、おじさんはああ、などと気の抜けた声を出して、すっとぼけた様子で薄い頭をかく。


「名乗ってもいませんでしたねぇ。私、アクマです」


「……はあ?」


 ふざけているのか、それとも自分の聞き間違いかと頭グルグルしている間に、おじさんはズボンのポケットに手を突っ込んで、ゴソゴソとなにかを探しながら言葉を続ける。


「いやね、私、あなたにお届けしないといけないものがありまして。N田 Sくん、ご存知ですよね?」


 本気で心臓が止まったかと思った。


 その名前は、俺が交通事故で死なせた子の名前だ。


 頭真っ白な俺に、アクマと名乗ったおじさんは、べらべらと言葉を続けていた。


「Sくんのご両親に頼まれましてねぇ、あなたに贈り物なんです。受け取られますよね? あ、いや、断る権利ないんですけどね。ご両親からすでに預かってしまいましてねぇ、返却したくてもできないんですよ。だってご両親、これを引き換えに、お亡くなりになってますから」


 なんて答えていいのかわからない。そしてこの男が何を言っているのかわからない。けれど、血の気が引いて、アイスが溶けるほどの気温だというのに、手が冷たくなっていた。そう、アイスの棒を持った指先に、溶けたアイスが垂れていても、その温度を感じないくらいには冷えていた。


 その間にも、男はズボンのポケットからようやく何かを引っ張り出した。見るのも怖くて震えるのに、目は男から離せない。


「ああ、ありました。はい、これ、あなたへの『呪い』ね」


 そう言って黒い男が引っ張り出したのは、べっとりと赤く濡れた紙切れに見えた。それがどう見ても血にしか見えなくて、俺は反射的に後じさりして、ベンチから落ちていた。


「ああ、だめですよ、お断り出来ないんですから、はいどうぞ」


 そう言って、気だるい笑みを浮かべたまま、男はその赤い紙切れを俺の胸の上にぽん、と置いた。


 思わず悲鳴が漏れたが――


 ……ただそれだけだった。


「……?」

 ようやく冷静になれば――俺はただ、地面に尻もち着いて、アイスをみっともなく地面に放りだして、俺はおじさんに置かれた赤い紙切れを胸の上においたまま――ただ硬直している、そんな状況、それだけだった。


「な、なんだよ、お、脅かすなよ」


 反射的に怒りが湧いて、それだけ言って立ち上がろうとすると、情けないことに震えてしまって、ベンチに手をついてようやく膝立ちできたくらいだった。


 あの黒い服を着た中年のおじさんは、そんな俺を見て、また口の端を歪めて笑った。そしてゆっくり立ち上がりながら、ぼやくように言った。


「ちなみにねぇ、Sくんが生きていたなら、あと少なくとも61年は生きたはずなんですよ。なのでその分、続くと思ってくださいねぇ、その痛み」


 この言葉の直後だった。


 ミシミシと腕がきしみ、それはまるで内側から骨が砕けるような音が響いた。と、同時に音に似つかわしい激痛が腕を走る。

 叫ぶ間もなく、続けて腹の中が破裂するような音とともに吐き気と激しい腹痛に、立っていられなくなる。そして次の瞬間には、頭が割れるような痛みと、視界が真っ赤になるような目の激痛に、俺はのけぞるような姿勢で震えていた。


「Sくんが死ぬ直前に味わった痛みだそうですよ。たかが刑期5年だなんて、ご両親が納得するわけないじゃないですか。あなたの魂はいただきませんよ、ご両親とのお約束ですからね、お二人の魂分の呪いです。あなたは死ぬまで、その苦しみを味わい続けて生きましょうねぇ。それが、ご両親の望みだそうですよ」





 

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