女子大生は俺の部屋で殺されたかもしれない。

綿木絹

第1話 殺人現場で蝉の音を聞く

 ジジジジジジ…


 ジジジジジジ…


 蝉の鳴き声。羽をこすり合わせているんだから、ボディパーカッションかもしれない。


 アブラゼミって、音が油で何かを揚げている音に似てるから、油蝉なんだっけ。

 だったら、これは油に飛び込んでしまった蝉の断末魔かもしれない。

 実際、成虫になってからの寿命を考えたら、断末魔と言ってよいかもしれない。


 俺は団扇を仰ぎながら、つまらないことを考える。


 一人暮らしにしては広い部屋だ。どうしてそんな広い部屋で暮らしているか、今は話したくない。

 そして、今日だけは随分と狭く感じる。


「…はぁ」


 教の天井は、いや壁も床も主張が激しい。

 書道の先生が激怒したわけでも、現代アートの先鋭画家が閃いたわけでもない。

 とにかく同じ色の液体が部屋中に飛び散っている。

 その色は、ご想像の通り赤色。


 そして、その液体をぶちまけた張本人である女。

 彼女は、ベッドに横たわっている。


 いや、違うか。


 彼女は彼女の意志とは関係なく、赤い液体を吹き出してしまったのだ。


 そう。俺は今、殺人現場に置いている椅子に座っている。

 床を濡らしているのは、最初の包丁の一撃が彼女の腹部に刺さったから。

 天井を濡らしているのは、二撃目が喉を切り裂いたからだ。


「…なんてことだ」


 俺の口はそう紡いても、横たわる女子高生がこちらを見ることはない。

 既に体の硬直が始まっているのだろうか、一点を見つめたままピクリとも動かない。

 もっと早くに救急車が来ていれば、彼女は助かったのだろうか。

 もっと早くに止血をしていれば、短い生を終えずに済んだのだろうか。


「あの…」


 どうしてこんなことになったのかと、俺が頭を抱えている。

 すると視界の外から声が聞こえた。

 それも女の声だが、仰向けで全身から血を吹いだしただろう少女の声の筈はない。

 更には


「待て。今は問題ない…」


 知らないの男の瞳がギョロっと俺を睨み、その女の方も睨んだ。

 女は肩を竦めて、窓際へと移動した。


 つまり一人暮らしの俺の部屋は、相対的に狭くなっている。

 少女の死体と、複数人の人間がいるから、決してファミリー向けではない分譲マンションの部屋では広さが足りない。


「この辺り、まだ撮っていないわよね」


 俺の私語を咎めようとした女は高そうなカメラを持っていて、彼女はそれをキュィィーンとさせた。

 そしてカシャッという機械音と共に、目が眩むほどの閃光が発生する。

 それが二度、三度、四度。眩しいものを見た後で、視界に残像が残るアレが多数発生する。

 その見えにくくなった視界の端には、別の男がビデオカメラを回している。


 また違う男が入ってきた?一体、何人来るんだよ。外にも何人もいるし。

 …ってか、野次馬までいるし。


 そりゃそうか。だって、この部屋で殺人が起きたんだ。


 見ただけで背筋が伸びる警察官の制服ではない。

 ドラマでよく見る制服を着た複数の男女と、強面の背広の男がいる。


 今更隠す必要もないか。彼らは警察官だ。殺人を扱う捜査第一課の刑事たちが、俺の部屋で事件の記録をしている。


「この部屋、全部調べておけよ‼血液だけじゃない。犯人の指紋、体液、体毛が落ちていないかも調べとけよ。隅から隅までだ」

「は‼」

「はいぃ…」


 背広の男の号令で、俺の机やタンスの引き出しが全て引かれていく。

 そして次々に運び出される俺の部屋の家具たち。

 俺はただそれを見続ける。いや、半眼で睨んでいたかもしれない。


 はぁ…、俺はやっぱ大変なことを…


 どれだけ俺は座っていただろうか。

 どれだけ殺人課の刑事さんたちの行動を見つめていただろうか。


「それでは…、後はお前らに任せて俺は先に帰るぞ」


 後悔しっぱなしの俺の前を、偉そうな背広の男が横切った。


 殺人現場の被害者はまだそこに居るのに、残りは部下に任せるつもりらしい男。


 彼はそこで、俺の前で思いもよらない行動を取る。


「…では、私は他の仕事がありますので、失礼します」


 …と、俺に言ったのだ。これは余りにもおかしい。

 こんな場面に出会したことないから、あるのかもしれないけど、とにかく俺はむず痒さを感じた。


「…は、はい」


 刑事が被疑者にそんなことを言うだろうか。犯人を煽るのが大好きな刑事なら在り得るか。


 やっぱり考えられない。そもそも、現行犯逮捕の瞬間ならともかく、現場検証が始まっている中に被疑者が紛れ込んでいれば、証拠隠滅を図られるかもしれない。


 ——ということで、俺は女子高生殺人の犯人ではない。


「日が暮れてきたわね。私たちもこの辺りにしましょうか」

「そうだな。撤収作業も時間が掛かるし」


 刑事課の方々も、俺に軽く会釈をして帰り支度を始めた。

 大人数が一斉に動く。少女の遺体にはビニールシートが被せられて、女刑事の数名が丁寧にビニールシートの形を整えている。


 などなど。


「一ノ瀬さん。もうすぐ終わりますが、今日で終わりではありませんので」


 その一ノ瀬さんが俺。

 遅ればせながら、一ノ瀬風人いちのせふひとと申します。


 って、そうじゃなくて。

 色々とおかしなことがあるだろう。

 現場を検証しているのに、誰も俺に事件のことを聞かない。

 開始前に散々聞かれてもいない。


 ——つまり、俺は目撃者でもない。


 そもそも、被害者の女性も知らない。

 ん?っていうことは、事件は俺がいない間に俺の部屋に被害者と被疑者が入り込んで、殺人事件が起こったってこと?


「悠くーん。撤収班呼んでくれるー?」

「ほーい」


 ここでついに外にいた警察関係者まで、土足で俺の家に踏み込んできた。

 更には


 バリバリバリ‼ガガガガガガ‼ギギギィィィィ…


 めちゃくちゃ不快な音が聞こえる。


 俺は犯人じゃない。目撃者でもない。被害者と知り合いでもない。


 だけど、この部屋は間違いなく俺の部屋だ。


「大丈夫っす。二重にして汚れも傷もつかないようにしてますから」


 と、威勢の良い男が壁紙を強引に剥がしながら俺に言う。


「ちょっと通りまーす。大きいんで気を付けてください」


 と、ガタイの良い男が言う。


 ——って、ことで。


「はぁぁぁ…。やっと終わった…か」


 先ほどまで凄惨な殺人事件現場だったのに、今は伽藍洞の何もない部屋。


 俺が座っていた椅子だけが残った部屋。


 そう。


「一ノ瀬さん。来週の日曜日も使わせてもらっていいですか?」

「いいけど。俺っている意味ある?」

「流石に部屋の主には居て頂かないといけないんです。ほら、後で何か言われてもですから。はい、ここにサインお願いします」


 軽薄そうな男がそう言った。


 つまり、全部嘘。


 徹頭徹尾、嘘。大学の映画サークルの若人が、映画の撮影の為に俺の部屋を使った。


 それだけ。



 …で、終わる筈だったのだけれど。

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