小姓と納豆の相性は

 朝、ココはふんふんと鼻歌をうたいがなら、霧吹きできのこに水をやっていた。


 実家同様、すでにこの厨房にも茸育成コーナーが出来上がっていた。ちなみにココが育てている茸には全て愛称がある。白い傘のこいつは、実家から移植した三十三代目ベンジャミン。隣の赤い傘に白い斑点の可愛らしい奴は、二代目ジュリエッタだ。さらにその隣のーー。

 裏戸を叩く音が聞こえた。


 ココが厨房の裏戸を開けると、そこには一人の少年が立っていた。

 栗毛につり目で、狐みたいな顔の少年である。背格好も歳の頃も、ココと同じくらいだろう。

 どこか不機嫌そうなその少年は、黙ったままツカツカと厨房の中に入ってきた。


(なにこの子)


 ココは驚いて少年に尋ねた。


「あの、どちらさまで?」

「……ノア・ブラン」


 少年はムスッとした顔で答えた。


「学生さんかな?」


 少年はうつむいたまま、ぼそぼそと何か言っている。が、声が小さくて聞き取れない。


「もう一度いい?」

「だから学生じゃないって!」


 急な大声に驚き、ココは思わず口をつぐんだ。そんなココに構う様子もなく、ノア少年は「何でおれが厨房なんかで……」とぶつくさ言いながら勝手に椅子に座ると、品定めをするような目で、ココを見る。


「で、何? ここで働いてるの、あんただけなの?」


 今や少年は、椅子の上でふんぞり返り、調理台に頬杖をついていた。

 到底、初対面の人に対する態度とは思えない。なんとも失礼極まりない少年である。


「働いてるのは二人だよ。だから手は足りてるし、もし仕事探してるなら他へどうぞ」

「なに言ってんだ。おれを追い出したら、陛下に歯向かうことになるけど?」


 陛下? 何の話をしているのだ。


「あと、おれ料理とかそういうのできないから。そこんとこよろしく」


 言いながらノアは、絶妙に腹の立つ角度で顎をシャクってみせる。

 やはり、失礼極まりない少年である。

 ココは大きく溜息をはき出した。


(新しい料理人が来るなんて聞いていないんだけど)


 というか料理ができないなら、料理人ですらもない。

 しかし、態度だけ大きな少年は帰るつもりも無さそうで、完全にくつろぎはじめている。

 何がなんやら分からないが、これはもう面倒を見てやるしかないのかもしれない。

 ココは再び溜息をはき出すと、予備のエプロンをノア少年に渡してやった。


「じゃあ、まずはこれつけてから、シャボンで手を洗って――」


 と説明しているにも関わらず、ノアはぼうっとしながら自分の短い髪をいじくっている。


(これは普通に言ったんじゃ駄目かな)


 何が気に入らないのか知らないが、これは拗ねた子どもと一緒だ。こういう相手ならココにも心得がある。

 ココは少年の肩を叩き、ずいと顔を寄せた。


「そんなとこでぼさっとしてたら腕をなくすよ」

「はい? いきなり何だよ」


 と目を細めるノアに、ココはさらにぐっと顔を寄せる。


「この厨房にはね、昔、盗み食いの罪をなすりつけられて処刑された料理人の霊がいるの。その霊は、怠けてるくせに給金をもらってる人を見つけるとね、斧を持ってどこまでも追いかけてくるんだよ。前の料理人は、それで……右腕を……」


 ココは口を押え、ぶるっと震えてみせる。


「そ、そんなのどうせ作り話だろ。りょりょ、料理人の霊が斧って、なんで包丁じゃない、ないんだよ」


 とツッコミつつも声が震えている。効いているようだが、あと一押ししたいところだ。

 ココがさらに顔の影を濃くしたとき、裏戸が開いた。


「遅くなったね!」


 と言いながら入って来たのはミランダおばさん。

 その姿を見た少年は「ひっ」と声を上げたかと思うと、ガクン。椅子に座ったまま気絶してしまった。


「あれま。どうしたんだいその子」


 少年には少々刺激が強すぎたようだ。

 ミランダおばさんの手にはなたと絞めたての鶏。エプロンは赤く染まっていた。



 幸いなことにノアはすぐ目を覚ました。

 そして立ち上がるなり、ココの手からエプロンを引ったくる。


「野菜……の皮なら剥ける気がする」


 ココはやれやれと肩をすくめると、ノアの横に立って包丁の使い方を教えてやることにする。

 いざやりはじめたノアは文句も言わず、教わった通り真面目に野菜の皮を剥きはじめる。意外と素直で根は真面目な少年だったらしい。

 そんな少年が、どうしてあんなにやさぐれていたのだろうか。

 その理由は、この後すぐに分かった。



 いよいよ昼食の時間。

 昼食は二種類のメニューを用意することになっていた。

 今日はチキンカリーと煮込みハンバーグだ。


 ココが最後の味見をしてニヤリ、満足げな笑みを浮かべていると、急に食堂の方が騒がしくなった。何か知らんとカウンターから声のする方を覗いてみる。すると食堂の入り口に一際目立つ集団がいた。男ばかりが五、六人、みんな小綺麗な格好をしている。ココが首を傾げていると、学生たちの話し声が聞こえてきた。


「おいあれ、小姓たちだ」


 ココがさらに首を傾げていると、ミランダおばさんが解説してくれた。


 皇帝の小姓。

 彼らは皇帝に付き身の回りの世話をする、いわば男版メイドである。彼らが女メイドと違うところは、ゆくゆくは皇帝の手足となるべく英才教育が施されるということだ。歴史的には小姓から大臣にまで登りつめた者もいるらしい。そんなエリート候補生たちには、もちろん大学で学ぶ機会も与えられているのだ。


 華やかな小姓たちは真っすぐにカウンターへやってきた。

 彼らから食券を受け取ったココは、さっそく準備をはじめる。その間、小姓の一人、やけに洒落シャレた眼鏡の青年がカウンター越しに話しかけてきた。


「あっれえ、誰かと思えばノア君じゃないか」


 どうやらノアの知り合いのようだが、話しかけられたノアはというと、洒落眼鏡を見ようともしない。じっと手元の人参を見つめたままだ。


「これが君の新しい仕事なのかい?」


 再び洒落眼鏡が問うも、ノアはだんまりだ。

 何も答えないノアの代わりに、他の小姓たちが洒落眼鏡に話しかける。


「何であいつこんなところに? 小姓を下ろされたら普通、近衛兵に入るんじゃないのか?」

「ばっか、それを言うなって」


 小姓たちは何やら小声で話しながら、クスクス笑いあっている。

 一方、ノアはまだ人参を持ったまま微動だにしない。その隣でココは黙ってカリーを皿によそっていた。


「ノア君、僕がもっと違う仕事を紹介してもらえるよう、陛下に頼んであげようか? 僕が頼めば――って、うわくさっ」


 洒落眼鏡がぱっと鼻をつまんだ。彼の目の前に置かれたカリーには、糸を引いた豆が乗っている。


「ちょっと君、何だこれは!」

「何って、ナトゥ・カリーです」

「ナトゥ? 何で勝手にそんなもの乗せたんだ」

「ノア君の知り合いみたいだったから、サービスです」

「サービスって、こんなサービス誰が欲しがるよ! 腐ってるじゃないか」


 そう言う洒落眼鏡の手は、わなわな震えていた。

 まあ彼の手が震えるのも当然だ。

 珍味との出会いは、まさに未知との遭遇である。人は未知のものに遭遇したとき、恐怖を感じるものだ。しかしその恐怖を乗り越えてこそ、本当の幸せは待っている。


「まあまあ。騙されたと思って」


 味は保証しますから、とココはにっこり微笑んでスプーンで少しナトゥをすくってみせた。が、洒落眼鏡は猛烈な勢いで後退る。


「も、もういい」


 みんな今日は外で食べよう、と洒落眼鏡に促され小姓軍団は食堂から出て行った。


「やれやれ。珍味を食べられないなんて……」


 とんだ、おこちゃま舌の持ち主だったようだ。

 ココがふっと微笑みながら振り返ると、ノアがすぐそばに立っていた。うつむいてエプロンの裾をもじもじしている。


「あの。おれ……あとで皿洗いもするよ」



 夕食後、ノアはちゃんと皿洗いをしてくれた。その隣でココは口をモグモグさせている。

 ノアが心配そうにココを見ていた。


「それって食べて大丈夫なのか?」

「もちろん」


 ココは、洒落眼鏡が置いていったナトゥ・カリーを食べていた。


「ノアも食べる?」

「いや、遠慮しとく」


 ココはナトゥ・カリーを新しくレシピに加えたのだった。

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