いちごミルク⑫

『どうして?』


 今回の魂は少し厄介だった。

 魂狩りを行い、あとは死神界に連れていくだけとなったタイミングで魂が喋り出した。

 前々から話には聞いていたが珍しく一度も当たったことのなかった、問いかけこたえを求める魂だった。問いかけこたえを求める魂はそれを手にした瞬間から魂の意志に必ずこたえなくてはいけない。こたえなければ魂が死神自身にこびりつき、同化する恐れがあるからだ。

 同化は魂と融合すること。意思をねじ曲げられ、それはもう、ヘルではなくなる。

 魂をこの手に収める前に、なんとこたえてあげたら良いのか、資料の内容を改めて確認して少し考えてみる。


 早乙女リラ。十九歳。首吊りによる自殺。

 今回、自殺に至った原因はイジメ。

 日本人にしては珍しい色素の薄い髪色に瞳。それに加えて整った顔立ちが数多くの男性を魅了した。加害者の女性は自分の好きな人が早乙女リラを好きになってしまったこと、というのが今回の事の発端。かなり気が強い女性で、周囲を巻き込んでイジメを行っていた。

 それに厄介だったのがこの女性が権力者の娘だったということだ。学校では誰も口にはしないが、彼女には逆らえず、周りの生徒も先生も見て見ぬふり。

 家庭環境もあまり良くなかったようだった。小さい頃に両親は離婚しており、母親と共に生活していたが、この母親、恋人ができるとリラを放っておいて何日も家を空けることがあった。何度も相談していたが真面目に聞いてくれず、しまいにはイジメられるお前が悪いと逆に責め立てられた。

 それがさらにイジメを加速させた。

 学校では暴力はもちろんのこと、辱めにもあい、レイプまがいやストーカー行為もあった。


「…………」


 手に持っている資料から目を離し、懐にしまう。

 改めて思うのは胸糞気分の悪くなる内容だったということ。

 イジメ絡みの任務はこれで連続六十七回目。ヘルが一番毛嫌いする内容ということもあってか、ここまで来るとわざとこの任務を振っているのだろう。どんな任務も気分がいいものではないが、イジメに関する任務は何回経験しても嫌悪感がすごかった。とはいえ今回の任務もいつも通り、慣れ、ているものだ。


『どうしてなの』


 再び弱々しいか細い声が聞こえる。

 ヘルは一度目を瞑った。深呼吸を二、三度行い、ゆっくりと目を開いて早乙女リラの魂に近づく。

 そっと手にした魂は氷のように冷たく、刺す痛みを伴った。それでも魂から手を離す事なく、じっと見つめていると、ドロッとした早乙女リラの感情が流れ込んできた。


『痛い、痛いよ……悪いところは直すから、お願い、やめてっ、やめてぇええ!』

『死ねばいいって、そう、笑って』

『一緒に? 一番、なの?』


 なんて酷い感情だ。いくつもの言葉が脳を支配していく。

 彼女が実際どういう目に遭ってきたのか見てきたわけじゃない。それでも文字やこの感情から容易に想像できた。

 誰もが自分を否定し、ぞんざいに扱う。存在価値を見失って息ができない。

 この世界にたった一人しかいない孤独感。


『私、なんで生まれてきたの?』

「……」

『ねえ、私なんで生まれたの? 存在したの? 不要な異物なのに。必要とされないのに』


 魂はこたえを求めてヘルに問う。

 魂の意志にただ適当に返せばいいってものじゃない。そこがこの手の魂の厄介なところだった。なんで生まれたの? に対して、愛されるためだよと明るく笑顔で返してしまいたかった。でもそんな気持ちの籠っていない適当な返事はできない。必死に言葉を紡ぎ出そうとした。


「それ、は」


 自分自身に魂がこびりつかないように早く質問にこたえなくては。早く、早く早く。


「自分が、誰かにとって、大切な存在になれたらと、願った、から」


 やっとの思いで紡いだ言葉は途切れ途切れになった。自分では普通に話したつもりだが、どうも呼吸が浅くなってきている。

 ヘルは今一度自分の気持ちを落ち着かせるために深呼吸をする。

 冷静に、同調して同じ気持ちになればいい。そうすれば楽だから。


『そう、でも誰もそんなこと思わなかった。私は死にたかった。もう生きたくなかった』

「だから、君は、死んだ」

『やっと死ねた。でも何も変わらない。追ってくれる人はいない。どうしてなの?』

「追ってくれる人……」


 早乙女リラの言葉に違和感を感じ、問答が止まる。

 その瞬間、魂から泥水のように濁った複数の手が伸びてきてヘルの体にまとわりついた。

 魂が同化しようと侵食し始めてきた。

 無理やり力で引き剥がすこともできるが、繊細な魂を壊す可能性がある。そうすれば人間を殺した罪としてヘルは大罪人となってしまう。

 だからどうにかしてこびりつかないように言葉で剥がす必要があった。


「ど、う……も、でき、った」

『寂しい、寂しいの。貴方は、貴方も私を不要だと、見捨てるの?』

「どう……に、か。自分、の、俺はっ……」

『一緒に、死んでくれないの?』


 一瞬の感情の揺らぎ。そこに付け込んできた早乙女リラの魂はズブズブと内側の深いところまで侵入してくる。


「……っ、あ」


 ダメだ、これ以上は本当にまずい。そうわかっているのに声が出ない。苦しい、苦しい。

 思考が強制的に上書きされていく。今までと違う体の悲鳴に思考が追いつかない。

 何も否定しないヘルに自分の言ったことが肯定されたと思ったのか、早乙女リラの魂は歓喜に満ちた声を発した。


『本当? 一緒に死んでくれるのね。ひとりにしないで追っかけてくれるのね。嬉しい!』

「そう……一緒に、死、魂の、回収、もう死に、い」

『でもね』

「ちがっ、う、ダ……っ、お、れは」

『本当は生きたかったの』


 そっと耳元で囁くように本音が溢れる。もうどこに向かえばいいのかわからない。迷子になる。ぐるぐると生と死について意識が混在し、頭の中は黒く塗りつぶされていった。

 

 こんな苦しい状況から抜け出したかった。だから死んだ。でもやっぱり生きたかった。死にたい。もうしんどい。消えてしまえば余計なことを考えなくて済む。

 そうしたらこの苦しい試練だって終わりだ。

 ああ、だめだ。消えたい、終わりたい、死にたい。


 離れられない感情に出口が全く見えなかった。

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