第二章 死の宣告
死の宣告①
人間が死ぬ時、死神には大切な役目がある。
一つ、死ぬその瞬間まで記録を取り続けること。
その理由は、記録した内容によってその人間の今後が決まるからだ。
無事に成仏できれば転生までの期間だったり、転生先などもより良いものに考慮されるだろう。
成仏できず死神界に送られる者はどんな仕事をさせられるのか、そういうことが記録によって決められる。というのはきっと建前だろう。
本来の目的は死神に死とはどういうものか見せるため。
記憶に焼き付けて忘れさせないようにするため。
そう言われているが、実際のところは誰にも分からない。
二つ、何かしらの理由で死亡した後、魂の回収を行うこと。
罪のない魂は天に送られ、審査を受けた後に無事成仏することができる。
だが、大罪人の魂は死神自らの手で持ち帰ってこなくてはいけない。
丸裸となった魂はとても繊細で、指先で少し触れると人間の感情を直で受ける。
死ぬ直前に何を思っていたのか、人間の感情が大波となって魂を手にした死神に襲いかかってくる。死神はその感情を受け続けながら持ち帰ってこなくてはいけない。
大罪人の魂に良い感情なんてない。ドロリと粘着質でどんなに振り払おうとしてもまとわりついて離れない。真っ黒な感情が体の隅々まで流れ込んでくる。
飲み込まれ、覆われ、意思の強い死神でなければ魂と完全に同調してしまう。
ある意味、死神になった者の宿命かもしれない。
「ここが古宝喫茶か」
手元にある資料と辿り着いた目的地に相違がないこの場所こそ、今回のヘルの仕事場だった。
店の外ははどこか古めかしくやたら凝ったシックなドアが印象的だ。一昔前の店先に出されていた小さな看板には『古宝喫茶』と書かれ洋風な文字に存在感があった。
ドアをすり抜けて店内に入れば、すぐ右のカウンターに小綺麗な白髪混じりの髭を生やしたマスターがコーヒーを淹れており、その近くでは細身のウェイターがお客様に水を持っていく様子が見える。
左のレジ横にはショーケースが置いてあり、いくつかのケーキが並んでいる。
ショートケーキにチョコレートケーキとシンプルだけど定番の品々が鎮座していた。
そして特に店内で印象的なのは照明だ。
橙色の光を包み込むようなガラス製の六角形シェード。その一欠片に真っ赤な薔薇の花が組み込まれており、シックな印象の店内をより際立たせていた。
まるで大正時代に戻ったようなレトロなこの場所で今回仕事をしなくてはいけない。
人は店員も合わせてざっと七人ほどいるだろうか。
店内をぐるりと見渡すと、少し人目につきにくい奥の席に一人の女性が座っていた。
彼女が髪をかき上げれば、艶のある長い黒髪がやけに目を惹く。
どうやら先程来たばかりのようで、こっそりと店員を呼び出し注文をしていた。
「この人が今日のターゲットか」
ヘルは手に持っていた魂回収リストを開いて詳細を確認する。
錨地 雫(びょうち しずく)。二十三歳。
小さい頃から女優として活動しており、他人にどう見られているのか、どう求められているのか徹底的に調べ上げた上で自分を売り出している。何事にも努力を惜しまない人で、その結果、今年公開された映画では主役を堂々と務めた。役にのめり込むタイプのようで大胆かつ繊細な演技がかなり評価されている。
そんな彼女の死因は刃物による失血死と書かれていた。
自殺か、殺人か。死に方によって彼女の今後が決まるのだが、今見た様子だとおそらく後者だろうとヘルは予想した。
自殺者は何度か魂回収を経験したことがある。こんな穏やかな精神でいる者はいない。本人が抱え切れない気持ちが行動となって現れた結果なので、微々たる乱れが見えるものだ。
だけどターゲットにはそれが見えない。なので今回は殺人と断定しても良いだろうと過去の経験からヘルはそう決定づけた。
(そして前科はなし、と)
次に記されていた詳細情報を確認する。
前科、つまりは殺人経験があれば、どんなに今は良い人でも強制的に死神界行きになる。
彼女にはそれがないためヘルとしては無事に天へ送ることが最重要任務となる。
ここで死ななければもっともっと活躍していただろう。お忍びで来ていた様子の彼女からは女優としての隠せない魅力的なオーラが溢れていた。
だが死ぬことは運命。変えられない、逃れることはできない。
ヘルはゆっくりと彼女に近づき、目の前まで来たところである言葉を口にする。
「錨地雫さん。そろそろ死にますので準備をしてください」
−−死の宣告。
魂に直接呼びかけて死ぬ準備をさせる行為。殺人の場合は必ずこの宣告が必要となる。
「まあ、死の宣告をしたところで聞こえないが」
でも不思議と死神になった後で死の宣告を聞いたという者は多い。魂に直接呼びかける行為だからだろうか。それは誰にもわからない。
これが終わればあとは記録を取りながら彼女が死ぬのを待つだけ。
ヘルは報告書を片手にその時を静かに待っていた。
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