十五

 お互いの言葉で戦いの火蓋は切られた。

 両者が雪原を疾駆する。氷弾の応酬ではいたちごっこと判断したわたしは、ここからは白兵戦に持ち込むと決めた。

 維澄を守りながら戦う以上、無暗に飛び道具が使われて彼が的になることは避けたい。奴の懐に入って、一対一の真剣勝負で決着させる。


「貴女はここで倒す。この地は絶対に渡さない」


 ──天雫の巫女の名前の通り、わたしは雨の化身だ。天候を操り、農作の助けとなるのが本来の、そして最大の使命。その力を大きく解釈した結果、守り神は守る土地のありとあらゆる自然を操る力を持つことを許された。

 雨は天からの恵みと言うが、同時に嵐ともなると天の怒りと畏れられる。

 わたしは全身と意識を土地に接続する。

 身体中に流れ込む土地の力が血管を、神経を駆け巡る。

 わたしの身体は構造だけなら人間そのもの。そのままぶつければ街を丸ごと消し飛ばせるほどのエネルギーを一身に受けても平気なのは、ひとえに守り神として土地の力を行使して自身を守っているからだ。

 力の流れ両手に集中させる。地力の集まった場所は熱を帯び、運ばれる血液が運動性能を極限まで高めようと必死になっている。


「な──」


 江茉は一瞬怯んだように見えたが、すぐに歪んだ笑みを取り戻す。


「それでこそよ! あなたを倒して、その力さえあたしの物にしてくれる!」


 人が文明を築いてからというもの、かつて神々の御業と畏怖の念をもって崇めた自

然現象の大半は、現代では人間の手によって科学的に解明された。

 だが、自然にも意思があるということは誰も知らない。もちろん、わたしという存在のことも。

 この怒りは、わたし/自然のもの。何者にも奪わせはしない、わたしたちだけのもの。

 雨の化身たるわたしがこの怒りをカタチにすれば、そこに顕現するのは──


「迅雷風烈──天地の怒り、とくと見よ。守り神に挑まんとする不遜を痴れ」


 青白い光を放つ雷を身に宿らせ、荒れ狂う風を纏う。両手に貯められた電気はバチバチと音を立ててはじけ、背を押す風の加速で江茉目掛けて一直線に飛ぶ。


「本気のようね、守り神。だったらあたしも応えるしかないわ」


 対する江茉は、両手に氷の扇を生成した。

 扇と言っても、その扇面は研ぎ澄まされている。流麗な外見とは裏腹に、武器としての凶悪な側面が顔を覗かせる。

 両者得物は揃い、間もなく衝突する。わたしは氷扇に狙いを定めて雷を昂らせる。


「そんな薄っぺらの氷なんか──砕けろ!」


 江茉は氷扇を重ねて防御姿勢を取る。だが、そんなことはお構いなしに、いななく刃と化した手刀を突き立てた。

 バキン、と砕ける音が風にかき消されながらも虚空に響く。わたしの雷が氷を貫いた。

 しかし、雷が江茉に穿たれることはなかった。

 貫かれた扇は瞬く間に氷を生み出し、瞬時にわたしの腕ごと凍りつかせたのだ。


「つーかまーえた」


 氷は腕から上ってくるように広がっていく。

 冷たく硬い感触には嫌悪感を覚えた。


「小癪な……」


 手の雷を全方向に放出し、氷を全て弾き飛ばす。稲妻に照らされた氷の破片が、暗闇に星屑のように散らされる。

 得物を失った江茉は再び扇を作る。空気中の水分が集められ、掌から青白く不気味に輝く扇が伸びていく様は、敵でなければ美しいと称賛したいくらいだ。


「その眩しい腕なんか、切り落としてあげる」


 やや姿勢を低くした江茉は、真っすぐ突き出されたわたしの腕を逆袈裟で斬ろうとする。扇を手に両腕を伸ばし、身体を軸に風車のように回転する姿は、まさに剣舞のよう。


「って、感心してる場合じゃないでしょ!」


 纏う風を江茉に向ける。

 風を受けた大ぶりな扇は軌道を逸らされ空を斬った。


「そう来なくっちゃ。この程度でやられちゃったらつまらないもの」


 風に死装束がたなびく。体勢を崩した江茉は、浮かせた身体を空中で捻らせ、瞬時に突進できるよう着地点を探す。


「させないわよ!」


 再度風を起こす。今度はただの強い風じゃない。奴の一点を狙って瞬間的に発生させた突風は風速百メートル毎秒。

 江茉は発射された弾丸のように吹き飛ばされて石垣に激突し、ガラガラと音を立てて崩れる巨石に埋もれた。




「すっげぇ……」


 ただの人間である俺はこの戦いに巻き込まれないよう、隠れていることしかできない。

 戦闘はここから五十メートルほど離れた所で行われている。奴も俺のことなど眼中にないようだし、今のように木の陰で身を潜めていれば問題ないだろう。


「でも、これじゃあ何もかも雫に任せっぱなしじゃないか……」


 俺の協力で達成できたことと言えば祟り神の居場所の発見くらい。スタート地点に立つまでを手伝えただけで、本番は丸投げ。


「俺でも出来ることは、奴を『視る』ことで情報を集めるくらいか」


 そんなものも必要ない気がするが。

 現在二ノ丸はこの城も想定していなかったであろう人智を超えた戦場と化している。

 瓦礫の山が爆散したかと思うと、苦悶に満ちた表情で宙に飛び出す江茉が見えた。

 江茉が何やら祈る仕草を見せると、雹が弾幕を張って天を覆い、氷で満天の星空を描いた。


「こいつはまずいんじゃないのか!?」


 嫌な予感はこういう時に限って当たってしまうもので、予想通り星は落ちて流れ星となり、俺たちに降り注いだ。


「うおあぁ!? 冗談きついぞ!」


 たまらず近くの櫓に逃げ込む。立ち入り禁止の看板があったが、緊急事態なので致し方ない。

 櫓には今にも穴が開きそうな音が響いている。ここは城内の連絡に使う大太鼓が安置されている櫓で、戦いを想定したものではないらしい。


「せめて物見櫓だったらよかったのにな」


 開け放された戸口から外の様子を伺う。すると、降ってきた雹に目が行った。

 特に意味はなさそうだが、雹を視てみる。

 ──逆再生。地に落ちた雹が天へ舞い戻り、空に浮かぶ氷のプラネタリウムが完成した。

 雹が生成される過程も視る。遠くて分かりづらいが、小さな氷の粒がだんだん大きくなっていくのが確認できた。


「いや、当たり前だろ。だけど」


 ……何か、違和感がある。

 雫が氷柱を作っていた時のことを思い出しながら、さらに穿って雹を視てみる。

 水滴が氷の粒に変化する様子をつぶさに観察すると──


「雫のやつは、氷そのものがほかの氷や水を集めて成長していく感じだった気がするけど、こいつは……」


 かなり判別が難しいが、俺の過去視では目に見えない変化も視える。例えば、温度や湿度は空気の揺らぎ方で何となく感じ取れる。


「周囲の気温が空間ごと下げられている。雹の一個一個を生成しているわけじゃない」


 奴の能力は氷を作ることじゃなくて、温度を下げることで結果的に氷を作っているのか。

 そういえば、最初に温度変化で大気の状態を何とかとか言っていた。


「温度を変えるっていう能力の原理は……」


 大して知識はないが、熱エネルギーは高い所から低い所へ移動するはず。


「温度を下げるために移動した熱は、どこへ行っているんだ?」




 氷の流星群。

 後方を一瞥すると、維澄が櫓に転がり込んだのが見えた。……最初に維澄が標的にならないように、わたしに集中させられてよかった。回避のために距離を取ったせいで接近戦の計画は台無しになったけど。


「まぁ、わたし戦闘向きじゃないし……しっかし、これは避けようがない無い」


 江茉本体まで全力で移動するか、電撃を飛ばして当てるか。

 だが、すでに江茉の手を離れ、加速しながら降下する雹は止められない。


「ここは防御に徹するしかない!」


 身体中に走る電気を放出し──


「この時代風に言うなら、『でんじばりあ』ってやつかしら?」


 一帯を守るように展開される電気のドーム。鳴動する大気は分子レベルで張り裂けそうだと悲鳴を上げている。


「これはまた大掛かりな物を。流石は守り神。でも、全部防ぎきれるかなぁ!」


 雷の盾に氷の矢が襲い掛かる。

 衝突するたびに走る電撃に無数の雹が砕かれ、その音は山を切り崩したかのよう。粉々になった氷の粒子がきらきらと輝く。



「ちょっと量が多いかな……でも、耐え切れないほどじゃなさそう」


 防御の範囲を縮小し、厚みを強化して自分の身体を守れるほどの大きさにする。


「今度はわたしの雷を食らいなさい──!」


 わたしは真上に跳躍する。ちょうど奴の頭上を目指して。

 降ってくる雹は全て粉砕した。正直、音がうるさすぎてもう勘弁。

 空にいる自身よりさらに高い位置に出現したわたしの姿を見た江茉は一瞬の隙を見せる。降り注ぐ雹と共にその様を俯瞰するこの視点は雲になった気分だ。


「落ちろぉ!」


 今のわたしは人間大の雷雲。かざした右手を振り下ろして、集めた渾身の雷を落とす。


「──っ」


 江茉は自身を覆う傘のように氷を張る。その厚さはおよそ二十センチ。一秒にも満たない時間で生成されたこの傘が湖の氷であったなら、これほどあれば問題なく上を闊歩できる。

 だが、神の怒りの雷撃を防ぐには余りに脆かった。

 閃電は傘を破り、祟り神を直撃した。


「ぎゃあああぁぁぁ!」


 高まった圧力で一気に膨張し、空気を振動させる轟音の中でも聞こえる断末魔。

 雷に打たれて電気が体の中を流れれば、内臓が大きく損傷し、心肺が停止すれば死は免れられない。

 雷の温度は約三万度。氷を操る彼女がそれほどの熱量を一度に受けては、身を焦がす、なんて言葉でも足りないくらいだろう。


「あ、あぁ……」


 江茉は地面に墜落する。死装束は所々が焼け焦げ、かすかに煙を出している。

 白い肌に刻まれた電紋も痛々しい。まだ微かに痙攣する身体に抵抗の仕草は見られない。


「決着よ──祟り神」


 降り立ったわたしは江茉に歩み寄る。手に宿した雷の勢いをさらに強めながら。


「あ、あ」


 呻く江茉を見下ろし、稲光を散らす右手を掲げる。


「もう少し骨がある奴だと思ったけど、所詮は借り物の力ね。で、どうやって土地の力を使っていたのかしら。……貴女、もともとは人間で、その魂が悪霊となったものでしょう? この時代でそういった祟り神は発生しないはず……ならば、貴女は過去に鎮められた祟り神が再び顕現したということ。一体、誰の手引きで現世うつしよに舞い戻ったの?」


「う……」


「何?」


 口から血の混じった泡を吹く江茉を睨みつけ、問い詰めようとすると、少し離れた後ろから叫ぶ声が聞こえた。


「雫、待て! そいつの本質は凍らせる事そのものじゃない! 江茉はんだ!」


 奪っている? 何を? ……氷を生み出すには水と、凝固点以下の温度──


「うば……う。奪って……全部──燃やし尽くしてやる」


 確固たる憎悪の込められた言葉が吐き出されると、江茉の身体が炎に包まれた。

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