雨駆ケル the Firmament of teardrops
水島透
第一章
第一話 在邇求遠
一
ぽつぽつ
しとしと
ざーざー
雨をあらわす音はたくさんある。今日はざーざー。風もふいていて、まどがぎしぎしときしんでいる。
空はくもがおおっていて、昼なのにとてもくらい。明かりはついていないから、夜みたいにへやはまっくらだ。
ぼくは雨がきらい。だって、空にふたがされていてどこにもいけないから。
ぼくは晴れがすき。青色の空を見ていたらどこかにとんでいけそうな気がするから。
まどから外を見てみる。やっぱり空は青くない。くらい空はなんだかかなしそうに見える。
ぼくもかなしい。なぜだかわからないけど。
かなしいときは、どうすればいいんだっけ。
ああ、そうか。この空みたいに───泣けばいいんだ───
〈──現在県内は大雨警報および洪水警報が発令されており、明日にかけて十分な警戒を……〉
ニュース番組でアナウンサーが喋っている。原稿を読み上げているだけなのに、なんだか警戒心を刺激するような作用があるみたいだ。抑揚のつけ方だったり、ちょっとした工夫で言葉というのはここまで人の意識に訴えかけることができるのか、と感心する。
「ったく、この雨じゃ客なんてくるわけがねぇ。もういい、もうすぐ開店時間だが今日は店を開けないことにした。
「分かった。大学も休講になってレポート課題が出てたんだ」
俺は乾かした食器を棚に戻し、前掛けを外す。雨の日は客が減るので仕事が減ってラッキー、と言いたいところだがそうはいかない。ただのアルバイターなら諸手を挙げて大喜びだろうけど、ここは叔父がやってる店で、そしてその店舗兼住宅に住まわせてもらっている身としては収入が減るのは大変よろしくない。
「これじゃ今月は赤字だな。物価も上がってるうえに物流が滞って、そもそも物が手に入らん。困ったもんだ」
「日本各地で豪雨災害……季節外れの梅雨みたいなものだから一過性だ、って言われてた時期が懐かしいよ」
「晴れの日、いや晴れてはないな。曇りの日は週に二日くらいしかねぇ。最後に青空を見たのはいつだったか」
叔父はため息を漏らしながらテレビの電源を切る。とたん、雨が屋根を穿つ音が店内に響き始める。もはや聞きなれた音とはいえ、やはり耳障りなことに変わりはない。雨垂れ石をなんとやら。このままだとこの築三十年のボロ屋が穴だらけになってしまうんじゃないかと心配になる。
ふと、卓上にある紙屑を視た。
「叔父さん、グシャグシャにしなくてもいいじゃないか」
「む、何がだ」
「紙切れで作ってた折り鶴。せっかく作ったのに」
ごく普通の人間である俺にはちょっとした特殊能力がある。それは物の過去を視ることができるというものだ。先ほど視た紙屑だと、叔父の手で崩されている様子が時間を巻き戻したように映像で浮かび上がってくる。万物の過去の観測。持ち物を失くしても、すぐに場所が分かるくらいしか使い道がないし、どんなものでも歴史や過去を持つという当たり前の事実を直視したってたいして面白くない。
気を抜くと視線の先にある物の過去を勝手に視てしまうので、普段は視線の扱いにかなりの意識を割いている。
「よくコレが元折り鶴だって分かったな……まぁ、たかがチラシの切れ端だしな。これが千代紙とかなら話は別だが、ゴミをいくら飾り立てたって本質はゴミだ」
叔父は元折り鶴を掴んでゴミ箱に放り投げた。紙屑は高い放物線で弧を描き、ゴミはゴミ箱にストライク。よしッ、と叔父は小さくガッツポーズをした。
「やってらんないぜ。この天気じゃ気が滅入る」
叔父はテレビの電源を入れ直す。
〈──次のニュースです。最近SNSを中心に流行を見せている新興宗教団体……豪雨による世界滅亡などと語り人々の不安を煽っているようです。警察は警戒を呼び掛けて……〉
「まったく、救いを求めるのは勝手だが、こんな胡散臭いのに頼るなんて馬鹿だろ。カミサマが居るんだったらこの空を晴れさせてみろってんだ」
「雨だろうと晴れだろうと、今日に不貞腐れてたら明日はやってこないよ。いつも通りに、やることをやらなきゃ」
俺は玄関に置いてあったレインコートを羽織る。もともと湿気の多い土地柄なうえに、連日の雨で綺麗に乾かない。少しカビ臭くなった気がする。
「お前も言うようになったな……っておい、この雨の中どこに行くんだ」
「叔父さん、今日は……」
「あぁ、そうだったな。毎月律儀なもんだが、今日はやめておけ。そんなに高くないとはいえ、雨が降っているのに山に入るのは危ない。それにバスも止まっているだろ。歩いていくにはちょっと遠いし、一回くらい行かなくたっていいだろう」
叔父の正論を意に介さず俺は靴を履き替える。雨の中でも滑りにくい、ちょっといい靴だ。なけなしのバイト代を叩いて最近買ったこいつの性能を試してみたい、という思いも少なからずある。
「まったく、仕方がない奴だな。まぁいい。できるだけ早く帰れよ」
「うん。用が済んだらすぐにもどるよ」
叔父を一瞥してから戸を開ける。水滴が地面に叩きつけられる音たちがなだれ込んだ。行く手を阻む打撃音の奔流に押し返されないように、大きく一歩踏み出して外に出る。
この身を守る屋根はもうない。大粒の雨が機関銃の弾丸のように降り注ぐ。レインコート越しでも伝わる衝撃が痛い。叔父の言う通り、早く帰ったほうがよさそうだ。
雨音で周囲の音も聞こえにくいし、視界も悪い。辛うじて信号機の色が分かるくらいだ。
「よし、行こう」
少し慄いた自分を叱咤して気合を入れなおす。今日は大切な日なのだ。こんなところで立ち止まっているわけにはいかない。
俺はやや早歩きで足を運ぶ。目指すはここから徒歩四十分ほどのところにある小さな山だ。標高百五十メートルしかないらしいので山というより丘といったほうがいいかもしれないが、それでも頂上からなら市内を一望できる高さだろう。
このあたりは自然豊かなところ以外は、特に語るべきことのないど田舎だ。観光地といえば歴史ある大きな神社くらいか。江戸時代に建てられた城があるけど、他県の立派なものと比べれば、廃城令で天守を残すのみとなった淋しい城など見どころがないだろう。こっちに来て半年ほど経つけど、まだ一度も行ったことがない。
城の堀の水の保存状態がいいのが売りらしいが、研究者だとか城オタクならともかく、わかりやすい刺激を求める一般大衆は全く興味を示さないだろう。
そんな調子だから都会に人が流出する。全く姿を変えず、ただそこに在り続ける自然など面白くなくて当然だ。俺は都会から田舎へやってきた変わり者だが、別に緑溢れる土地に惹かれたというわけではなく、ただ単に都会の有名大学に進学できるほどの頭と金がなかっただけだ。
だけど、ここに来てからは認識を改めた。慌ただしい生き方しか知らなかった俺は都会のような喧噪も無く、穏やかな時間の流れるこの土地が気に入ったし、太古よりこの地を見守り続けてきた自然たちには畏怖の念すら覚える。
そんなことを考えながら歩いていると、湖が見えてきた。海水の混じる汽水湖で、初めて見たときはその大きさから海と勘違いしてしまった。ここも夕日が綺麗と評判だが、雨ばかりの昨今では訪れる者などいない。
本来の目的を思い出し、晩秋の冷たい雨に震える身体に鞭打った俺は誰もいない街を歩きだした。
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