アルギア 2

 アルバートは呆然とした様子の一同を見回す。


「度量衡や規格の統一というのは、極めて重要な統治の技術です。

 明確な基準が決まれば、それだけ不公平や不平等の入り込む余地が減りますから」


 そのことが、まずはここにいる人たちに伝われば良いと思う。

 特に中央で商業を担当するコルネオと、工業を担当するウェルナーには。

 彼らはこれから、こういった仕組み作りの中核となっていくはずだ。

 

「この『ノーマンコンテナ』も明確な規格に基づいて作られています。

 縦、横、高さともに十五ルビク。

 補強をする箇所や、上下面の凹凸の位置や大きさも決められています。

 一箱ごとの制限重量も一千コリトとして、過積載には厳罰を課すことも布告しております」

「ルビク、コリトというのは?」


 質問を発したのはコルネオだが、全員が疑問符を頭に浮かべている。


「ノーマン家で定めた単位です。

 この街のセルナ神殿にも、その基準となっている物がございますので、ご覧になりますか?」


 一同は、一も二もなく頷いた。






 アルギア南区にあるセルナ神殿は、港からそれほど離れていない。

 ノーマン家の影響下にある地域では、ニルスやセルナは人気のある神々だ。

 アルギアでは水の神であるシリクスほどの勢力は無いが、それでもその神殿は広大な敷地を持っている。

 

 神殿に着くと、通りがかった神官に声をかけ、神殿長に来訪と用件を知らせてもらった。

 待つことしばし。

 やって来た神官に連れられ、荘厳な石造りの回廊を抜けて神殿の奥へ向かう。


 一般人も利用する拝殿のさらに奥に、奥殿と呼ばれる区画がある。

 神事を行う場所であり、基本的には神官しか立ち入ることはできない。

 その区画の入り口で、アルギアのセルナ神殿長、レパルトが待っていた。


「ようこそおいでくださいました、ランフォード子爵」

「お久しぶりです、レパルト殿。

 本日はお世話になります。

 こちらの方々はノーマン視察団の皆様です」


 アルバートはレパルトと挨拶を交わすと、視察団の面々とレパルトを互いに紹介する。

 レパルトはロマンスグレーの頭髪と口髭を持つ初老の男だ。

 アルバートとは十年来の知己である。

 言葉遣いは丁寧だが、互いに勝手の分かった気やすさがある。


「それで、ご覧になりたいのは『原器』と工房でよろしいですか?」

「はい。

 よろしくお願いします」


 頷き、レパルトは先に立って歩む。




 奥殿の中でもさらに奥まった部屋。

 厳重に警備された小さな一室に、それは安置されている。


 セルナ神殿はもともと窓が少ない作りになっているが、この部屋には全くない。

 ランプの灯りを頼りに、レパルトは祭壇に安置された木箱を開く。

 木箱にはおがくずが満たされており、その中に埋める形で、それは保管されている。

 直接手で触れないよう、革の手袋をはめて慎重に取り出されたそれは、一本の青銅の棒だ。




 青銅というと青緑色の金属というイメージがあるかもしれないが、それは保管状態が悪く表面が酸化して、いわゆる緑青になってしまった状態のものだ。

 状態の良い青銅を理解できる身近な物は、新品の十円硬貨だろう。

 少なくともアルバートの前世の記憶にある二十一世紀前半は、十円硬貨に青銅を使っていた。


 この棒は、変質や変形を避けるために慎重に保管されている。

 分厚い石造りの神殿の中にある窓の無いこの部屋は、地下に似た安定した環境であり、木箱のおがくずは吸湿剤の役割を果たしているのだ。


 だから、ランプの灯りに照らされたそれは、光沢のある茶色をしている。

 長さは親指の付け根から小指の付け根まで程度。

 地球の単位で言えば十センチほどか。

 底面は概ね正方形だが、長さと重さが重要なので、そこはたいして厳密ではない。


 何の変哲も無い青銅のインゴットにしか見えないそれが、『セルナ原器』だ。

 唯一の特徴は、その表面に刻まれた文字。

 曰く、『この正確なることをセルナに誓う』




「持ってみてもよろしゅうございますか?」


 オリヴィアが問うと、レパルトは首肯した。

 人数分の手袋が用意される。


 最初に手渡されたオリヴィアは、恐る恐るそれを掌に乗せた。

 正確に換算することなど不可能だが、おそらく一キロに少し足りないくらいだろう、というのが以前アルバートが持った時の印象だ。

 もはや記憶も朧げな、一リットルパックの牛乳よりも少し軽い程度、という気がする。

 掌に乗るサイズの棒がその重量になるのだから、青銅もなかなか重い金属である。


 オリヴィアの手から、他のメンバーへと次々と渡り、レパルトの手に戻った。


「この原器の長さが一ルビク、重さが一コリトでございます。

 当神殿を含むノーマンのセルナ神殿では、この原器を基準に、実際に取引や作業の現場で使う定規や分銅を作っております」




 もともと、アルバートは度量衡や単位系の統一の必要性を感じていた。

 現在のところ、一般的に使用されている単位は身体尺だ。

 尺貫法やヤード・ポンド法の親戚である。


 これらは日常生活の中で使う分には、直感的に分かりやすくはある。

 だが、アルバートが目指す科学や技術の発展や、規格化による商工業の発展に対しては、大きな障害となる。

 二十一世紀の地球でも完全には解決されてはいない、『ヤーポン滅ぶべし』問題が起きてしまうのだ。




 身体尺の問題は、人体を尺度の基準としていること、ではない。

 基準が人間の体の一部だろうと、地球の一部だろうと、光の波長だろうと、そこは大きな問題ではないのだ。


 問題は、単位の換算に一貫性が無く、かつ計算が面倒な換算式になってしまうことだ。

 例えば、ヤード・ポンド法の長さは1マイル=1760ヤード=5280フィート=63360インチという、気が狂いそうな換算をするはめになる。

 これが、どこかのタイミングで単位系を整理して、1マイル=100ヤード=10000インチのようにしていたならば、ここまで後世で嫌われることにはならなかっただろう。

 文化的な面や生活への浸透度合いを考えれば、現実的には不可能だったとは思うが。


 その点、メートル法の換算は、シンプルかつ一貫性がある。

 これを提唱したタレーランはさすがとしか言いようが無い。




 では、これをこの世界に応用するならば、どうしたら良いか。

 絶対的な必要事項は、十進数のシンプルな構造だ。

 次点として、基準に対する納得感。


 構造に関しては、メートル法を参考にすれば良いので問題無い。

 問題は誰もが納得の行く基準だ。

 メートル法で使用した「地球の大きさ」は使えない。

 この世界には、まだそれだけの測量技術は無い。


 そこでアルバートが目を付けたのが、セルナ神殿だった。

 正確に言えば、コルムのセルナ神殿に保管されていた隕石だ。

 この世界において、隕石は天の神々の矢の欠片として神聖視されている。

 そのためコルムのセルナ神殿にも、過去のいつかに落ちた隕石が、一種のご神体として納められていたのだ。


 隕石の大きさは握り拳程度。

 つまり、日常的な使用に便利なサイズ感の尺度になり得るということだ。


 だから、その最長部の長さと、重さを基準として使用することにした。

 何しろご神体なのだから、基準とする納得感は得られるはずだ。


 一方でご神体である以上、気軽に使うことはできないし、複製もできない。

 それで、これを元に原器を作成することにしたのだ。

 これが『セルナ原器』だ。


 材質は、この時代に入手可能な中では比較的変質や変形しにくい青銅とする。

 形状は重さと長さを隕石に合わせた四角柱。

 長さと重さを合わせることを最優先にしているので、それ以外の精度は求めない。


 この原器を領内各地のセルナ神殿に配布してもらった。

 そしてそれを基準に、各地の神殿で計測器を製造・販売してもらうことにしたのだ。




 この計画の最大のポイントが、セルナ神殿である。

 アルバートがパートナーにセルナ神殿を選んだのは、手頃な基準になりそうな物を持っていたから、だけではない。


 月の女神であるセルナは、夜の星々に極めて正確な運行をさせている指揮官であるとされている。

 そのためそれに倣って、セルナの神官は正確で計画的な行動を尊ぶ。


 それを考えれば、神の名のもとに製造する原器や計器は、信仰心に基づいて、真摯に正確さを追求して作ってくれるだろう、と考えたのだ。

 セルナ原器に刻んだ文句、『この正確なることをセルナに誓う』はその表れだ。

 原器だけではなく、定規や分銅など、神殿製のものには必ず刻まれている。

 これは二十一世紀の日本で計器に付けられたJISマークのように、正確さを保証する表示として機能している。




「人の世で使われる尺度が統一され、人々の生活が正確さを増せば、セルナ様はお喜びになられるでしょう。

 また、私どもが作った道具が正確な尺度として世に広まれば、それだけセルナ様の御名を高め、広めることに繋がります。

 当神殿としても、願っても無いご提案だったのです」


 レパルトはそう言って微笑み、恭しい手つきで原器を元通りに箱に戻した。






 続いてレパルトに案内されたのは、神殿内の工房だ。

 セルナ神殿としては例外的に、この部屋は明るく採光されている。

 精密な作業が要求されるのだから、当然だろう。


 何人もの神官が、真剣な表情で、各種の計測器を作っている。

 アルバートはその中の一つ、蓋の無い木箱にしか見えない物を、作業中の神官に声をかけて借り、一同に見せた。


「これはマスという物です。

 縦、横、高さ全ての内寸が一ルビクになるように作られています。

 ノーマンでは、穀物や液体の計量には全てこれを使うように統一しました」


 前世の記憶にあった、日本の枡から着想を得て作ってもらった物だ。

 容積を計測するための、均一で正確な計量器を量産するのであれば、壺のような形よりも箱型の方が適している。

 うっかりアルバートが「枡」と言ってしまったため、この容器の名前が「マス」で定着してしまったのは誤算だったが。

 この分だとこれ一杯分の体積の単位も「マス」になりそうだ。

 実際、コルムでもアルギアでも、麦百マスがいくら、といった取引の仕方がほぼ定着している。




「これも、『公平で公正で便利な仕組み』の一つということでしょうか?」


 コルネオがそう尋ねてきた。

 アルバートは頷く。

 昨日、トレストで言ったことを憶えてくれているらしい。


「このマスが普及することによって、全ての者が同じ基準で物の量を測ることができるようになります。

 重さで取引する金属などは分銅で、長さで取引をする織物などは定規で、同じことが起こります。

 同じ基準を与えることは、『公平で公正で便利な仕組み』の中でも最も重要な一つでしょう」

「物を作る職人たちにとっても重要なのでしょうね。

 職人たちへの注文の際に、発注者と職人の間での誤解が起きにくくなる」

「誤解が起きにくくなるという意味では、兵站においても重要ですな。

 前線と後方で物資の量に関する誤解が起きれば、最悪兵が飢えることになりますから」


 工業担当のウェルナーが、工房内に並ぶ計測器の数々を見回しながら言った。

 軍学教授のアルヴァンも、それに盛んに頷く。


 オリヴィアが、視察団の団長としての顔で、アルバートに向き直った。 


「先程の原器は、シュレージのセルナ神殿にもご提供いただくことは可能でしょうか」

「もちろんです。

 もっとも当家からではなく、コルムのセルナ神殿からシュレージのセルナ神殿へとなるかと存じますが」 

「それでしたら、リューガにも頂きとう存じますわ」


 アルバートの返答に、すかさずウィニアが追随する。

 その後ろでは、レオスとフォルトが何やら話し合っているようだ。




 アルバートはレパルトと顔を見合わせ、笑みを交わし合った。



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