第29話 縁談

 王国西部のまとめ役であるクレスタ侯爵フェルディオが、王都シュレージの名店、ポルトレーンへ足を運ぶのは久しぶりのことだ。

 今年は王都に来ること自体が初めてだし、そもそも最近は派閥同士の交渉ということ自体、あまりしていない。

 王国西部は、状況が安定しているが故に、ある意味で放置されている。

 状況を激しくかき回すノーマン辺境伯家のような家も無く、平和になったことで発展してきてはいるが、予想された通りの推移を辿っているような地域だ。

 そのせいもあって、今回の事件では完全に状況から置いていかれている感が否めない。




 待ち合わせの部屋に通されると、そこにはすでに相手が待っていた。


「久しいな」


 オロスデン侯爵クロヴィス。

 王国の国境で外国を相手に国を守る四侯の中で、お互いに距離的に最も遠い相手だ。

 というより、クレスタ侯爵領だけが四侯一伯の中で他と大きく離れている。

 仕方の無いことではあるのだが、ルガリア流域の発展から一家だけ引き離されており、疎外感もあれば焦りもある。

 それを解決する糸口を掴みたくて、王都につくや否や、面談を申し込んだのだ。




「だいぶ遅かったようだが、何かあったのか?」


 クロヴィスが言ったのは待ち合わせについてではなく、王都到着自体についてだ。

 現在、王国中の貴族が王都に集まっている。

 王政から共和政への移行の式典に出席するためだ。

 今シーズンの社交には参加しない予定だった西部の貴族も、最近の混乱で一度領地に戻った貴族も、全て呼ばれている。


 この歴史的な瞬間に立ち会わないという選択肢は無いし、式典の中では第一回の共和国会議が開催されることになっている。

 参加しなかったら、自分のいないところで何を決められるか分かったものではない。


 第二回以降は、『地方議会』で選ばれた『議員』のみが参加する形になるらしいが、第一回の今回は、共和政への移行そのものに対する決議や、選ばれた『議員』のみで国政の決議を行う『議員制』とやらの是非を決議するため、全貴族が参加することになっている。


 最も、成人貴族全員が参加するというのは物理的に不可能なので、家ごとに当主が代表として参加することになっているが、それでも相当な人数だ。

 確かに、その人数で毎回合議をしていては、決まるものも決まらないだろう。

 『議員制』とやらは妥当なように思えた。




 ともあれ、それで全ての貴族が王都に集まってきているのだが、確かにフェルディオの王都入りは王都までの距離に比して遅かった。


「少し、寄り道をしていてな」

「寄り道?」

「ああ。

 戦場跡を見に、な」


 戦場跡。

 今の状況でそれが指す場所は一箇所しかない。

 ノーマン領軍と近衛隊の戦いのあった場所だ。


「ノーマン領軍のうち一千が残って後始末をしていると聞いたが」

「ああ、そのような作業をしていたな」


 季節はこれから夏に向かっていく。

 三千近い遺体をそのままにしていては、疫病の発生に繋がりかねない。

 早急に後始末をする必要があった。


「近隣の農民を金で雇ったようだ。

 穴掘りや焼却が進められていたな。

 神官は呼んでもらえなかったようだ」




 死者が死後にどうなるかは、葬送を見届けた神によって異なるとされている。

 例えばニルスやセルナの場合は天に昇って神々の軍勢の一員に加わるとされているし、大地の大神コルギアの場合は地の底で安息の眠りにつくとされている。

 だが、今回は反乱軍として討滅された形だ。

 神官に弔ってもらうような温情は与えられなかったようだ。


 実質的に被害が無かったため、首謀者の遺体が晒されることが無かったのがせめてもの温情だったのだろう。

 首謀者は三名とも、生前の地位にも関わらず、他の兵たちと同様に「火葬」ではなく「焼却処分」され、遺灰は「埋葬」ではなく「埋め立て処理」されることになる。




「まだ処理されていない遺体や、鎧を見ることができて良かった。

 どうしても見たかったからな」

「そうか。

 西は彼らの脅威が伝承でしか伝わっておらんのだったか」


 遺物としてクレスタ家の宝物庫に飾られていた、穴の空いた鎧。

 それから想像していたのと同じように、しかし圧倒的な現実感を持って、それを見ることができた。

 いとも簡単に鎧を貫く矢。

 時には背中側まで貫通する、というのも本当だった。


「それ以上に恐ろしかったのはな。

 兵たちの半数以上が、剣を手に持っていなかったことだ。

 鞘に収めたままだった。

 ノーマンの兵は、近衛の攻撃範囲に一切入らなかったのだろうな」

「だろうな。

 ドローニスでもそうしていた」


 クロヴィスが頷く。

 ドローニス王国の来襲の際には、ノーマン領軍は非常に頼りになる援軍だ。

 撃退する時にも助かるが、それ以上に助かるのが撃退した後だ。

 オロスデン領軍ではできない、撤退する敵軍への追撃をやってくれる。


 それまでドローニス王国にとって、オロスデン領への侵攻は、ほとんどリスクの無い行動だった。

 攻め落とすことができなくても、退けば追ってこないのだ。

 リスク無しで嫌がらせができるとなれば、やるに決まっている。


 それが、ノーマン領軍が援軍として参加するようになってからは、多大なリスクを背負うようになった。

 本来、軍事行動というのは撤退時が最も被害が出るものなのだ。

 それを思い知らされてからは、侵攻自体が極端に減った。

 その結果オロスデン領の経済的な負担は大幅に軽減され、ルガリア流域の好景気に引っ張られて主力の製鉄業が伸びたこともあり、以前に比べて格段に豊かになった。

 オロスデン家からしてみれば、もはやノーマン家に対して負の感情はさっぱり無くなっている。




「……正直、俺は奴らが怖い」

「付き合ってみれば面白い奴らだぞ?」

「そうなのだろうな。

 それは分かる。

 ルガリア流域の者たちは、だいぶ打ち解けているようだ」


 フェルディオとしても、クロヴィスの心情は理解できるのだ。

 だが、それでも同じように思うことはできない。

 クレスタ領軍の主力は重装騎兵だ。

 どうしても、累々たる近衛隊の屍に我が身を重ねてしまう。




「ま、付き合ってみるしかあるまいよ。

 ちょうど良い機会だ。

 ノーマンに人を送ってみてはどうだ?」

「人を送るとは?」

「レーヴェレットが音頭を取って、ノーマン領へ視察団を送るらしい。

 発案者はオリヴィア嬢で、シャーロット殿下も参加されるようだ。

 参加者はまだ募集しているはずだ」


 初耳だった。


「今回の件ではレーヴェレットとノーマンが協力して動いているようだと聞いてはいたが、まだ続いているのか?」

「それどころか、さらに進めて婚姻を結ぶことになるはずだ」

「何だと?」

「ノーマンの奥方も王都に着いたと聞いている。

 そろそろ正式に縁談を進めているのではないかな?」








 ちょうどその頃。

 レーヴェレット侯爵家は来客を迎えていた。

 ノーマン辺境伯家の一同である。


 当主ギルバートとその正室エリザベス。

 次の世代のアルバート、ソフィア、ヘンリック。

 計五人だ。


 迎えるレーヴェレット家も勢揃いである。

 当主フェリクスとその正室ミリーナ。

 次の世代のアリエス、グリフィス、オリヴィア。

 こちらも五人。




 先日はレーヴェレット家がノーマン家を訪問したため、今回は逆で、ということになった。

 交互に互いの家を訪問する、という形であれば、対等な立ち位置での親密な関係を周囲に見せることができる。

 これまでは陰ながらの協力関係だったのが、表立って繋がる形となり、それは国内の勢力図に変化をもたらすだろう。


 用件はもちろん、アルバートとオリヴィアの縁談だ。

 本人たちに限らず、両家の全員がここしばらくの間で意識していた縁組である。

 今さら反対する者は誰もいない。




「では、結婚は三年から五年後ということになりますか」

「ええ。

 当家の領地の冬は、王都と比べて格段に厳しい物です。

 少しずつ慣らしていかないと、命に関わります」


 ギルバートとフェリクスが、にこやかに頷き合う。

 まずはこの場で婚約を結び、何年か婚約期間を挟んでから婚姻、ということになった。

 向こう数年、オリヴィアは王都とノーマン領を行ったり来たりする生活だ。

 もっともアルバートも今後は中央の政治に深く関わることになる。

 結局、二人とも同じようなライフスタイルになるだろう。




 終始和やかなまま会談は進み、一区切り着いた。

 茶を用意して歓談でも、という雰囲気になったところで、エリザベスが口を開いた。


「アルバート」

「はい」

「オリヴィアさんをちゃんと口説いてあげた?」

「はい?」


 予想外のことを言われて語尾が上がる。

 向かいでオリヴィアも驚いているようだ。


 エリザベスはおっとりと笑っている。

 だが油断してはならない。

 ソフィアとは別の意味で、エリザベスの言動は予測不能だ。


「あなたのことだから、オリヴィアさんとはまだ固い話しかしていないのではなくて?」

「いえ、それは、まあ……」

「ダメですよ。

 理の話だけで満足する女性はソフィアくらいだと思いなさい。

 きちんと言葉で情を交わさなくてはいけません」

「それは、もちろん、これからは、そうするつもりで……」

「では、今からなさい」

「……え?」

「今から二人で庭園の散策でもさせていただいてはいかがかしら?」

「おお、それは良い案だ。

 フェリクス殿、いかがですかな?」

「もちろんですとも。

 オリヴィア、案内して差し上げなさい」


 エリザベスの言葉に、ニヤニヤと笑いながらギルバートが乗っかる。

 フェリクスがそれに含み笑いを漏らしながら頷いた。

 今まで見知ったアルバートのイメージとの落差が面白くて仕方ないらしい。




 結局、オリヴィアと二人でレーヴェレット家の庭園に放り込まれてしまった。

 隣のオリヴィアと顔を見合わせる。

 オリヴィアは頬を朱に染めながら微笑んだ。


「それでは、参りましょうか」


 アルバートが差し出した手に、オリヴィアの手が乗る。

 歩調を合わせて、ゆっくりと歩き出した。








「こうして歩くのは、卒業式の時以来ですね」


 アルバートの言葉に、オリヴィアは懐かしさすら感じた。


「そうですね。

 まさかあの時は、このようなことになるとは思ってもみませんでした」

「思えば、奇妙な縁ですね。

 あの時、私が抗議しなければ、どうなっていたものやら」

「あまり想像したくはございませんね」


 どちらからともなく、顔を見合わせて笑い合った。




「あの時はありがとうございました。

 今なら分かります。

 わたくしの、自分自身の人生は、あの時始まったのです」


 それまでのオリヴィアの人生は、リオンのための物であった。

 そして、そうであったにも関わらず、リオンはオリヴィアの価値を認めなかった。

 他の誰が認めようと、最終的にオリヴィアを評価するのは、王となった時のリオンなのだ。

 オリヴィアは未来に諦観と絶望しか感じることができなかった。


 それが変わったのが、あの時だ。

 諦観と絶望しか無かった未来が粉々に砕けて散った。

 その時に何の道標も無かったならば、何物でも無くなった自分に衝撃を受け、立ち止まり、あるいは蹲って動けなくなっていたかもしれない。

 先日のシャーロットがそうだったように。


 あの時、オリヴィアはシャーロットに自分を重ねて見ていた。

 だから放っておけなかった。

 そして、シャーロットを慰めながら自覚したのだ。


 オリヴィアが自分を見失わずに済んだのは、すぐ傍に強烈な光があったからだ。

 それは偶然だったろう。

 そんな意図など無かっただろう。

 だが、オリヴィアはアルバートへの対応に奔走したことで、自分を見失わずに済んだのだ。


「そうして追いかけた方は、尊敬できる方でした。

 わたくしには見えない物を見て、わたくしには思いも寄らないことを考えておられました。

 それでいて、誠実なかたでした。

 わたくしを見て、わたくしの言葉を聞いて、わたくしを受け入れてくれる方でした。

 だから……お慕い申し上げているのです」


 頬が熱い。

 恥ずかしくて俯きたくなる。

 だが、我慢して視線を上げる。

 アルバートの瞳をただ見つめて、応えを待った。








「私にとって、オリヴィア嬢は、初めての対等な女性だったのだと思います」


 アルバートは、出会った時のことを思い返す。


 アルバートはノーマン辺境伯という大貴族の嫡男だ。

 当然、周りに寄ってくる女性は多い。

 それは、一途にアルバートを慕う領内の女性だったり、あるいは政略としての結びつきを求める他領の女性だったりした。


 それを否定するわけではない。

 慕われるのは当然嬉しかったし、政略での結びつきは重要だ。


 だが、心理的に抵抗があった。

 ソフィアがそういった女性たちに拒否感を示していたが、アルバートの抵抗感を無意識にでも察していたのではないかと思う。

 もし、アルバートが心から望んでいたのならば、ソフィアも我慢して受け入れたのではないだろうか。




 その点、オリヴィアは違った。

 王妃となることを求められながらも、リオンには拒否され、頼ることはできない。

 自然とオリヴィアは、自立した行動を取るようになったのだろう。

 「王妃に相応しい行動」を自分自身で判断し、自分自身の能力で実行した。


 オリヴィア自身はその生き方に諦観と絶望しか感じなかったと言うが、それは確実にオリヴィアの実力として身についていた。

 だから、王家の枷が外れて、すぐに行動することができたのだろう。

 そんなオリヴィアにアルバートが感じたのは、「手応え」だった。 


「私を上に置いて忠誠を誓ったり、媚びて取り入ったりする人はいました。

 私を田舎者と下に見て、何かをさせようとする人もいました。

 ですが、オリヴィア嬢は対等の交渉相手でした。

 それもなかなか手強い。

 それが、心地良かったのだと思います」


 見上げて来る、少し潤んだ視線が気恥ずかしい。

 オリヴィアの赤らんだ頬につられるように、自分も頬が熱くなっているのを感じる。


「私は、多分この世界の大多数の男とは価値観が違います。

 自分に付き従って支えようとしてくれる人よりも、対等に語り合い、時にはぶつかり合ってでも自分の主張を伝えてくれる人の方が良い。

 だから、オリヴィア嬢に惹かれたのだと思います」




 しばしの逡巡。




 意を決して、オリヴィアの手を引き、引き寄せた体を抱きしめる。


 細い。

 小さい。

 暖かい。






 愛しい。






「オリヴィア。

 俺と共に生きて欲しい。

 二人でずっと、支え合って」


「……はい」



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