第4話 富という暴力

 式典は、今度こそ滞りなく終わった。

 既に太陽神ニルスの時間は終わり、月神セルナが大地を見守る時間になっている。

 王国史上でも前代未聞のハプニングによって、いっそうの非日常感に昂揚する出席者たちは、夜会の用意の整った邸内へと招き入れられた。




 邸内の広間に入って、オリヴィアがまず感じたのは、明るさだ。

 眩しいほどのその明るさに驚愕する。 


 この国、というよりこの世界において、照明は高級品である。

 特に王族や貴族が用いるのは、貴重な蜜蝋の蝋燭。

 ススや臭いの少なさから照明器具の中でも最高の品格とされており、非常に高価だ。


 現代の日本人ならば、『紙幣を燃やして足元を照らす成金』の風刺画を一度は目にしたことがあるだろうが、蜜蝋の蝋燭を使用する照明は、誇張抜きに、現代の感覚で言えば札束を燃やして照明にしているに等しい費用がかかる。


 それなのに、なぜ夜にパーティーを開くのか。

 それは、「金がかかるから」だ。

 金がかかるからこそ、敢えてそれをすることで己の富を誇示するのだ。

 夜会とは富の象徴である。




 故に、夜会の際にどれだけの蝋燭を用意し、どれだけ会場を明るく照らせるかは、夜会を主催する貴族の格付けに直結するほどの重要事である。

 この明るさは、王家にも引けを取らないだろう。

 オリヴィアは内心で冷や汗をかく。


 蜜蝋の蝋燭はノーマン辺境伯領の一大産業であり、国内で流通する蝋燭の八割以上がノーマン製である。

 その圧倒的な品質と生産量は、ノーマン家の外交カードとして猛威を奮っていた。

 そんな大生産地の領主であるとは言え、何の事前準備も無く、即座にこれだけの照明を用意できるということは、それだけでノーマン家の富を見せつけるものだ。


 ノーマン家はその実用主義から、虚飾を好まない。

 貴族にとって見栄を張ることは政争の一部だから、その必要性を知ってはいる。

 だが、好きでやっているわけではない。

 だから、ノーマン家の普段の社交では、華美な贅沢は家格から言って最低限と言って良い。

 こんなに蝋燭を灯して夜会を開くのも初めてだろう。


 そのことでノーマン家を侮る家もあった。

 所詮、腕力自慢の田舎者、と。

 南に行くほど、その傾向は強まる。




 だが、できないわけではなく、やらないだけなのだ、と今回は示すつもりなのだろう。

 自分たちの力を見せつけている。

 貴族たちに、そして王家に。

 これは、富の力を使った威嚇なのだ。






 その驚きも冷めやらぬまま、夜会が始まった。

 オリヴィアの周囲には自然と派閥の令嬢たちが集まる。


 婚約破棄の宣言から今まで、彼女たちと個人的に話す時間は無かった。

 だから、色々と言いたいことや聞きたいことが溜まっていたのだろう。

 口々に話しかけられる。

 大部分が、オリヴィアに対する心配と、リオンに対する批判だ。

 特に、リオンが婚約破棄の理由として言った「他の貴族に媚びている」という言葉に対する批判が強い。



 実際のところ、オリヴィアがやっていたことは「調整」である。


 数多ある貴族家それぞれの要望や不満を聞き取る。

 家同士の問題があれば、第三者として会談に立ち会い、折り合いの付く点を模索する。

 国との問題であれば、父である宰相に相談する。


 そう言った細かい不満の処理は、貴族の力が強いこの国では、必ず必要になることだ。

 貴族が徒党を組んで反抗するようなことがあれば、王家は揺らぐ。

 だから、王家を推戴する宰相派の一員として、またいずれ王妃になる者として、そう振る舞っていたに過ぎない。

 それは、国王にも宰相である父にも指示されていたことだ。

 それを「媚び」と捉えられるのは、甚だ心外だった。


 オリヴィアの率いる派閥のほとんどを占める宮廷貴族の役目は、程度の差はあれ、突き詰めればその「調整」なのだ。

 大袈裟に捉えるなら、宮廷貴族全てに対する侮辱と取られても仕方が無い言葉だっただろう。




 会話に加わりながら、会場の様子を観察する。

 テーブルの上に目を留める。


 急な催しだけに、振る舞われる料理は流石に簡単なものが多いが、種々のチーズはノーマン領の特産品だけに美味だった。

 パンやクラッカーには蜂蜜が添えられている。


 蜂蜜は森の樹のウロにミツバチが作った巣から蜜蝋と共に取れる、豊穣神サリカの贈り物だ。

 王宮でもめったに出てこない貴重品である。


 中には、蜂蜜をつけて食べるチーズ、なるものもあるようだ。

 そのような物は、ノーマン領以外では生産どころか研究もされていないだろう。




 夜会が始まってしばらくした頃。

 会場の扉が開き、係の者が朗々とした声で、新たな参加者の入場を告げた。


「レーヴェレット侯爵フェリクス閣下、ご入場でございます!」


 入ってきたのは、壮年から初老といった年頃の痩せ型の男。

 レーヴェレット侯爵家当主にして、アルスター王国宰相、そしてオリヴィアの父だ。


 フェリクスは会場を見回すと、オリヴィアを見つけ、歩み寄ってきた。


「お父様」

「オリヴィア、待たせたな」


 頭一つ半ほど上にある父の目を見上げる。

 気遣わしげな父の情が垣間見えた。


「思ったよりも平気そうで安心した」

「確かにショックでしたが、自分でも意外なほど傷は浅いようですの」

「そうか。

 これから挨拶に向かうが、大丈夫か?」

「はい」


 答えて、フェリクスの差し出した腕に手を添える。




 父に引かれて向かう先は、この夜会の主催者、ギルバートの元だ。

 気づいたギルバートが、傍らのマリアと共に向き直った。

 互いに一礼を交わす。

 会場中が注目しているのを感じた。


 フェリクスもギルバートも、それを認識しているだろう。

 ここから先は、それを前提に聞かせるためのものとなるはずだ。

 レーヴェレット侯爵家とノーマン辺境伯家の方針発表に近い。

 オリヴィアは気を引き締める。


「この度は大変なことでしたな」

「誠に。

 前代未聞の不祥事と言って良いでしょう」


 口火を切ったのはギルバート。

 答えたフェリクスは、王子の行為を不祥事と言い切った。

 現職の宰相が、公の場で。


「ご令嬢も災難でございましたな。

 ことの起こりから見ておりましたが、ご立派でしたぞ」

「いえ、そのような。

 このようなご迷惑を皆様におかけしてしまい、恥いるばかりです」

「このような事態、想定して備えろという方が無理と言うもの。

 にも関わらず、取り乱さずに冷静にふるまわれた。

 王妃として仰ぐに、何の不満も不安も無かったと言うのに。

 残念です」


 表情はにこやかなギルバートだが、王子の評価は誤りだと、暗に非難していた。


「ところで、ご来場がだいぶ遅れられたようですが、王宮で何かございましたかな」

「ええ。

 今回の件に対する抗議として、明日から出仕を停止することにいたしましたのでな。

 その引き継ぎといったところです」


 フェリクスがサラリと告げた言葉に、会場中に衝撃が走った。

 ギルバートも流石に驚いたのか、目を見開いている。


「それは……本気ですかな?」


 宰相と言えば、王宮の最高位であり、業務の上では王に次ぐ決裁者である。

 国王夫妻が視察に赴いており不在の現状では、最高責任者と言えた。

 それが出仕を停止する。

 下手をすれば、王宮が機能を停止しかねない事態だ。


「ええ。

 とは言え、王宮を完全に停めるわけには参りませぬ。

 宰相補佐官たちに、ある程度は権限を委譲して参りましたゆえ、戦でも起こらぬ限りは問題ないでしょう」


 フェリクスの答えに、会場の空気がやや弛緩した。

 最悪の事態ではないことが分かったからだ。




 オリヴィアは、だからお兄様方はいらっしゃっていないのね、と納得した。

 オリヴィアの二人の兄は、共に王宮に勤めている。

 長兄アリエスはレーヴェレット侯爵家の嫡男として宰相補佐の地位にあり、次兄グリフィスは財務官としてキャリアを積み始めたところだ。


 父と自分は王家を批判する立場に回り、兄二人は変わらず王宮で忠勤に励む。

 そういう役割分担での立ち回りをすると言うことなのだろう。

 早くても国王夫妻が王都に戻るまでは、この体勢が続くはずだ。




「ショーン陛下に対する敬愛と忠誠に変わりはありませんが、リオン殿下に同じ気持ちでお仕えすることは、このままでは難しいですな」


 フェリクスは続けて言った。

 それは、まもなく行われるはずだった立太子を前に、宰相がリオンへの不支持を表明したに等しい。

 よほど上手く収拾しなければ、リオンの立太子は無い。

 それを会場中の貴族が認識したはずだ。


「左様でございましたか。

 当家としても、リオン殿下のなさりようは腹に据えかねると思っていたところです」


 ギルバートが答えた。

 王権を強めたい宰相と、自治権を守りたい辺境伯は政敵に当たるが、この件に関しては共同歩調を取ることになるようだ。


 オリヴィアはそう心に刻み、自身の今後の立ち回りに思考を巡らせた。






 主催者への挨拶を済ませ、オリヴィアはフェリクスと別れる。

 ここからは別行動で社交に励む時間だ。

 一人になったオリヴィアの元に、学生も含めた派閥の若い世代の令嬢が集まってくる。


「大変なことになりましたね。

 宰相がそこまでの決断をされるとは……」

「本当に……」

「これからどうなるのでしょうか……」


 一人が言った言葉に、同感の声が上がる。

 思ったよりも強い姿勢を打ち出すことに、皆興奮気味のようだ。

 そんなことを思っていると、令嬢の一人が声をひそめて問いかけてきた。


「オリヴィア様に、辺境伯家とのご縁がございますでしょうか?」


 驚いて見返すと、どこかキラキラと期待に満ちた眼差しが向けられている。

 周囲の令嬢たちも、似たような目でオリヴィアを見ていた。

 貴族とは言え年頃の娘。

 色恋や婚姻の気配には目が無いのだ。


「……どうでしょうね?」


 オリヴィアとしては曖昧に誤魔化すしか無い。

 無いとは言えない話だ。


 リオンとの婚約が無くなり、オリヴィアはフリーとなったが、レーヴェレット侯爵家の嫡出の娘と釣り合う家柄など、そうあるものではない。

 その家柄の中で未婚で婚姻適齢期の男性となると、もっと少なくなる。

 希少と言って良い。


 その点、ノーマン辺境伯家は、序列では侯爵家より下で伯爵家より上とされているが、実力は他のどの貴族家をも上回り、王家に次ぐ。

 そしてその嫡男は未婚であることも知られている。

 先ほど見たときは妹であるソフィアをエスコートしていたから、婚約者もいないであろう。




 そんなオリヴィアたちのもとに、給仕がグラスの乗ったトレーを手に近づいてきた。

 グラスを受け取り、違和感を感じる。

 他の令嬢たちも戸惑っているようだ。


「これは何でしょう?」

「ワインではありませんわよね?」


 蝋燭の灯りの下では白ワインにも見えるそれは、しかし、明らかに香りが違う。

 口に軽く含む。

 舌に感じるのは酸味ではなく甘み。


「これは……ミード?」


 ざわり、と驚きが周囲に広がった。


 ミードは蜂蜜を材料にして作られる酒だ。

 蜂蜜を特産品とするノーマン辺境伯領では、ミードも作っている。

 だが、蜂蜜をさらに加工して作られるそれは、蜂蜜に輪をかけて貴重な物だ。

 高位貴族であっても滅多に味わえるものではない。

 実際に、この面々で味を知っているのはオリヴィアだけのようだった。



 その超高級品を、興奮気味に味わう面々を横目に、先ほどの給仕を視線で追う。

 驚くべきことに、ミードはオリヴィアたちに特別にふるまわれた物ではないようだ。

 他の給仕たちも気付けば同じ物を配っている。


 受け取った貴族が、白ワインだと思って飲んだのか、驚いて給仕に問いかけ、答えを聞いてさらに驚いているのが目に入った。

 無理も無い。

 宰相の娘として、国内貴族のトップに近い地位にあるオリヴィアでさえ驚いたのだ。

 他家の驚きはそれ以上だろう。




 ミードを、ワインのような気軽さで振る舞っているのだ。

 先ほどまでミードの振る舞いは無かったから、レーヴェレット家と共同歩調を取るとなったことで、もう一歩踏み込むことにしたのだろうか。


 だが、そうだとしても、それを即座に実行できる蓄えがあってこそだ。

 この夜会で、いったいどれだけの費用がかかっているのか。

 想像するだけで目眩がする気がした。




 これは間違いなく、参加者にとって一生記憶に残る出来事になる、と確信した。

 もちろん、良い思い出として。

 ノーマン家がそう狙った通りに。




 オリヴィアがそう考えた通りに。

 夜会が終わると、参加者は満足と興奮を胸に帰って行った。

 婚約破棄の不祥事など、むしろ良いスパイスくらいに感じていた。



 王家の威信は、崩壊の予兆を感じさせるほどに揺らいでいた。








 その夜、オリヴィアはなかなか眠れずにいた。

 今日見せつけられたノーマン辺境伯家の富の大きさ。

 あれほどの夜会は王家でもそうそう開くことはできない。


 金が無いということではない。

 蝋燭などはそもそもが貴重品のため、入手に時間がかかるもの。

 費用を払うことができたとしても、準備のために相応に時間も手間もかかるのである。

 それが、生産地だからと言って即座にポンと出てくるのは尋常ではない。


 ましてや。

 ノーマン辺境伯家の力の本質は、「富」ではないのだ。


 王家は、そのノーマン家と、今回の件で相当に関係を拗らせてしまった。

 これからどうすれば……と思いかけて、もう自分は王家と関係が無くなったことに思い至る。




 婚約破棄の場面が脳裏に蘇る。


 思い出すのはアルバートのこと。

 リオンに抗議をしている時に見えた後ろ姿。

 今思い返せば、その背中に頼もしさを感じていた。

 あの時、確かに自分は庇われ、守られていた。


 本人はおそらく意識していないだろう。

 それくらい、自分を見る視線に特別な色は無かった。


 だが、リオンに抗議したいだけであれば、彼はオリヴィアの前に出る必要など無かった。

 それくらいオリヴィアには何の関係も無い抗議内容だった。


 退出する際にも、自分をエスコートする必要など無かった。

 それでも、そうしてくれた。




「頼もしかったな……」




 その背中が。

 その腕が。

 思わず漏れた呟きに、自分で驚く。


 そして気付く。

 自分は誰かに守られるのが初めてだったことに。


 「小さな宮廷」たる学校内での派閥のトップとして、未来の王妃として、自分は常に守る立場だった。

 自分を守る立場に立つ可能性のある人物は、リオンだけだった。


 だが、リオンはずっとそうすることは無かった。

 彼にとって自分は、ただ疎ましいだけの存在だったのだから。




「羨ましいな……」




 初対面に等しい自分を、必要も無いのに守ってくれた。

 多分、彼にとって「誰か」を守る行為は考える必要も無いくらい体に染み付いていたのだろう。

 その「誰か」が羨ましかった。




 知らぬうちに鼓動を速めていた心臓が、ぎゅっと締め付けられたように苦しくなる。

 それが何なのか。

 オリヴィアはまだ知らなかった。

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