第3話

 「田沢さん、相手の情報なんかある?」


 「ねぇな~。弱小の鬼怒組だぞ? この間なんて引退して20年経ったパンチドランカーのジジイ連れてきたバカの組だぞ? あっさり殺しちまって……ホスピタリティってもんがねェよホスピタリティが」


 「へー、田沢さん中卒なのにそんな言葉知ってるんだ。ていうか、あんな奴なら田沢さんでも勝てんじゃない?」


 「俺は誰かさんのお陰でむち打ちだよクソッ! それに俺は見世物になって死ぬなんてごめんだよ」


 首にコルセットを巻いた肥満体の男は、そのままドカッとパイプ椅子に座るとスマホを開く。


 「えーっとなになに? ……あー、葦蘆鉄生、42歳。170㎝、130㎏。格闘技経験なし、前科一犯、傷害致死罪。オッズは……お前が1.1倍。それ以外何の情報もない」


 「だろうねー。だって立ち方が素人のソレだもん。ただの力自慢かな? それかただのリミッター外れてるバカ?」


 「バカさ加減ではお前に勝てるヤツなんていねェよ。一人で組にカチコミしかけるようなヤツはな、なぁ、龍名りな?」


 龍名と呼ばれた男は肩を伸ばしながら笑った。


 「あはは、でも俺のお陰で天神組の発言権も随分強くなったんでしょ? 人生、何かを得るには何かを払わなきゃ」


 「俺達は払いたくて払ったんじゃなくて押し売りされたんだよ、バカッ。……おらっ、じゃあアイツにもそれを教えてこい、このリングに上がったヤツは何を払わなきゃいけないのか――なァ、”風来龍”さんよォ」


 そう言うと田沢は透明な扉を、手に持っていた鍵で開ける。滑るように、音も立てずに中に入っていく龍名は、未だにざわめきのみで今一つ盛り上がらないアリーナに向けて、ただ――ゆっくりと拳を突き上げた。それだけで――


 


 「ーーーーーーーーーッッ!!!!!!!」




 会場は割れんばかりの歓声と嬌声と罵声に包まれた。轟々たる音は最早、”波”として四角いリングを揺らし、そして中にいる龍名は自身の腹底まで響く重低音を目を閉じて愉しんでいた。


 「んん~~いいね! 何回聴いても良いなって思うよ。アガるよね――アンタもそう思わない? 葦蘆鉄生さん?」


 首を傾けた龍名の視線の先、同じようにリングに上がってきた鉄生に、彼は軽薄な感じで話しかける。鉄生は、着の身着のままだったせいでジャージという出で立ちでありその上、肥満に見える胸と腹の膨らんだ姿と、しっかりとアンダーアーマーにハーフパンツで筋肉のカットが浮き出ている龍名との対比のせいか、鉄生がどこかみすぼらしさというか、精彩に欠けるというか、客観的に見ても、


 「――あのオッサン、殺されるぞ」


 とある客が呟いたように勝敗は決していたように見えた。事実、龍名も、


 「……何でこのリングに上がったの? 俺言っとくけど手加減しないよ? この間の18の子を殺したばっかだし。合法で殺せる場所って分かってる?」


 値踏みするように鉄生を見ていた。


 「戦えないのも嫌なんだけど、退屈な試合も嫌いなんだよねー。弱い者イジメは好きなんだけど、こっちはココには強いヤツとの戦いを求めて来てるわけなんだからさ……正直な話、ココもあんまりレベル高くなくてもう飽きてきてて、そろそろまた他のトコに移籍しようかなーって思ってんだよね……聞いてる? 俺の話」


 「いや、私に言われても……私は無理やり連れてこられてきただけなので……」


 「はぁー……。そういう感じ? もういいや、全然面白くない。死んでいいよオジサン。俺さ、アンタみたいなヌルい人、嫌いなんだよね。一応こっちは高い目標を持って日々生きてるワケ。なのにオジサンみたいな終わってる、何の目標もない人と時間を過ごすの無駄だと思うんだ。だから出来ればさ、俺が殴ったら一発で倒れてくれるとありがたいなー。マジで時間の無駄だから」


 喋りながら鉄生の前まで来ると、見下ろして、侮蔑するように彼のおでこを叩いた。


 「よろしくね」


 「……」


 何も言い返さない彼に、嘲笑を浮かべながら龍名は踵を返してリングの反対側へと歩いていった。


 「今日の客はいい試合を見に来たってより残虐ショーをお好みみたいだねー。俺言っとくけどやっちゃうよ? ブサイク嫌いだし」


 「いいんじゃねェ―か? そろそろお前もBクラスからAクラスに上がった方が良いと思うし。ここらで勢いつけて昇っちまえよ」


 「あ、そんなのあったっけ? じゃあまだまだ退屈しないかもなぁ。じゃあ速攻片付けてくるわ!」


 そう言うと龍名はオープンフィンガー グローブを装着し、またステージ中央へ向いた。


 それに対し、鉄生は未だにリングの端で俯いていた。


 「あの……私は本当に強くなんて…………」


 「いや~~ここまで来て言うのもなんだけどさ鉄生さ~ん? 多分本気でやらないと死んじゃうよ~~? 俺も死んでほしくないし教えてあげるけどさ~~、とにかく、対戦相手……龍名はハナっから全開で飛ばしてくるから、ん~、なんだろう、どうにか耐えて、そこからは流れで……」


 「役に立ちませんね……」


 「アハハ~~! 言うねェヤクザに向かって。あ、あと――首に気を付けて」


 「……え、何で――」


 彼が聞き直す前にリングに大音量の放送が流れ出す。


 「――さぁぁぁぁぁて!! 本日もやってまいりましたッ!! 今回の”廚くりや”は天神組と鬼怒組の提供でお送りしています!! 前置きはさておき、選手紹介といかせていただきましょーーーーうッ!!」


 耳も劈く大音響に、アキラはニヤつきながら両耳を抑えた。


 「お~お~、ウチの組を後に紹介するったァ、舐められてんなァ~~」


 「天神組~!! 182㎝、84㎏!! アイツの通った後は何も残らない! 今最も”Aクラスに近い男”はコイツだッ!! ”風来龍”の名の下に、今日も目の前の敵を食い散らせ!! 風鴎龍名ァァァァァァァァァ!!」


 龍名は紹介に合わせて手を振り、最後のコールでバク宙を見せる。それに対し――


 「鬼怒組~~!! 170㎝、130㎏っ、その力は未知数!! 素手で同時に三人を殺したその力は健在かッ!? かの”路地裏殺人事件”の真犯人ッ!! 葦蘆ォォッ鉄生ーーーーーッ!!」


 ――ただ小さく、会釈をした鉄生。二人の対照的な姿、片やキラキラと光り輝き、若さと自信に満ち溢れ、片や負のオーラと老いに支配されつつある姿。その対比と、また、紹介された時の文言に、


観客はつまらない消化試合から、残虐なショーが、暗い者が光り輝く者を汚すかもしれないという下卑た『もしかしたら』を期待して色めき立った。


 まるで会場全体から舌なめずりが聞こえそうな雰囲気と、いやに熱い視線を向けられた龍名は、それをすぐさま感じ、理解した上で、


 「イエーイ!!」


 会場を包む彼らにピースをした。一切負けるとも思っていない、若さ故の自信。その眩さは、闇に生きる彼らの目を焼くには充分だった。


 だが、それ故、


 「壊れるとこがアタシャ見たいよォ……」


 「殺せッ殺せッ殺せッ殺せッ殺せッ殺せッ殺せッ殺せッ……」


 「ひひひひ、余裕ブッこきやがってェ、顔が良いヤツが死にゃあいいんだよ」


 彼らの更に深い闇がさらけ出される。しかし、龍名からすればそんなものは雑音に過ぎない。彼は、


 (さーて、聞いた体重と見た目からすると、あの身体の殆どは筋肉ってトコかな? 立ち方歩き方からするに格闘技は習ってない、多分良くいる”生まれつき強い”ってヤツかな? そんなのは何人も倒してきたし、人殺したってのもその優位性っしょ? まぁ、慣れられる前に速攻で潰すか)


 冷静に彼我の戦力をシュミレーションしていた。彼にはこれまで培ってきた格闘技の経験と何人も打ち破ってきた自信がある。その彼を以てしても、目の前の敵にそれほどの脅威を感じ得なかった。


 「互いに武器は禁止です!! どちらかが倒れるまで試合は続きます!! いいですかッ、双方いいですかッ!? ――――――構えてッ!!」


 一瞬の静寂。龍名は目を薄く閉じ、鉄生は見よう見まねで拳を握り、両腕を構える。


 「――――――――始めッ!!」


 悲鳴のような開始の合図。先に動きたのは龍名だった。


 (緊張感無ェな!!)


 未だに棒立ちの鉄生に、数瞬で肉薄し、


 「――シャラァ!!」


 ただ真っすぐ行って――叩き込んだ。


 鉄生の顔面に龍名の拳がめり込む。一瞬の停止、僅かに仰け反った鉄生の顔面から鮮血が吹き出、


 「オラオラオラオラオラオラオラオラッ!!」




 鳩尾/貫手


 人中/中指一本拳


 秘中/肘打ち


 喉/虎口


 顎/正拳




 「アレだよアレ……。あの嵐みてェな連撃。アレを喰らうとな、大体全身が抉れてやがるんだ。それがまるでな、龍に襲われたみてェになんだよ」


 観客の一人が「終わったな」と呟いた。


 「ベースは空手か? どっちにしろ、あのオッサン終わりだろ。棒立ちで殴られてやがる」


もう一人の客がつまらなそうに煙草をくゆらせる。


 「あぁ、もう、終わりだな」


 最初に話し始めた客もスマートフォンを取り出した。傍目にも圧倒的な実力差に見える。それでも、龍名は攻撃をやめない。


 「オラァ!!」


 人体のあらゆる急所に拳を叩き込むと、彼はその場で跳び上がり、まるで踊るプリマのように華麗に回転し、打ち崩れかけている鉄生に回し蹴りを見舞った。


 「……ッ!?」


 着地した龍名は、一仕事終えたように一息吐き、


 「はい、いっちょあが――はァ?」


 終わりを告げようとしたが、とある異変に気が付いた。


 彼の予想では、既にもう鉄生が地に伏せ、血を吐いて見悶えているか息絶えているハズだった。だがしかし、現実は、


 「……いや、痛いねどうも」


 鼻と口の端から血を流しながらも、喉や身体のあちこちを擦って、何ともなく立っている鉄生の姿があった。


 「――手加減したけどまだまだやれそうなの、いいね!」


 (貫手を打った時の感触……脂肪というより筋肉の鎧かアレは? まぁ予想通り”生まれつき強いタイプ”か? 天然の……熊的な? 急所利かない的な説ある? いやいや無いっしょ!)


 軽口を叩きながらも彼我の戦闘力を再計算する龍名。鉄生の周囲を円を描くように、軽く歩きながら話し続ける。


 「簡単に壊れちゃお客さんも怒りだすからね~。だってほら――」


 「てめぇゴルァァァァァァァ!! 龍名ァァ!! 遊んでネェでとっととそのメタボジジィぶっ殺せよゴルァァァァァ!!」


 「――ほらね? 好き勝手言うでしょ? 必死に命張ってんのはコッチなのに勝手言うよね?」


 時間を稼ぎながら龍名は攻め手を考える。


 (言うても急所だよ? このまま焦らずアウトレンジで打ちつつ、効きそうな場所探すのがセオリー? ラッキーパンチ喰らわんように丁寧に……)


 「さて、と。休めた? 次行くけど、大丈夫?」


 「はい、大丈――ッ!?」


 抜け目なく鉄生の呼吸を読んでいた龍名は、鉄生が話し終わるより早く、疾風の如く走り出した。地を舐めるように。飛燕にも思える疾走で一瞬で肉薄。そして、


 「――シッ!!」


 地面を蹴りつけ、足裏から太腿、腰部から腕へと直線に力を通す。流した力を掌に込め、龍名は杭を打ち込むように鉄生の顎を地面から撃ち抜いた。


 (100%で打ち込んだし、これでもう――)




 「――え?」




 終わりだと思った。が、


 「…………?」


 龍名は見た。自身の腕の先、折れ曲がったように見える首の向こう側から、僅かに覗く獣の眼光。


 だがしかし、”風来龍”の異名を持つ彼も、超えてきた死線がある。この程度の事は既に予測済みであり、その先の行動も選択済みであった。


 「ならさぁ!!」


 掴んだ首を支点にし、力を込め、鉄生を見下ろすほど跳び上がる。 宙空から未だ倒れない鉄生を見下ろし、


 「こんなのどうよッ!!」


 脚の筋肉量は一般的に腕の3倍である。鍛え抜いた格闘家の蹴りは、時に直径20㎝程度の鉄柱を蹴り折り、指先は薄い鉄板を貫くと言う。特に恐ろしいのは部位鍛錬の結果、節くれだち絡み合った枝先のようにもなっていると聞く。その指先は一見すると脆そうにも見えるが、折れては繋ぎ、砕けては融け合い続けた結果、”身体の中で一番鋭い部分”にまで特化する事もあると言う。歯や爪よりも鋭く、そして頑丈であるとさえ。


 御多分に漏れず、龍名の足先は鍛え上げられており、まるでそれは嵐の中で煌めく竜の爪のようだった。その爪先を仰け反ったままの鉄生の顔面目掛けて――突き刺した。


 咄嗟に両腕でそれを防ぐ鉄生。電にも似た速度で振り下ろされるソレは、一撃一撃と、鉄生の肉を削いでいった。彼は、蹴り付けた衝撃を利用して再度宙に浮き、何度も何度も鉄生を突き刺していく。


 (打撃が利かないなら……!)


 「骨ほっといて肉を断つってワケ!!」


 瞬く間に朱く染まっていく両腕、それを見て僅かに龍名に安堵が浮かぶ。


 (天然で打たれ強いヤツってマジでめんどくさいんだよねぇ、でも、失血させれば……)


 「どんな人間でも意識はッ、保てないッ!」


 だが――。


 鉄生は、本来なら誰もが”経験した事のない上からの攻撃”に、防御を解いて龍名の脚を掴もうと手を伸ばし――掴んだ。


 「マジかよッ!?」


 右手だった。鉄生の右手が、龍名の左足――くるぶし辺りがひしゃげる程強く――を握り締めていた。


 激痛。だが、それも覚悟していたのは流石の試合巧者の龍名だった。センスとしか言いようのない先見力で、跳び上がる時には既に”こうなる事は分かっていた”のである。


 狙いは、


 「そこだ!!」


 腕を伸ばして相手を掴む瞬間、ガラ空きになる所がある。それは、肘の内側。龍名は、そこが空くようにワザと左足を掴ませた。彼の狙いは最初からソコであった。


 「ッシ!!」


 肘の内側――肘窩と呼ばれる部位は、採血でも選ばれるように、太い血管群が通る箇所である。そこには複数の静脈と、上腕動脈という太い動脈が通っている。それは、傷付くとまるで噴水のように出血し、そして速やかにショック状態へ誘われる。また、血管が多いという事は、それだけ神経も通っているという事だ。肘窩を通る神経群でメジャーなものは正中神経と橈骨神経、尺骨神経である。それらが損傷した場合、手指の麻痺、肘の屈曲が出来なくなる。戦いの中で精密性と感覚が失われることは致命傷であり――


 龍名の爪先が鉄生の右肘窩に深く、突き刺さった。


 ――敗北へ多く近づくことになるだろう。 


 あまりの激痛の為か、龍名を掴む右手が緩む――かのように思えたが。


 「………………マジかよ」


 龍名の深い悲嘆の声色は、鉄生の行動によるものだった。


 彼は、その右足すら、左手で握り締めていた。


 (普通痛みで離すだろ!? 人間なら反射で…………ていうか、右手……っ!)


 「緩んでっ、ねェ……!?」


 効いていないハズはない。その証拠に、刺さったままの爪先から、行き場を失くした暖かい鮮血が、圧力の押されて一筋二筋と噴き出つつある。


 「効いてるだろ普通――がッ!?」


 右足の踝が強く圧し潰され、龍名は唾と共に悲鳴を上げる。


 両足が掴まれ、まるで組み体操にも似た構図のまま固まる二人。しかし、一瞬の均衡は長くは続かず――


 「堪えてください」


 ――鉄生は龍名を、まるでテーブルクロスのように地面へと叩き付けようと振り下ろした。


 (~~~~~~ッ!?)


 頭の先端が最大の加速度を経て、そこへ集まるGを感じながら、龍名は火花がショートするように思考を巡らす。




 落ちたら/死ぬ


 脚/痛っ


 逃げ/無理


 掴/絶対に外す!




 瞬間で眼前へと肉薄する透明な床に、決定された思考は電光石火で身体へ命令を送る。それは――


 「んッ!!」


 ――回転する事だった。鍛え上げられた全身の筋肉を総動員し、身体の正中線を軸にして、回転する。腕を振り回し、あらん限りの力で独楽の如く回転した結果、鉄生の手は汗と血と回転で滑り、彼を手放さざるを得なくなり、


 (オマケだッ!!!!!!)


 その勢いのまま、最大加速された右足が鉄生の左頬を直撃した。


 本来ならば彼の頬を突き破るか、効かせるための正しい角度で打ち込まれていたであろう。しかし、鉄生の握力で言う事を効かなくなった右足はただ乱暴に打ち付けられただけであった。しかし、回転の恐ろしさ、威力は申し分なく、


 「――ぐっ」


 初めて、鉄生に苦悶の声を上げさせるのに成功した。


 龍名は回転を利用し、そのまま床に手を置き、するすると独楽のように回転し、ピタッと逆立ちのまま静止する。彼は、顔を抑えてゆらめく逆さまの鉄生に勝機を見出し、


 (脚は……多分使い物にならないね。だったら、このまま――)


 「いくしかないっしょ……!」


 ――腕を屈ませ、バネにし、再度飛んだ。その姿は、まさしく龍だった。

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