【短編】How wonderful day
吉岡有隆
1
暖かい毛布に包まれ、心地良さを感じながら眠気眼で目を覚ました。
毛布の匂いは日干しした牧草のような匂いがし、優也は自分の大好きな匂いにつられ毛布につい顔を埋めた。なんて幸せなんだ。ただ、毛布に付着していたうさぎの毛が動物性アレルギー持ちである優也の鼻を刺激し、鼻がむずむずしたので仕方なく優也は毛布から顔を出してくしゃみをした。
くしゃみをした事で完全に目が覚めてしまった。ぼんやり目を開けて周囲を見渡した。昨晩優也は自分の飼っているうさぎの茶太郎を自分の布団の上に乗せて少しの間茶太郎と戯れていた。
動物性アレルギー持ちなのにペットを飼う事を我慢出来なかったのだが、うさぎは愛くるしい生き物で飼って良かったと優也は後悔をしていなかった。両親もペットを飼う事を認めてくれた。
「優也、起きたの?」寝室の閉まった扉の向こうから声が聞こえた。母親の声だ。
「起きたよ」優也はそう言った瞬間、またくしゃみが出て思わず毛布を体から剥がし、ベッドの上で上半身を起こした。
コンコン、と寝室の扉をノックする音が聞こえた後、「入るわね」と囁くような優しい声が聞こえ、扉が半分程ゆっくりと開けられた。
開いた扉の隙間から中年の母親が顔を出してこちらを見たので、視線が合った。母親は年齢の割に若々しく見え、相変わらず細身の美人だ。優也とは似ても似つかない。
「朝ごはんが出来たから呼びに来たの。今日は休日だしもう少し眠る?」母親が優しく微笑みながら聞いてきた。
「いや」優也は再度出そうになったくしゃみを我慢し、右腕で鼻元を抑えると言った。「もう起きるよ。わざわざありがとう」
「今朝はサンドイッチとスープを作ったのよ。お父さんもまだ食べてないから、一緒に食べなさい。茶太郎にはもう餌はあげたから」母親はそう言うと笑顔で扉を閉め、廊下へ出て行った。
優也は起き上がりパジャマから私服に着替えた。自室から出るとまず洗面所へ向かい顔を洗うと、母親と父親の居る居間へ向かった。
「おはよう」父親がこちらを向いて声を掛けてきた。父親は居間の奥のダイニングテーブルの椅子に座り、何やら雑誌を開いて読んでいるようだった。父親は毎朝新聞を読んでいるが、今日は日曜だった事を優也は思い出した。
父親は身長が高く掘りの深い顔立ちをしており、笑顔をあまり見せないので一見不愛想なイメージを抱く。今は気難しそうな表情をしていた。だが実際に話すと性格は穏やかで、たまに天然な発言をする事を優也は知っていた。
ダイニングテーブルの上にはマグカップが置かれている。父親は朝食前と後に限らず、毎朝珈琲を飲む事が日課だ。優也がダイニングテーブルの父親の向かい側の椅子に座ると、母親が皿に盛られたサンドイッチとスープを持ってきた。
「ありがとう」優也は母親に礼を言った。
「いえいえ、そんな」母親は微笑んで軽くお辞儀をしたが、ふと気が付くと「やぁね」と言い、ダイニングテーブルの向こうのキッチンに戻って行った。
優也が苦笑いをしてサンドイッチに手を伸ばそうとすると、父親が雑誌をダイニングテーブルの上に置いて声を掛けてきた。「今日、釣りに行かないか?」
「釣り?また埠頭?」優也は父親と以前行った釣りスポットを思い出して聞いた。
「そうだ。この前のリベンジだ。昨日同僚から新しいルアーを貰ったんだ」父親は言った。
「お父さん、釣りなら餌の方が魚が取れるんじゃない?」母親がキッチンから声を出してきた。
「ルアーの方がコツを掴むと楽しいらしいんだよ。それに俺は虫が苦手だ」父親はマグカップを持ち珈琲を飲もうとしていたが、虫の話題になった瞬間顔をしかめて言った。
「あなた、食事中に虫だなんて」母親が言った。
「いいよ。俺も今日は釣りがしたい」優也はそう言うと、虫の話を気にせずにサンドイッチを食べた。
朝食後居間の横にある和室へ行くと、茶太郎がゲージの中で目を開けたまま静かに香箱座りをしていた。茶太郎は垂れ耳の茶色い小型のうさぎだ。既に餌入れの中身は空になっていたので、朝食を食べ終えて寝ているのだろうと優也は思った。
うさぎは夜行性で、野生のうさぎは外敵が近付いて来た時に素早く行動が出来るように目を開けたまま眠る事が多い。茶太郎はペットショップで購入したので野生だった時期が無いが、遺伝子に組み込まれた本能だろう。
優也はそっとしておこうと思ったが、一瞬考え直すとゲージの上の蓋を静かに開け茶太郎に手を伸ばし、優しく撫でた。茶太郎は目を覚ましてこちらを見上げたが、撫でられる事が好きなのか目を瞑って静かに撫でられていた。優也が茶太郎の口元を撫でると茶太郎は優也の手を舐めてきた。くすぐったい感覚が掌を転がる。優也はふと笑顔になっている自分に気が付いた。
こんなに穏やかな一日はいつぶりだろうか。
ペットを購入する事は長年の夢だったが、昔離婚した前妻はペットを飼う事を嫌がった。
優也と前妻との間に子供のあゆはを授かったが、あゆはがまだ幼いうちに離婚をしてしまった事を思い出した。あゆはの親権は前妻になった。理由は優也の残業と休日出勤の多さや家事が出来ない事が原因だった。
優也はあゆはとまともに遊んだ事がなかった。養育費を支払う代わりに月に一度あゆはとの面会を許されていたが、もう数年前から前妻はあゆはを連れて待ち合わせ場所に現れなくなった。原因は前妻に新しい彼氏が出来た事だという事はメールで聞いたので知っていた。前妻曰く、あゆはも「もうあなたに会いたくない」らしい。だが優也は養育費を振り込み続ける事は止めなかった。それは義務感からだった。
優也は再度うさぎの頭を撫でながら、あゆはの事ももっとこうして構ってあげられたら良かったと後悔をした。当時はあゆはへの愛情の注ぎ方が分からなかった。
優也は今後の養育費の事を考え、ため息を吐いた。
養育費は果たしてあゆはにちゃんと使われているのだろうか。男と遊ぶ事に使用されていないだろうか。そんな不安と、もはや前妻にもあゆはの事もどうでも良いと考えてしまっている自分に気が付き、優也は一瞬自己嫌悪に陥った。
優也は中卒で、高校には行かずに働いていた。理由は家庭環境が原因で進学が出来なかったからだ。前妻とは職場で知り合ったのだが、前妻は短大を卒業していたので優也はよく前妻に学歴で笑われた事を思い出した。
前妻はデリカシーが無く、優也の家庭環境を決して理解しようとはしなかった。最初は優しい穏やかな性格をしていると思っていたのだが、結婚をした後は性格の悪さが徐々に際立つようになり、陰であゆはに対して優也の悪口を言っている事は、あゆはの言動を見ていて明らかだった。あゆはは前妻に性格が似てきていた。
優也は一瞬頭痛がし、こめかみを手で抑えた。
「そろそろ出かけよう」父親の声が背後から聞こえた。
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