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 捜査一課の強行犯係に属する安倍と高松に出動がかかるということは、それ即ち人の生き死にが起こったというわけである。楽しい夜の時間を邪魔された安倍がプリプリと怒りながらも、高松の所有する空色のハッチバックに同乗して現場に着いたとき、その怒りは驚愕へと変わってしまっていた。

 安倍はまだ知らないが、殺人が起きた現場は警視庁から車で十分ほどの繁華街の裏路地にあるバー『ドミニク』。安倍が高松を誘ったバーであった。

 安倍はボソリと呟く。「どうなってやがる」

 高松は首を捻り尋ねる。「安倍さん? どうかなされたんですか」

「おまえを誘ったバーはここの通りにあるんだ。マスター、無事だといいんだが……」

 渋い顔をした安倍が少し離れた駐車場から現場へと向かう道すがら、私物のスマートフォンを使ってバーへ電話をかけるが、返ってくるのは電話線が繋がっていないときの不通音のみだった。焦りを隠せない安倍は歩く速度を無意識のうちにあげる。高松はその後ろを心配そうについていった。


「よっ、お疲れさん。現場は奥か?」

「お疲れ様です。はい、奥のほうで山曹警部と角警部補と夏好巡査長が臨場されていますのでご覧になればわかるかと」

 安倍らはバーへと続く通路に規制線を張って監視している現状を教えてくれた警察官に感謝の意を伝えて通路奥へと侵入する。なにやら落ち着かない様子の安倍は人気のない薄暗い道をテナントの看板を過剰に見たりすることで冷静になろうとしているのか、ゆっくりと浅い呼吸を繰り返して警官が集まっている場所へ先程とは打って変わって牛歩のように進む。

「安倍さん、無理そうなら待機されても……」

 高松が心の底から心配している声色で告げた。

「へっ、警官が知り合いがガイシャになったかもしれねぇって日和ってられるか」

 真っ青な顔色をした安倍が雑多に並んだビルの一つ、名勝ビルと掲げられた入り口を通ってフロントの部分に集まっていた捜査一課の面々と合流する。安倍の顔を見たそのうちの一人が眉を顰めながら高松に問う。

「おい、どうしたんだ安倍は」

「もしかしたら被害者が知り合いかも知れないらしくて……現場はどちらです?」

「あぁ、三階にあるバーの店内だ。名前はドミニクだったか」

 その言葉を聞くが早いか、弾かれたように安倍は階段を駆け上がって三階までものの数秒でたどり着く。はぁはぁと肩で息をして、現場保全用の手袋をすることも忘れた安倍がバーのドアを開いた。

 バーの中は入り口正面が見事なまでに高さ二メートル、幅一メートルと少しほどの穴が開口されており、換気扇など目ではないほどに風がびゅうびゅうと通り抜けていた。クレーン車の鉄球をぶつけるとこのような壊れ方になるのだろうかと、衝撃的な現場を見て冷静になった安倍は思った。

 カツカツと階下から階段を誰かが昇ってくる音が安倍の耳に届く。複数の足音が聞こえたので捜査一課の面々だろうと当たりをつけ、安倍は背広の内ポケットに入れていた白手袋を取り出した。


「安倍さん早いですって」

「悪い。冷静じゃなかった。もう大丈夫だ」安倍はかぶりを振って。「こんなド派手なパーティ跡を見せられたら頭冷えたわ」

 安倍は顎で高松にバー内部を指し示す。高松は室内のあまりの惨状に絶句して口元を手で押さえた。

「うわ……なんですか、これ」

「信じられんだろ? 山曹班長はもう公安の例の部署に回す準備してるよ」

 言葉をひねり出した高松へ、先に臨場していた山曹の判断を角は二人に伝える。それは遠回しな撤退判断であった。

「いや、まだ奴さんたちの領分と決まったわけじゃ」

「じゃあ聞くが、おまえはコンクリの壁を一撃で爆薬も使わずにブチ抜けるのか?」

「ははっ」と安倍は笑い飛ばす。「無理ですわ。できたら人間じゃない」

「ほら、答えが出たじゃねぇか」山曹班の角は顔を歪めていう。「庁内も案件抱えまくってクソ忙しいんだから特記案件にリソース割けねぇよ」

「それは否定しませんがね……」

 言外に納得できないと示した安倍は風通しの良い店内をぐるりと見渡す。既に死体は運び出されてしまっているが、地面にはテープで死体位置がチェックされていた。その白線テープの違和感を安倍は角へ尋ねる。胸のあたりで白線テープが二重になっていたからだ。

「これ、なんで上半身と下半身で二重にバミってんすか」

 安倍の指摘に角は口元を押さえて、思い出したくもないと言わんばかりに天井を見つめながら答える。

「ああ、それな。そのままの意味だよ。上半身と下半身が真っ二つだったんだ」角はちょうど肺の当たりを人差し指でツツッとなぞる。「ここからここまでバッサリな」

 眉を顰めた安倍は角に重ねて尋ねる。

「えぐいですね……凶器はなんですか?」

「鑑識の見立てでは刃物じゃない」

 角はひとつ息を呑んでいう。

「まるで膂力に任せて引きちぎったみたいだってよ」


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