1日目

ミラーガラスの向こう側に少女が立っている。一つに結んだ長い黒髪を、忙しなく揺らしながら、辺りをキョロキョロと見ている。少女の背中には黒い翼、手には鋭い爪が生えていて、とても恐ろしい。だが、それ以外は美しさと可愛らしさを両立させたような顔立ちをしている。

クレマンは、1度深呼吸をしてから、ガラス越しに声をかけた。

「こんにちは。君の名前を教えてくれるかな?」

少女からは、こちらが見えていない。できるだけ穏やかに、優しく問いかけた。

「だれ?ここどこ?」

「俺は研究員のクレマン。ここは研究所だよ」

「なんの研究所なの?」

「君たちのようなモンスターを研究する施設だよ」

「僕の名前、なんだっけ……」

「君は、この研究所が造られて最初に保護されたんだけど、酷い怪我をしていて数十年間眠っていたんだ。まだ記憶が戻ってないみたいだね」

少女は困惑したように、自分の髪や翼を触っている。

少女は、研究所設立当時ただの研究員だった現在の所長に保護された。保護した時には意識がなく、全身火傷だらけだったらしい。少女の倒れていた場所には、元々村があったのだが、保護当時は焼け野原になっていた。そして、その場所こそが、この研究所が建っている場所だった。

「うん、何も覚えてないよ。でも、なにか大切なことを忘れてる気がするんだ」

少女は自分の翼をいじっている。

「一時的なものだと思うから、ゆっくり思い出していけばいいんだよ」

「そう?じゃあそーするよ」

少女は素直に頷いた。

「それじゃあ、起きて早速で悪いんだけど、君の研究を始めてもいいかな?」

「研究?面白そうだね。なにするの?」

クレマンは、少女の笑顔に安堵した。

「まずは、君の反射神経を知りたいんだ。目の前にある機械からボールが飛び出すから、キャッチしてね」

少女が頷いたのを見て、ボタンを押した。少女の方へとボールが飛んで行った。少女は簡単にキャッチした。

「おぉ!すごいよ!反射神経がいいんだね!」

「……僕、なめられてる?」

少女はゴムボールを握りつぶした。部屋の中にボールの潰れる音が響いた。

「なめてなんかいないよ。最初の実験は簡単なものからしないといけないんだ。君の力もわからないからね」

「もっと難しいやつやってよ。僕、人間とか動物とかを殺すの得意だよ!」

少女は無邪気にそう言った。クレマンは1度深呼吸をして恐怖を殺してから、務めて優しく少女に語りかけた。

「そうなんだね。でも、人を殺す実験はやっていないんだ。次の実験は……」

「つまんない。僕、飽きた」

クレマンは息を呑んだ。あちらからは見えていないはずなのに、少女と目が合った気がしたからだ。

「そ、そっか。じゃあ休憩にしよう。お腹空いてるんじゃない?ご飯を用意するよ」

恐怖を消して、できるだけ冷静な声で語りかけた。

「ご飯!うん、お腹空いた!」

少女は嬉しそうに微笑んだ。クレマンはその笑顔に安心感を覚え、他の研究員に食事の手配を頼んだ。

「なにか食べれない物とかはないかな?食べたいものもできる限り用意するよ」

「食べれないものはないよ!好物は……人肉かな!」

少女の赤い目が不気味に光った。冗談を言っているようには見えない。

「それは用意できないよ。他の肉でもいいかな?」

「やだ!それが食べたいの!」

少女は人間の子供のように駄々をこね始めた。クレマンの考えでは、少女の要求はできる限り叶えてやりたかった。だが、この要求は絶対に通らないだろう。

「まぁまぁ、ここのお肉は美味しいから……」

少女のいる実験部屋の床に、大きな亀裂が入った。恐竜のような巨大生物が暴れても壊れなかった床が裂けている。

「ここにいても楽しくなさそうだし、僕、ここから出る!」

少女は、血のような目でしっかりとクレマンを見つめた。見えていない、はずだった。

少女がこちらを睨んだ。ミラーガラスが割れた。車で体当しても壊れなかった特殊に強化したガラスを、少女は睨んだだけで壊した。脱走を知らせる警報音が鳴り響く。

「お、落ち着いて。このままだと、警備隊が来てしまうんだ。君を傷つけたくない、お願いだから大人しくしていてくれ」

クレマンは焦りながらも、笑顔で語りかけた。少女はクレマンの方に近づいてくる。

「君がクレマン?直接会えて嬉しいよ」

少女は笑顔でクレマンに手を伸ばした。

「クレマン研究員!ご無事ですか!」

扉が開き、警備員たちが入ってきた。手には銃を持っている。

「無事だよ。その武器を……」

「怪物が外に出ている!全員戦闘態勢をとれ!」

警備員達が銃を構えた。少女から笑顔が消えた。

「君たち、邪魔」

少女は1度腕を横に振った。警備員達の腕が消えた。銃が地面に落ち、腕の消えた体の断面から血が滴った。数秒の沈黙が流れた。

「う、うわぁぁぁ!」

警備員達が絶叫した。ある者は泣き出し、ある者は恐怖か痛みから失神している。

少女はクレマンに向き直った。

「君の服、白いね。うーん、なにか思い出せそう……」

唸りながら少女はクレマンの服を触った。クレマンは驚いたが、少女を刺激しないように震えないように我慢した。

「お、思い出すまでは、ここに居たらどうかな?人肉は無理だけど、他の食べ物なら用意するよ」

少女の触ったあとの白衣には、血がついている。クレマンは、それを見ないようにしつつ、震えながら微笑んだ。

「ま、そうしようかなぁ」

少女は、白衣から手を離し、元の部屋へと歩き出した。クレマンは胸を撫で下ろし、警備員達のために医療班に電話をした。

少女が振り返った。クレマンの胸を、再び恐怖が蝕んだ。

「ちょっとだけ思い出した!僕、誰か殺したい奴がいたんだ!」

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