第28話 卒業式


『はい、明栖北高等学校です』

「3年B組の、香西ヒロです。迫河──先生、お願いします」

『はい、ちょっとお待ちくださいね』


 スマートフォンのスピーカーの向こうで、クラシック音楽の保留音が流れる。

 自分の気持ちを自覚して、良かった面もある。

 今まで、発作の原因が不明だったので、男性との接触は極力避けてきた。

 だけど、自分自身の気持ちの問題なら、迫河とは安心して電話で話せることがわかった。

 さすがに、担任に電話連絡できないとか不便すぎるからな……。

 

「にゃおん」

「倫太郎、電話中だから、ちょっと待ってな」


 膝の上に乗ってきた倫太郎の頭を撫でると、そのまま膝の上で大人しくなった。

 

『はい、お電話代わりました、迫河です』

「迫河……。ちょっと、相談があるんだけど──」


 オレは、自分の正直な気持ちを伝えた。

 卒業式に出たい。みんなと一緒に卒業したい。

 それすらもわがままだろうか?

 

『それは……俺としても嬉しいし、そうしてやりたい……。だが……学校としては……許可、できない……。責任が取れないからだ』


 迫河は、言葉を選ぶように答えてくれた。

 

「そっか……」


 考えてみたら、当たり前だよな。

 卒業式で倒れられでもしたら、学校も困るだろう。

 迫河は、リモート授業の時も尽力してくれたし、これ以上、迷惑かけるわけにはいかないか……。


『だけどな』


 諦めて通話を切ろうとした時、迫河が言った。

 

『自己責任、取るつもりなんだろう? おまえは』

「それは、もちろん」


 万が一のことがあっても、学校側に責任を問うつもりはない。

 山本先生にも事前に相談するつもりだ。

 

『なら、別に学校じゃなくてもいいわけだ』

「えっ、それって──?」


 *


 三月一日、卒業式当日。

 オレは、母校の卒業式に出られなかった。

 迫河の言ったとおり、万一のことを考えてだ。

 しかし、迫河はこんな提案をしてくれたのだった。

 

 その放課後。

 オレはるきあと一緒に、制服姿で迫河の指定してきた場所にやってきた。

 市営の文化センターだ。

 卒業式の後の打ち上げのような名目で、この会場を借りてくれたというのだ。

 しかし、オレはこのままだと入れない。

 鳴沢に会うと、発作が起こる可能性があるからだ。

 でもオレは、みんなと卒業したい。

 医大に行く夢は遠のいたけれど、ちゃんと卒業したい。

 だからオレは……。

 用意したアイマスクで目隠しをして、るきあに手を引いてもらい中へ入って行った。


 真っ暗で何も見えない。るきあがいなければ会場に辿り着くことすらできないだろう。

 会場の扉を開けると、すでにクラスのみんなは集まっているらしく、ざわざわと喧騒が耳に入ってくる。

 

「おっ! きたきた!」


 そんな中でも、晶の声が目立っていた。

 

「香西のやつ、なんで目隠ししてるんだ……?」

「さあ……?」


 クラスの男子が、ひそひそと話しているのが聞こえた。

 

「香西、よく来てくれた」


 迫河の、低い声が頭の上から聞こえた。

 

「迫河……。ありがとう、こんな場所を用意してくれて。学校じゃできないって、そういう意味だったんだ?」

 

「まあ、俺もおまえに言われるまでは思いつかなかったけどな!」


 明るい声ののち、急に真剣な声のトーンになった。

 

「本当に、大丈夫なんだな……?」


 オレの体調を気遣ってくれている。

 本当にありがたい。

 あの時、るきあに言われて仕方なくだったけれど、迫河に話しておいて良かった。

 

「うん、今のところは」


 視界が真っ暗の中、オレは体育館のステージを思い浮かべる。

 ここには階段があって、それを登ると演台があって……。

 オレは演台の前に立って、その向こうに迫河がいる。

 そんな想像をしながら、るきあの誘導する通りに移動して立ち止まると、るきあがスッと手を離した。

 

「卒業証書授与──香西ヒロ殿」


 マイクを通して、迫河の読み上げる声。

 

「あなたは本校で所定の課程を修め、その業を終えたのでこれを証します」


「ありがとうございます」

 

 両手で卒業証書を受け取ると、後ろからみんなの拍手が降って来る。

 オレだけの卒業式。オレのために、ありがとう。


「香西、本当に卒業できて良かった。ドイツへ行っても、頑張ってくれ」

「うん」

「最後に、みんなに何か言う事はあるか?」


 そう言って、迫河はマイクを渡してきた。

 卒業証書を一旦るきあに渡して、マイクを持つ。

 

「最後……」


 そうか……オレがオレ・・でいられるのは、もう最後なんだ……。

 最後に……言いたい。


「迫河……先生」


 オレが言うと、周りがどよめいた。

 きっと、迫河もびっくりしていると思う。

 

「迫河じゃなかったらオレ……卒業できなかった。だから、ありがとう……!」


 わざとらしく、大袈裟に言いながら、深く頭を下げた。

 顔を見ながらだったら、きっと恥ずかしくて言えなかったと思う。

 目隠しの効果がこんなところで役に立つとは。


「ばっか……おまえ……最後でこんな……。反則だぞ……。笑って見送ろうと思ってたのに……」


 迫河からの返事は、声が掠れていた。

 るきあが、「先生、泣いてるよ」と、耳打ちしてくれた。

 そして、今度はみんなの方を向く。

 伝えたい。

 今のオレが言える、精一杯の言葉を。

 

「最後にみんな……。3年B組のみんな・・・ーー!!」


 マイクに向かって、叫んだ。

 キーン、と一瞬だけ音がハウリングする。

 

「俺は、ドイツへ行って病気を治してくる! 絶対に治してくる!! 今までありがとう!!」


 大きく息を吸い込んで、

 

みんな・・・──大好きだーーーー!!」


 力の限り叫んだ。

 この会場のどこかにいる、彼に向かって。

 言い終えると、クラスのみんなからの拍手と歓声が、ワッと上がった。


 緊張の糸が切れて、手足が震える。

 大丈夫、みんなに向けた言葉だから、大丈夫。

 そう自分に言い聞かせていたけれど、息が苦しい。

 軽く目眩がして、るきあに支えてもらった。

 

「ごめん、迫河。……後は頼んだ」

「無理するな」

「うん……」

「ヒロ、行こう」


 るきあに支えてもらいながら、出口に向かう。


「みんな、香西はちょっと疲れたみたいだ。今日は、集まってくれてありがとう。俺も、みんなが大好きだ!」

「うおーん、迫河先生〜」

「ちょっと、瀬戸君、泣きすぎ!」


 会場の扉を閉める時に、そんな会話が聞こえてきた。


 *

 

 外に出ると、暖かい春の日差しに包まれた。

 遠くの方で、車の行き来する音や、小鳥の声なんかも聞こえる。

 目隠しを取ったけれど、目眩はなかなか治らず、るきあに頼りっぱなしだ。

 こんな自分を情けなく思う。だけど……。

 

「ヒロ、大丈夫……?」

「……うん」


 外にあったベンチに並んで座り、るきあの肩にもたれかかる。

 

「るきあ、オレ……言えたよ……」


 まだ足が震えてる。

 いつもなにかの発表などで人前に出ると、始まる前よりも終わった後の方がこうなってしまう。

 

「言えたよぉ……」

 

 だけどこのことだけは、自分を誇りに思いたい。

 聞こえただろうか、聞いてくれただろうか。

 そう思うと、呼吸がヒュッと苦しくなってしまう。

 ああ、だめだ。今はまだ、彼のことを考えることができない。

 泣きそうになってたら、るきあがぎゅっと抱きしめてくれた。

 

「うん……がんばったね……」

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