第8話 お人好しの親友 瀬戸 晶



「俺、Aランチ!」

「あっ、こら! A定は500円もするんだぞ!?」


 テストが終わった翌日の昼休み、学食の食券機の前で晶がAランチのボタンを指す。

 一番左上にあるそれは、学食内で最も価格が高いことを示している。

 

「いいじゃん、この間のお返しなんだから」

「うう〜、財布がピンチだ……」


 兄貴から毎月生活費を振り込んでもらっているとはいえ、高校生のお小遣い事情は厳しい。

 しかし、先日は兄妹で課題を手伝ってもらった上に、家でご馳走にまでなってしまった。

 これは謝礼という名の交際費。必要経費なのだ。

 オレは、自分の昼食に真ん中にあるチキンカレー250円のボタンを押した。

 

「なあ、明日休みだし、るきあちゃんと一緒に遊びにこねぇ? 来たいって言ってただろ?」

「うーん……。受験生が遊んでていいのかな?」

「もちろん、勉強もする! そして徹夜でゲーム!」

「晶はそっちがメインだね」


 ケラケラと笑っていると、

 

「なになに? 何の話?」


 噂をすれば。

 るきあがうどんを乗せたトレイを持ってやってきたので、ついでに晶の家に行けるかどうか、訊いてみた。

 

「えっ、いいのー!? こないだ仲間外れだったから、ちょっと寂しかったの!」


 まだ気にしていたらしい。

 倫太郎をどうするかという話をるきあに言ったら、当日篠さんが預かってくれることになった。



 土曜日の昼下がり、るきあと一緒に晶の家にやってきた。

 家の方だと集中力が散漫してしまうということで、一階の喫茶店で隅の席を使わせてもらえることになった。

 店内は聞き覚えのあるクラシック音楽がゆるやかに流れ、コーヒーの香りがする。お客さんは二組ほどだ。

 住宅街の喫茶店だからか、休日はそんなにお客さんがいないらしい。

 三人で机を囲んで勉強していると、愛ちゃんがコーヒーを淹れてくれた。

 いろいろとブレンドを試しているらしく、メニューにないコーヒーだと言う。


 ほろ苦いコーヒーを半分くらい味わったところで勉強を再開するが、少しお客さんが増えてきて、オレ達は晶の部屋に退散する。

 またも美味しい夕食をご馳走になってしまい(もちろん手伝った)、その後は……。


「徹夜でゲーーーーム!」


 コントローラーを持って、晶はテンション上がりっぱなしだ。

 本当に徹夜するのだろうか。

 四人で対戦できる格闘ゲームから始まり、パズルゲーム、そして疲れてきた頃にすごろくゲームに移った。


「次、るきあちゃ……あれ、るきあちゃん、寝ちゃってる」


 愛ちゃんが、るきあの顔を覗き込んで言った。

 ついさっきまで騒いでいたのに。

 るきあはコントローラーを握ったまま、うつらうつらと船を漕いでいた。

 もう時刻は午前一時を過ぎている、無理もない。

 

「私、お布団敷いてくるね」


 と言って、愛ちゃんは部屋を出て行った。

 ……ん? これはもしかして、泊まり決定パターン?


「晶、オレ達はもう少しゲームする?」

「いやぁ、さすがに俺ももう疲れたわ。おまえも泊まっていくよな?」


 晶は、大きくあくびをしながら言った。

 徹夜でゲームするって言ってたのは、誰だったかな……?

 るきあを置いていくわけにもいかないし……オレは観念して晶の家に泊まることにした。


 

 緊張して、なかなか寝付けなかった。

 晶は、隣のベッドでイビキをかいて寝ている。

 能天気だなぁ……と思いながら目を閉じていると、やがて雨の音が聞こえてきた。

 ポツポツと鳴るその音が妙に心地よくて、オレもようやく眠りについた。


 慣れない布団ということもあって浅い眠りだった。

 どれくらいの時間が経っただろうか。隣で、どさっ、という音が聞こえて寝ぼけ眼でそちらを見ると、晶がベッドから落ちていた。

 

「晶……落ちてるよ」

「ううーーん……」


 オレも眠くて、力なく言葉をかけるが、晶は起きない。

 それどころか、寝ぼけてオレの布団に入ってきて、抱き枕のように絡みつかれる。

 これはまずい……!


「晶! 晶っ!」


 慌てて大声で起こすが、失敗した、と思った。

 起こさなければ、まだなんとか誤魔化せたかもしれないのに。

 はっきりと起きてしまった晶は、おそらく気づいてしまった。

 焦って離れて、オレを見る目が、明らかに変わっていたのだ。

 

「ヒ、ヒロ……おまえ……」


 晶の目が怖い。

 息が苦しくなりそうだった。

 オレは、発作が起きてしまうことを恐れて、晶の部屋を飛び出した。


「え、えっ? ヒロ!?」


 真っ暗な廊下へ出ると、愛ちゃんと鉢合わせしてしまった。


「きゃっ!?」

「わっ!?」

  

 お手洗いにでも行っていたのだろうか、オレは愛ちゃんの上に倒れ込んでしまう。

 

「いたたたた……」

「ご、ごめん! 大丈夫!?」


 すぐに離れたが、後を追ってきた晶にぐいっと腕を引っ張られた。

 

「何やってんだよ、ヒロ! 愛から離れろ!」

「ご、ごめん……」


 ん、ん? 晶がそう言うってことは、バレてない……のかな?

 

「お兄ちゃん、私は大丈夫だから」

「なぁに〜? どうしたの〜?」


 さすがに騒がしかったのか、るきあが目をこすりながら起きてきた。

 愛ちゃんから借りたのだろう、パジャマ姿だった。

 晶の部屋にも戻りづらいし、どうしようかと悩んでいると、

 

「こら! 何時だと思ってるんだ! 静かにしなさい!」


 と、扉の向こうから晶の父親に注意された。

 

「ご、ごめんなさい〜」


 声を揃えて謝ると、晶が再び厳しい表情になった。

 ああ、だめだ。やっぱりバレている。

 

「ヒロ、きっちり説明してもらうからな」

「えっ……? もしかして……」

 

 るきあが、オレと晶の顔を交互に見て困惑していた。




「あたしから、説明するね」


 るきあと愛ちゃんに、晶の部屋に来てもらい説明を始める。

 雨音はだんだん強くなり、大粒であろう雫が、部屋の窓を叩きつけていた。

 

「ヒロは、とても珍しい病気に罹ってて……。どういう症状かと言うと、”男性に女性として扱われる”と、 発作が起きるの。極端な話、男性から告白されると、死んでしまう症例も過去にあったんだって。だから、性別を偽って生活してるの……」

 

 晶と愛ちゃんは、るきあの話を真剣に聴いてくれた。

 

「うーん、なるほど……。しかし、わからん事がある」

「な、なにかな……?」

「その、”女性として扱うと”ってところ。告白されたらヤバいってのは、わかるんだけど……。その他のボーダーラインっていうの?」


 晶が疑問に思うのも当然だ。実のところ、オレにもはっきりとはわからないのだ。

 

「えーっと。たとえば、重い荷物をさりげなく持ってあげるとか?」

「俺、本当に大変そうなら、男でも手伝うし」

「あとはー。さりげなく、車道側に立つとか?」

「いや、それも本当に危ないと思ったら相手が男でもやるな……」

「それは、晶くんだからだよ。世の中、晶くんみたいな男の子ばっかりじゃないからね?」


 るきあが引き続き答えてくれたが、解決には至らなかった。

 晶は人が良すぎて、参考にならない。

 

「実際、ヒロが発作を起こした事はあるのか?」

「あるよ。えっと……」


 るきあが言いかけて口を噤んだので、オレが説明する。

 

「軽めの発作は、今までにも何度か。でも、一番やばかったのは──十年前、かな」

「そんな前から!?」

「あの時は、たしか────っ!」


 言いかけて、一瞬だけ呼吸がひゅっと苦しくなる。


「ヒロ! 無理に思い出そうとしないで! 発作が出ちゃう!」


 慌ててるきあが、背中をさすってくれた。

 

「なんか……大変だったんだな……。ヒロも、るきあちゃんも」


 そんなオレ達の様子を見て、晶はポツリと呟くように言った。

 前向きに考えよう。バレたのがこの二人でよかった、と思わなければ。

 この病気は、他人に知られるとふざけて試してくる人もいると、兄貴から厳しく言われている。

 晶も愛ちゃんも、理解のある人で良かった。


 そういえばオレ、晶にバレた時発作が起きるかと思って逃げてしまったけど、大丈夫だった。

 事故だったからだろうか? と、その辺りをるきあに説明すると、


「あっ、わかった!」


 るきあが、ポンと手を叩く。

 

「晶くん、愛ちゃんの事が好きすぎて、他の子が目に入らないんじゃない!?」

「るきあちゃん! 本人の目の前で、公開告白やめて!!」


 態度からしてバレバレなのに、まだ告白していなかったのかと思う。


「お、お兄ちゃん……」

「ま、愛……」

 

 晶と愛ちゃんは、赤くなって見つめ合う。

 こらこらこら、オレ達の前で二人の世界に行くのやめなさい。

 この空気をどうしようかと思っていると、愛ちゃんが急に立ち上がった。

 

「ご、ごめんなさいっ! おやすみなさいっ!!」


 恥ずかしさに耐えかねたのか、部屋を出て行ってしまった。

 

「い、今のはアリなの? ナシなのー?」

「さ、さあー?」


 涙を流す晶に、るきあは笑顔でフォローしていた。

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