005 名前を訊くこと
「あ、ボッチくん、結局入ったんだー!」
そう熊沢さんは言って文芸部の錆びれた扉を開けた。何やら補正がかかっているかもしれないが、僕の耳には紛うことなくこのように聞こえたのだから仕方がない。
それに仮に補正が掛かっていたとして何だというのか。僕は自他共に認めるボッチであり、非リアであり、陰キャである。だから、たとえ"西川くん"に"ボッチくん"と振られていたとしても事実であるのだから仕方がないと諦めるしかない。
と、柄にもなく少しばかり格好つけてみるが、実際のところは上手く状況が掴めていなかった。
"結局"ということは、僕が文芸部に入るかもしれないというのをある程度予期していた訳である。
で、そうなった時、
「もしかして、熊沢さんも文芸部の部員だったりするの?」
軽く話を振ってみる。繰り返すようで、申し訳ないが、ボッチで陰キャの僕でも人と話は出来る。別にコミュ障って訳じゃない。
「違うよ、私はバド部。文芸部には入っても良かったけど、色々と付き合いでね」
まぁ、文芸部員でないことくらいは知っていた。何なら、今熊沢さんが着ているのがバド部のジャージだったりするもん。だが、そんな見ただけで判るような質問をする僕に腹を立てない熊沢さんはきっと優しいのだろう。
それとも、僕が捻くれているだけで、世間一般ではみんなそうなのか……。
いや、撤回。身近に性格が酷いのがいたわ。戸籍上は栞里さんより断然に近いけど、心理的距離は栞里さんの100倍くらい遠い身近に。
「ふ〜ん。じゃぁ、どうして、ここに僕がいると?」
「ああ、しーちゃんに借りてた本を返そうと、思って」
ありがと、と栞里さんに本を返す熊沢さん。
「どうだった?」
「う〜ん、〇〇(伏せ字ではなく、単に聞き取れなかったのだ。何やら初聞では覚えられない小難しいカタカナだった気がする)は可愛かったけど、前巻の方が熱かったかなって感じかも」
「やっぱ、ゆきピーもそう思ったかぁ。そうだよねぇ……」
目の保養になりそうな女子2人が感想会を繰り広げる横で僕は違うことを思っていた。
——もしかしてなんだけど、熊沢さんって頭が弱い……?
僕の数秒前の記憶が正しければ、僕は「ここに僕がいると判った理由("結局"からの推察だ)」を訊いたはずである。しかし、返ってきたのは「熊沢さんがここにいる理由」だった。熊沢さんが優しく感じられるのは、単純にバカな子だからなのか……?
僕の隣で話に花を咲かせる熊沢さんは、僕がなかなかに失礼なことを考えているとは気付いていないご様子。
——というか、2人ってなかなかに仲がいいんだな。
何せ、本を貸し借りするわ、<しーちゃん>、<ゆきピー>と渾名で呼ぶわの仲である。
ともなれば、熊沢さんが"結局"と言ったのにも2つの仮説が立つ。
1つ目。
しーちゃん、こと栞里さんが僕が文芸部に入ったことを熊沢さんに教えた。どういう状況でどんな理由を持っていったらそうなるのか皆目見当もつかないが、何分行動の読めない栞里さんのことである。
「ねえゆきピー、ゆきピーと同じクラスのシュー……じゃなくて西川くんっていう男子が文芸部の廃部危機を救ってくれたんだけど、知ってる?」
「あー、うん、名前だけ? 印象というか影というか、生気? が薄い男子だよね……」
「うん、多分それだよ、それ」
的な会話が僕の知らないところで繰り広げられていても不思議ではない。というか普通にありえる。合理的にあり得る。
だが、この場合"結局"につながるところがないので、熊沢さんの中では、上記の会話をした時点では栞里さんの言う『廃部危機を救ってくれた』は仮入部かなんかで、どうせ栞里さんの色気にのぼせ上がってか、もしくは変に勘違いして告って玉砕して入部しないだろう! と思っていたと付け加えておきたい。
2つ目。
しーちゃん、こと栞里さんが廃部危機に顔を真っ青にしながら、1年に適当な人材がいないか頼った場合。
「あ、それなら、いっつも? 本を読んでいる適任がいるよー」
この時、普通ならば、名前を聞いておくべきと思えるが、聞き忘れた、あるいは言い忘れたのかもしれない。
そうでないと、僕と栞里さんが初めて会った時、僕の名前を聞いたことに説明がつけられない。
まぁ、これもまたあの栞里さんのことだ。何か思いも付かない理由を出してくるのかもしれない。
「あ、そうそう、なんで西川くんがいるって知っていたか、だっけ?」
もちろん。その話をしているはずが、どうしてか、あなたたちが貸し借りしていた本の話になったのです。
「しーちゃんがね、前に『あー(この"あ"にはきっと濁点が付いていたね!)、文芸部が廃部の危機だよ、ゆきピー。今年新入生が入ってこなかったら、冷暖房完備、コーヒー飲み放題の安寧の地から追い出される。ほんとね、
「ゆきピー、捏造はよくないと思うよ?」
「えへへ……」
なんだこれ?
「でも、なんかそんな感じで、私に人材派遣? を依頼してきたから西川くんはどう? って勧めたの!」
パターン2の方だったか。
「だから、『結局、入ったんだ!』という言葉になったのか」
「シュー、ゆきピーはいいけど、声真似キモいよ」
「それはそうと、どうして初めて会った時、僕に名前を聞いたんですか?」
「だって、なんか、運命の出会い的な感じがしてよくない?」
これが、栞里さんという人である。
——あとがき——
なんだ、この回。
何を読まされたんだ、と思った方がいましたら、多分正しい感想だと思います。
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