生まれ堕ちた神の子ルシファーは平和を望まない
塩砂糖
第1話 新世界『リンカーネーション』
「今から四〇〇年前、我らの母なる星『地球』では、人間同士の醜い争いが起きていました。緑あふれる大地は枯れ果て、青き美しい海は赤く染まり、もはや人間が住めるような土地ではなくなってしまったのです。それに怒った水神様は、空に水の膜を作り愚者を閉じ込め、水神様に選ばれた聖なる者達がその上に住まうようになりました」
「これって私達の事ー?」
「ええそうよ。私達は水神様に選ばれて、この安息の地に住まわせて頂いているの。だから、オリビアも水神様にたくさん感謝しなくちゃいけないのよ」
短い両手を大きく伸ばして、水神様へ感謝を名一杯表現する。
「水神様さいこ~! で、続きは続きは?」
「まったくこの子ったら……」
感謝の気持ちがこもっているのかいないのやら。続きを急かす娘に愛らしさを感じるもやはり少し困った顔を浮かべ、その少し桃色がかった銀髪の頭を優しく撫でた。
「やがて、人間達は上界を新世界(リンカーネーション)、下界を終末世界(アポカリプス)と呼ぶようになりお互い干渉することはなくなりました。そして、終末世界(アポカリプス)はひっそりと滅んでいきました。……そして、新世界(リンカーネーション)ではその地に一人、水神様の声を唯一聞き届けることができる神の申し子が誕生するようになり――――。……あら、もう寝ちゃったのね。じゃあ、この絵本の続きはまた明日。おやすみなさい、私の愛しいオリビア――――」
涙が出てしまうほど懐かしく温もりと優しさに満ちた大切な人の声。オリビアの感情とは正反対に意識はどんどんと覚醒へと向かっていく。
ああ、いやだ。まだ傍にいたい。もうおいてかないで――――。
「おかぁさん……」
目を開けると同時に、窓から差し込む光が視界に入り込んできた。外はこんなに暖かそうなのにオリビアの心はなんだか空っぽで冬の風のように冷たく感じた。久々に、おかあさんの夢をみたせいだろうか。そんな心を温めるように布団に包まり、隙間から顔を出し窓の外を眺めた。そこにはいつもの光景――――、白い服に身を包んだ人々が藁の籠を持って聖堂へと向かっているのが見える。そう、見えたのだ。
「……ん? あれれ、みんな今日はお祈り行くの早い? まだ水の刻は赤色……、えっ、嘘。黄色だ‼」
時を示す水の刻は朝とお昼の間の黄色に発色していた。つまり、お祈りの時間まであと残り少ししかないということだ。
「やばいやばいやばいやばい。今日のご飯、お豆だけになっちゃう‼」
昨日の残りの枝豆だけでは到底オリビアの腹の虫を抑えることはできない。今日を元気に生きるためにもお祈りは欠かせられないのだ。
「オリビア~。もう準備できた~? 入るよ」
ノックと同時に鈴の音のように心地よく優しい、でもどこか芯を感じられる少年の声が聞こえてきた。この声は、近所に住む幼馴染のミカエルだ。毎朝、一緒にお祈りに向かっているため、今日もお迎えに来てくれたのだろう。だが、例え幼馴染とはいえ、こんなぼさぼさで何も整えられていないみっともない姿を見せるわけにはいかない。慌ててドアへ向かおうとするが、布団が体に絡みついて抜け出せない。仕方なくその状態のまま必死に這いずりながらドアへと転がり、開かれそうになる扉を阻止しようとドアノブに手を差し伸べる。
だが、そんな状態では到底間に合わず、扉はゆっくりと確実に開け放たれてしまった。
翡翠の瞳とオリビアの深紅の瞳が混じりあう。金色に輝く髪が太陽で反射し、いつもより眩しく見えた。数秒、こちらを呆然と見つめたミカエルは苦笑い気味にその整った顔のまま微笑んだ。
「……えっと、おはよ。芋虫オリビア」
「い……、い、いや~~~~~~~~~~~ッ‼」
その日の朝、少女の甲高い悲鳴と共に頬を引っ叩かれる音が鳴り響いたのだった。
◇◆◇◆◇
「ごめん、ミカエル。まだ痛む?」
「大丈夫だよ、これくらい。了承もなしに女の子の家に入っちゃった僕が悪いんだから」
そう言って優しく微笑む美しい少年の頬は赤く腫れており、如何にも痛そうだ。オリビアはというと、ミカエルに整えてもらった少し桃色がかった銀髪の髪を揺らし、その愛らしい丸顔をさらに膨らませていた。
「そうよそうよ。レディの家に入る時は良いって言われるまで入ってきちゃダメなのよ!」
「肝に銘じておくよ」
いつも優しくオリビアと同い年にも関わらず、精神的に大人なミカエルは頬を引っぱ叩かれても怒らない。なんだか、少し申し訳なく思えてきたオリビアは雰囲気を変えようと別の話題を振った。
「そういえば、今年も現れなかったのね」
「……神の申し子?」
「うん。本当は私達の生まれた年に現れるはずだったんでしょ?」
「そのはずだったみたいだけどね。聖堂の人達もこの新世界(リンカーネーション)誕生以来、初めての事だからかなり焦ってるみたい。水神様に見放されたって」
そう、オリビア達が生まれる前の年までいた神の申し子が老衰で亡くなってからというもの、現れるはずの神の申し子は現れていない。それが今の新世界(リンカーネーション)の実情だった。
「でも毎日、私達にお恵みを下さるわ。ほら今日は鶏肉を頂いたから久々にシチューを作れるわよ」
手に持っていた籠を見せつけ、笑いかける。中には鶏肉、りんご、にんじん、たまねぎ、じゃがいも、パン、ミルクが入っている。久々の鶏肉にオリビアは嬉しそうだ。隣でご機嫌な様子で即興で作った鶏肉の歌を歌うオリビアの横で、ミカエルは俯いていた。
「…………もし。もしだよ。水神様が僕たちを見放したわけではなく、神の申し子は例年通り誕生していたとしたら?」
しばしの沈黙の後、口を開いたミカエルは奇妙なことを言ってきた。それに少し声が震えている気がする。オリビアは様子が変なミカエルに気づきながらも、いつもより大袈裟に笑い飛ばせてみせた。
「そんなのすぐ聖堂の人達が気づくわよ」
「その聖堂の人達さえも気付けない場所にいたとしたら?」
そんな小細工も通用せず、すぐまた別の質問を投げかけられてしまう。やはり、いつもと様子が違う。なんだか目に見えない何かに恐れているようにも見えた。
「何よ、まさか終末世界(アポカリプス)に? ありえないわ。だってあそこは四〇〇年前に滅びたとされているのよ? 実際、天使のラッパは七回吹かれたって古い歴史書にも書いてる。ミカエルって意外とそういう『もしも話』好きよね~」
わざとミカエルをいじり元の雰囲気に戻そうとしたオリビアだったが、それは叶わなかった。
「――そうじゃぞ。そういう『もしも話』はあまり他でするでないぞ」
「――――ッ⁉」
一瞬にして顔を強張らせたミカエルの真後ろに、髭を長く伸ばし杖を突いた背の低い老人、教父が立っていた。
「教父様、いつから聞いてたの⁉」
「ほっほっほ。まだまだ詰めが甘いのお」
驚く二人に、教父は自前の髭を撫でながら笑ってみせた。
「申し訳ありません、教父様。不躾な事を言ってしまいました」
「よいよい。実際、ミカエルのようにそう思っておる奴はたくさんおる」
「『もしも話』が好きな人、ミカエル以外にもたくさんいたのね」
「………………」
怯え下を向くミカエルを余所に、オリビアは能天気にミカエルをいじってみたが、期待していた反応が返ってこないどころかさらに顔を暗くさせてしまった。
「……ミカエル?」
「ごめん、オリビア。先に帰っていてくれるかい? 後でまたオリビアの家に行くから」
「……わかった」
いつもと違う雰囲気のミカエルにオリビアは頷く事しかできなかった。
◇◆◇◆◇
「教父様、失礼を承知で、もう一つ『もしも話』をしてもよろしいでしょうか」
「……なんじゃ」
オリビアが去った後、
ミカエルは意を決して教父に訪ねた。
「教父様は……、教父様は神の申し子がこちらに戻った場合、どうされますか」
「……お主がそれを聞くか」
突如、教父から殺気に似た重圧が出たのを肌で感じた。ミカエルの額に汗が滲む。
「すみません……」
「まあよい。質問に答えよう。――――その時は神の申し子ルシファーを殺すまでじゃ」
◇◆◇◆◇
「はあっ……はあっ……はあっ……‼」
聞いてしまった。ミカエルと教父の密談を。最初はただの興味本位だった。普段と様子の違うミカエルが気になって様子を見ていただけだったんだ。あんな話、聞こうと思っていたわけじゃない。
水面を全力で駆け抜け、家へと向かう。ぴしゃぴしゃと水音が鳴るのさえ今は鬱陶しい。
「――ッ⁉ きゃあッ‼」
走るのに夢中で地面の石に気づかず、前から派手に転んでしまった。同時に籠の中身が辺りに散乱する。
「水神様に頂いた林檎が……」
転んだ勢いが強かったせいか、頂いたばかりの林檎が潰れてしまっていた。痛さと悲しさと胸の中のごちゃごちゃとした感情が渦巻き、涙が溢れてきた。視界が歪み水面がいつもより光ってみえる。――いや、いつもより光っているのではない。本当に光っているのだ。
「なに、これ……」
涙を拭い光る先を見ると、それは指一本入りそうなほどの穴が開いていた。そう、穴が開いていたのだ。水神様がいる限り、決して開くことのないとまで言われていた新世界(リンカーネーション)と終末世界(アポカリプス)を隔てる水の膜に。とんでもないことが起きていると恐れおののくオリビアをよそにその穴はさらに開いていき、遂には人一人入れるほどの大きさとなってしまった。それと同時にその穴から吸い込む風が増してゆく。必死に近くの木に捕まるオリビアだったがその吸い込む風の力は強く、か弱い少女の力では到底敵わなかった。
「きゃあああああああぁぁぁぁぁぁぁぁああああぁぁぁああぁぁぁあぁぁぁあぁぁぁぁぁぁぁあああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁあぁ」
穴に吸い込まれ下へ下へ堕ちてゆく。
薄れゆく意識の中でオリビアは水神様に祈る。
――――どうか私達をお守りください、と。
生まれ堕ちた神の子ルシファーは平和を望まない 塩砂糖 @Shiozato
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