Ⅲ
昔、夜空に輝く星を見て、星は寂しいだろうなと思ったことがある。
星の光を眺めている側は『綺麗だな』と思うだけで終わるのだろうけれど、光を放っている側は周囲を真っ黒に塗り潰されて、他の存在を見つけることはきっとできないだろうから。
真っ黒に塗り潰された空間の中で白銀の光を放ち続ける自分と、昔夜空に眺めた星を重ねて、ノーヴィスはぼんやりとそんなことを思った。
この空間に放り込まれてどれくらいの時間が経ったのか、もう感覚が定かではなかった。眠ってもいないし、食事も取っていない。不眠不休であふれ返る闇の浄化を続けている。
──早く、終わらせなきゃ……
ノーヴィスを引っ立てる時、近衛兵は『殿下が直接話すことを所望している』というようなことを言っていた。ノーヴィスが素直に近衛兵に従ったのは、外からチマチマ状況を探るよりも、事を起こしている張本人の懐に飛び込んで直接話ができれば手っ取り早く状況が分かると思ったからだ。
だが蓋を開けてみたら、王子はおろか渦中の人間は誰もノーヴィスの前には現れず、ノーヴィスは手足を戒められてこの塔の中に放り込まれている。
かつて自分がいた、暗闇の底に。
──影が暴走している原因は全てここにある。どのみちここの浄化は終わらせなきゃ、外で起こっている負の力の暴走の根本は断てない。それが分かっていたから、素直に『仕事』に励んでいたわけだけど……
この塔は、いわば浄化槽だ。王都の大地を巡る力は一度ここに流れ込み、負の力を抜かれて再び王都を巡る。このシステムを使わなければ、王都が置かれた大地はあっという間に負の力に傾いてしまう。
もっとも、ここ百年、この浄化槽は『浄化の素』とも呼べる存在を欠いたまま稼働していたわけなのだが。
──百年……いや、二百年、だったっけ? やっぱり仕事を溜めすぎるのは良くなかったね……
『建国の白と黒の賢者は王宮の奥で眠りに就いている』なんて嘘っぱちだ。片方の賢者はこの浄化槽に突っ込まれていて、もう片方の賢者は輪廻の輪の中にいる。
──第二王子の目的は、ここの力を暴走させて現王権を失墜させることと、力のコントロールを取り戻したという手柄を己の物にして自分の権威を上げるため、か……
屋敷を襲ったあの影を動かしていた人間と、レンシア通りを堕とした人間は恐らく同一人物だ。……いや、正確に言うならば、それらを成した魔法陣を構築した人物が同一人物なのだろう。
そしてその人物にノーヴィスは心当たりがある。ノーヴィスの裏をかくことも、ノーヴィスの支配領域を侵すことも、ノーヴィスの魔法を破ることも、『彼』を除いて他にできる人間はいない。
──リヒト。
ノーヴィスの心に今でも居座っている、かつての助手。ノーヴィスを置き去りにした、魂の片割れ。ノーヴィスの『大切』。
──ほんっとにお前は、女の趣味が悪すぎるんだよ、リヒト……
ノーヴィスにはこの一連の事件の大まかな流れが分かっている。だがその分かっていたはずのことが、意識の限界を前にしてドロドロと崩れて溶けていくのが分かる。
──マズいな……ここで気絶したら、さすがに僕でも呑まれる……
呑まれたら、帰れなくなる。
ずっとずっと、痛切に帰りたいと願っている場所に。
「……ルノ」
視界が霞む。自身が放つ光も徐々に霞んでいく。それに反して周囲の闇は勢いを増していくのが分かる。
「ルノ……待ってて、ね……」
声が、こぼれていた。切実な願いを世界に刻む声が。
「絶対に、帰るから。だから……」
もう叶えられないかもしれない。
心のどこかはそんなことを思っているのに、すがるような言葉は止められなかった。
「だから……」
瞼が落ちる。最後に脳裏によぎったのは、別れた時にチラリとだけ見えた、彼女の泣きだしそうな顔だった。
フラリと体が傾ぐ。狂喜する影がノーヴィスを呑み込もうと
「ノーヴィス様っ!!」
その全てが、キンッと響いた声に動きを止められた。
ぬめるようにうごめいていた影がピタリと動きを止める。生暖かかった空気が一瞬で凍て付き、温度差に空気を吸い込んだ喉が引き
「ノーヴィス様っ!!」
もう一度、声が聞こえた。
その声にノーヴィスはありったけの力を集めて瞼を押し開く。
黒しかなかった視界が、白く凍て付いていた。どこからか降り注ぐ光を受けて眩しく光り輝く様は、明け方の一条の光が雪原に差し込む景色に似ていて。
──あぁ、
その白を従えて現れた彼女は、黎明を示すその名前よりも。
──綺麗、だな……
「ルノ」
幻でも良かった。
「やっと、会えた」
一目会えたことが、こんなにも嬉しかったから。
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