第51話 アレキサンドラ・ヴァシーリエフという幼女

 真夜中の世闇に溶け込むように、一つの小さな人影が鉄塔の上からコソコソと動き回る二人を、小さな顔の半分ほどを埋める暗視ゴーグル越しに見下ろしていた。


「動き出しましたか……」


 アユハとドロシーに散々幼女呼ばわりされた、例の帝国の幼女はそう呟く。


「エレガンティアには先んじて手を打っていましたし、やはり二人で挑みますか……実に好都合です」


 今日部下からエレガンティア一族がドロシーへの協力を断ったと報告が入ったことを思い出し、図らずも笑みが浮かんだ。

 部隊による工作が上手くいった、このタイミングでエレガンティアに出張ってこられると流石に不味い事態に転んでいた可能性が高かったので、報告を聞いた時には安堵したものだ。


「アレキサンドラ様」


 ふと背後から上がった、自分を呼ぶ声に背を叩かれる。


「……首尾は?」


つつがなく」


「では三十分後に行動を開始」


「はっ」


 短いやりとりを終え、背後から人の気配が消え去ったのを感じ、小さく息を吸った。


「これで母なる大地への脅威が去れば、そしてドロシーが手に入れば、私は解放される……」


 ふと胸の内に浮かぶのは、愛しい妹の姿。

 最後に会ったのはいつだったか、しかし記憶の中のあの子は屈託のない笑みを浮かべ、私にお姉ちゃんと語り掛けてくれる。


 きっと私よりも大きくなってしまったあの子――しかし可愛い妹には変わらない、あの子を救うためであれば幾らでもこの手を汚そう、あの子の為ならば他の全てを犠牲にしよう。


 この作戦が終われば、私と妹は解放される――少なくとも、あの方はそう約束してくれた。


「計画に、問題は無い……」


 言い聞かせるように、そう小声で呟く。

 しかし自分に嘘は付けない、アユハと対面したことでその実力が想定の遥か上である事が分かった。


 それはまだ良い、デメテルを殺してくれれば御の字だし、神と戦って消耗したところを殺すか捕らえるかしてしまえばいいのだ。


(既に神を一柱殺している可能性が高いとはいえ、あのデメテルと戦って無傷とはいかないでしょう……)


 あの方が言っていた、アユハという青年は渋谷ダンジョンにいたと、しかもたった一人で……であればデメテルを殺せない道理はない。


「それよりも」


 脱走した正宗だ、報告を聞いた時には頭が真っ白になったのをよく覚えている。

 アユハとドロシーの実力を少しでも計っておこうと、直接会いに行っていた短い時間で、あの男は霞のように消えていた。


 秘密部隊である自分の部下たちはそう簡単に人員の補充が出来ない、死者はいなかったものの、手痛い損害だ。


 更に正宗と二人が合流などしてしまえば最悪も最悪。


 唯一彼らの行動原理である人質がいなくなってしまうのだ、柚乃に関しては既に日本大手ギルド、午後三時同盟の精鋭による移送で習志野に行ってしまい、流石に手が出し辛い、計画の全てがとん挫してしまうところだった。


 しかし現実として、正宗が二人と接触したという報告は無いし、先ほど二人でダンジョンに入っていったのをこの目で確認している。


「ふふ」


 全てが順調、ダンジョンにさえ入り、デメテルと戦ってくれさえすれば後はどうとでもなる。


 私は高鳴る胸の鼓動を抑えるように、そっと手を翳して白い息を吐いた。


「さぁ、行きましょうか」


 その呟きは夜闇に紛れ、冷たく吹きすさぶ北陸の風に攫われる。

 ツァーリ帝国偵察局Service of the Reconnaissance of Tsar Empire、特殊作戦部隊の隊長――アレキサンドラ・ヴァシーリエフはその姿をかき消した。


 ★★★


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