第29話 魔の森へ進む

 数本の鋼糸をより合わせ、先ずはドロシー、そして正宗、柚乃、俺の順番で全員が崖を降下し終えた。


 一番最初に降りていたドロシーは、周囲に複数の配下を展開して警戒に当たっている。

 ネクロマンサーの強みはこれだ、例えば今この瞬間に深層レベルの配下を百体程度放てば、この階層のモンスターを術者が一歩も動かず全滅させることもできるだろう。


「にしてもこりゃすごいな」


 俺は眼前に広がる巨大な樹々を見上げながらそう呟いた。

 それは人が五人程集まって手をつなげばやっと一周できる位の太さをしており、それが数メートル間隔で集まって森を形成している。


 先ほどまでの六十四層は、地上にもあるような普通の森の風景であったが、この空間は全ての密度が異常だ。


「おいアユハ! こりゃすごいで」


「ん?」


 ふと正宗の喜色にあふれた声が響く、近づいてみれば目をキラキラさせて目の前の樹の幹を擦っていた。


「ワイは鉱石にしか興味ないと思っとったが、この樹はすごいわ……お前も触ってみぃ」


 言われるがまま樹の幹に触れてみれば、およそ植物とは思えないような硬さに目を見開く。


「これは……」


「すごいやろ? これで剣が打てそうなレベルや。下層でこれ、深層が楽しみになってきたわ」


 興奮気味の正宗の言う通り、この樹は武具への転用が可能だろう。

 俺や正宗、ドロシーレベルの攻撃力が無ければ傷一つ付かないと思わせる強度を誇っている。


『樹で剣って作れんのかよ』

『はえー』

『暗いな』

『虫多そうで無理だわここ』

『暗すぎ』

『なんじゃここ』


 コメント欄をふと見れば、暗いという意見が目立つ。

 確かに樹々が異常な密度で立ち並ぶこの場所は、上にあるはずの陽光が全く届いていない、崖の上から仮初の空を見たときには昼の様相を呈していたが、周囲には不気味で暗い雰囲気が立ち込めていた。


「そうだな、みんな! 光が差し込まず視界も悪い。ここからはドロシーが周囲にモンスターを展開して警戒しつつ、全員で死角を作らないように進んでいこう」


 俺がそう指示を出せば、全員が頷いた。

 そして森へと踏み出していく。


 カカカ……

 コロコロ……


 何の鳴き声か分からないような音が周囲に響いている。

 地面には盛り上がった樹の根や、絶対口に入れたくない青々としたキノコ、見たことも無いようなカラフルな花々が広がっており、一々興味を惹かれるが、それが擬態したモンスターという可能性も捨てきれない。


 普通であればゴリゴリと集中力が削られていくような環境だろうが、現時点で俺たちは一度も戦闘を進めることなく歩みを進めていた。


 ドロシーが周囲に放ったモンスターがこちらに近づいて来る敵を先んじて排除しているからだ、先ほどから少し遠い場所でモンスターの断末魔や、戦闘音が聞こえてくる。


 その度に前を歩く柚乃の肩がビクッ! と跳ねる姿が、少し可愛らしい。


「ドロシー、適度に敵を入れてくれ」


 俺は胸元に付いたピンマイクのスイッチを切って、配信に声が乗らないようにしつつ隣のドロシーに耳打ちする。


「いいのか?」


「このままモンスターが近づいて来る前に全滅させてたら配信映えもしないだろ」


「ふむ」


 それもそうかと呟いたドロシーがパチンと指を鳴らした。

 配下のモンスターをきっと数匹下げたのだろう。


 刹那、眼前に数メートルはあろうかという巨大なバッタ型のモンスターが滑り込むように出現した。


「柚乃!」


「う、うん!」


 俺が前衛を務める柚乃に向かって叫ぶと、流石は上等探索者、先ほどまでビクビクさせていた姿が嘘のようにすぐに戦闘態勢を整える。


 自分が指名されると思って身構えていた正宗が、ジト目で俺に振り返るが、まぁ理解してもらおう。

 今回の探索は柚乃の実力アップも大目標の一つなのだ。


 というか、ドロシーが配下を下げた瞬間に会敵するとは……こいつ、一体どれだけ配下を展開して殺戮を繰り返していたんだ?

 俺は隣のドロシーに苦笑いを向けた。


「はあっ!」


 バッタ型のモンスターを見た瞬間から全く心配をしてなかったが、やはり柚乃は危なげなく一瞬で眼前の存在を切り伏せていた。


「ナイス柚乃」


「下層のモンスターにしては弱いわね?」


「あ、やっぱそう思う?」


「え? あ、うん」


 恐らく地形や環境、そういったものがこのダンジョン最大の障害で、出現するモンスターのレベルはそれほどでは無いのだろう。


 ダンジョンはゲームのような側面が多々ある、眼前のバッタの死体は消えておらず正宗が興味深そうに観察しているが、階層主は倒せばすぐに魔石に変わってしまうよなところもそうだ。


 他にもモンスターが強ければシンプルな環境だったり、環境が複雑ならモンスターがあまり強くなったりなど……所謂"圧倒的な理不尽"というものが往々にして無い。

 まるで人間に踏破させることを前提にしているかのようでもある。


 神々の計画や星の意思が介在しているダンジョンだが、世界の真実を知って尚、俺がまだまだ知らない部分は多いのだろう。


『瞬殺か~~』

『柚乃ちゃんやっぱ強いな』

『このメンツと一緒に探索できてる時点でおかしいのよ』

『バッタきっしょ』


 とはいえ、"圧倒的な理不尽が無い"というのはあくまで俺たちの感覚。

 例えば俺がダンジョンを作る立場で、一体のモンスターのレベルが低いのであればどうするか? 答えは単純明快。


「まだ来るぞ! 全員各個撃破しながら進め!」


 ――数でゴリ押す。


 俺が叫んだと同時、ドロシーのモンスターに抑圧されていたバッタの大群が周囲に現れた。

 ……あれ? ちょっと多すぎない?


「あの、ドロシーさんや」


「なんだねアユハ」


「お前、どの位の配下を下げた?」


「百くらいかな?」


「馬鹿がよぉ!」


 俺は思わず叫ぶ。

 確かに敵を入れろとは言ったが、あくまで適度にだ。

 馬鹿に"適度"という曖昧な指示を出してしまった少し前の俺を殴りたい。


 一気に百体の配下が抑えていた巨大なバッタたちが俺たちの元へ殺到する様は、まさしく地獄絵図だった。

 視界を埋め尽くしギチギチと不愉快な音を鳴らす。

 ただでさえ虫は好きという訳でもないのに、巨大になったことで足の関節や黒い複眼が鮮明に見えるのは正直良い気持ちはしない。


「はぁしれえええぇええ!」


 俺が叫ぶと同時、全員で眼前のバッタを瞬殺して進んでいた道を走り出す。


「せん滅しないのか? アユハ」


「あいつらの爪の素材欲しいんやが! アユハちょっと行ってきてええか?」


「馬鹿かお前ら、絶対この階層のバッタ共が全部集まってきてるぞこれ、相手してられるか!」


 俺は呆れ混じりに笑いながら隣を走りながら馬鹿な事を言ってくるドロシーと正宗に叫んだ。


「ねえ! ねえってば! 増えてる! めっちゃ増えてるわ!」


「六十六層までいけば付いて来ないだろ! とりあえず走れ!」


 柚乃の叫びと共に振り返れば、もはや意味が分からない量のバッタが津波のように俺たちを追ってくるのが視界に映る。


『いや草』

『伝説?』

『これが漆黒旅団かぁ \20.000』

『草 \3,000』

『普通の配信者なら怖くて見れないけど、こいつらなら安心して見れるわ』

『運動会見てる気分になってきた \5,000』

『危なそうだけど、やろうと思えばせん滅出来るんだろうな』

『走れ走れ~』


 呑気なコメント欄が視界に映った。

 まぁ、絶体絶命という状況でもないし周囲を走る仲間たちはそれぞれどこか楽しそうに笑っている。


「ま! こういうのも良いな!」


 俺も釣られるように笑みを浮かべた。

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