14:資格


 大蠍おおさそりを倒して、それで全てが終わったと思っていた。


 護るべき主を守り、もう二度と失いたくない仲間と苦難を乗り越えて、ようやく掴んだ勝利の先で。

 何もかも杞憂きゆうだったと、ついさっき、大討伐だいとうばつの達成を祝福し合っていたというのに。


 ――なぜか、目の前で仲間が数人、死に掛けていた。


「どけえええええ!!」


 テレーズを相手に振るわんと走りながら構えた大剣が、突如とつじょ現れた巨漢きょかんによって食い止められる。


 大柄な俺の身体を上回る筋骨隆々きんこつりゅうりゅうの腕が、血をき出しながらも刃の動きを封じた。


「ン、フォルトゥナの邪魔、さセない」


 片言の公用語を発する巨漢が、大剣の刃を躊躇ためらいなく素手で掴み上げる。


「っ!?」


 腕と手のひらを血塗れにしながら、巨漢のもう一方の片腕が、がら空きになった俺の腹部に重たい一撃を加える。


「ぐぉっ――」


 尋常じんじょうではない膂力りょりょくが生み出す拳の殴打おうだに、衝撃が全身を突き抜けていく。


 くの字に折れそうになる身体を、俺は気力だけでこらえながら、今度はこっちから巨漢の顎を殴り返す。

 体格に差があろうと人間である以上、人体の構造における急所に違いはないはずだ。

 しかし、


「…………」


(コイツ、……でたらめか!?)


 何の苦もひるみも感じていない無表情で、巨漢は静かに俺を見下ろしたまま、拳を振り上げた。


「ッ!」


 咄嗟とっさに大剣から手を離して、巨漢から距離を取る。

 次の瞬間、巨漢が振り下ろした拳が――轟音とともに地面に大穴を穿うがった。


「――ユーゴさん!」


 避けると同時、聞こえてきたティメオの声に振り向く。


「ティメオ!! ウォーラトとジゼルを連れて逃げろ!!」


 あらん限りの叫びを上げて、向こう側でテレーズと戦闘しているティメオへ、撤退するように指示を出す。

 だが――


「アッハハ! ダメでしょ、戦いの最中に余所見よそみしちゃァ」

「っ!!」


 そんなわらい声が響き渡った直後、ティメオの展開した防御結界が、甲高い音とともに崩れ去るのが見えた。


 テレーズによる、ただ大剣を振り下ろしただけのてらいのない一刀。


 まるで魔術そのものを断ち切っているかのように、それはいとも容易たやすく結界を破壊して、ティメオの大盾へと斬線を刻み付けていた。


「くぅ……!」


 攻撃を受け止めたティメオが苦鳴くめいを漏らす。

 その光景を目の当たりにして、封じ込めていた過去の記憶を思い出す。


(……ああ、止めてくれ、どうしてだ、どうしてまた俺から仲間を奪おうとするんだ)


 数年前、魔獣との戦闘でパーティを全滅させてしまった、俺のゆるされない過去。


 俺が咄嗟に下した判断によって、全員を道連れにしてしまったあの日から今日まで、どれほどの時間が経ったというのか。


 何度も、何度も後悔し、二度とあんなことが起きないようにと、毎日祈り続けてきたというのに。

 ……どうして、


「クソ、どけえええええ!!」


 俺は無我夢中むがむちゅうで、眼前を立ち塞ぐ巨漢に渾身の体当たりをぶつける。


「ッ!」


 わずかによろめく巨漢の腕から、俺もまた裂傷を恐れずに力くで大剣を取り上げた。

 そのまま回転する要領で大剣を振り回して、半狂乱の覚悟とともにテレーズへと走り出す。


 駆ける俺に視線をめたテレーズが、ニヤリと口元をゆがめた。


「アッハハ! いいねェ、本気で掛かって来てよ。殺し合いがしたいんだから!」

「うおおおおお……っらああああああ!!」


 もはや剣士としての型は無論、過去に冒険者として持ち合わせていた戦況への適切な対応、敵の動きに合わせた冷静な攻撃、そんな邪魔なものはかなぐり捨てた――力だけの一振りを放つ。


 全体重に加えて、全力疾走しっそうの勢いを上乗せした大剣の一振りが、テレーズを直下にとらえた。


 逃がすつもりなどない、一撃でこの女を殺せるならば、失いたくないものを失わずに済むと、ただそれだけを願って――


「……ああ、ダメだねェ」

「――――な」


 刹那せつな、ゆっくりと流れていく眼前の光景に、俺は言葉を失う。


 垂直に振り下ろしたはずの大剣が、どういうわけか、テレーズだけを避けるようにして――斜めに地面を砕いていたのだ。


「…………っ?」


 大剣には、何かがぐるぐると巻き付けられていた。“それ”は振り下ろす前の動きの時点ですでに、大剣に引っ掛かっていたのだと瞬時に理解する。 


 戦いの最中、引き延ばされた俺の意識が見た“それ”は、たしかに、テレーズの大剣だった。


 刀身が――縦に分割して、芯となる鋼糸こうしに合わせた鎖状に変形し、俺の大剣に巻き付いていた。


(なんだ、その剣は……俺の一撃を……どうやって逸らした?)


 絶句して立ち尽くす俺を、テレーズが嗤う。


「錬金術の国の遺産――〈連鎖剣れんさけん〉っていうらしいよ?」


 今も巻き付けられたそれ――〈連鎖剣〉によって、俺の大剣は一切の余地もなく雁字搦がんじがらめにされて、わずかな動きもできないように封じられていた。


 どういう仕掛けかは分からないが、鎖を操るテレーズに、俺の武器の制御は完全に奪われてしまったのだと否応いやおうなく察する。

 それでも――


「ぐ、っおおおおお!!」


 大剣を放り捨てて、俺は全身の力を込めて拳を振り下ろした。

 目の前の敵をどうにかしなければ――その一心に突き動かされるまま、殴り殺す勢いでテレーズの顔面を狙う。


 そして、加速する拳の行方を目で追う、俺の視線が――くるくると上方に流れた。


「……、…………は?」


 今度こそ、俺の理解が追い付くことはなかった。


 俺の振り下ろした腕が、テレーズの大剣に寸断されて――宙を舞っていた。

 遅れて、ティメオの悲鳴が耳に届く。


「団長であることから逃げ出した男が、もう一度仲間を守りたいなんて……そんな間抜けな話ありえないよねェ?」

「………………俺、は」


 スッと入り込んできたその一言が、幾重いくえにも絡み付く。

 断面を溢れ出す血の量さえ気にならなくなるほど、テレーズの言葉は、俺の精神を砕くのに十分だった。


「アッハハ、じゃあね、勇者クン」


 思わず立ち尽くしてしまった俺の頭上に、〈連鎖剣〉のいびつな影が落とされる。

 テレーズの口から、醜悪しゅうあくな嗤いが込み上がった。


(なんで、だ……なんで、俺から全てを奪うんだ――)


 全身の力がうまく入らない。


 それでも、どうにかしなければならなかった。


 一度全てを投げ出してしまった、こんなにも情けない俺を、それでも“団長”と呼んでくれた奴らを――


 諦めるわけにはいかない、こんなことで、諦めるわけには。


「ユーゴさん!!!」


 突然、小さな背中が俺の眼前に躍り出る。


 振り下ろされた大剣とほぼ同時、その小さな人影がかがげた大盾と、展開する防御結界がテレーズの攻撃をすんでのところで防ぐ。


「――――」


 ティメオ、逃げろ。

 そう叫ぼうとした喉が、次の瞬間、驚愕きょうがくに締め付けられた。


「みんな、みーんな、……勇者の器には至ってないねェ?」


 テレーズがそうつぶやいた時には、すでに――結界は砕かれていた。

 この女の前では全ての防御が無意味であるかのように、軽々と両断された結界の内側で。


 テレーズの刃が、ティメオの肩口へとを描いた。


(ティ、メオ――)


 ゆっくりと流れていく眼前の惨状を、俺はただ眺めることしかできなかった。


 叫ぶことも、身を挺して庇うこともできずに。

 あの時と同じく、大切な仲間が苦しむ姿をただ後ろで見ていることしかできなかった。


(どうして、だ)


 どうして、どうして、どうして。


 目の前を塗り潰していく不条理ふじょうりの連続に、俺はただ……立ち尽くすことしかできなかった。

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