07:間章 記憶の断片


 小さな治療室の片隅で、寝台の上に座り込む少女がつぶやいた。


「“時計”を最初に作った国ってどこか知ってる?」


 真っ白の病衣を身にまとい、小柄な身体をゆらりゆらりと揺らしながら、少女が足元の懐中時計を眺めている。

 窓の外では、実技の担当教師に教えをう魔術師見習いの少年少女たちが、声を張り上げて詠唱の練習にはげんでいた。


 時折ときおり混じる楽しそうな生徒たちの声に、少女もまた、嬉しそうに顔をほころばせて――オレに話の続きを聞かせた。


「“風砂ふうさの国”ってところらしいよ。日時計とか、砂時計とかが発明の起源なんだって」


 足元に置かれた、意匠いしょうった小型の懐中時計をいじりつつ、窓の外に顔を向けて、少女――フラム・ブランヴィルは言う。

 生徒たちの練習風景を目で追っていた彼女が、ついっ、とその集団の一部を指差す。


「あはは、あそこにいるコーデルロスの出身も風砂の国なんだよね。彼にこの懐中時計を見せたら、自慢げにさっきの話を教えてくれたんだ」

「…………」

「私のお父さんがね、手工組合に所属してる時計技師なんだ。これ、お父さんが作ってくれたの」

「…………」

「あのーぅ、聞いてますか?」


 寝台しんだいの上から身体をよじり、大きくて青い瞳が覗き込むようにしてオレを見る。すぐ横の椅子に腰掛けていたオレは、こちらを覗き込む無邪気な少女と、それから、向かい合わせに広げた手札の交互に視線を行き交わせ…………やがて、ゆっくりと両手を上げた。


「……降参だ」

「うぅ~やったあ! またベルトランに勝ったー!」


 片手に揃えた手札を掛け布団の上に放り投げて、フラムが心底嬉しそうにはしゃぐ。

 それは魔術師の間で密かに流行っているという小さな紙札を使った遊戯ゆうぎだった。現在の戦績は十戦中、全敗。


 屈託くったくのない笑顔を浮かべるフラムに、オレは首を振って諦めの意思を表明する。


「……お前はこの遊戯が得意なんだな」

「もちろん! なんてったって暇だから、ね!」

「……そうか」

「あ、いま『なんだこいつ』って思ったでしょ! 暇って言うのは凄くすごーく、貴重なんだよ?」


 暇の貴重さについて力説せんといかめめしい顔を作ったフラムが、不意に――口元を押さえる。


 反射的に背中を丸めて、内側から逆流しようとする何かをこらえるように、小刻みに身体を震わせていた。

 空いている片手が寝台の上を力強く掴む。苦しそうなのは一目瞭然いちもくりょうぜんだ。


 それを横目に……オレは手を貸すでもなく、大人を呼ぶでもなく、黙ったまま少女の華奢きゃしゃな背中を眺め続けた。


 ……しばらくして、発作のようなものが落ち着いたらしい少女が顔を上げる。

 目尻に涙をにじませて、困ったように苦笑いを浮かべていた。


「うーん、あはは……ごめんね、話の途中だったのに」

「……問題ない、そんな大した話でもなかったから」

「ひ、ひどい!」


 明けけに怒るフラム。

 ここ数日、彼女と話す機会が多くなった自分には見慣れた……見慣れてしまった反応だった。


「…………」


 リディヴィーヌが選定した見込みのある生徒たち、特別生。その中でも――フラム・ブランヴィルは上位の才能を見込まれた少女だった。


 得意とする魔術は炎。これを得意とする魔術師はてして、攻撃的な性格の者が多いと言われているらしいが……フラムにそれが当てはままっているとは思えなかった。


 『炎よりも、灯火ともしびの明かりの方が好き』と語りながら、手のひらに小さな火を作り出して見つめていたフラムの横顔を思い出す。

 どれほど強大な魔炎を生み出せようと、フラムが欲した輝きはほんのわずかな一欠片の灯火だった。


「あ、えっと、何の話だっけ!」

「……暇について」

「そうだそうだ、退屈は金の山より貴重でね」


 生まれ持った才能が、彼女に恩恵をもたらすことはない。

 本人が望む望まないにかかわらず、魔術の才を振るう機会そのものが彼女には与えられないからだ。


 非情で、しかし単純な原因――肉体に巣食すくう病魔によって、フラムの余命はいくばくもない。

 彼女が魔術の授業に同席することができなくなったこの一時でさえ、生まれ持った病魔のむしばみが、彼女の未来を奪い続けている。

 さっきの発作など、まだ落ち着いている方だった。


(退屈は金の山より貴重――か)


 そんな世迷言よまいごとに聞こえる台詞も、フラムの口から出た台詞だと一笑にすこともできない。


「…………」


 それでも、彼女の生き様は燃えていた。

 今にも壊れそうなのに、それでも、生きるという目的を持って生きていた。


 オレが持ち合わせていないモノ、に照らされて笑うフラムの温かな輝きに……オレは初めて“羨ましい”という感情を抱いた。

 



「寿命をる魔術――ですか?」


 教え子の質問を聞いたリディヴィーヌの声が、かすかに上擦うわずる。


「未来でもなく、過去でもなく、寿命を……ですか。それはいったい?」


 どうして、そんな魔術について知りたがるのか――リディヴィーヌの疑問はそこにある。

 オレは一瞬、何をどう言おうか考えた末に、率直そっちょくに……フラムの病態をリディヴィーヌに伝えることにした。


 すると、大魔術師の怜悧れいり相貌そうぼうが、ふわりとやわらぐ。


「あなたはフラムと仲が良いのですね。最近、実技の授業に顔を出していないと担当教諭きょうゆのファルシネリが残念がっていましたよ」


 机上の書類に筆を走らせていたリディヴィーヌが、そこでゆっくりと立ち上がった。


 オレの目の前に立つリディヴィーヌ。少し前ならば、身をわずかにかがめてこちらを覗き込んでいた瞳も、今となっては背が伸び始めたオレに合わせる必要もなくなり、目線の高さは通常時でほぼ同じになっていた。

 一拍いっぱく置いて、リディヴィーヌが首を振る。


「ですが……寿命を視ることはおすすめしません。それを視て、彼女に伝えますか? それとも胸に秘めて、残りの時間を共に過ごしますか?」


 こちらを向く翡翠色ひすいいろの瞳にうれいが浮かんだ。


「魔術の精度にもよりますが、命の限界を知るということは、ある種の未来予知に等しい行為です。たとえ肉体における寿命の範囲内だとしても、知った時点で――人間の行動は変化し、それは未来に影響を及ぼします。とはいえ、問題はそこではなく……」


 続く言葉とともに、リディヴィーヌの手がオレの頭を撫でた。以前と変わらず、幼い子供と接するような優しげな態度で。


「フラムの寿命を知ったあなたは、今よりもっと苦しい気持ちを抱えることになる。私の心配はそこにあります」


 …………


「……『彼女の病を治したい』と言い出さなかったということは、現在の治癒魔術ではそれが不可能であるという答えに至っているのですね」


 撫でる手を離すと、そのままリディヴィーヌは書棚の方へと歩みを進める。


「魔術は何でもできてしまうと、初心の頃はあやまりがちです。こと“命”という領域においては――それは最大の間違いと言えるでしょう。単にそこなわれたものを元通りに、わずらった部分を健常にするといっても、物質操作の要領で行えるものではありません。生物の構造は記憶の集合体であり、そして――不可侵ふかしん領域とされる“魂”と密接に繋がっているのですから」


 後半、やや教師然とした口調でオレに教えさとしたリディヴィーヌが、書棚から一冊の本を取り出した。

 その表紙を上に向けて、かたわらに立つオレへと流れるように手渡す。古い書体で『時破りの制約』と記された、仰々ぎょうぎょうしい題名の書物だった。


「これをあなたにお貸ししましょう。寿命を視ることはおすすめできませんが、同時に、先ほどあなたが言った『知りたい』という言葉を無下むげに拒むこともまたできません。魔術を教えるという約束に反しますからね」


 そう言って、リディヴィーヌは机の前へと戻っていった。

 再び筆を手に取って、うつむく顔が艶やかな黒髪に隠される。書類に目線を向けたまま、去り際のオレに最後の言葉をえた。


「何分古く難解な書物ですので、内容を読み解き、その上で魔術を会得えとくするのは決して容易よういではないでしょう――どうするかは、あなた自身にお任せします」 

 

「今後とも、フラムの良き友人として寄り添ってあげてください、ベルトラン」

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