10:決意


 何が起きているのか、オレでさえ一瞬、理解が追い付かなかった。

 突然の最凶悪な魔獣の出現に、呆然ぼうぜんと立ち尽くしてしまいそうなオレの意識に、かろうじてフェリスの焦った声が届く。


「アレ、ヤバイですよね……!? 絶対、放っておいちゃいけない魔獣ですよね!?」

「……そうだな、これは予想外だ。ぶっちゃけ、依頼の範囲を軽く超えて暴走只中ただなかの状況だな、ははは」


 オレは両手を持ち上げて、お手上げの構えをする。


「ええと、ああと、まずはメリザンシヤ様に、いや、その前に国王陛下に報告しないと……!!」


 その場で跳ねながら慌てた様子で頭を抱えるフェリス。何の踊りなのかと聞こうと思ったが、さすがに止めておいた。


「まあ落ち着け。王都からこの距離なら、嫌でも監視塔にいる守衛しゅえいどもの目にまるだろう。オレたちが報告するまでもない」

「そうは言っても…………って、あれ? 魔獣はもう出ないってさっきベルトランさん言ってませんでしたか?」

「そうか? 確かにそんなこと言ったかも知れんな」


 オレはすっとぼけつつも実際、フェリスの指摘通り、魔獣はもう出ないものと思い込んでいた。


 あの信奉者しんぽうしゃの残党らしき男も、元凶の魔術装置である〈真理の器ヴェリテス・ノルム〉も、まとめて遅延魔術によって通常の時間の軸から切り離した状態で拘束したはずだった。


 たとえ、生物でなくとも、遅延魔術の効果はあくまで『対象に流れている時間を遅らせる』という、相手を限定しない魔術であるために〈真理の器ヴェリテス・ノルム〉も例に漏れず、その稼動かどう速度を極端に低下させているはず……だった。


(…………あの時、か?)


 大穴にて、狼の魔獣二頭と戦闘を始める直前、男が魔術装置の中に二本の小瓶を投げ入れていたことを思い出す。

 あの直後に二頭の魔獣が現れたことで、自然と前後の事実を結び付けて判断してしまっていたが、もしや。

 男の不可解だった発言が脳裏のうりを過ぎる。


『リディヴィーヌによろしく言っておいてくれ……俺たちから贈り物だ、と。再び、世界を変える最初の一手だ、と』


 顔を歪ませながらささやいていた意味深長いみしんちょうな言葉が、ここに来てようやく、その裏側を見せようとしていた。


 仕掛けは不明だが、あれはただのでまかせではなかったようだ。

 まさに、世界を変える最初の一手として――破壊の化身たる魔獣、“赤竜せきりゅう”を復活させた。

 アリギエイヌスの思想をぎ、もう一度、大陸に魔女の戦渦せんかをもたらすために。


「…………どうしたものかな」


 遠くで巨体を揺らす赤竜の影を見つめながら、思案する。

 村に向かって吐いた火の息吹いぶき――おそらく魔術の一種であろう、先ほどの灼熱の渦も、今や森の方々に燃え広がって一面が火の海と化していた。

 空気すらも焼く勢いの熱さに、フェリスがあたふたとしながらこちらを振り向く。


「ベ、ベルトランさん! とりあえず、魔封具まほうぐを使ってこの場から離れましょう!」

「…………ふむ」

「ふむ……!? あの、ベルトランさん!?」


 動揺する少女から視線を外して、オレは遠くで移動を開始した赤竜の姿を追う。

 離れたこの場所にいてなお、地面をかすかに振動させるほどの巨体が向きを変えて歩き出していた。翼を広げない理由はおそらく、生み出されてまだ時間が経っていないからだろうか。


 その赤竜が次に狙いを定めたのは――方角から察するに、鋼花こうかの国の王都で間違いない。

 ここから王都までは少し距離がある。だが、そんなものも竜にしてみれば些細ささい間隔かんかくでしかないだろう。夜を待たずして飛行を始めて、その図体ずうたいで軽々と王都まで一飛びするだけのことだ。


 王都に集まった冒険者や騎士、魔術師たちが一丸となって赤竜に立ち向かい、そして――全てが徒労に終わる。そんな光景がありありと想像できた。


(……この時代に、竜が持つ鱗の“特性”に対処できる強者がいるかどうか)


 リディヴィーヌならばあるいは……と思ったが、今日に限って、あの大魔術師は不在だった。不甲斐ふがいない話だ。


 考えれば考えるほど思い浮かぶ、村の魔獣騒動の比ではない損害の規模に、オレは少しの思考を挟んだ末、行動を決意した。

 ふところから魔封具を取り出して、隣の少女に向き直る。


「フェリス、逃げるか、戦うか、選んでいいぞ」

「え……ええっ!? 戦うって、あの竜とですか……?」

「無理にとは言わん。命を惜しむのは人類共通の感覚だからな、本音を言うとお前がいると助かるんだが……逃げたいなら仕方ないよな」

「なっ……んぐ…………うう、あぅ」


 問いの後に続くオレの言葉に、フェリスの表情が何度も変化した。自分の中の本心と正義、生存願望や恐怖心、騎士としての誓いやこころざしなどが一緒くたになって情緒じょうちょを掻き回している様は、七変化しちへんげを見せる花の移ろいのようだった。


 やがて、数秒ばかりの煩悶はんもんて決心したのか、唇を強く引き結んだ顔でオレを見返すフェリス。大きな青い瞳が、周囲の炎を反射してキラキラと光った。


「……やります、私、戦います! 騎士を目指す者として、同行させてください!」

「よく言った。意地汚くも生き延びたい冒険者の連中と違って、華々しく散らんとする心意気は騎士そのものだぞ」

「ありがとうござ……いえ、散るつもりないですよ!」


 フェリスがそう反論する間にも、火の侵食によって支えられなくなった木のみきが地面に倒れこみ、勢いよく火の粉を空中に舞い散らせた。


「ひゃっ! と、とりあえず、移動しませんか!?」


 少女らしい悲鳴を上げるフェリス。確かに、この場を速やかに離れないと二人して燃えかすになるのは明白だ。

 ここから抜け出せそうな空間を目で探して、かろうじて火の移っていない隙間を見つける。


「付いてこい、あの竜を追うぞ」

「はい……!」


 オレとフェリスが走り出す。

 赤竜が向かう先はすでに見当が付いているので、並行して走りつつ、距離を縮めるために斜めに移動することにした。




 木々の間をうように走り続ける最中、フェリスが少し息を切らしながらオレに問いかける。


「あの、作戦はっ……あるんですか?」

「作戦? 何のことだ」

「竜と戦うんですよね、その作戦とか――」

「そんなものはない」

「そ――え?」


 フェリスがきょをつかれたような声を出す。からかう方が悪いにしても、真面目すぎるというのも考え物だな。


「というのは冗談だ。火に当てられて暑くなった身体を涼ましてやろうと思ってな。肝が冷えただろ」

「あ……あはは、びっくりしました。それで、作戦は……」

「オレの魔術を忘れたか?」

「……! そっか、まずはベルトランさんの魔術で動きを止めるんですねっ」


 合点がてんがいったと言わんばかりにフェリスが明るく答える。おそらく、竜と対面することになれば、今の納得はただの早合点はやがてんだったと気付いてオレに恨み言をぶつけてくるだろうが、まあ、面白そうなので訂正しないでおく。


「いつでも弓を引ける準備はしておけ。その手袋はまだ使えるか?」

「はい、メリザンシヤ様から頂いた装備ですので、絶対に壊れません」

「そうか、ならいい。作戦については実際に竜に近付いてから話す。その方が分かりやすいからな」

「え、あ、……はい!」


 そんな大雑把おおざっぱでいいのか、という困惑がひしひしと伝わってくる。

 だが、これに関しては本当に赤竜を直近で観察しなければ説明しにくい作戦でもあった。そして、その性質を言葉じゃなくて目で確かめさせる必要もある。


(成功すればいいが、な)


 陽が空の向こうに沈みかけた黄昏たそがれの森を、黙々と走り続ける。


 枝葉の隙間から微かに覗いていた、遠くにあった竜の頭部も、次第にその細部をはっきりとさせる距離まで近付いていた。

 地面の振動もまた、勢いを増しているのが実感できる。


四大禁獣よんだいきんじゅう……その内の一体と戦う羽目になるとは、いよいよ冒険者の領分と相違そういないぞ)


 何度目かのため息を吐きそうになるも、ひた走る際のせわしない呼吸に混じってうやむやとなる。


 オレが想定していた顛末てんまつはとうに霧散し、今から向かう先には面倒事の極致きょくちのような存在が待ち構えているときた。

 金の山よりも貴重なオレの時間が失われていく感覚に滅入めいる気持ちを抑えながら、赤竜のもとへと向かった。

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