二季のあわいの恋人たち
やなぎ怜
二季のあわいの恋人たち
ラルカをスリープから起こすのは、いつもクプルの仕事だった。その逆もそうだ。
同時期に作られた自動人形であるラルカとクプルは、さながら幼馴染といった、よく見知った間柄だった。
「ぼく……ラルカに恋をしているんだ」
クプルのそれは、まるでラルカではないだれかに恋をしているようなセリフだったが、しかし恋の相手として挙がった名前は間違えようもなくラルカだった。
ラルカの答えは決まっていた。
「ごめん」
ラルカは、切なさも、心苦しさも、いかなる感情も見通せない声と顔でそう言った。
無表情で、無感情的で、無感動的で――。
とにかくラルカの全身はクプルに恋をしている……などとは言っていないことは、だれの目にもたしかだった。
「……わかってた。ラルカがそう答えるって」
クプルはどこか吹っ切れた様子でそう言う。
しかしそれは、クプルがラルカへの恋心をあきらめたからこその顔ではなかった。
「わたしに恋をしても無意味だよ」
ラルカは無表情のまま、無感情的な声で言う。
ラルカは、クプルのあきらめの悪さに嫌悪感を抱くこともなければ、それの逆で好感を抱くこともなかった。
ひたすらに、無感情的で、無感動的で――。
「だってわたしの感情は生まれてもすぐにどこかへ行ってしまう」
診断名は、「感情剥落症」。
スリープ時の事故に巻き込まれて、ラルカの感情機構はおかしくなってしまった。
否、感情はラルカのその心から湧いているはずなのだが、彼女がクプルに言ったとおりに「すぐにどこかへ行ってしまう」のだ。
ラルカの感情はその心から生まれても、生まれた先からぽろぽろと落ちて――剥落してしまうのだ。
その剥がれ落ちた感情がどこへ行っているのかは、だれにもわからない。
わかっているのは、ラルカは常に無表情の、ひどく無感情的で、無感動的な自動人形になってしまったということだけ。
「知ってる」
事故に遭ったラルカをとてつもなく心配していたクプルが、彼女が見舞われた病について知らないわけがなかった。
「でもぼくは、前のラルカも今もラルカも、どうしようもなく好きなんだ」
ラルカは、クプルのその言葉に対する適切な返答がいったいどんなものなのか、皆目見当がつかなかった。
「神」がこの地上から消えてどれほど経つのか、残された自動人形たちは正しくカウントしていたが、その数字に大した意味がないこともまたわかっていた。
それでも自動人形たちは「神」の再誕をこの「塔」で待ちわびている。
自動人形たちはふたつのグループにわかれ、二季が流れるこの世界で、季節の変わり目に「塔」の守護と、スリープの役割を交代するということをもうずっと繰り返していた。
今は、ちょうどふたつの季節が移り替わるその狭間――あわいにある。
スリープしていたクプルをラルカが起こせば、今度はラルカがスリープに入り、クプルは「塔」を守るための仕事を始める。
クプルがラルカに恋心を告げたのは、その交代が完了するまでのモラトリアムのときのこと。
ラルカとクプルは惚れた腫れたの話を抜きにしても親しい関係であったが、こうして言葉を交わし合えるのはモラトリアムのあいだだけだ。
そのわずかな、貴重な期間をクプルはラルカと過ごすことにあててくれる。
しかしラルカはそんなクプルの行動に対して、なんら心動かされることはないのだ。
ラルカは「感情剥落症」を患うまで、果たして自分がどんな自動人形で、クプルに対してどのように接していたのか……事故の影響で、そのあたりの記憶もあいまいになっていた。
――クプルのことが好きだった? 嫌いだった? それともどうでもいい相手だった?
ラルカはなんとなく、心の中で過去の自分へと問うてみるが、もちろんそれに返答があるわけもない。
クプルもクプルで、前のラルカがどういう自動人形であったかだとかについて、積極的に話すでもなかった。
ただ、クプルはラルカに寄り添ってくれる。
あわいのあいだの、わずかな時間でラルカと過ごすことを選んでくれる。
ラルカが無表情で、無感情的で、無感動的な自動人形であっても。
……ラルカは自分の心に、なにかが生まれていることは感じていた。
クプルの言葉が、行動が、ラルカの心から感情を生み出している。
――けれどもそれらは、いつの間にか心から剥がれ落ちて、どこへ行ってしまう。
ラルカはそれに対するもどかしさも、クプルに対する申し訳なさも感じなかったが、なんだか胸の奥がむずむずとするような感覚はあった。
打てど響かぬラルカを、他の自動人形たちは持て余し気味だ。
それでもクプルだけは、変わらずラルカに寄り添うようにしてそばにいてくれる。
季節と季節のあわいの、そのわずかな時間だけ。
「どうしてそんなことを言うの」
ラルカはひどく平坦な声で問うた。
「スリープのあいだも、ぼくのことを考えて欲しかったから」
「自動人形は夢を見ない」
「知ってる」
スリープ用のポッドの前で、クプルは
そこに宿るのは、切なさ、申し訳なさ、寂寥感――。
ラルカはクプルの感情を正しく読み取ることができた。
しかしクプルの感情を正しく読み取れたからといって、ラルカの心は無感動で空虚なままだった。
「……以前、ぼくにお礼がしたいと言っていたよね」
「ああ」
「それを今頼みたい」
「わたしにできることであれば」
「うん。だからぼくのことを考えて欲しい。たくさん……考えて欲しいんだ」
ラルカは、再度「自動人形は夢を見ない」と言おうかと思ったが、黙った。
「わかった」
代わりに、了承の返事をする。
クプルは花がほころんだかのように、微笑んだ。
「おやすみラルカ。また次の季節に会おう」
「ああ」
ラルカはクプルに短い返事をしたあと、スリープに入った。
自動人形は夢を見ない。
だから、スリープに入り、そこから起こされるまでは、体感では数秒にも満たない。
クプルの顔を見ながらスリープに入り、次にスリープを解かれたときも、クプルの顔を見ることになる。
――そのはずだった。
「クプルは事故に遭って今は動けないんだ」
「塔」にいる自動人形同士はみな顔見知りだ。
それでもラルカはスリープを解かれてまず目に飛び込んできた顔がクプルではなかったことに、激しい動揺を覚えた。
次にクプルの代わりにラルカをスリープから起こした自動人形の言葉を聞いて、ラルカはバネのように跳ね起きた。
「クプルはどこに」
問いかけるラルカのその声は、わずかに震えていた。
「ここのところはずっと医務室にいるよ」
クプルの代わりの自動人形はひどくおどろいた様子ながら、ラルカの問いに答える。
ラルカはそれに礼を言うや、素早い動作でポッドから飛び降りて、鳥のように肩で風を切って走り出した。
ラルカの心から、悪い想像が数えきれないほどあふれだす。
それらはラルカの心を、ひどく揺さぶった。
「ラルカ、起きたんだ」
クプルは医務室の一番奥にあるベッドで、上半身を起こして本を読んでいた。
ラルカが道のりで想像したもののどれとも違う、まったく平気そうな顔をしたクプルがいた。
ラルカは、緩慢な動作――というか、よろよろした足取りでクプルのいるベッドの脇へと歩み寄った。
「ラルカ? どうしたの? なんだか足元がおぼつかないようだけど――」
ラルカは初めて、腰が抜けるという体験をした。
クプルのベッドの横の、真っ白い床へとラルカは座り込んでしまう。
「え? どうしたの?! 具合悪いの?! ――ああ、もう、今脚がないんだった……!」
ラルカの様子に大慌てのクプルだったが、脚パーツがないためにベッドから動きたくとも動けない状態だった。
「ラルカ――」
ラルカは頭上で、クプルが息を詰めたのがわかった。
「ラルカ……泣いているの?」
ラルカの感情機構はまるで熱暴走でもしているかのようだった。
ラルカの心から、あとからあとから感情があふれ出てくる。
そしてこれまで生まれた端からどこかへと剥がれ落ちて行っていた感情が――実のところ底に降り積もっていたそれらが、急に目に見えたようだった。
ラルカはそれらを言葉にしようとしたが、声にならなかった。
今度は感情が渋滞して、喉の途中で詰まってしまったようだった。
それでもあがくように、ラルカは床に座り込んだまま、ベッドの上にあるクプルの左手の甲に自身の右手のひらを重ねた。
震えが止まらない指先で、クプルの手をにぎり込む。
「ラルカ」
クプルの手に重ねたラルカの手の甲に、さらに彼の右手のひらが重なった。
ラルカがなにも言わなくても――言えなくても、クプルには伝わったのだ。
手を重ね合わせる。
今のふたりには、それだけでじゅうぶんだった。
「衝撃のせいかな。ほら、古代の機械は叩くと直ることがあるでしょう。それと同じことが起こった、と」
メンテナンス役の自動人形はそう軽い調子で言った。
ラルカは「わたしはそんなに古くない」と抗議の声を上げたが、流される。
同席したクプルはクプルで、
「『愛の力』ってことになりませんか?」
……などと言い放ち、ラルカとメンテナンス役の自動人形を呆れさせていた。
「まあ正常に動作するようになってよかったよ。……お陰で、やっと想いを通じ合わせられたみたいだし?」
ラルカはその言葉に気恥ずかしそうに視線をそらし、その横にいるクプルはだらしない笑顔を見せるのだった。
二季のあわいの恋人たち やなぎ怜 @8nagi_0
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