第693話 アメリカ滞在9日目

「タカハシ、ソレデモキミハ、アメリカニクルカイ?」 

 僕らはホテルのレストランで食事を楽しみ、デザートとコーヒーが運ばれて来た時、トーマスが唐突に言った。


「トーマス、それはどういう意味だろうか?」

 僕はちょっと面食らって聞いた。

 トーマスが真剣な表情で早口の英語を話し、三田村が訳した。

 僕は翻訳機のスイッチを入れるのすら、忘れていた。


『私はタカハシはとても良い選手だと思う。

 足も速いし、ミートも上手い。

 肩も弱くないし、ショートの守備も上手いと思う。

 また最近はパワーもついてきたと聞いている。

 コミュニケーション能力もあり、そしてなにより華がある。

 間違いなく、君は良い選手だ。

 僕と一緒にプレーしていた頃とは、比べものにならないくらい良い選手になった』

 そこまで褒められると照れる。


『だからアメリカに来ても、レギュラーを狙えるかもしれない。だけど…』

 そこでトーマスは言葉を切った。


『だけど…、僕は君がアメリカに来るのは勧めない…。君は日本に残った方が良いと思う』

 僕はちょっと戸惑った。

 なぜトーマスはそんな事を言うのだろう。


『これは友人、いや親友としての心からの助言だと思ってほしい。

 もし君があと5歳若かったら、メジャーのどこのチームでもレギュラーを狙えたと思う。

 でも君はもうすぐ30歳だ。

 もし同じ能力なら、いや例えタカハシの方が少し能力が高くても、各チームの首脳陣は若い選手を使うだろう』

 それは確かにそうかもしれない。

 例えそうだとしても…。


『もし君がピッチャーだったら、チャンスは多くあったと思う。

 良いピッチャーは何人いても、困らないからね。

 でも君のポジションのショートストップは、メジャーでは花形であり、身体能力に優れた選手がゴロゴロしている。

 外野手としても、今のメジャーはパワーがある選手か、足が速くて肩が極めて強い選手を優先的に使う。

 そういう意味では君の能力は、メジャーでは平凡だ。

 君の挑戦は、とても厳しい道のりとなるだろう。

 もちろん、夢を追うのは良いことだ。

 でも君には家族がいる。

 家族のためにも、日本に残った方が良いと思う』

  

 僕は頭をハンマーで殴られたような、衝撃を受けた。

 トーマスがこんな事を言うなんて…。

 僕のアメリカ挑戦を応援してくれているとばかり、思っていたのに…。 

 正直、とてもショックだ。


『タカハシ、ごめん。

 ずっと言うべきか、言わないべきか、迷っていた。

 僕としても、本音ではタカハシがアメリカに来てくれたら嬉しいよ。

 でも親友として、君の事を本当に思うからこそ、こういう事を言わないといけないと思うんだ』


 僕はしばらく黙っていたが、ようやく言葉を絞り出した。


『トーマス…。僕は今、あまりのショックで、何と言えば良いか分からない…。

 申し訳ないけど、今日はこれで席を立たせてもらう…。

 君が僕を思って言ってくれたことはわかっている。

 君の言葉はしっかりと受け止める。

 だけど、僕は僕の人生を生きたい。

 そしてしっかり考えて、悔いのない結論を出したい』


 トーマスは頷いた。そして言った。

『もちろんだ。君は君の人生を生きるべきだ。

 そしてこれだけは約束する。

 僕が日本で楽しい選手生活を送れたのも、君がいたからだ。

 だから、僕は君がどんな結論を出しても、君の親友であることには変わらない。

 全力で君をバックアップするよ』


『ありがとうトーマス。とりあえず今晩はゆっくりと一人で考えてみたい。

 すぐには結論はでないと思うけど、真剣に自分に向き合ってみる』


『そうだ。それが良い。それではまた明日』

 トーマスと僕は立ち上がって、握手をした。

 そしてルディとも握手をした。


 三田村も立ち上がった。

 いつになく真剣な表情をしている。

 そして言った。

「ここの支払いは、お前につけとくからな」

 勝手にしろ。


 僕はレストランを出て、エレベーターホールに向かった。

 トーマスの言葉が胸に突き刺さっている。

 トーマスは僕のためを思って言ってくれたのは、痛いほどわかっている。

 でもやはりショックだった。

 今は何を考えるべきかわからない。

 とりあえず部屋に戻って、ビールでも飲みながら、ボーっとしたい。

 

 エレベーターが到着し、僕は乗り込んだ。



 

 

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