第八話 歴史研究部[前編]


 歴奈の正面の窓から、心地のいい風が入ってきた。


 大黒が開けた窓の外を眺めながら、風にゆらめくボブカットの黒髪を押さえている。


 後ろ姿を見ても黒が似合うと思った。今日も全てが黒で統一されている。


 ロングカーディガン、ニーハイソックス、上履き。どれも黒い。今は見えていないセーラー服の上側も、部室の隅に置いたトートバッグも黒かった。


 大黒が振り返ってこちらに近づいてくると、歴奈の向かいの席に腰を下ろした。


 部室の中央あたりに二つを合わせた長テーブルがあり、それぞれに三つ、合計六つのパイプ椅子の席がある。出入口側が歴奈、窓側が大黒で、二人とも真ん中の席に座っている。


「先週はごめんね。私もドラゴも、見学に来てくれる子がいるとは思っていなくて」


「いえ。悪いのは、部活体験期間の前に行ってしまった私で」


「いいのよ。それより、また来てくれて嬉しいな」


 大黒が微笑みを浮かべて、歴奈を見つめている。


 先週、出入口の窓を通して大黒に見つめられたときのことを思い出した。


 まるで心の底まで見透かされてしまったかのような、不思議な感覚に陥った。

 今は特にそういったことはない。ただの気のせいだったのだろう。


 大黒が、どうしたの? とでも言うように小首を傾げると、滑らかな髪の一部がサラサラと流れた。


 歴奈は、自分が見とれてしまっていることに気付いた。やはり大黒は美人だ。


 大黒から視線を逸らすように、歴史研究部の部室を眺めた。


 長テーブルの向こうの側の一面は窓だが、左端にはサッシ戸がある。ベランダとの出入り用だろう。歴奈の教室は一階だが、外に出られるサッシ戸があるのは同じだ。


 歴奈から見て左手の壁際、窓に近い位置に、掃除用具入れと並んでスチール書棚が置かれている。スチール書棚のガラス戸の奥にはファイルや本が並んでいるようだ。そして天板の上には火焔型土器や埴輪などが置いてある。歴史研究部らしいと思った。


 スチール書棚の左には移動式のホワイトボードが置かれていた。そのさらに左の角を曲がった場所に出入口の引き戸がある。歴奈から見て後ろの壁の左端だ。広さは教室と同じくらいだが、突き当たりの部屋のため廊下と出入りできるのはその一か所だけらしい。


 後ろ側の中央、歴奈の真後ろあたりに、背中を向けた伏見がいる。その奥には食器棚のような棚があり、その上に置かれたポットのような物が小さく音を立てている。どうやら電気ケトルだったようだ。


 右手は二メートルほどの高さの黒いパーティションが大部分を覆っている。その前にはパイプ椅子が並べられており、歴奈たちの荷物が置いてある。


 パーティションと奥の壁の間にはスペースがあるようで、それが少し気になった。


 正面に視線を戻すと大黒が微笑んだ。


「部室はこんな感じなの。私は好きかな」


 大黒が澄んだ声で言った。前にも思ったが、ゆっくりで優しい話し方だった。


「今日は昼休みにも来ちゃった」


 ここでお弁当でも食べたのだろうか。


「素敵な部室だと思います。あの土器とか、歴史研究部っぽいですね」


「気にいってもらえたのなら嬉しいな」


 大黒が目を細めた。女子でも身構えてしまうくらいの美人だが、優しい声を聞いていると落ち着くような気がした。いつの間にか、だいぶ緊張も和らいでいる。


「そういえば、あのパーティションの奥のこと、気になっちゃった?」


「はい。少し」


「じゃあ見てみる?」


「夜宵」


 後ろから伏見の声に振り返った。


 伏見がこちらを向いている。視線は大黒に向けられているようだ。眠そうな顔で感情は分かりにくいが、先ほどの声には少し咎めるような響きが込められていた気もする。


「あの、何か都合が悪いようでしたら、別に」


「大丈夫よ。ドラゴ、ちょっと見てもらうだけだから」


 大黒が立ち上がると、伏見は軽く息を吐いて食器棚の方に向き直った。


 少し戸惑ったが、歴奈も腰を上げて大黒に続いた。


 パーティションとパイプ椅子の置かれていない窓の付近から中に入った。


 細長いスペースだった。パーティションと壁の間は一メートルちょっとくらいか。

 スペースに沿って、一本足の小さな丸いテーブルとそれを挟む二つの丸椅子が縦に並んでいる。全て黒だった。パーティションの内側も黒で外側と同じだ。


「ここは――、部長の大黒先輩と副部長の伏見先輩専用のスペースとか?」


「うーん。私はともかく、ドラゴが使うことは少ないかな。座ってみる?」


「あ、いえ」


「じゃあこっちへ」


 大黒が丸テーブルなどの横を通り抜けて、奥まで進むと手招きした。


 壁際に腰の高さほどの黒い棚が設置されている。


 歴奈が近づくと、大黒が棚の黒い目隠しカーテンをめくった。棚は二段になっていた。上の段には黒い木箱が入れてあり、下の段には黒塗りの金庫が置かれている。


「この木箱には、アロマキャンドルやティーセットが入っているの」 


「なんだかおしゃれですね」


 ただ、歴史研究部の部室に置くべきものなのかは微妙だと思った。それに外の食器棚にもコップは置いてあった気がする。さらにティーセットが必要だとは思えなかった。


「金庫には貴重品」


「厳重ですね」


 鍵を挿してダイヤルを回さないと開けられない金庫のようだ。


「ドラゴが呼びに来る前に戻りましょうか」


 二人でスペースを出ると、伏見が待ち構えるように立っており、手にしているアクリル製のケースを差し出してきた。仕切りごとに別種類のティーパックが入っている。


「好きなのを選んで。どれも、前にスーパーの売り出しの時に買った安物だけど」


「ありがとうございます。えっと――」


 歴奈はどれにするか少しだけ迷ったが、紅茶をリクエストした。


「わかった。夜宵はいつも通り緑茶?」


「うん。よろしくね」


「それから――」


「ドラゴが心配するようなことはしていないから」


 大黒が伏見の横を通り抜けて長テーブルの席に戻っていく。


 その後ろ姿を見つめる伏見は、なんとなく何かを懸念しているように見えた。


「もうちょっと待ってて」


 伏見に言われて席に戻った。もしかして伏見はあの金庫を見られることを嫌がったのだろうか。窃盗の心配をされているなら心外だが、なんとなくそうではない気がした。


「お茶を待つ間に、歴史研究部の活動について説明しておこうと思うのだけど」


「あ、はい。お願いします」


 大黒に言われて、歴奈は慌てて返事をした。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る