第五話 予兆
渡り廊下から中央棟に入った。左手に階段があって通路が狭くなっている。
「ウチの部は好きな歴史を研究していい。時代や国に縛りはないから」
「良かった。楽しみです」
伏見の教えてくれた通りなら何よりだ。
歴奈が好きな歴史は、戦国時代、幕末、そして中国の三国志で、どの研究もできないとしたら入部は気が進まなかった。
「――それに、普通じゃない歴史も研究しているし」
伏見のボソリとした呟きに、歴奈は疑問を持った。
「ドラゴ」
不意に上から声がした。視線を向けると、階段に女子生徒がいた。
「
伏見はそう言うと階段の上り口手前に移動して、下りてきた女子生徒と向かい合った。
女子生徒は赤石という三年生らしい。
「あのときは相談に乗ってくれてありがとう。その子は?」
赤石が少し離れて立っている歴奈を
「歴史研究部の見学に来てくれた子」
「そうなの。よろしく」
赤石から社交辞令的に挨拶をされ、歴奈は軽く会釈した。
「私、今日、日直なのよ。教室の戸締りが終わって、鍵を職員室に持っていくところ」
赤石が鍵を軽くかざした。『3―A』と書かれたタグが付いている。
「私も部室の鍵を取りに、まず職員室に。ちょっとここで待ってて」
伏見はそう言うと、赤石と一緒に廊下を左に曲がって見えなくなった。
歴奈は階段の手すりに背を預けて、伏見の言った『普通じゃない歴史』のことを考えた。
普通の歴史でないとすれば、歴史の通説ではなく異説を研究しているのだろうか。もしくは、あの一点が違えば歴史はこう変わっていたはずだという歴史IFの研究だろうか。
「『フェイク彼氏』のことでからかわれると結構へこむけど、頑張る」
「ファイト」
赤石、そして伏見の声が聞こえた。職員室はすぐ近くで、もう戻って来たようだ。
歴奈が体を起こしたとき、二人の姿が見えた。
「じゃあ私はチア部に行くから。バイバイ」
赤石は伏見に手を振り、歴奈には目もくれずに階段横の通路から渡り廊下に出て行った。
「お待たせ。行こう」
伏見と階段を登り始めたが、赤石の言っていた『フェイク彼氏』のことが気になって仕方なかった。
ただ、二人の話を聞いていたと告げるのも気が引ける。そこで遠回しに探りを入れてみることにした。
「あの、伏見先輩は、赤石先輩とはどういうご関係ですか?」
「まあ、ちょっとした知り合い。相談に乗ったことがあるというか」
伏見が、どことなく歯切れの悪い口調で答えた。
その様子を不自然に感じたものの、大黒に会ったときの第一声が、『あなたは、歴史の相談者かしら?』だったことを思い出した。一部は聞き取れなかったが、やはり歴史研究部では歴史に関する質問や相談を受け付けているということなのか。
赤石も何らかの相談に乗ってもらった礼を言っていたようだった。
だが、どうもしっくり来ない。
「歴史の相談ですか? でも赤石先輩は、あまり歴史に興味のあるタイプには見えな――」
「――何か、スポーツはやってる?」
「あ、いえ。中学のときに少しだけ弓道をやっていたことがありますが、今は何も」
伏見が唐突に話題を変えたことに戸惑いを覚えつつも、質問に答えた。
「弓道部への入部は検討してる?」
「いえ。運動部に入ることはないと思います」
「ウチの部に来てくれるなら嬉しいけど、何か運動はした方がいい。成長期を過ぎれば、何もしないと体はだんだんと弱っていく」
伏見はバスケが得意なだけでなく、運動全般の知識も深そうだった。
「伏見先輩は、部活以外で何かスポーツをされているんですか?」
「総合格闘技のジムに通ってる」
「あまり詳しくはないですけど、総合格闘技って確か、何でもありの」
テレビでちらりと見た程度だが、倒れている相手を殴ったりしていて、相当に過激な印象を受けた。
「今ではルールが整備されているし、子供の時からちゃんと安全に配慮した練習をしている。オーバーワークにならないよう、週四日くらいに練習は抑えているし」
「それでも子供の頃から週に四日も練習を。あの、何歳で始められたんですか?」
「四歳」
「凄い。英才教育ですね」
十年以上も週の過半数をトレーニングに費やしてきたのであれば、その蓄積は相当なものだ。男子にも劣らない伏見の運動能力も、幼少期からの積み重ねの賜物なのだろう。
最上階の四階に着いた。伏見と一緒に右に曲がり、突き当たりの部屋の前まで進んだ。
引き戸上枠部に貼り付けられた部室名のプレートに視線を向けた。
歴史研究部の文字。そして、その左の黒塗りの四角。
先週もそうだったが、その黒い四角のことが、なぜか気になって仕方がなかった。
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