第一章 第2話

「ゼイ、ゼイ、、、、」


 海岸走り10kmは、ハワード商会から海に向かい、岸壁を左に曲がって海岸線伝いに城壁までを往復する基礎体力訓練だ。但し、街中はいいが途中から砂浜や岩礁地帯となるため、足場の悪い難所が往復2kmほどある。

 走力、バランス感覚、足場の状態確認等戦いにおける身体能力、バランス感覚、観察力、集中力を養うトレーニングだ。おそらく平地の1.5倍の時間を要する。

 初心者には無理ゲーかもしれないがハワード商会が求める商人としての武力の基本能力養成になるわけだ。


 息が整うと、次は武術訓練だ。教官はなんと、初代商会長チャールズ・ハワードご本人だ。

 家督は息子に譲ったが、齢60にして未だ筋骨隆々の大柄な体躯、鋭い眼光は一切の妥協を許さない。アドニス統一戦争の生きた英雄が教官なのだ。商人見習い達は英雄からの直々の指導を受ける栄誉と、その厳しさの飴と鞭に心酔している。

 そう、商人見習い訓練は今やチャールズの道楽と化している。豊富な実戦の経験を叩き込み、優秀な即戦力の育成がハワード商会、そしてアドニスの将来を担う人材育成になると信念を持っている伝説の国士だ。その根底には深い人間愛がある。


「いつまで休んでいる。素振り1000。始め」


 ハワード商会設立時には王都アドニスに拠点を置いたが、統一戦争後ケルンを王弟リチャード・フォン・アドニス公爵が管轄することになり、ケルスに移転したようだ。

 リチャード公爵は頭脳明晰ながら温和で何よりも民間の活力向上こそが富国に繋がるとの信念を持った人物のようで、もちろんノブレス・オブリージュの体現者だ。

 チャールズ爺が現国王派を早くから支持したのはリチャード公爵が現国王を支持したからだと聞いたことがある。ここケルスでは王家からの干渉の少ない自由な民間の活動が許されているのだった。


「次、模擬戦だ。ナギ、遠慮なく打ち込んで来い」


 木刀を持って対峙。全く隙が無い。

 剣先、肩、足、目線等々思いつく限りのフェイントを駆使して打ちかかるが簡単に裁かれ、返り討ちに会う。単発ではなく連撃を仕掛けても同じだ。返り討ちの痛みを堪えながら5分程打ち込みを繰り返すがガス欠となった。


「ゼハー、ゼハー・・・・・」

「うむ、筋は良いがまだまだ体が出来ておらんな。追々体は出来るとして、技術も磨かないとな。次は防御の訓練だ。受けきれよ」


 ニヤリと笑い、俺がギリギリ捌ける速度と威力での攻撃が始まった。チャールズの一撃一撃が重い。目で追うことは出来るのだが手の痺れや筋肉痛で木刀の操作がおぼつかなくなる。約10分程で俺は地面に倒れ伏した。


「ふむ、思ったより耐えたな。まぁ初日としては合格か。これを続ければ一月後には倍の時間継続できるようになるだろう」

「え~、ひと月経っても倍ですか?きついな~」

「バカもん。武術というものは長い年月を厳しい修行に費やして磨いていくものじゃ。一朝一夕で成し遂げられるなら訓練なんか必要無いわ。う~ん。見込みがあると思って甘やかしてたか?今日は特別ご褒美だ。もうひとセットだ」


 不用意な一言でもう一度攻撃と防御の訓練を受けた。

「ありがとうございました」


 武術訓練を終えた後は昼食を取り、午後の鍛錬となる。躁馬車訓練だ。いきなり馬車を操作するのではなく、まずは馬の世話だ。

 ハワード商会の中庭には馬房があり、そこで馬の世話をしながら、意思疎通を図り、馬の性格を知り、扱い方を習うのだ。飼葉を与え、水を変え、ブラッシングなどどれも体力を使うが馬達が喜ぶ気配を感じる時が至高の時間となる。無意識に馬に話しかけながらブラッシングをしている自分に気付くが、誰も見てないことを確認して一安心だ。照れるからな。何れ騎乗、躁馬車の域に達するだろう。


 躁馬車訓練の後は操船訓練だ。これも最初は座学と綱操作の繰り返しだ。座学はまだしも綱の結び方は奥が深い。一回では覚えられないのでこれも繰り返し鍛錬だ。結び方と用途、これ重要。何れ船上で帆の上げ下げ、錨の操作、操船と段階を上げていかねば一人前の船乗りにはなれない。

 

 最期は教養だ。算術、言語、国の歴史、世界の歴史。ここは俺の得意分野だ。その理由にはこんな出来事があったからだ。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 転生後、言葉の壁にぶつかったが、4歳になる頃にはこの世界の言語を聞き取り、話すことが出来るようになった。俺はそんなある日、両親に告白した。

「お父さん、お母さん、今日まで育ててくれてありがとうございます」

「ナギ、何を言ってるんだ?なにか変な薬でも飲んだのか?」

「あ、そうですね。突然変なことを言ってすみません。どこから話したらいいのか……」


 俺は、カミングアウトした。

 前世の記憶があること。ハワード家の門前に赤子の状態で捨て子の様に転生し、拾われた記憶もあること。言葉が通じず、今日まで黙っていたが、大切に家族同然のように育てられたことを感謝している事。この恩を何とか早く返したいと思っていて、商人見習いの勉強を始めたいと。


 シャロット母さんは泣いていた。ウィリアム父さんも俺をジッと見つめ黙っていたがやがて覚悟を決めたのか、ぽつりぽつりと話し出した。


「ナギが捨て子だったのは本当の事だ。そして私たちの本当の子供と思ってここまで育ててきたのも本当の事だ。これからもお前が俺たちの子供であることに変わりはない」


 黒髪黒目の俺がどうしてハワード家の門前に捨てられていたのか当時は不思議に思い、情報を収集したが、そもそも黒髪黒目の人間はアドニス大陸では珍しく、当時新たに街で見かけた噂すらなく手掛かりはなかった。

 孤児院に預けようかと思ったが泣き叫ぶこともなく、ジッと私たちを見詰める瞳が妙に気になってハワード家の子として育てることにした。聞き分けも良く、スクスクと育ち、兄弟やハワード家の船員からも評判も良く、自慢の息子となっていると。

 前世の記憶があることは家族だけの秘密にする。どうかこのまま、ハワード家の息子として家族の一員として一緒に生活していこうと。最後まで続ける覚悟があるなら商人見習いの勉強はいつ始めてもいいと。


「今まで育ててくれてありがとうございます。お父さん、お母さんそして家族や商会の人たちが俺が捨て子だってことを知りながら温かく見守ってくれたことを感謝します。そしてこれからも家族の一員だと言ってくれて本当にありがとうございます。この恩は一生かけて返します。船員見習いの訓練は明日から受けさせてください」


 転生したものの、特別なスキルや技能も無いことに焦っていた俺は、出来る限り早くスタートダッシュを掛けたかったがその機会を得た。明日から商人見習い訓練だ。聊か勇み足、いや勝手な独りよがりだったけど秘密の暴露と、両親が心の底から俺を息子と思っていることが確認でき、心は軽くなった。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 それから俺は合間を見ては全訓練に顔を出した。主に海岸走10kmと教養の時間だ。

 あれから7年。初等王立学校の授業がある日も、登校前の海岸走り10kmと学校から戻っての教養の時間には参加した。流石に登校前の海岸走り10kmは4歳の体力には無理ゲーだったので2~5km程走る程度だったが、既に教養は免許皆伝、自由にしていい時間となる。ここからは魔法の時間にしようと思っている。


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