041 ラバー・ダック再び

 俺は明日、東京へ出発する。両親はまた海外出張に行ってしまって家は空っぽだ。本当に忙しい人たちだ。何の仕事してるんだっけか? 爺ちゃんが大株主だとかいう外資系コンサルティング会社に勤めているはずだが、一人息子の新たな門出かどでを祝えないほど忙しいとは……。将来俺は地元でのんびりしたいものだ。光輝さんからはウチに来いって言われてる。留年しないようにちゃんと勉強しなくては。


 俺はたまに足を運ぶ公園に来た。ここが作られたのは比較的新しい。もともとは別の場所に小さな公園があったのだが、今はコンビニになっている。ここは敷地も広く地域のもよおし物なんかも定期的に行われる場所になっている。いつもは近所の子どもたちが遊んでいたり、お年寄りがのんびり散歩してたりするのだが、不思議なことに今日は人の姿が見えない。故郷を離れる前にいつもの風景を目に焼き付けておこうと思ったのだが……。


 ベンチに何かある。子どもの忘れ物だろうか? うん? には見覚えが……。


「もしもーし。そこのお兄さん!」


 ぬっ、この声は!


 振り返るとあの神父が立っていた。あのときと同じまんまの神父姿。隣にはなぜか白のタキシードのイタリア男が立っていた。


「コンニチハデ、ゴザルデス」


 なんかコイツ、日本語がさらにヘタになってる気がする。ふざけた連中だが、確実にヤバい連中だ。バチカンがどうとかも嘘っぽい。確か警察が行方ゆくえを追っているのだとかで、こっちに戻ってきてから刑事さんだかが家まで話を聞きに来ていた。自衛隊の人がいっていたことに従って、あのときのことは話せなかったが、その刑事さんによると詐欺かなんかの容疑で追っているということだった。面倒だ。非情に面倒である。


「あれっ!?」


 無視して立ち去ろうとした俺の身体が金縛りにあったかのように動かない。


「本当に戻ってくるのには苦労いたしました。まさか私どもの天敵に遭遇してしまうとはまったくの不覚ふかく。これも教会の連中の言うところのとかいうものなのでしょうか、まったくもって理解ができません」


 いや、アンタの言ってることの理解ができんのだけど。


「エットデスネ。キマシタ、デス」


「なんだよ、八つ当たりって?」


 俺の口と声帯は動くようだ。


「私どもの『大いなる計画』が頓挫とんざしてしまったのは、思い起こせばキミトさん、あなたが原因であるということに私、思い行き当たったのですよ」


 しらんがな……。


「トイウワケデ、アナタニハ、御亡おなクナリニナッテイタダキマース」


「はい、いさぎよく死んでください」


 助けを求めようと動く眼球で限られた視界の中を見渡すが、人っ子一人見当たらない。人気ひとけがないことは不審に思ってはいたが、これはもしや漫画やアニメでいうところの固有結界こゆうけっかいとか領域展開りょういきてんかい的な空間に閉じ込められているとかなのか?


 眼の前に立った神父が右手を俺のほうにかざす。


「げっ!」


 神父の手のひらに口が現れた。その口がゆっくり開くと中から鋭い歯を持ったヘビのようなやつが顔を出す。おい、SF映画のヤバい宇宙生物かよ! こんなところで俺は死ぬのか?


 その触手のような魔物が俺に襲いかかった。


 しゅっ。


「あっ?」


「何と!? ぐおっ!」


 そのヘビのような生物の頭部が消失し、神父の手のひらから赤い血が吹き出す。同時に俺の身体が自由になった。神父には見えないのか彼の頭上にはあのが浮かんでいた。


「グヌヌヌッ!」


 振り返るとイタリア男が顔に黄色いアヒルのおもちゃをくっつけてひっくり返っていた。強い力で抑え込まれているようにも見える。もしや、あれは……。


『正解です。私ですよ、キミトくん』


 やっぱり、先生だった。実はマッチョなはずのイタリア男が黄色いラバー・ダックに押さえつけられている絵面はシュールだ。ジタバタしているだけで一向に起き上がれそうにない。


「これは不可視ふかしのナニカと、念動力ねんどうりきなのですか? あの天使がいなくなって、あなたがチカラを失っているのではという私の考えが甘かったようです。ここは撤退てったいいたします!」


 神父は無事な左手を先生に向ける。何か黒いビームのようなものが発射されるがアヒル先生は華麗にジャンプしてかわした。


「ブヘッ……」


 それはそのままイタリア男の顔面に直撃した。だが普通に生きているようだ。その後神父に抱えられてよろよろと起き上がるイタリア男。


「では、この礼はいつかきっと、必ず……」


 そう神父が台詞ぜりふくが、特に暗黒のワープゲートが開かれるとか、すっとその姿が消えてしまうというようなことはなく、二人はふつうに走って逃げていってしまった。同時にあたりには楽しげに行き交う人たちの姿が現れた。普段の平和な公園の風景の中、あの二人の背中だけが淋しげではあった。どうも連中は能力のバランスが悪いようである。


 周りに人が現れたからなのかピタッと動かなくなったアヒル先生を拾い上げる。さっき先生が置かれていたベンチには、俺のトコとは違う他校の女子生徒が二人座って楽しげに談笑を始めていた。


「助かりましたよ、先生。それにお前もな!」


 先生であるラバー・ダックの背に現れたはその特徴的な表情で見上げていたが、無数の右腕のせわしない動きから久しぶりに俺と会えて嬉しいのだという感情が伝わってくる。


『ああ、ベンチ……』


「先生?」


『私はベンチになりたい……。ああ、すいません。ちょっと昔の記憶が蘇ってしまったもので。ええ、忘れてください』


 なんでも彼が天に昇っていくのと一緒に、先生も禍津神も成仏じょうぶつするはずだったらしいのだが、直前でまた追い返されたのだと先生は言っていた。禍津神は『トモダチ! トモダチ!』と繰り返すだけで要領ようりょうを得なかった。


「でも、先生。どうしてアヒルのおもちゃなんかに?」


『さあ、以前はいろんなものに。例えばあのベンチなんかにも取りくことができたのですが、ある日をさかいに鳥さんか鳥に類する何かでないと駄目になったようでして……。浴室よくしつを抜け出してここまで飛び跳ねてやってきたのですが、それはもう大変でしたよ』


飛び跳ねてって……。誰かに見られてたたら大騒ぎだろ。勝手に飛び跳ねるラバー・ダックとか怖すぎるわ! ん? だからライチョウだとかアヒルのおもちゃか……。ん? ? おいおい、もしかして……。


「先生! もしかして小夜さんや沙也加の風呂をのぞいてたとか?」


『ああ、良いものでした。できることならまた……』


「ちょっと待てや、お前!」


『ぐへぇ』


 ちょっと勢い余って強く握りつぶしてしまった。先生の実体はこのアヒルではないだろうから心配はないはずなのだが……。ベンチのJKの話し声がヒソヒソ話に変化した。ん? 俺の前を足早あしばやに立ち去ろうとする手を繋いだ母と子。おいおい、アヒルのおもちゃに話しかけてる俺ってもしかして、いまかなり危ない奴に見えているのでは……。


「ああ、君、これあげるよ」


「いらない!」


 手を引かれながらも俺を見ていた男の子にを差し出してみたが、あっさりと断られてしまった。


「先生、いらないってさ」


『いやいや、キミトくん。それはあんまりでは……』


 俺の頭の上で相棒が嬉しそうにぴょんぴょん飛び跳ねているのを感じた。まあ、これから退屈はしなさそうだと俺には思えた。

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