011 ふたつの目玉

「キミト、あなた『くだん』を知っているかしら?」


「くだん?」


半人半牛はんじんはんぎゅうの妖怪だとされるわ。その界隈かいわいでは有名な予言獣よげんじゅうよ」


 まさか沙也加の口から妖怪なんて単語で出てくるとは思わなかった。その界隈って、どの界隈だよ……。オカルト方面にまで造詣ぞうけいが深いとは、さすがの俺も知らなかった。


「予言獣ってなんだよ?」


「2020年頃のコロナの際に流行った『アマビエ』が有名かしら。江戸時代、突然光輝ふかりかがやく姿で海に現れて、向こう6年の豊作と疫病えきびょうの流行を予言して、疫病が流行ったら自分の姿を描いた絵を早々に人々に見せよと告げたと言われているわ。それは肥後国ひごのくに、いまの熊本県での出来事だったのだけど、遠く離れた江戸にまでその情報は伝えられたの。それがアマビエの姿とともに瓦版かわらばんに残っているわ。鳥のようなクチバシを持つ半人半魚の妖怪よ。同じように現代でもそれにあやかろうとして疫病除やくびょうよけの妖怪として、ネット上にたくさんのイラストがアップされてブームになったわね」


「聞いたことあるかも。いい妖怪じゃん」


「人間は自分の都合の良いように解釈するものよ。実際にいたと仮定してただ親切心でそんなことをしたとは考えにくいわ。きっと何か裏があったはず」


 いやいや、昔話に裏も何も……。相手が妖怪でもさ、素直に善意や好意は受け取りましょうよ沙也加さん。


「件の話に戻すわ。この件も瓦版が残されているの。同じ江戸時代に丹後国たんごのくに、いまの京都のあたりで出現している。これも同じように豊作と疫病の流行を予言して、件の絵図を家に貼っておけば厄除招福やくよけしょうふくになると伝えているのよ。そして明治時代に現れた時には日露戦争を予言し、太平洋戦争の時には終戦を予言したとも言われているわね。その後も大きな震災の前に見たというカキコミはネット上でも確認されているわ。世情せじょうが不安定になると現れる妖怪だとも言われているわね。件は生まれてすぐに予言を行い、数日のうちに死ぬというのが一般的だけど。そうでもないのも存在するらしいの。それがこの雪山での目撃がこの数年、増えてきているらしいわ」


「イタズラとか、ネタでやってるんじゃないの?」


「いいえ。実はこのあたりで警察と自衛隊の出動の履歴を確認したわ。おそらく何らかの関係があると私は推測しているわ」


「はあ!? ちょっと、そんなものどうやって……。ああ……、か……。これだから本家の人間ってのは……」


 もう普通の高校生が知りうる範囲を超えている。うん。いまのは聞かなかったことにしよう。



「お二人ともお待たせいたしました」


 小夜さんが戻ってきた。おおっ! これは素晴らしい。小夜さんは真っ白な小袖こそでと真っ赤なはかまの巫女衣装で登場した。


「小夜ちゃんカワイイわ!」


 俺の言いたかったセリフを沙也加に横取りされた。ぐぬぬ。


「いえ、おば、大巫女さまに言われて着替えて参りました」


 ナイスだ、巫女ボス!


「おおぅ……」


 小夜さんの後に続いて和室に入ってきたさらに小柄な女性に俺は言葉を失った。


「勘解由大路さま。ようこそお越しなされました」


 そう言って頭を下げる彼女は、オーナーお婆ちゃんだった。赤と白の巫女服。何十年も前だったら俺もときめいたのかも知れないが、それは俺の貧相な想像力の限界の遠く先にあった。


「は、はい。お邪魔してます」



 バチッ。



 あっ、まただ!


 飛んだ。


 俺のナニカが飛んだのが分かった。


 雪。


 あたり一面真っ白だ。


 視界……、正常だ。変な見え方はしていない。上からでも下からでもない。


 でも、音が無い。音がしない、が正しいのか? いや、音がないんだ。足? ある。身体も手も。自分の顔も触れる。服もダウンジャケットにジーンズのありふれたそれ。


 村?


 さっきの村と同じ様に見えるけど、違うというのをはっきり感じる。周辺の山が近い。それに薄暗く感じる。昼間なのに薄暗い。


 人がいる。


 酷えボロボロの服っていうか黒っぽい紺に近い色の着物? というか時代劇風な格好とでも言えばいいか。でも数人の男たちが見えるが、みんなせ細ってガリガリという感じ。映画の撮影だろうか? いや、小夜さんは? 沙也加は? 巫女になった婆ちゃんは? ああ、声も出してるはずなのに音が「」。


 女の子がお婆ちゃんに連れて来られた。板の上に乗った。それを男たちがかつぎ上げる。みんな泣いている。女の子はそれを不思議そうに見ている。


 どこに行くんだろう?


 俺はその後をついていく。すぐ近くに追いついたけど誰も俺のことを気にもしない。


 女の子が振り返って俺を見た。不思議そうに首をかしげるけど、俺もそれを真似したら笑ってくれた。笑い声は聴こえない。でも、なんだか小夜さんに雰囲気が似ている気がした。


 大きな池? 湖? 


 そこまで来ると男たちは女の子を乗せたままそこに入っていく。彼らの腰のあたりまで水に浸かったところで板を水の上に浮かべる。そして板を女の子を乗せたまま押し出した。


 何をしてる?


 すると男たちが何かを叫びながら湖に背を向けて走り出した。遅れて老婆がつまづきそうになりながら俺の横を通り過ぎていった。


 人?


 向こう岸に人の姿がぼんやりと浮かび上がる。湖全体にうっすら霧がかかっているようで、はっきりとは見えない。女の子を乗せた木の板はゆっくりとそちらの方へ向かっていく。


 灰色の雲に覆われた空の隙間から陽の光が差し込み、ちょうど女の子を照らす。幻想的な光景だ。でも、何か違和感がある。


 霧が薄れていき、あたりの様子がはっきりしてくる。


 

 おいおい、そんなことって……。ああ……、そんな……。



 向こう岸に見えたそれは、ひとのカタチはしていたが、俺のよく知るそれではなかった。沙也加が何かいってたっけ……。頭部は人のそれではない。変形して肥大ひだいしているのか、牛は偶蹄類ぐうているい、馬は奇蹄類きているいだったかそういった分類のひづめのある動物の頭部に見えなくもない。巨大な頭部に身体の至る所がただれているのか、変色して鱗のようにも見える瘡蓋かさぶたのようなもので覆われている個体もいた。他にも様々なおよそ人には見えない巨大な異形の群れが向こう側にあふれていた。


 その群れの後方は闇に包まれていると思っていたのは俺の錯覚だった。上方には巨大なふたつの目玉が、流れてくる女の子を乗せた板を見下ろしていた。


 駄目だきみ……、そのまま行っちゃ。 逃げなきゃ! 逃げるんだ!


 気がつくと俺は、水の中を必死に進んでいた。






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