ショートケーキエンド

@magicalbullets

第1話




高校3年生、ぱっと燃えては散っていくような一瞬の青春、その最後の1ページ、摩耶掬星は童貞である。

未成年なのもあるが・・・未だ女性と契りを交わしていないこと、それ自体は大した問題ではない。ただ彼には並んで歩いてそっと手を繋ぐタイミングも、平熱の日々を一変させる告白の仕方も分からないのである。

一方で「くちづけは甘い」という根拠のない思い込みだけは、疑うことなく信じていた。


「摩耶くんおはよーっ!」

今日から新学期、3年X組の教室に少し高い、元気な声が響く。

「か、鶴林寺さん(だったよな)・・・おはよう。」

鶴林寺明姫は摩耶のクラスメイトで隣の席だ。特別彼と仲が言い訳ではない。今しがた摩耶に挨拶したのは彼が隣席であるという理由だけだ。

摩耶は色恋に疎いが馬鹿ではない。一般的童貞が陥りがちな「喋りかけられる=俺のこと好き思考」にはならない。

無論・・・これは勝手に脈アリかと勘違いしていた女子に「普通にあんまり苦手」と優しい陰口を叩かれていた悲しい中学時代から学んだことである。


「今日から高3だねぇ...一緒に頑張ろう!」

「・・・オ、うんッ」

絞り出した返事が情けなく響く。


それから少し経ち、朝のチャイムがなった。


「えー生徒の皆さん、今日から新学期です。休みの気分はここでおしまい!気持ちを新たに頑張りましょう。」


校長のテキトーな挨拶で新学期が始まった。

長話はしない人なので、生徒の人気は高い。


今日から新学年、全校集会とHRで流れるように一日が過ぎていく。


「・・・あーでは次、委員会決めよかァ〜。」

担任の猪名川が気だるげに呼びかける。


学級委員長や各委員が挙手で決まっていく。

X組は五国高校唯一の特進コースである。普通に考えれば委員会など押し付け合いになるところスムーズに進んでいたのは、どうしても避けたい役が共通の認識として存在していることに起因する。


文化委員会​─────地域の一大イベントである"五国祭"の実行委員会を兼ねるため、当日はもちろんその前の期間も準備などで受験勉強なんてできたものではないのである。


「オレは掬星がいいと思うけどなぁ〜?」

「ユウマ、お前何言ってんの!?」

「帰宅部なんだから多少時間削られても大丈夫だろ。」

「えぇ・・・」

「城崎の言う通りだ!」「賛成さんせーい!」


かくして、摩耶はX組の文化委員となった。

ここで問題なのは、文化委員は男女一人ずつということである。


「あーほんなら、摩耶と一緒にやったってもいい子?」


猪名川の声に教室が静まる。


「おい女子ィ〜、掬星がかわいそうだろがぁ」

「城崎くんサイテー!」「生徒会長なのに・・・」「さっき押し付けた本人でしょー!?」


がたっ!

揺れる教室、椅子を立つ音がひとつ。

静寂を叩く足音が数歩、立ち止まって、カカカッ・・・と黒板にチョークが走る。


「か、鶴林寺明姫ッ、立候補しますっっ!信任の方は拍手をーっ!!」


そう言って頭を下げた横顔は、苺のように赤くなっていた。


「おおーーっ!」「あれ誰?」「去年いたっけ」


「ほなX組はこれでいくでぇ〜。放課後に各委員会があるので忘れんように。じゃあ帰りの会しよか​──────」


チャイムがなって、今日が終わる。

文化委員会の部屋は別棟だ。


「鶴林寺さん・・・さっきはありがとう。それと、なんかごめん。」

「もー謝んないでよ!早く部屋いこー!」


並んで歩く渡り廊下、青っぽい気まずさと恥ずかしさが2人の口を閉ざしていた。

「私ね・・・」

鶴林寺が切り出す。

「去年まで不登校だったんだ。X組に入れたからやっと苦手な子から離れて・・・五国祭、最初で最後だから​─────」

「そっ、か・・・じゃあ絶対成功させよう!一緒に!」

白い肌に血色のいい微笑みが浮かんだ気がした。

委員会の会議室につき、扉を開けると他のクラスはもう集まっていて、皆が揃って2人に視線を遣る。


「お前ら遅いぞぉ〜?イチャイチャするんも年頃やけどなぁ・・・」

「時間、ちょうどでしょ?始めてください、猪名川先生。」


文化委員会の顧問は猪名川だ。

摩耶は2年でも彼のクラスだった関係で、扱いは慣れている。


「ほな・・・みんな知っての通り!我が五国祭は地域の方やメディアも来られる行事や。これを取り仕切る文化委員長をまず決めようと思うが、立候補者はおるか?」


部屋が静まる。先程のX組と似たような光景だ。


「じゃあA組の朝来。」

「え、僕!?無理っすよそんな大役!」

「ほんなら鶴林寺・・・」

「エワタシ?」

「!? いやいや先生!そこは俺でしょうが!?」

「そうか?まぁワシのクラスん委員でもあるし連絡しやすいしなぁ。」


棒読みで答える顧問の声。"ハメられた"、というやつである。


「じゃあ摩耶委員長に異論あるものは・・・おらんようやな。ほんなら今日は解散!くれぐれも進捗管理はしっかりしておくように。」


会議室を出ると、辺りは暗くなっていた。


「鶴林寺さんも五国駅の方だっけ?」

「そーだよ!一緒に帰ろ〜!・・・あ、ついでにコンビニでなんか買ってく?」


30分ほどかかる通学路、車通りの少ない道に、お互いの距離を図るような会話がほうって、溶けていく。


「スイーツ、好きなの?」

「うん、びっくりしたよねぇ?普通飲み物とかだもんね帰り道歩きながらって。」

ふふっと笑う唇には、生クリームがついている。

暮れた景色の中、こちらを向く丸い瞳に街灯がぼうっと写って、心を揺らした。


「あ、俺この道向こうだから、また明日・・・あ!連絡先もらっても、いい?い、嫌じゃなかったら・・・だけど」

「いーよ!・・・よし、じゃあまた学校で、ね!」


しばらく1人で歩き、家に帰るとカレーの匂いがした。

「おかえり!・・・あんた、なんかいい事あったの?嬉しそうじゃん。」

「なんでもねぇーよ・・・てか姉貴さ、ニートのくせに下着でウロウロすんのいい加減やめろよ。」

「掬星のえっち〜(笑)」


やれやれ、と自室に戻りスマホをあけると、チャットが1件。

『摩耶くん今日はありがとう😊 大変だけど一緒に頑張ろうね〜!💪』

頬が緩む。惚れている惚れていないではない、一緒に帰った異性からのメッセージ、思春期なら当然の反応だ。

己にそう言い聞かせたこの男、自分は他の"非リア"とは違うとスカしている、殊に"勘違いの魔法"に関しては意識しているつもりだっが、気付かぬうちに芽生えるのが淡い恋心というものだ。


翌朝、上履に履き替え教室に向かうと先客がいた。

「おはよう、鶴林寺さん。」

「おはよー!今日は遅かったねぇ。」

「(まだ俺らしか来てないけどな・・・)」

ぞろぞろと人が集まりはじめ、チャイムが鳴る。

「みんなおはようさん。今日も欠席は・・・おらへんな。5時間目はクラスで五国祭のことを決めるからHRや、忘れんように。」


はーい、と口々に返事をするクラスメイトたち。一方で、摩耶にはひとつ不安があった。


そして5時間目のHR、猪名川の提案で、文化委員の2人が仕切ることになった。


「あーでは始めます・・・改めまして、X組文化委員の摩耶です。クラスみんなで五国祭頑張りましょう。」

「おっ・・・同じく、か、鶴リン寺はるキですっっ!えっと、誰だよって人も多い、とっ思うんですけどッ、よろしくお願いしますっっ!」


「鶴林寺さん大丈夫ー?」「顔赤くね?(笑)」


「(あがり症なのかな?)えっと、じゃあやりますか​──────」


小声で鶴林寺に書記をお願いし、摩耶が司会を中心にすることにした。


「みんな知ってると思うけど3年は演劇をやることになってるから、とりあえず脚本担当を決めよう。誰かやりたい人は・・・」

「誰もやらないなら、ワタシがやるけど。オリジナルで作っていいのよね?」

「もちろん・・・助かるよ、ありがとう。じゃあ脚本は宝殿さんでお願いします!」


パチパチ、と賛成の拍手が響く。


「宝殿お前脚本なんかやれんの?陸上部なのに?」

「主役はあんたがやんのよ、城崎。ねぇ摩耶くん?」

「オレぇ!?おかしいだろ!なぁ!?」

「他にやりたい人がいないならいいよ別に。」


練習などに時間が取られるためなり手がいないと懸念していた脚本・主役が決まったことで他はトントン拍子で決まっていった。

黒板にカツカツ、と調子のいい音が刻まれていく。


「じゃあいい時間なんでまとめましょうか!」

そう言って黒板を振り返る。


脚本 宝殿三奇

演者 城崎有馬

   摩耶掬星

   朝霧舞子


「と役割分担はこんな感じで・・・あらすじはユウマが俺のこと好きで、俺が朝霧さんのこと好きで朝霧さんはユウマのことが好き・・・なにこれ?」

「アタシの話に文句あんの?」

「ないです・・・」


「・・・ほな!脚本から小道具まで決まったようやし今日の放課後から準備を進めるように!五国祭まですぐやからなぁ〜?」


1時間見守っていた猪名川が話を閉めて、今日の授業が終わった。


放課後、摩耶は横の席に首を向けた。

「鶴林寺さん、さっきは書記ありがとう。えっと・・・小道具班は任せていいかな?」

「うん!作業のついでにみんなと仲良くなれたらいいな〜、なんて。」

そうはにかむ彼女と、目が合った。少し、ドキッとした。

「・・・優しいんだね」


ぽつりとつぶやいて、風でさらりと揺れる髪、見蕩れる摩耶に後ろから声がかかった。


「摩耶くん、ちょっといいかしら?」

「ん、あぁすぐ行くよ。」

宝殿と教室の隅に行くと、演者班が集まっていた。


「脚本はこの土日で仕上げるから、劇の練習は週明けからでいいかしら?」

「まぁそうなるだろーな。てかお前土日の練習どうすんの?」

「どうせ顧問も来ないし休むわよ・・・キャプテンのあんたに言えば十分でしょ?」


城崎にそう告げ、それじゃ、と帰って行った。


「城崎くんってキャプテンだったの!?」

「おう!あいつにももうちょい来て欲しいんだがな・・・」

「朝霧さんはダンス部だったよね?劇の練習に来てくれるのはありがたいけど・・・最後の大会の大丈夫?」

「ちゃんと覚えててくれたんだ!もちろん、ヒロイン役だしね〜がんばる!」

「学年イチ美少女の舞子ちゃんに惚れられる役・・・主役も悪くねぇな、掬星?」

「城崎くんキモ〜い(笑)」


そんなどうでもいい会話をして、とりあえず演者班は解散した。

摩耶は実行委員長としての業務もあるので、ひとりで委員会室に向かうところである。


「やれやれ・・・思ったより忙しいな。流れでなるんじゃなかった。」


椅子に座り淡々と仕事をこなしていると、猪名川がズカズカと部屋に入ってきた。


「どうされました、先生?」

「おう、頑張っとうみたいやな。ところで摩耶、いま少しええか?」

「えぇ、構いませんが・・・」

「鶴林寺のことやけどな、あの子が去年まで不登校やったのは・・・知っとうみたいやな。原因については伏せるが、まだ本調子ではないみたいやねん。ワシも教師としてできることはなんでもやるが、あの子と同じ目線で気にかけてくれる奴も必要や。」

「・・・あぁ、なるほど。わかりました。」

「物分りが良くて助かる・・・すまんが、頼むで!」


猪名川はそういうと、差入れにコーヒーを置いて出ていった。


週明けの月曜、今日の放課後から本格的に劇の練習もスタートだ。


『あぁ、殿下!どうしてあの姫君ではなく、この大臣に心を奪われてしまったのですか!』

『ボクはもうこの気持ちを抑えきれないんだ・・・禁断の恋だとしても!』


「カァーット!いい!いいわぁ〜♡」

「おい宝殿、なんだよこの脚本。舞子ちゃんに言い寄られたいんだけど。」

「やめろユウマ、宝殿さんの機嫌を損ねるな!」

「これまいこ途中から要らなくない?」

「朝霧さんッッ!!!」


下書きの台本を読みながら丁寧に流れを抑えていく。

朝霧は自分の役割に不満げだが、実際のところ、最終的には順当に王子と姫が結ばれることになっている。


「・・・ごめん、ちょっと小道具の方も見てくるね。」

「おう!こっちは任せとけ!」

「早く戻ってくるのよ〜♡」


練習していた中庭からX組の教室に走って戻ると、小道具班が準備を進めていた。


「摩耶くん!見て、順調でしょ!?」


鶴林寺は駆け寄り、ダンボールと金の折り紙で作った冠を自慢した。


「すごい!・・・あれ、そういえばちょっと人が少なくない?」

「あ・・・なんか部活があるから、とか予備校が、とかで帰っちゃって・・・」

「そっ、そうだよね!大変なのにまとめてくれてありがとう。」


一瞬曇った顔が、少し和らいだ。

なにかあったら連絡して、と言い残して摩耶は戻って行った。


「鶴林寺さんごめ〜ん、うちらもこの辺で切り上げていい?」

「あっうん、大丈夫だよ!ありがとう。」

「忙しいのに・・・・」


ぼそっと捨てられた言葉が、胸をひっかく。

返す言葉を言いかけて、飲み込んだ。


演者班の練習が終わったあと、今日も摩耶は委員室に籠っていた。今日は早く帰れそうだ。

そう思っていた矢先、がらり・・・静かにドアが開いた。


「今日はなんですかせんせ・・・鶴林寺さん?」

「急にごめんね。手伝えること、あるかな?」


いつも少し腫れたまぶた、赤くなった瞳に蛍光灯が揺れる。


「あ・・・ありがとう、じゃあこれだけお願いしていいかな?」


こういう時は大丈夫!ではなく簡単な何かだけお願いするのがいい。摩耶がいつか父親から教わったことだった。


「いや、助かったよ!そろそろ帰ろうか?」

「・・・うん、そうしよ。」


いつも話している時は明るい彼女が、少し湿って見えた。

摩耶掬星には女心がわからぬ。またこういう時にすっと手をとってやれるほどの勇気も持ち合わせていなかった。


「ちょっとコンビニ寄っていい?」


帰り道、彼はスイーツを2つ買った。

ショートケーキと、チョコケーキ。


「手伝ってくれたからさ、お礼!どっちの方がいいかな?」

「じゃあ・・・いちごの方。」

「今日は近くで座って食べようか?」


五国公園のベンチに、夜風で揺れる影が2つ。

彼に彼女の気持ちはわからなかったが、一緒に並んで好きなものを食べる、これが思いついた最善策だった。

少し緑がかった桜の木が、月明かりの下咲いていた。


「おはようさん。今日の欠席は・・・また鶴林寺が休みか。みんな体調には気つけや。」


鶴林寺は、それっきりぱたり、学校に来なくなった。

体調不良とのことだが、何か別の理由なのは間違いない、そう思って少し不安になる。

小道具班を仕切る人間がいないので、摩耶は少し早めに練習を切り上げ、放課後の内半分は教室につくようになった。


「つっても、掬星がいないんじゃ時間の半分は読み合わせもできねぇよな。」

「アタシが代わりにやるわよそれぐらい。」

「じゃあ決まり!練習しよ〜!」

途中からは宝殿が大臣役をこなし、練習が続く。

朝霧はダンス部で結果を残していることもあり、身のこなしが軽い。覚えるのも得意なようだった。


「マイコさん上手いわね!かわいいし本当にお姫様みたい。」

「やめてよ三奇ちゃん!照れるって〜!」

「言われ慣れてる奴の顔だ・・・」


そんなこんなで時間になり、朝霧はダンス部の練習に向かった。


「あんたは練習行かなくていいの?」

「あいや、今日はオフだ。昨日グループチャット連絡しただろ?」

「あれもうアタシ抜けてるわよ。」


城崎は一瞬呆れて、半開きになっていた口を開く。


「今日暇だろ?カフェ寄って帰ろうぜ。」


駅前のショッピングモールは、一帯の中高生のたまり場だ。

2人は空いてそうなカフェに入ることにした。


「で、なんのつもり?あんたから誘うなんて珍しいじゃない。」

「だいたいわかんだろ。お前、ケガしてるな?それで最近練習・・・」

「モテる男は違うわね。そんなに私の身体に興味あるの?」

「・・・」

「でもハズレ。あんたには関係ないけどね。」


なんだよそれ、と言いかけたところでやめた。

城崎有馬は色男である。何がかはわからなくとも、このタイミングで土足で踏み込むようなことはできない、彼の経験がそう判断した。


「ま、なんかあったら相談してくれよ。一応・・・キャプテンなんだからさ。」

「頼もしいのね。まぁ考えとくわ、ありがとう。」


近頃暑くなるのは早いもので、店内には冷房がついていたが、コーヒーが薄くなっていた気がした。


一方、放課後小道具班を仕切っていた摩耶は、手を動かしていない者がいることが気になっていた。

演者だけで演劇は成り立たない。意を決して、踏み込んで見ることにした。


「ごめん、ちょっといいかな?計画表では今日までにこれができてることになってるけど、どんな感じ?」

「あーまだできてないの(笑)ごめんね。」

「いやいや、大丈夫!俺も今日は小道具やるからさ、頑張って終わらせ・・・」

「え、終わるまでやんの?」


空気が冷める。

演劇に小道具は欠かせない。それ故に、なるべくスケジュール通りに進捗を管理する必要があった。


「うちらさー部活キツいんだよね。帰宅部の摩耶くんには分からないかもしれないけど、全国狙ってんの。」

「いやまぁ・・・気持ちはわかるけどさ。」

「じゃあ君みたいに時間ある子だけでやってよ、帰るね。」


彼女たちは振り返ることなく、ドアを閉めて出ていった。


「摩耶くん、大丈夫?」

「藍本さん・・・」

「私たち文化部は総体とかないし、代わりに進めとくよ。あの子たち、鶴林寺さんにも厳しく当たってたんだよね。」

「ごめん、こんな感じだったなんて・・・知らなかった。」

「ううん、気にしないでいいの!今日はこっちで手伝ってくれるんでしょ?」


藍本藍那は手芸部の部長だ。

器用で、小道具班では中心的な役割を果たしている。

今日のように、部内でも優しく気遣いもできると人気者だ。


とりあえず遅れを取り戻したところで、小道具班も今日のところは解散することになった。


今日、摩耶は鶴林寺にプリントを届けるように言われていた。それゆえ彼女の家に寄っていくつもりだったのだが・・・・


「家がわからない・・・そういえば途中の道で別れてたしなぁ。」

「電話するか・・」


通話を押す指が震える。

摩耶掬星は硬派である。それゆえに、これまで「女の子に電話をかける」ということをしたことがなかった。

躊躇うほどに、意識してしまう。

時間が経つほどに、どんどん押しにくくなっていく。


「おしっ!!!」


指紋がべったりつくほど強く押した。

数秒コールがなって、画面に「00:01」が映る。


「も、もしもし鶴林寺さん?」

「摩耶くん・・・どうしたの?」

「あっあッ、急にごめん!そういえば、体調大丈夫?先生にプリント届けるように言われてて・・・」

「そうなんだ!びっくりしちゃった、元気だよ。今から家の場所送るね。」


地図アプリを開いて、送られてきた場所に向かう。

身構えるほど大きな屋敷の門に、パジャマ姿の少女が立っていた。


「ごめんね、こんな格好で。うちちょっと分かりにくいから・・・」

「いやかなりわかりやすいよ?」

「ふふっ、持ってきてくれてありがとう。よかったら上がってく?」

「いや、さすがに・・・」


そういいつつ、強引に手を引っ張られ、気づけば玄関をくぐっていた。


「すみません、お邪魔します。」

「あはは、今日誰もいないよ。パパはお仕事だし、ママは兄さんに会いに海外に行ってるから。」


女の子の家 今日は誰もいない そして目の前にはいつもと違いどこか影を落とした顔のクラスメイト。

彼にとっては初めての経験だったが、漫画やゲームで既に飽きるほど見たシチュエーションだった。

先の展開に鼓動が高まる。

摩耶掬星は童貞である。であるが故に、えこれってそういう感じ?えてか鶴林寺さんってそういう感じ?マジ?いいのこれ?という微妙に気持ち悪い冷静さを持っていた。


「ハンバーグ・・・作ったの。一緒に食べない?」

「いッ、いいいいの!?じゃぁ、いただこう、かな!」


形は不整いながら、味はレシピ通り丁寧に作っただけあっていい出来栄えだった。

摩耶はおいしい、と言いつつ彼女の表情を気にしていた。

踏み込むべきか、休んだ理由、これまでのこと、そして家に入れてくれたこと・・・

一旦考えが落ち着いたところで、話してみることにした。


「最近小道具班にもついてんだけどさ、結構忙しい子多いみたいだね。」

「うん・・・あっ、ごめん!ちょっと進捗遅れちゃってたよね・・・わたし、放り出しちゃって・・・」

「あいや、そういうことじゃなくて!なんとか上手くできないかなって。色々考えたんだけどさ・・・」


そういって、アイデアを聞いてもらうことにした。

うん、と頷いて、鶴林寺は少し安心したような表情を見せた。


それから少し、沈黙が続く。

互いに何かを言おう、そう思って唇をもぞもぞと動かすが・・・鎖骨のあたりでつっかえて言葉がでない。

きゅっと唾を飲み込んで、今度は彼女から切り出した。


「ね、うちバルコニーがあってさ、ちょっとゆっくりしていってよ。」


言われるがままついて行く。

鶴林寺邸のバルコニーにはリクライニングチェアがあり、腰掛けると月がよく見えた。


「お茶いれてくるね。」


そう言って彼女はキッチンに戻って行った。


おまたせ、という声に首を向けると、ワンピースに着替えた鶴林寺が立っていた。

白い生地が照らされて、夏の砂浜よりも眩しい。

ずっとパジャマのままなのもね、と言った顔はうっすら赤くなり、照れを隠しているようだった。


「前さ、不登校だったっていったじゃない?原因はさ、大したことじゃないんだけど。」


摩耶がこくり、と頷くのを見て、ぽつぽつと話をつなぐ。


「家がこんなでしょ?昔から地元だとお姫様みたいに扱われててさ。だからこそ人の役に立つようにって育てられてきた。思えばずっと、何か"してあげる"のが好きだったのかも・・・」

「高校に入ってからも同じようにしててさ、でもそれが気に入らない子もいて、よくある話・・・だけど、無視とか、モノ隠されたりとかするようになった、トイレで水被ったり・・・!」


呼吸が少しずつ荒くなっていく。


「それから!ちょっとずつ、全部不安なのっ、なってっ・・・!自分が言ったこと、相手がどう感じるかとか、信じてたことが正しいのか・・・とか!」


整えられた眉がまぶたにつられて歪む。視界がぼやけて、みぞおちの辺りが苦しいのに、言葉は溢れて止まらない。


「期待し過ぎも、だめって!わかってるけど・・・うぅ、どう思われているのか・・・とか、不安になるの、全部っ・・・!────」


浮かんだことから発しているのだろう。だが摩耶にも言っていることはよくわかった。

誰だって不安になることだ。つらい記憶があるのも間違いない。


そして彼女はその都度、自分の気持ちに整理をつけるといったことが苦手で、でも根っこの部分は変えられないから・・・あの時も自分を助けてあげるつもりで、考えるより先に立候補したのだろうと考えた。


「1人と話したりするのは、表情を見たりできるから、まだ大丈夫になった・・・でも大勢の前で話すのは・・・怖いよ、まだっ、怖いの・・・」


綺麗な肌に一筋つたって、雫の跡が月の光を反射する。

話しているうちに興奮したのか、鶴林寺は立ち上がっていた。逆光で透かした細い足は震えていて、いつもより弱々しく見えた。

ゆっくりと鶴林寺の方により、小さい手をそっと掬う。

黙って抱き寄せた彼女の後ろには、こちらを見守るようにきらきらと光る星。

胸元にかかえて撫でたかわいらしい頭、そして絹のような髪からのぼるのはどこか落ち着いていて上品な匂いで・・・それがまだ青い少年には少し扇情的で、頭がくらっとする。


しばらくの間そうやって過ごしたあと、落ち着いたのを確認してから、摩耶はうちに帰ることにした。

彼女の表情には不安が滲んでいる。

今日話したことをどう思われているかということ、明け方までまたひとりになること・・・彼は色恋に疎いが、今日ばっかりは心の中までわかった気がして、ひとこと。


「話してくれてありがとう。また・・・いつでも来るからさ。」


"明日学校で待っている"とは言わなかった。

こう言った方が、何故かいい気がした。



翌朝、よく晴れた日にいつもの道で高校に向かう。

さすがに寝不足もいいところであり、通学路でのウォーキングは眠気覚ましにちょうどいい。今回は徒歩通学だったことを幸運に思った。

教室に入ると、少し懐かしい制服姿にカーテン越しから刺す朝日が染みていた。


「おはよう!昨日はありがとう。」

「・・・おはよう。昨日はごちそうさまでした。」


鶴林寺の顔がぱっと染まる。

その後夕食のことだと気づき、照れ隠しに絞りだした。


「摩耶くんの変態っ!」


朝のHRが終わって、授業が始まる。

X組は文理や専門科目を問わず成績順で固めているため、移動教室が多く、ひとつの教室でまとまって授業を受けるということは少ない。

4時間目の授業もそのうちのひとつだ。


「生物選択は別棟まで歩かされるからハズレね。」

「まぁそんなこと言わないでさ・・・そういえば宝殿さん、今日のお昼一緒に食べない?」

「!? 万年童貞の摩耶くんがナンパ!?」

「違うって!ちょっと相談があって・・・」


心なしか残念そうな顔をして、いいわよと答える。

授業が終わった後、二人は校舎裏のベンチで昼食を取ることにした。


「で、何よ相談って。」

「いやそれがさ・・・」


真面目な顔で語る摩耶。

相談というのはもちろん、昨日鶴林寺に話した内容だ。

脚本に話を通さないわけにはいかないので、こうした時間を設けた。


「なるほどね、そういうことなら特に問題はないわ・・・ところで、アタシもひとつ聞いてもらっていいかしら?」


それから平熱の午後が過ぎ、帰りの会で摩耶は少し時間をもらうことにした。


「みんな、いつも部活に勉強に忙しいのに五国祭の準備に取り組んでくれてありがとう。そこで提案があるんだけど、小道具の数は少し減らそうと思うんだ。」


ぽかん、とした顔が教室に並ぶ。


「このお話はメインの演者が3人、サブを合わせても多くはない。照明とか音響で頑張れば十分場面転換はできるし、その分小道具ひとつひとつに時間をかけることができる・・・モノの数が減ればそれぞれ放課後の時間を上手くサポートし合えると思うんだ。」


「まぁ・・・こっちは仕事が増えても対応できるしね。音響班は大丈夫。」

「照明もいいよ!いいとこ見せなきゃなぁ。」


音響班の夢前と照明班の西宮が賛成したことで、一気に賛成ムードとなった。

部活が忙しいクラスメイトもこれなら納得するだろう。

一方で、自席の方に目をやると、鶴林寺が面白くなさそうな顔をしていた。


いつも通り練習に入る。

小道具の数を減らした以上、演者たちのパフォーマンスはより一層重要となる。

宝殿の指導はいつにも増してスパルタだ。


「だぁから!違うって言ってるでしょうがぁ!!」

「三奇ちゃんこわ~い(泣)」

「なぁ掬星、一回休憩しようぜ。」

「そうだな、じゃあ教室の方見てくるから、休んでて。」


がらら、と教室に入ると以前より雰囲気よく作業が進んでいるようだった。

「・・・摩耶くん、こないだはごめんね。ひどいこと言って。」

「や、いいんだ。こっちもみんなの都合とかまで考えられてなかった・・・仕切ってるのに、ごめん。」

前回の喧嘩に和解をしたところで、鶴林寺の方へ向かう。


「あれ摩耶くん、何しに来たの?」

「え?いやどんな感じかなって・・・」

「こっちは私が見とくから大丈夫だよ、”向こう”に戻っても。」


何かしたかな、首を傾げつつ中庭に戻る彼を追いかける足音がひとつ。


「まっ摩耶くん!待って!」

「藍本さん、どうしたの?」


普段運動していないところ急に走ったからだろうか。藍本の息は大きくあがっている。

落ち着くまで待って、話し始めた。


「・・・ふぅ。明姫ちゃんね、ヤキモチ焼いてるんじゃないかなぁ。」

「鶴林寺さんが?ヤキモチ?心当たりが・・・」


ある。

今日の昼休みに摩耶と宝殿は二人でランチをとっていたが、鶴林寺はこのシーンを目撃してしまったようだ。


「まぁ明姫ちゃんもちょっと子供っぽいとは思うけどね。付き合ってないんでしょ?あなたたち。」

「つ、付き合ってるわけないだろ!?」

「ふーん、そうなんだ。」


つん、とした顔をして少し考えた後、藍本が問いかける。


「好きじゃないの?あの子のこと。」

「それは・・・わからない。俺こんなだからさ、どうなったら好きとかまだ、よくわからないんだ。」

「ピュア過ぎ・・・ちょっと引くかも。」

「え、ひどくない?」

「あはは、冗談だよ。でも掬星くん彼女いたことないもんね~、顔は悪くないと思うんだけどな~・・・明姫ちゃんがいかないならぁ、私がハジメテもらっちゃおっかな?」


からかうように笑って、翻って歩いていく藍本。

なんなんだと思いつつ、普段は見せない表情のせいだろうか、耳が熱くなるのを感じた。


「おい遅ぇーぞ掬星!何お前?藍那ちゃんと仲良かったの?」

「そんなんじゃねーよ。悪かった、練習しよう。」


しびれを切らして迎えに来た城崎と一緒に中庭に戻ると、朝霧がひとりで練習していた。


「あれ、宝殿さんは?」

「なんか用事があるって言って帰っちゃった。まいこらもちょっとやって帰ろ~。」

「舞子ちゃんってかわいいのに真面目だよな。」


そんなことないよ~と笑う朝霧、一通りの褒めはされ慣れているらしく軽く受け流していた。


練習が終わって、委員会室に向かう。

一通り業務をこなしたが、今日はいつもより進めるのがゆっくりだ。

もしかしたら、鶴林寺が来るかもしれない・・・そんな淡い期待を抱きつつ時が過ぎていく。

結局、彼女は来なかった。


それからそれから。


公園の桜にはすっかり葉がついていたが、まだ鶴林寺と摩耶は気まずい関係のままだ。

しかしながら、藍本はじめそれぞれの班のクラスメイトの存在もあって、準備は概ね順調に進んでいたのは幸いか。


春が終わりを見せ始め、日に日に暑さが増すにつれ、摩耶の中には焦りがあった。

このまま五国祭が終われば、もう鶴林寺と距離を縮めることはなくなるだろう。

いずれ席替えもして、隣の席でもなくなる。そうしてそのままお互い別の進路を歩んで、もう会うことはなくなってしまう・・・そんな未来が見えた。


「ユウマ、今日の放課後ちょっといいか?練習終わりにさ。」

「ん?おぉ、お前から誘うなんて珍しいな。いいぜ、飯でもいこう!」


放課後、いつもの演者班で練習をしたあと二人が向かったのは五高生に人気のファミレスだ。


「で、なんの用だよ?」

「笑うなよ?・・・俺さ、鶴林寺さんとギクシャクしてて、仲直りできないかなっていうか・・・したい。」

「なるほどねぇ、別にちゃんと話せばいいんじゃねぇの?席も横なんだしさ。」

「それができたら苦労しないって!こう、なんて言えばいいか・・・とか。」


問答は夜まで続き、明日の委員会の後で声をかけてみよう、ということに決まった。


日が昇って、摩耶は教室で朗読をしていた。

なんてことはない、今日の放課後のことしか頭になかった彼は全く授業に集中できていなかった。X組では国語の朗読は一文ずつ回していくが、彼は前の席に順番が回ってくるまで何も聞いていなかったため、懲罰としてはじめから終わりまでひとりで読まされているのである。


「摩耶くん、もっとお腹から声を出しなさい・・・もう一度はじめから。」

「和田山先生って巨乳なのにキレるとめんどくせんだよな~。知之、あいつにマイクもってきてやれよ。」

「いいね・・・w」

「城崎くんと夢前くんも立っていいのよ?」

「・・・・」


長い午前中の授業が終わって昼休み。

食堂は生徒でごったがえしている。


「明姫ちゃん、隣いいかな?」

「ん・・・どうぞ」


ひとりで昼食をとっていた鶴林寺に藍本が話しかける。常に満席の食堂だが、タイミングよく隣の席が空いたようだ。


「最近さ、掬星くんと仲悪いの?」

「(名前呼び?)・・・別に、そんなことないし。」

「照れちゃってぇ~、かわいいなぁ明姫ちゃん!」

「も〜何が言いたいの!?」


じゃれあうような会話が一変、鶴林寺の一言に悪意を澄ませた表情を見せる。


「そんな感じならさ、とられちゃうよ?」


時間になっちゃった、と立ち去る藍本。

モヤモヤする気持ちと、ふやけたうどんだけが残されていた。


放課後のチャイムが鳴る。

今日は委員会があるので、一緒に別棟に行こうと誘うつもりの摩耶だったが・・・


「私、猪名川先生の手伝いがあるから先に委員会室に行ってるね。」

「あ・・・うん。てか、顔色悪くない?大丈夫?」

「さっきうどん2杯食べたから・・・じゃ。」


少食の鶴林寺が大食いと勘違いされたのはさておき、本日の委員会はそれぞれの進捗を報告しあうことがメインだ。

1年A組から淡々と流れていく。


「じゃあ最後に3年X組、まぁ僕のクラスなんですが、一応順調に進んでいます。演劇のストーリーは・・・」


摩耶は司会をしているので本来X組の分は鶴林寺が報告するべきなのだが、先日の件もあるため代わりに彼が話している。


「おっしゃ、どのクラスも順調やな!その調子で頑張るように、では解散!」


猪名川が一番乗りで部屋を出たのを合図に、ぞろぞろと退室していく。


夕日の差す午後4時半、グラウンドから届く運動部の声出しと下の階から響く音楽部の調べ、まだ体温の残る部屋に・・・粗削り、人の形が2つ。


「「っあの!」」


声が重なる。と同時に、ひさしぶりに目が合った。


「ど、どうぞ・・・」

「いやそっち・・・ううん。あのさ鶴林寺さん、今度の週末空いてないかな?」

「あ、空いてる・・・けど。」


日差しのせいだろうか、額にじんわりと汗がにじむ。

文化祭の話、一緒に勉強・・・二人で会う口実は思い浮かぶのに、それを言い出せない、言い訳に逃げたくない。

摩耶は自分の気持ちに気づいていながら、それに知らないふりをしていた。

すッと一息吸ってから、心を決めて口を開く。


「じゃあさっ、遊びに・・・行かない?嫌じゃなかったら、だけど。」

「・・・いいの?」


うれしさと不安を混ぜたような表情で尋ねる。

そしてもう一歩迫るのが怖くて、でも彼が先ほど一言紡ぐのがどれだけ大変だったか、まっすぐこちら見つめる瞳が、頼りなく揺れた気がしてわかったから。


「摩耶くんってさ、三奇ちゃんのことが好きなんじゃ・・・ないの?」


秒針が止まる。

いつもはすらりと背筋を伸ばしている鶴林寺の身体は、本当は聞きたくないのだろうか・・・猫背になって、かすかに震えている。

結んだ柔らかい唇が先ほどの言葉を打ち消す前に、摩耶が答える。


「・・・違うよ、小道具減らすって話をしてて、みんなに言う前に宝殿さんには相談しとかなきゃだからさ。見てた?」

「あっあっ、そうなんだ!見てはないんだけど、でも私てっきり・・・恥ずかしい。」


おどおどとした様子で語る。

二人で昼食をとっていたのを藍本から聞いたこと、なれなれしくして二人の邪魔をしてはいけないと思ったこと、本当はこれまでのように仲良くしたかったこと・・・最後に、今日は一緒に帰りたいこと。


校舎を出ると、すっかり日は落ちて外は涼しくなっていた。

いつぶりだろうか、並んで歩く帰り道。

寄り道をして、夕食前だというのに甘味をたしなむ。

先ほどまでの悩みはもう笑い話になっていた。

週末の予定について決めていたところで、岐路が現れる。


「じゃあ、楽しみにしてるね。」


ふらり、と手を挙げる。と同時に振り返って揺れるスカート。

一瞬、彼女の匂いが鼻を撫でる。

名残惜しくって、でも背景に溶けていく背中を見ているだけ・・・

さらさらと、揺れる葉の音が邪魔をした。


約束の週末、昼過ぎ、集合場所は五国駅の中央口だ。

ぱたぱたと駆け寄る足音が近づいてくる。


「ごっめ~ん!遅くなっちゃった!」


初めてちゃんと見る彼女の私服。

踵の高いサンダルからすらりと伸びた脚、黒のショートパンツ、ケープカラーのトップスが視線をぐっと引き寄せる。

活発ながら大人びた雰囲気もあり、似合っている・・・というのはこういうことなのだろう、と摩耶は思った。


「大丈夫、俺も今来たとこだから・・・じゃ、いこっか!」


本当は家でそわそわするのに耐えられずかなり早い時間から着いていた摩耶だったが、アニメで学んだお作法を実践してみることにした。


五国駅からバスで10分、県立ごこく水族館は観光客もよく訪れるところで、世界で唯一ラシュペロカの生きている姿を見ることができる。


「そういえばこれ、チケット!」

「とっててくれたんだ!ありがとう。」


入場券を手渡す時、一瞬、手と手がふれあった。

日焼けのしていない細い指にはクリアホワイトのネイル、底には血色の良いピンクが透ける。


「それ、塗ったの?すごい・・・か、かわいい。」

「え?あ、うん!そーなの!上手でしょ?」


ふふん、と得意げに笑う鶴林寺。

気分がいいのか摩耶の目先まで爪が迫る。


「見て見て・・・って、あっ、ごめん!こういうの褒めてもらったの初めてで、うれしくって。」


ちょっとした高まりが染みたように溶ける表情は、小さな手とチケットで口元を隠しても隠しきれていなかった。


ゲートをくぐると、一気に薄暗くなった。

まず色とりどりの魚が入った水槽が出迎える。


「きれー・・・ね!」

「ほんとに!鶴林寺さんは水族館とかよく行くの?」

「ううん、遠足以外で行ったことないの。だから今日はとっても楽しみ!」


目を閉じてくしゃっと笑う。

それが本当なのか気遣いなのか、彼には分からなかった。


展示を見て、立ち止まっては少し進んで、メインの大きな水槽のコーナーに入る。


「おっきぃ〜!ねーこれロウニンアジって言うんだって!」

「あはは・・・あんまり今年は嬉しくない魚かなぁ。」

「あら、摩耶くんにハルキさんじゃない。」


妙に聞き覚えのある声・・・二人が振り返ると、スタッフの服を着た宝殿が立っていた。


「宝殿さん!?なんでここに・・・しかもその格好って。」

「見ての通り、バイトしてんのよ。そういうお二人はデートかしら?」


鶴林寺が重ねるようにそんなんじゃないもん、と言いかけて、一瞬澱む。

食堂での藍本の言葉を思い出したからだ。


「そそそ、そーなの、王道の水族館デート!なんちゃって・・・!」


威勢よくそう言いきったあと、顔にカアッと血が上るのを感じた。


「ちょ、ちょっとトイレ・・・」

「お手洗はあちらです、お客様。」


たたたっ、と走ってトイレに向かうのを少し見送ってから、宝殿が口を開いた。


「館内で走るのはご遠慮ください・・・って、あの子ずいぶん大きくでたわね。ホントのところはどうなの?」

「俺から誘ったんだよ。デート・・・っていうか、いやでも、俺は・・・」

「いちいちおどおどしないの、誰も冷やかさないわよドーテー人間。」


高校生にあるまじき大人な態度を見せる。

そういえば、と今度は摩耶が尋ねる。


「バイト、してたんだ。文化祭の準備とか毎回きてもらって・・・大丈夫?」

「うちお金ないの、親があれだから。劇はシフトを夜にすればいいから大丈夫なんだけど、部活は体力的にそうもいかないのよね。弟も今年から中学にあがるし・・・」


城崎には内緒よ、と唇に人差し指を当てたタイミングで、鶴林寺が戻ってきた。


「おかえりなさい・・・そういえば、もうすぐアシカショーが始まるわよ。ほら、はやくはやく!」


宝殿にそう急かされて、屋外のプールに向かう。

開演時刻が近づくにつれ人が増えていく。二人は後方の席に座ることにした。


「皆さん今日はゴコスイへようこそー!アシカのアンちゃんの晴れ舞台!楽しんでいってください!!」


ワッと拍手が起こる。

アンちゃんの一挙手一投足にわわっ・・・、すごーい!とリアクションする鶴林寺。

学校では落ち着いた印象の彼女が見せる”私”が、うれしいような、ずっと見ていたいような気持ちにさせる。

最後の大技を見事に決めたところで、摩耶の方に顔を向けた。


「上手だったね!かわいかったし~、アシカ飼いたいかも!なんて・・・」


興奮冷めやらぬ顔で話す鶴林寺。

前の座席から順に抜けていく観客、方々からアンちゃんへの賞賛が聞こえる。

二人の番になって観客席の階段を降りていく。


「あっ・・・」


降りきるところで、バランスを崩して長い髪がふわり舞い上がる。

思わずぱっと手を取って、もう片方で支えた。

前屈みになった彼女が反射で身体を起こした瞬間、スローモーションで目が合う。

大きく丸い瞳に吸い込まれそうになって、二人だけの世界になって・・・刹那、隙間にそよ風が抜けていく。

やわらかな、リラの香りで目を覚ます。


「・・・大丈夫?」

「あはっ、私もう一段あると思って・・・ありがとう。」


あの、と照れるように手に視線を送る。

摩耶は初めて現状を客観視して、慌てて彼女から離れた。


「ご、ごめん!えっとじゃあ、つ、次のやつ見に行こうか!」

「そうだね、あ、なんか食べる!?」


昼食をとって集合だったので、今はちょうどおやつの時間だ。

ごこく水族館にはフードコートの他いくつか食事処があり、名物のごこくケーキはそのうちのカフェで食べることができる。

先ほどとは打って変わって間隔のあいた二人、少し気まずい雰囲気のまま。

たまたま席が空いていたこともあり、スムーズに座ることができた。


「これ、でっかく”ごこく”って書いてあるケーキだからごこくケーキってそのままだよな・・・おいしいけど。」

「まぁラシュペロカの名前がロカちゃんなのもストレート過ぎるけどね・・・」


あはは、と失笑する二人。

もちろん注文はおそろいだ。


「俺、鶴林寺さんってケーキしか食べてるところ見たことないかも。」

「そんなことないよ!?」


2つケーキを並べて写真を撮る。

誰に見せるわけでもないが、摩耶の筋張った腕が写り込んで、少し恥ずかしい、でも胸の内で小さくぽわりと咲くような気持ち。

私のことも写してくれてたらいいのにな、無意識にそんなことを考えて、いやいやと首を振った。


これまで見てきた展示や学校での話・・・たわいない会話、でも普段は知ることないお互いを見せ合っているような気がした。

やがてなくなるのにも気づかないふりをして、さらさらと砂が落ちていく。ケーキを食べ終えて、その足でラシュペロカを見に行くことにした。


「ケーキ食べたあとにウミトカゲ見に行くのってなんか・・・いいね。」


くすくす、と口元を隠す彼女に、摩耶は少し変わった子なのかな、と思った。

目的地に着くと、水槽に張り付くように客が釘付けになっている。


「きれい・・・」


感じたままの心が、ぽつり。

まばたきをするのも忘れて、暗闇に青くきらめく水の中、王がひとり佇む姿に見入る・・・いや魅入られていた、といった方が適切か。

赤い目は宝石、大きく発達したヒレはきらびやかなドレス、異形の角は冠のよう。

巨大で強靭な身体は、希少種でありながら今日まで絶滅しなかったことを嫌でも納得させる。


ラシュペロカは古来より僅かに日本のみ目撃例があり、飛鳥時代の文献にも残っている。

古語では████というが、海外で偽物の角が幻の秘薬として取引されていた他、日本では明治時代まで朝廷と一部の豪族以外には存在が秘匿されていたため、今の呼ばれ方のほうが広く定着している。


「ねーまま!あのおねーちゃんはなぢでてる!」


子どもの無邪気な声に、意識が戻る。

人中をつたう血に全く気がつかなかったのは、虜になっていたからだけだろうか。幸い、衣服にはついていなかった。


「鶴林寺さん大丈夫!?あ、これティッシュ・・・」


そういって鞄からポケットティッシュを取り出した。

ごめん、とそれを受け取ってトイレの方向に走る。


数分して、鶴林寺が戻ってきた。


「いやぁごめんごめん、なんか急に鼻血出てきちゃってぇ・・・」

「ほんとに大丈夫?ちょっと休もうか。」


といってももう展示は大体見切ったので、ゲートを出て隣接している海浜公園で一休みすることにした。


「はいこれ水・・・体調はどう?」

「ありがとう・・・うん、大丈夫!ごめんね。」


外はちょうど日が落ちて暗くなるところだ。

楽しい時間はあっという間で、水平線に沈んでいく日が少し寂しくさせた。


「あてか、今日・・・楽しかった、ありがとう。女の子とこうやって遊ぶの初めてだから緊張してたけど、よかった!思い出になったっていうか・・・」

「私も!ペンギンもかわいかったし~、ウ・・・ロカちゃんもきれいだったし!あと、摩耶くんも・・・」


最後ぼそっとそう言いかけて、息と消えていった。

彼女にはもう一度言い直す勇気がなかったし、言うまでもなく彼には聞き返すことなどできるはずもなかった。

できることと言えば、気のせいだと自分に言い聞かせることだけ。

もう少し二人このまま隣にいたいという気持ち、それはお互いにあったかもしれないけれど、まだ未熟で青い彼らには、手を重ねるのは早かった。


帰りのバスの時間が来て、そろそろ、と立ち上がる。

五国駅につき、別れの時間がやってきてしまった。


「じゃあ私こっちだから・・・今日はありがと!またね。」


それぞれ歩く帰路、おさえてもなぜか頬が緩んでしまうのはひとりだけだろうか。

家につき、今日の写真を眺めては、何度もリプレイするあの時間。

日曜の夜だというのに、ドキドキして眠るのに苦労した。


翌朝、いつも通りに月曜日がやってきた。

摩耶が教室について、昨日はありがとね、とほほえむ鶴林寺。

昨日より少し気温が上がってまた暑くなった寝不足の朝、セットしたのに汗でしっとりとした前髪、今日から夏服、半袖からのぞく二の腕に目線がいって、返す挨拶。

また日常が始まった。


五国祭が近づいてきたところで、今日の放課後から各クラスが順番にステージをつかって練習することになった。

小道具や背景の持ち込みは当日までできないので、練習するのは劇の流れや照明、音響などになる。そういうわけで、小道具班は観客席で確認するのが仕事だ。


〈むかしむかし、小さな王国に、勇敢な王子様と美しいお姫様がいました────〉


『殿下、縁談はこの大臣めにおまかせください。必ずやこの国で一番きれいな姫君をお連れしましょう。』

・・・・

『なぜだ、なぜボクは姫に心を燃やすことができないのか!』

・・・・

『今日のパーティーにはとっておきのおめかしをしていくわ。だってあの王子様にお呼ばれされたんですもの。』

・・・・


中庭の練習ではつかめない実際の距離感や声の響き方を身体で覚える。

スポットライトや効果音などは今の時間しか練習できないので、音響班と照明班の気合いの入り方は格別だ。


「今っ!当てるよっ!!」


照明を仕切っている西宮マリナが手で大きく合図をすると、チームがライトを操作したタイミングにあわせて音響の夢前知之が効果音を当てる。


スポットライトが王子を照らして、瞳孔がぐぐっとしまる。

ラストシーンは、王子と姫のくちづけだ。

尤も、実際にそんなことを一応は教育の一環である文化祭できるわけもないので、ちょうど観客席からはそう見えるような角度になった瞬間に、照明を落とす。


幕が下りて、小道具班が拍手をした。


「いや~ちゃんとものになっとるやないか!それにしてもカントク、これはちょっと刺激的すぎるんちゃうんか?」

「あらやだ先生ったら、そっちの方がお好きなくせに。」


宝殿の返しにがはは!と猪名川の笑い声が乗る。


「ほな使える時間はここまでやから、すぐに撤収するように!」


はい!と生徒たちが答えて、今日の練習は終わりだ。

ぞろぞろと解散していく中、メモを取っていた鶴林寺が宝殿に話しかける。


「三奇ちゃん、観客席から気になったとこまとめてみたよ!役に立つといいんだけど・・・」

「助かるわハルキさん!ところで。」


昨日はうまくいったのかしら、と耳打ちする。

黙って顔を赤くする鶴林寺に、うまくいき過ぎたのかと勘違いしてしまったようだ。


「あらあら・・・あんまりハレンチなのはだめよ?」


一方その頃、委員会の用事で部屋に向かう摩耶を追いかける足音がひとつ。


「掬星くん!お疲れさま!!」

「・・・藍本さん。」

「もう、藍那って呼んでくれていいのに。これから部活でさ、手芸部も別棟だから・・・一緒に行かない?」


藍本は水族館にいったことは知らなかったが、鶴林寺を焚きつけた本人なこともあって、カマをかけつつ摩耶を質問攻めにする。


「とられちゃうかもよ、って言ったらあの子宝殿さんのことだと思ったらしくって・・・ホントは私かもしれないのにね。」


馬鹿にしたようにふっ、と笑う藍本。

たじたじになる彼をからかっていると、いつの間にか委員会室についていた。


「あ、じゃあ俺この部屋だから。部活がんばってね。」


どんっ!

藍本は部屋に入ろうとする摩耶を突き押して一緒に教室に入り、乱暴にドアを引いて、がちゃりとカギを閉めた。


「藍本さん?どうしたの・・・」

「ここって基本的に誰もこないよね?その上昔は理科室だった名残で奥に鍵付で空っぽの準備室が・・・今は委員長が独占してるって聞いたけど。」

「まぁ、そうだけど・・・」


真意が読めず困惑する摩耶に、藍本がにやり、悪い顔をして言った。


「じゃあさ・・・セックスしようよ。」


思考が止まる。

摩耶掬星は童貞である。それゆえに、いやそうでなくともこのような流れは漫画・・・それも成人向けでしか見たことがなかった。

彼は真面目な優等生だが、このような状況を呑み込んで対処できるほど大人ではない。

今止まっている間にも藍本は夏服のボタンに手をかけているのに、彼は開いた口を閉じることもできなかった。

奥に追い込まれて、準備室の鍵が閉まる。


「私さぁ・・・明姫ちゃんのこと好きなんだよね。でもあの子は掬星くんのこと好きじゃない?じゃあ叶わないじゃない?」

「でもその明姫ちゃんが好きな掬星くんの大事な大事な初体験をデートした次の日に奪っちゃったって知ったらァ・・・あの子どんな顔するかな?私のモノにならないなら・・・ぐちゃぐちゃにしてやりたい・・・っ。」

「泣いて汚物を見る目で軽蔑する明姫ちゃんのことを考えたら、かわいそうで、つらくって!疼いて仕方ない・・・授業中も変なことしか考えられなくてぇ・・・わかるでしょ?」


「あ、藍本さ・・・藍那ちゃん!落ち着いて!やばいって、だめに決まってんだろそんなこと!」

「キスもしたことないくせに偉そうなこと言わないで。掬星くんとセックスして、それをあの子に言って、全部めちゃくちゃになったら、そのときは好きにしていいよ。どんなに乱暴したってずっと全部受け入れてあげる・・・だから、ね?」


未だ理解の追いつかない摩耶を押し倒し、身体をこすりつけるように跨がって、首の後ろに手を回す。


「最後の人は変えられる・・・でも初めては一生私だよ?君はこれから女の子を抱く度に、今日のことを思い出す。明姫ちゃんじゃなくて!でも・・・掬星くんなら今日じゃなくても犯して良いよ、私のこと。」

「苦しそう・・・我慢しなくていいんだよ?」


耳元で甘く囁かれて、摩耶の理性は限界だった。

発情した吐息、柔らかい身体、そしてこの状況。

彼女の下劣な考えを未だかろうじて受け入れていないのは、己が矜恃だけでなく、鶴林寺を傷つけたくないという思いもあったのだろうか。


一瞬、波が合った。無言で彼女の唇が近づいてくる・・・その時。


どんどんどん!!


「摩耶くん!?何をしているの!開けなさい!!」


音楽部の顧問、和田山先生の声だ。先ほどの物音に気づいて様子を見に来たらしい。


「チッ、あのデカチチのビッチめ・・・わざわざマスターキーを持ってきたな。興醒めしちゃった、私帰るね。」


摩耶の頬にキスをして、藍本は勢いよく扉を開けた。


「あ、藍本さん!?これはどういう・・・」

「はぁ・・・なんでもないんで帰りマース。」


和田山にわざと肩をぶつけて、舌打ちをして早歩きで帰っていった。

摩耶は先ほどの物音や二人で準備室にいたことについて問いただされたが、五国祭での手芸部の展示について相談があったので対応していた、とごまかして事なきを得た。


翌日、登校すると教室には鶴林寺と藍本が座っていた。


「あ、摩耶く・・・」

「掬星くんおはよぉ~っ。」

「おはよう鶴林寺さん、あと・・・藍那ちゃん。」


露骨に不審がる摩耶に、明姫ちゃんに勉強教えてもらってたんだよ、と返す。


「ねぇ、二人って名前で呼び合うぐらい仲良しだっけ?」


今度は不機嫌な顔で問う鶴林寺に、笑顔で答える。


「実は私たち幼稚園一緒だったんだよね~!」


そうでしょ?と顔を寄せていう藍本に、昨日がフラッシュバックして、脳がクラクラする。


「あ、あぁそう!親も仲良くって・・・」

「ふーん、まぁいいけど。(遊びに行くの)藍那ちゃんの方がよかった?」

「(座席の話かな・・・)いや、隣は鶴林寺さんがいい。」

「はあっ!?えっ、え~っ!?」


教室を飛び出す鶴林寺。

ずいぶんキザなことするじゃん、とからかわれて語弊に気づいた摩耶は、後でそれとなく席替えの話をして真意を察してもらうことにした。


今日の放課後は中庭だ。

朝霧はダンス部で外せない用事があるらしく、外している。


「ハルキさんが作ってくれたメモをまとめると・・・城崎は演技がわざとらしい、摩耶くんは役に入りきれていない、台本を覚えきれていないのか一瞬台詞が飛ぶ、声が小さい、お姫様を見過ぎ・・・とまぁこんな感じね。」

「あの子、なんか掬星に厳しくないか?」

「まだまだなんでしょ。」

「が、頑張ります。」

「(それだけ摩耶くんばっかり見てたってことなのに・・・揃いも揃ってバカ男ね。)」


一方、体育館ではダンス部が夏の大会に向けて練習に励んでいた。

五国高校のダンス部は個人で賞をとっている者も多く、県内では有名だ。

朝霧はチームの中で主力のため、特にハードな練習をこなしている。


「マイコ!そんなんじゃ勝てないわよ、もっとエースとしての自覚を持って!!」


指導に熱が入る。


「先生、それ以上は・・・」

「キャプテンは黙ってて!まだやれます、もう一本やらせてください!」


彼女も自分の役割を分かっているので、息を切らし滝のように汗を流しながら必死で食らいつく。

何度も何度も反復するパート。99.9999….%を100%にするために、指先の動き1つ、顔の角度まで神経を使ってリズムに乗る。

最後に決めきった、その瞬間────


「っ・・・朝霧先輩!!」


倒れたエースに皆が駆け寄る。

顧問は顔を青くしつつも、指導者として生徒を守るためマニュアルに則り迅速に対応した。

命に別状はなかったが、朝霧は数日入院することになった。


翌日、クラスの代表として脚本・演者の3人と鶴林寺が見舞いにきた。


「あはは、ごめんねぇ来てもらって・・・メロンまでもってきてもらえるなんて。」

「気にすんなって!それより舞子ちゃん、大会は大丈夫そうなのか?」

「うん・・・大会はいけそうなんだけど、五国祭が・・・」

「出られない、のよね?」

「退院はできるの!でもその期間は、なんというか、演劇って見てる以上に体力使うじゃない?先生がね・・・」


涙目になりそうなのを、必死に堪えてなんとか平気を繕う。


「ほんっとにごめん!一緒に練習して、ヒロインも任せてもらったのに・・・」

「朝霧さんは悪くないよ・・・演し物は厳しいかもだけど、祭はみんなで楽しもう!」

「さんせーい!私、手芸部の作品見に行きたい!焼きそばも食べたーい!!」


朝霧の気分も良くなったところで、病室を後にした。


「みんな優しいなぁ・・・まいこは、うぅ・・・泣いちゃ、だめなのにっ・・・」

「いいんじゃない、たまには強がんなくても。」


がらら、とドアが開いて制服を着た少女が入ってきた。


「マリナ・・・来てくれたんだ。」

「一応、ダンス部のキャプテンだしね。舞子よりはうまくないけど。」


3年間共に部活に打ち込んできた仲間を見て緊張が解けたのだろうか、涙が堰を切ったようにあふれる。

朝霧を抱きしめると、彼女は胸の中で気が済むまで泣いた。

制服が涙と鼻水で汚れるのも気にせず、頭をなで続け・・・落ち着いたのを見計らって、西宮が優しい口調で話し始める。

二人だけの病室は、泣きはらした子どもをそっと寝かしつけるような、いつか聴いた子守歌のようなそっと寄り添う声に包まれた。


五国祭まで数日と迫った明くる日、西宮は摩耶と宝殿を呼び出した。


「マリナさん、これはどういう要件かしら?まぁアタシと摩耶くんに話すって事は十中八九そうなんでしょうけど。」

「お見込みの通りだよ。なんとか舞子も劇に参加させてあげたいと思ってね。」

「でも西宮さん、朝霧さんは五国祭には間に合わないって・・・」

「・・・要は、動かずにいればいいんでしょ?」


彼女の考えはこうだ。

まず代役に他の女子を姫役としてステージに立てる。ただ台本を覚える時間もない一方、話の都合上しゃべらない訳にはいかないので、朝霧を音響班に入れてリアルタイムで声をあてる、というものだ。


「確かに不可能ではないわね。朝霧さんの身体能力を活かせばもっとメリハリのあるものに出来たんだけど・・・声が役に入っていれば最低限見れるものにはなるし、最悪姫役の動きはギリギリまで削っても話の構成自体は成り立つし。問題は・・・」

「それなら適任が一人いるじゃんか、”立ってるだけでもお姫様”みたいな女の子がさ。」


宝殿の顔つきが変わる。一方で摩耶はダメだ、と思った。


「鶴林寺さんはクラスの前で話すだけでも真っ赤になるような子だ、演劇なんてとても・・・」


そう言いかけたところで気づいた。彼女は人前に出ることそれ自体が苦手な訳ではない、”話すこと”さえしなければ────


「・・・わかった。鶴林寺さんには俺から通しておくよ。明日のHRで先生に時間をもらって、そこでみんなで決めよう。」

「あの子に言う必要はないよ。もう前もって相談してるもん、当たり前でしょ?」

「いやでも・・・」

「キスならしないわよ。それは摩耶くんが一番分かってるはず・・・『五国祭の期間中は』風紀関係も含め『全権が実行委員長に委任される』んだから。」

「え、もしかしてヤキモチ焼いてんの!?も~、そういうことは早く言ってよ~!」

「今から城崎と役を交換してもいいのよ?」

「二人とも茶化すなっ!」


翌日のHR、摩耶は猪名川に話を通して時間をもらうことにした。


「えーみんなご存知の通り、朝霧さんが演劇に出られなくなりました。そこでヒロイン役ですが・・・」


西宮の案をそのまま黒板にまとめつつ説明する。

教室からも「おぉ・・・」という声が上がったのを見て、摩耶は本題に入ることにした。


「というわけで、台詞はしゃべらないんですが、ヒロインの代役を決めようと思います。誰かやりたい人がいれば・・・」

「はいはーい!私は鶴林寺さんがいいと思います!!」


申し合わせていた通りに西宮が提案する。

あとは鶴林寺が乗れば決まりだが・・・


「わっ、わたた、私は・・・・」


うつむく彼女にクラスの四方から視線が注ぐ。


「私は、舞子ちゃんみたいにキラキラしてないし、藍那ちゃんみたいにスタイルも良くないし、話すのも得意じゃないし、でも・・・っ。」


言葉が詰まる。重大な決断が彼女にかかっている。

そのことは、まだ今の彼女には重かったのかもしれない。

すがるように顔をあげると、教壇側に立つ摩耶と目が合った。

こちらをまっすぐ見てこくり、首を縦に振る彼。

背中を押された気がした。


「でもっ、やるっ、やりたいですっ!私が・・・お姫様になっていいなら・・・っ!」


一拍、静まった。そしてその後すぐ、教室中から一斉に歓声があがる。

猪名川の納得したような、生徒の成長を噛みしめるような表情を見て、摩耶は黒板に大きく「姫:朝霧舞子 鶴林寺明姫」と刻んだ。


小道具はほぼ完成しているので、今日の放課後から鶴林寺も演者に加わって練習することになった。

とはいっても、宝殿が朝霧の代わりに台本を読んで、動きの確認をする、といったような感じだ。


ラストシーンのところで、城崎が鶴林寺の肩に手を置く。

元々の脚本では〈頬に手を添える〉と書いていたが、朝霧が素で嫌がったため今の形に落ち着いた。

まぶたを下ろして、顔の角度を変えたところで・・・


「かァァァァっと!!!なかなかいいわね。摩耶くんもそう思うでしょ?」

「・・・ん、あぁ。」


心臓が窮屈になって、頭に血が上る。

ドキドキして、気分が悪くて、見ていられないはずなのに目が離せなかった。

”ふり”なのは嫌なほどわかっている。だが、この気持ちは・・・


「おいおい、どうしたんだよ?大丈夫か?」

「摩耶くん、顔色悪いよ?」


呼吸を一拍、目がスッと座る。


「ごめんごめん、気を取り直してもう一回通しでいこう!!」

「・・・ほんとかしら。じゃあ、最初の台詞から。」


ぼそっとつぶやいて覗いた横顔は驚くほど冷静で、先ほどの様子から一瞬の落差に酔いそうになる。

いつもはしっかり者の摩耶だが、意外な弱点があるのを知って、後でからかってやろうと思う宝殿だった。


カレンダーに印をつけていくたび、暑さは増していく。

朝霧が倒れてからめくるめく時は流れ、五国祭は翌日に迫っていた。


今日は準備日ということで授業はなく、丸一日五国祭のためにあてられている。

最後の調整は鶴林寺やクラスメイトに任せ、摩耶は部屋で明日からの段取りを確認していた。


「はじめに挨拶をして、来賓の紹介か。まぁ細かいところは司会担当の委員に例年通りで任せるとして、挨拶ぐらい今年は・・・、当日はほとんど本部に待機しとかないといけないのがキツいよなぁ。」

「・・・摩耶くん、入ってもいいかな?」


ノックして、聞き慣れた声が聞こえる。

迎え入れると、紅茶とコーヒーをもった鶴林寺がいた。


「差し入れ持ってきたよ。どっちがいいかな?」

「ありがとう!じゃあコーヒーで・・・」


ごくり、と飲んで一息。

クラスの準備はもう終わったらしく、明日に備えて早めに解散したようだ。

劇の流れもなんとか覚えたよ!と嬉しそうに話す彼女に、摩耶はなぜか少し、寂しさを覚えた。

五国祭が終われば委員会の仕事はなくなる。こうして二人で話すことも、一緒に帰ることも、このままではできなくなる。

鶴林寺は最初に比べるとかなり人や学校に慣れたようで、今では教室で友人と談笑することも珍しくなくなった。

自分に依存気味だった頃とやっぱり変わっていて、それは喜ぶべきことなのだが、心から思えるほど摩耶は大人になりきれない。


「・・・私ね、摩耶くんと一緒に委員やってよかった。」


紅茶を見つめたまま、ゆっくり話し始める。


「初めは反射的に立候補して、しんどいこともあったけど・・・ていうか頼っちゃったところもいっぱいあったね、ごめん。」

「おかげで友達も増えたし、学校に行くのもつらくなくなった・・・でもね、最初に五国祭楽しもうって言ってくれたことも、参ってた時にうちに来てくれた時も、すごくうれしかった。」


文脈が読めない。言いたいことも結論も、この話の終着点がどこなのかも摩耶にはわからなかった。

ただ、嫌な空気感だけは・・・不思議と感じることができた。


「・・・私ね、好きな人がいるの。」


ぐぐっと飲み干して、立ち上がる。

邪魔してごめんね、といった顔は優しく微笑んでいて、でもどこか悲しそうで・・・頬を赤くして目を潤ませている。

振り向かずに歩いて行く背中を見て、追いかけたくなった。

でも足は震えて立たなくて、走り出さない言い訳をどこにもないのに探していた。


・・・・小さな手でドアをぱちっ、と締めて靴箱に向かう。

日が落ちかけて空気はひんやりとしているのに、身体が熱い。

今すぐ座り込んで泣きたい気持ちになった。

上履きを脱いでいるところで、向こうから呼ぶ声がする。


「あら、ハルキさんじゃない。」

「・・・三奇ちゃんっ。」


振り絞ったところで、涙があふれてしまった。

宝殿は無言でそばによって、何も聞かずに頭を撫でた。


「・・・落ち着いた?」

「うん、ありがとう・・・私、すごい自分勝手なことしちゃった。摩耶くんは私やみんなのためにあんなに頑張ってくれたのに。」

「来週になったらこんな時間が終わると思うと、どうしても伝えたくて・・・でも顔を見るのが怖くて、自分の気持ちを押しつけてそのまま逃げちゃった。」


最低だよね、と独り言のように話す。

無意識に待っている言葉、それが分からないほどバカではないが・・・


「本当にだめな女だわ。これで動揺して明日の挨拶とかいろいろしくじったら・・・あの人笑いものよ?」

「えっ」

「まだ本番も始まってないのに終わるもなにもないじゃない!一日だけでも一緒にまわったら?友達少ないんだから・・・どうせ先約もいないんでしょ。」

「言い過ぎじゃない?」


一瞬空気が凍って、くすっ。あはは、と揃って笑う。

自然に自分を慰めてくれたことを、ありがたく思った。


「でも私たちヒラの委員はともかく、摩耶くんは実行委員長だから基本は本部にいないとだめで・・・待機場所も別だし。」

「そんなもん城崎か猪名川にでもなんとかさせたらいいじゃない。見た目は怖いけど・・・多分この高校で一番生徒思いの先生なんだから。」

「ていうか、ほんとに回る人いなかったのね。1日目は一緒にいく?城崎もいるけど。」


苦笑いをして、長い一日が終わった。


そして迎えた五国祭当日。

期間は3日間で、1日目と2日目は各部・同好会などの展示や1,2年生が出している出店を楽しむことができる他、地元企業などが協力したブースも開設されている。3年生の演劇は3日目だ。


開祭式は全校生徒を集めて大講堂で行われる。


『・・・それでは次に実行委員長からの挨拶です。』

「皆さん、おはようございます。本日は待ちに待った五国祭・・・」


例年と同じような挨拶、のはずだった。


「では、オープニングとして一曲聴いてください!」


ガチャン!と明かりが消えて、スポットライトがステージに集まる。

幕が開いてドラムやギターを構えた音楽部が現れると、やっと状況に追いついた生徒たちから歓声と拍手が起こる。

特に、初めて五国祭に参加する1年生は開会式だというのに天井が割れるほどの盛り上がりだ。


「・・・摩耶くんって案外歌うまいのね。」

「ねー、びっくりしちゃった!いつの間に準備してたんだろう。」

「普通に意味わかんねーけどな。」


会場を沸かせたのち、摩耶と音楽部がそそくさと退場する。


『次は校長先生からご挨拶をいただきます。』

「お~っ!?」「校長こっちむいて~!」「ふぅ~!!」


高まったままの生徒たちに校長も苦笑いを隠せない。

それから来賓の紹介を終え、委員長の開祭宣言で五国祭が幕を上げた。


「それではこれより、第97回 五国祭をはじめます!!」


拍手が鳴り止んで、クラス順に大講堂をあとにする。

先ほどまで仄暗かったせいか、外に出た瞬間ぶわっと目の中が真っ白になって、それからじわじわと景色が広がっていく。

青色の、カンバスに引く白い線。

最後の夏、走り出すスタートラインに見えた。


「じゃあとりあえず午前中は一緒に回る感じでいくか。」

「そうしましょ!どこか行きたいところある?」

「私焼きそば食べたーい!」


それはもう少しお昼になってからね、と言って歩き出す一行。

美術部や文芸部、漫画研究会など文化系の部活は今日のために作品をこさえてきたところも多い。

ちなみに五国祭では本部で現金と交換した金券で売買が行われる。


「三奇ちゃんは文芸部とかと兼部してないの?」

「してないわよ。なんで?」

「急に脚本やるとか言い出したからだろ。実際、出来も悪くないしなあの話。」


褒めても何もないわよ、と城崎を小突く。

まんざらでもないようだ。


「・・・別にたいした理由じゃないけどね。好きだったのよ、もの書いたりお話とか考えるの。誰もやりたがってなかったしちょうど良かったでしょ?」


そういった横顔は少し悔しそうで、影がかかっていた。


日が頭の上まで昇って、今日一番の暑さになる。

鶴林寺の希望で焼きそばといくつか食べ物を買って、空き教室で昼食をとることにした。


「って言っても、実際は2,3時ぐらいが一番暑く感じるよね~。」

「あーそれめっちゃわかるわ。出店出してるとこは暑いだろうな。特にこういう鉄板系は。」

「あとで陸上部の後輩たちの店も買いに行ってあげなきゃね。こういう時は部員が少ないと助かるわ。ハルキさんはどうするの?」


内心さすがに気を遣うということで、午後からは別行動になる予定だが言い訳を考えていなかった。


「うちが出してるブースの手伝いでもいくつもり!委員の当番まで暑いしちょっと涼もっかな・・・なんて。」

「さすが鶴林寺家のお嬢様、孝行娘ね。ちなみに何を出すの?」

「うちに伝わる古い書物とかだよ!歴史好きな子とか来てくれたらいいなぁ。」


二人と別れて、ブースに向かう。

鶴林寺家は五国に古くからある豪族で、明治時代に姓を改めた。

現在も地域の経済や教育などに広く貢献している。


「お待ちしておりました、お嬢様。近頃はまた学校に通われているとのことで・・・奥様も大変お喜びに。」

「理事長さん、お久しぶりです。」


受付の椅子に腰かけて、一息つく。

普段インドアなこと、午前中はしゃぎ過ぎたことで少し疲れが出たようだ。


「すみません、展示を見たいのですが。」

「はい、入口はこちらで・・・、舞子ちゃん!?」


顔を上げると、ジャージ姿の朝霧が立っていた。

再会に頬が緩む。


「もう身体は大丈夫なの?」

「うん!今日退院で、午後からきたの。代わりにステージに立ってくれるんだよね?一緒に頑張ろう!」


うん、と大きくうなずいて展示室に入る。


「今の人はおじいさま?」

「ううん、うちが持ってる財団の理事長さん。さっき私が手伝うって連絡したらわざわざ来てくれたの!」


この子とんでもないな・・・と思いつつ、古い書物や展示品を眺める。

ひとつ、不思議と興味を引かれるものがあった。


「これ、ミイラ?生き物みたいだけど・・・」

「そうだよ!昔はウミトカゲって言って・・・ラシュペロカの方がなじみがあるかな?」

「赤ちゃん、なのかな?ゴコスイのロカちゃんよりかなり小さい。」

「伝承があってね、本当はウミトカゲって名前じゃなくて・・・」


そう言いかけて、駆けつける足音に遮られる。


「姫明さま・・・なりませぬ!!」

「外で”ヒメさま”はやめてって言ってるでしょ、ちゃ~んとわかってますよ。」


ぷい、っとよそを向く。

ごめんね、と朝霧に謝って出口まで見送った。

この時間は体育館でダンス部の1,2年生によるパフォーマンスが行われる予定で、西宮と見に行くらしい。


一方、城崎と宝殿は後輩たちの出店を一通り回ったあと、空き教室になっているX組で休憩していた。

大きな窓からは空が見えて、暑さが窓から入るそよ風を引き立たせる。


「・・・てか、なんつーかさ。」

「なによ急に、マジな顔なんかして。」

「事情とかよくわかんねーし詮索するのも違うと思うけど、なんかうまく言えねぇけどさ。お前が練習サボってるわけじゃないの、みんなわかってるからよ。」


さらり、と自分の前髪を撫でる。


「最後の大会のエントリー、お前の分も勝手にしとくぞ。まぁ、出なくてもいいし・・・なんなら俺を応援しにくるだけでもいいしな!」


にかっ、と笑ってこちらを向く。

そばで離れず寄り添って、なんでも分け合うことが優しさではない。

失敗した後にそっと置かれたコーヒー、反抗期から来る喧嘩のあとのハンバーグ。

頼らないようにしていた、ずっと一人で頑張っていた。

乾いた心に、潤いが一滴。


「あんた意外と優しいわよね・・・軟派で、普段テキトーなことばっかりするくせに。」


聞こえるか聞こえないかわからない声で礼を言って、宝殿は教室を後にした。

いま自分の顔を見られたくなかった、そしてほんの少しだけ、暗いところでひとりになりたかったから。


「さてと、あと一人声かけないといけない奴がいるな・・・」


初日が無事に終わり、委員会本部もやっと一息だ。

それぞれ時間で交代しながら3年生の委員は異常がないか会場の見回り、1,2年生は別棟の本部に詰める。


「みんなお疲れさま!これで初日は無事に終わったな!2日目は少し落ち着くだろうから、当番の時も余裕があればちょっと遊びに行ってもいいぞ。」


後輩たちが沸く中、ひとりが摩耶に話しかける。


「摩耶先輩は明日も一日詰めるんですか?」

「んまぁ委員長だしな・・・気にせず楽しんでこい!」


少しかっこつけ過ぎたか、と思いつつ後輩に不安をかけてもいけないし、と自分に言い聞かせる。


皆が帰ったあと、机に腰掛けて明日のスケジュールに目を通す。

といっても、明日は挨拶の類もなく、今日のような自由時間が一日続くだけのため特にやることはない。

熱中症などの対応は保健委員に任せることになっているし、せいぜい金券の買い足しに対応するぐらいだがこれも後輩たちの仕事だ。


そろそろ帰るか、と思ったところでドアが開く。


「よう、五国祭楽しんでるか?」

「・・・朝来。」

「城崎とさっきたまたま会って、ついでに話してな。明日、お前と一日代わってやるよ。」

「気持ちはありがたいけど・・・どういう吹き回しだ?」

「まぁ細かいことは気にすんなよ。俺ら3人、同じ2年A組猪名川学級で過ごした仲じゃんか。さ、帰った帰った!」


強引に本部を追い出される。

朝来のことだから何か考えがあるのだろう、ユウマとやりとりがあったらなおさらだ。そう納得したことにして、靴箱に向かう。


「摩耶くん、一日お疲れさま。・・・今から帰り?」


鶴林寺が壁にもたれて立っていた。

偶然居合わせた風に装っているが、摩耶がこの時間に来るのを知っていたのは間違いない。

いつものように、一緒の道を歩いて帰る。

ただ、五国祭で常に食べ物をつまんでいたこともありスイーツなしだ。


「今日はどうだった?」

「午前中は陸上部の二人と回って、午後はブースの手伝いと当番だよ。とっても楽しかった!」

「そっか、良かった。」


心からの笑顔を見せる彼女。

安心すると共に、どこか寂しい気持ちもあった。

別れ道が、揃って踏み出すつま先を割く。


「あの・・・さ。」


咳払い、一拍おいて唾を飲む。


「明日、一緒に回らない?本部はA組の朝来が仕切ってくれることになってさ。」

「え、そうなんだ!?じゃあ一日付き合ってもらおっかな!ちょうど回る人いなくて困ってたんだよね!」


本心でない言葉が出る。本当は明日空くのを知っていたし、自分から誘うぐらいの気持ちでいた。

一緒に回ろう、そう言われてなんて返したらいいか。靴箱で待っている間、ずっと考えていたはずなのに。

摩耶が一瞬すかされたような表情をして、すぐに笑顔に変えてこちらを見る。


「やった!じゃあまた、明日ね。」

「うん、また明日!」


翌朝、摩耶は少し早く来て朝来に引継ぎをしていた。


「まぁいっても今日はあんまりやることはないんだけどな。なんかあったら連絡してくれたらすぐ行くし。」

「てことは奥の準備室に籠もってあとはガキどもに任せとけばいいんだな?全然やるわそれなら。」


朝来、と一言呼ぶ。

妙に照れくさくて、彼がどんな理由で代わってくれたのかはわからなかったが、自分のためにそこまでしてくれたことが嬉しかった。


「・・・ありがとな。」

「気にすんなよ、友達だろ?」


そう返して、本部を後にする摩耶を見送る。

彼にはずっと委員長を摩耶に押しつけたという気持ちがあった。準備期間中ひとりで部屋に籠もっていたのも知っていたし、方々に頭を下げて調整していたのも知っていた。

せめて一日だけでも自由に楽しんでもらいたいと言う気持ちと、罪滅ぼしの意識から城崎の提案に乗ることにした。

黒板に大きく『当番の仕事も楽しむこと 以上』と指示を書いて、準備室の椅子に腰を下ろす。


「ていうか普通に今日ソシャゲのイベント、最終日なんだよな。この部屋独り占めでサボってゲームできるなら全然おつりがくるレベルだし・・・まぁ、あとで差し入れでも持って来させるか。」


チャイムが鳴って、2日目が始まった。


「鶴林寺さん、どこから行きたいところある?」


そう言ってから、「こんなんだから今まで彼女なんてできたことないんだよなぁ」と心の中で独り言。


「うーん、逆に摩耶くんが行きたいところに行こ!私、一応昨日行きたいところは行ったから。」


せっかく一緒に回れるのに、今のはあんまり印象よくなかったかな、そんなことを考える。

まだぎこちない会話、初な二人。


「じゃあ藍那ちゃんのところ行ってみようよ!手芸部ってどこだっけ?」

「・・・第二本棟の3階だよ。」


摩耶が藍本を名前で呼ぶのがまだ慣れない。

少し面白くなさそうに唇をむっ、と尖らせて歩き出す。


「あー二人とも!作品見に来てくれたの!?」


手芸部に向かうと、藍本が手を振って迎えてくれた。


「まぁゆっくり見ていってよ!私の作品は一番真ん中のスペースね。部長だからいいとことっちゃった!」


並べられた作品をひとつひとつ、ゆっくり鑑賞する。

手作りのあたたかくやわらかな雰囲気が部屋に広がる。


「わーっ、ぬいぐるみだ!藍那ちゃんが作ったの!?かわいい〜!!」

「そーなの!いいでしょ、五国祭が終わったら明姫ちゃんにあげよっか?」

「いいの!?やった〜!」


いつもの活発なところもありながら上品な雰囲気とのギャップに、ぬいぐるみよりも目線が釘付けになる。


「・・・掬星くんはどれがお気に入り?」

「俺はこれがいいな。販売もしてるんだっけ?」

「いい趣味してんじゃん、金券1枚ね。」

「じゃ、これで。」


そう言って金券を2枚手渡す。

藍本は少し頬をゆるめて、わざと少し指を絡めながら受け取った。


「明姫ちゃん、お揃いのプレゼントだって!よかったね〜。」

「やめろって、だいたい鶴林寺さんは・・・」


そういって、口を閉ざした。

あの日、ぽつりと言葉をこぼした鶴林寺の顔が目の裏に浮かぶ。


「ふふっ、嬉しい〜・・・摩耶くん?」

「ん、ぁごめん!ストラップ欲しかったんだよね。」


はは、と笑って誤魔化す。


手芸部を後に、鶴林寺がトイレに行ったのを待っているところで藍本がきた。


「ねぇ、掬星くん。明姫ちゃんとなんかあった?」

「・・・なんでもないよ。」

「明らかになんかあり気な顔してそういうこという男、好きじゃないかも。いい加減シャキッとしないなら、私を襲いかけたこと明姫ちゃんに言っちゃうよ?」

「俺も悪どい女は好きじゃないな。だいたい襲ったのは・・・」


「明姫ちゃんが私にレイプされたら、掬星くんのせいだから。」


たたたっ、と足音が近づいてくる。

鶴林寺が戻ってくる直前、藍本はそっと摩耶に耳打ちをした。


それからお昼を食べ、今回の五国祭で一番売れていると噂のいちご飴を買いに行った。

代わってくれた朝来への差し入れだ。


少し歩いて別棟へ。

後輩たちに見つからないように、準備室の裏のドアから入る。


「朝来、お疲れ様。差し入れ持ってきたぞ。」

「おっサンキュー、俺これ好きなんだよな〜!」


ちらりと鶴林寺の方を見る。


「お前ら一緒に回ってたの?」

「そーなの!今日は誰とも予定なかったから、摩耶くんが誘ってくれたんだ!」


とってつけた言い訳を並べる彼女に、朝来がにやける。


「ふーん、"そういうこと"ね。まぁ俺の分も楽しんでこいよ。」


もう一度朝来に礼を言って、部屋を後にする二人。

ドアが閉まったのを見て、コードを差しっぱなしのスマホを取り出す。


「あーもしもし?おい城崎、お前なかなか粋なことすんなぁ!?」

<予定通りか?>

「俺がお前から聞いてたよりもな!ちゃんとみなまで教えとけってのこういうのは!」

<悪い悪い、じゃあ引き続き身代わり頼むわ。>


ハイハイ、と電話を切って朝来は再びひとりの時間を楽しむことにした。


無事に2日目が終わって、今日も二人の帰り道。

別れ際、鶴林寺が不意に摩耶の顔を見た。


「明日、王子様にキスされちゃったらどうしよっかな。」


この時は、本当になるなんて思わなかった。

ただ、摩耶は頭から血が引いていくのを感じた。

風で揺れる青葉。いつもより、前よりも少し、よく見えた。


3日目は全校生徒で3年生の演劇を鑑賞する。

順番は文化委員のくじ引きで決まり、X組は後半だ。


どのクラスもしっかり準備してくるだけあって、完成度が高い。

小道具や背景で魅せるクラス、演技力で圧倒するクラス・・・持ち味はそれぞれだ。


前半組が終わり、昼食を挟んで午後へ。

出番が迫って、猪名川が檄を飛ばす。


「よっしゃ、いよいよ本番や。正直この演劇はずっと打ちこんできた部活でもなければ、入試に役立つわけでもない。」


真剣な眼差しで聞く生徒たちに、ただな、と続ける。


「短い間やったがみんなでやってきた五国祭・・・君らはすぐ大人になる。いつか今日を思い出した時に、ちょっとでも輝いて見えたなら​───────ええな。」


<続いて、3年X組による『バウムクーヘンエンド』です。鑑賞中は──────>


幕が上がる。


​───────

むかしむかし、ある国に勇敢で優しい王子がいました。

王は民の子どもの中で一番頭のいい子を幼い王子のお付にしました。

それから月日が流れ、王子は結婚相手を見つける年頃になり、頭のいい子どもは若くして大臣になりました。

大臣は国中、世界中から美しい姫を集め、何度も舞踏会を開きますが一向に相手は見つかりません。

王子は初めて会った時からずっと、大臣に一目惚れしていたのです。

そんなことを知らない大臣は、ある日となりの国の姫を招待します。

姫は王子のことが好きになりました。

それから毎回舞踏会に来ては王子に話しかけ、やがて二人は親密な仲になりました。

しかし、王子は姫のことを友人だと思っていたのです。

いつまでも煮え切らない王子に、大臣は詰め寄ります。

次の舞踏会で姫との結婚を決めなければ、辞職して国を去ると言うのです。

本当はずっと王子に仕えたかった、隣にいたかった大臣ですが、王にそのように命令されていたのでした。

そして、いよいよ約束の日がやってきます。

​───────


舞台袖で宝殿たちが劇を見守る。


「(マリナさんの案、内心上手くいくか不安だったけどここまでは順調ね。客の反応も悪くないし・・・あとはラストシーンまでこのままいければいいのだけど。)」


​───────

『姫さま、ボクは今日、あなたに伝えなければいけないことがあります。』

<あら王子さま、改まってどうされたのかしら?>

『ボクには・・・好きな人がいるんです。』

<王子さま・・・>


王子は姫の肩に手を添えて、まっすぐ目を見ました。

会場では、大臣が少し離れて見守っています。

​───────

ステージの中心には王子と姫だけ。

大臣は袖ギリギリに構えて二人を見ていた。


「(準備期間に何回も練り直した脚本・・・あとは明かりを落として幕を下ろすだけ!最後の王子の言葉の意味は客に委ねる・・・中盤で王子と姫のパートをしっかり見せたこと、それから大臣の表情で答えは分かれるはずよ。)」


間を置いて、主役二人が首を動かした。

西宮がバッチリのタイミングで合図を送る。

がちゃり!明かりが消える・・・はずだった。


「なんで!?今の今までちゃんと動いてたじゃん!!」


照明班に動揺が広がる。

客も不自然な角度で固まる二人に困惑気味だ。


微かにお互いの息が当たる。

姫の耳がだんだんと赤く染まっていく。

突然のアクシデント、初めての距離で見るクラスメイトの顔・・・

時が止まる。周囲がぼやけて、二人だけの世界になっていく。


摩耶の心も穏やかではなかった。

鶴林寺の顔が赤くなっていることに気づいたからだ。

『明日、王子様にキスされちゃったらどうしよっかな。』

昨日の言葉が胸を締め上げる。

空気のバランスが揺れ、崩れそうになったその時・・・


どんっ!


背中を蹴られて、大臣が一気に中心に踊りでる。

振り向くと、藍本が足を上げていた。

呆気に取られている摩耶に、宝殿が口パクで指示を出す。


《な・ん・と・か・し・な・さ・い!》


一呼吸置いて、おとぎ話がまた始まった。


​───────

『・・・殿下。私は間違っていました。』

『あなたのためを思って、国政の傍らこうして動いてきた・・・でもそれは、私のエゴだったようです。』

『あなたの本当の気持ちが、何より大事だと言うのに、いつしか自分のモノだと勘違いしていた・・・』

『私はここで、あなたの気持ちが知りたい。』

『大臣・・・いいのか?』


王子の問いかけに、大臣は姫を一瞬見て、頷きます。


『ならばひとつだけわがままを聞いてほしい。今よりボクの問いかけに、正面から答えてほしいんだ。』

『もし叶うなら、ボクは今日に戻れなくなっても、明日から先が真っ暗になっても構わない。』


『大臣、ボクは・・・ずっと、今でも​───────』


『あなたが好きだ!!』


舞踏会の会場に、二つの声が重なって響きました。

二人は手をとって、見つめ合います。

そして今までの時間を惜しみながら、別れを告げるように足を踏み出しました。

​───────

手を繋いで、客席の真ん中を通っている階段を駆け上がる。

大講堂2階のドアが開いて、初夏の日差し、眩しい逆光の中に影が消えていった。


「ライト直ったって!」

西宮に一報が入る。

ドアが閉まって、客席の視線が再びステージに戻る刹那、一瞬浮かんだ最適解に合わせ合図を送る。

明かりが一斉に落ちて、ひとりになった姫にスポットライトが当たる。

引き締まる瞳孔、まっすぐ見上げる音響。

夢前の隣でマイクに向かう朝霧と目が合った。

眉がキッと動いて、マイクのスイッチが入る。


​───────

<これじゃあ私、バカみたい。ケーキがあって成り立つのに、いちごが主役なんだもの。>

<人を好きになる、それは素敵なことだけど。誰かが勝手に傷ついてしまうこともあるなんて、みんな不幸になることもあるなんて・・・酷い話ね。>

<外から見ればハッピーエンド、本人にはバッドエンド>

<外から見ればバッドエンド、本人にはハッピーエンド>

<ねぇ、"あなたに私はどう見えてるの?">

​───────

姫が客席をじっと見つめる。

冷えた目から細く伝う涙に、ライトが差す。

息を飲む静寂、見蕩れる観客。


《きれい・・・》


誰かがそう呟いた。

指揮者の表情が変わる。


「・・・今よ、幕を下ろして!」


宝殿が合図を出した。

カーテンがゆっくり、おとぎ話と現実を切り離す。

その動きに合わせて、姫が瞳を閉じて頭を垂れた。

まばらな拍手、どんどん大きくなっていく。

ばさり、"めでたしめでたし"。


「​─────で、お前いつまで手繋いでんだよ。」

「!? ふん・・・」

「・・・」


外では手を叩く音だけが聞こえる。

無意識に握りっぱなしにしていた手を離す。

お互い少し照れてから、話す。


「ライトが故障した時マジ焦ったけど、何とかなったな〜。」

「いきなり放り出されたこっちの身にもなれよ。」

「でもあのアドリブはねーだろ(笑) ラスト、どうなったんだろうな。」


「城崎!摩耶くん!!」


遅れて大講堂から引き揚げてきたクラスメイトたち。

宝殿が、他より早くこちらに走ってきた。


「お疲れ様!よかったわよ!」


目を輝かせて、振り向いて朝霧と鶴林寺を見る。


「ラストも凄かったわ!マイコさんのアドリブ、ハルキさんもまさか泣く演技までできるなんて!」

「え、鶴林寺さん泣いてたの?」

「も〜、三奇ちゃん!」


「脚本通りのエンドじゃなくてよかったのか?」

「まぁ個人的にはね。でも、そんなこといいのよ。さ、記念撮影しましょ!」


皆の顔が写るように並ぶ。

猪名川がカメラを構えると、後ろからひょこっと和田山が現れた。


「猪名川先生も入られては?私が撮りますよ!」

「先生こっちおいでー!」


朝霧が手招きする。


「あ、ほなお願いします!」

「いきますよ、はいチーズ!」


それから全ての演目が終わり、閉祭式に入る。


「皆さん、3日間お疲れ様でした!きっといい思い出になったと思います​───────」


摩耶の挨拶の次は表彰だ。


「まずは、主演男優賞の発表です・・・3年A組、朝来神楽くん!」

「え〜朝来ぉ~?」「もっといいのいただろ」「カグラじゃなくてシグラなんだ・・・」


3年生から声が上がる。

ステージ上に上がって振り向くと、自信満々の顔で大きく口を開いた。


「嫉妬は見苦しいぞお前ら!さぁ、拍手拍手!!」

「・・・おめでとう、朝来。」

「おう、サンキュな!」


摩耶から賞状が手渡される。


「続いて主演女優賞です・・・3年X組、朝霧舞子さん、鶴林寺明姫さん!」


X組から大きく声が上がった。

朝霧が鶴林寺の手を引いて、二人揃ってステージへかけていく。


「おめでとう。2人のおかげで最高の劇になったと思う。」

「摩耶くん褒めるの上手〜!」

「ありがとう!摩耶くんも、よかったよ。」


にこっ、と笑って生徒たちの方を振り向く。

二人握った手を上げて、並んで揃って、振りかぶってお辞儀をした。

拍手と歓声が大講堂に響く。


「続いて助演男優賞に参ります​───────」


裏方も含めた個人賞の発表が続き、最後はクラス賞の発表だ。

教職員たちが選ぶ個人賞とは違い、クラス賞は全校生徒の投票で選ばれる。


「まず第3位・・・3年C組『君の髪ごしに海を見る』です!」


C組の文化委員が代表して賞状を受け取る。

喝采が止むのを待って、司会がマイクをとる。


「続いて第2位・・・3年X組『バウムクーヘンエンド』です!」


おおっ、とX組が揺れる。

賞を取れたよろこび、1位でないことが決まった悔しさ・・・

藍本の一言が均衡を崩す。


「すご!私ら2位だって、ほら明姫ちゃん賞状!文化委員でしょ!」


摩耶はステージにいるため、鶴林寺ひとりでステージに上がる。


「・・・おめでとう。五国祭、鶴林寺さんのおかげで上手くいったよ。」

「摩耶くんも!でしょ?・・・こういうの2回目って、なんか照れるね。」


今度は行儀よく頭を下げて、ステージを後にする。

結局1位をとったのはD組で、大きな拍手で表彰を締めた。


次は解任式だ。

実行委員長は期間中様々な権限を与えられるが、この式で全校生徒を代表する生徒会長に解任されることで、ただの文化委員長に戻る。


「五国祭実行委員長 摩耶掬星殿 貴殿はその才覚を存分に発揮し、本祭を成功に導いた。一方で本校の協働精神に反し、全校生徒からなる生徒会、およびその代表機関たる生徒会執行部から全権を簒奪の上、恣に運営を行った。以上に鑑み、実行委員長を解任し、学校長の承認を受け1日の謹慎を命ずる。 生徒会長 城崎有馬」

「委細承知、謹んで拝命する。異議は一切ないことをここに申し上げる。」


「摩耶先輩ー!」「摩耶くんお疲れ様!!」「ありがとうー!」


摩耶が解任辞令を受け取ると、生徒たちが一斉に労いの言葉をかける。


「ねぇ・・・城崎くんの、なんか酷い言いようじゃない?」

「明姫さんは初めてだったわね。毎年同じ言い回しなのよ、これ。解任のあと皆で労うのも初回からずーっと伝統らしくて・・・謹慎1日もああ言ってるだけで週明け公休扱いで休めるの。ほら、あなたも声かけてあげて。」

「えぇ・・・あ、うーん・・・摩耶くん、お疲れ様ー!!」


解任式が終わり、生徒会長の閉祭宣言で五国祭は幕を閉じた。

それぞれの教室に戻り、あとは解散するだけだ。


「みんな、ほんまによう頑張った!2位をとったのも先生はほんまに誇らしい!週明けからはまた受験に気持ちを切り替えて、今回のように最後まで全力で取り組むように。」


猪名川が締めて、学級委員長の号令で帰りの挨拶をする。

摩耶と城崎はそれぞれ後片付けがあるため、教室にはいなかった。


「掬星、お疲れ様だったな。」

「ほんとだよ、てかお前・・・なんであの時俺にやらせたの?」

「そりゃあ、解任式でお前に謹慎させたかったからに決まってんだろ。」

「当然に委員長までやらせるつもりだったのか・・・」

「じゃあ俺は生徒会の部屋いくから。」

「おう、また火曜日な。」


城崎と別れて、文化委員会の部屋へ。

特にやることがあるわけではないが、少し浸りたい気分だった。

押し付けられて始めた役目だったが、終わってみればおかげでいい思い出になったというものだ。

しばらく休んで、そろそろ帰ろうかと思ったタイミングで、ノックする音がした。


「いるんでしょ、入っていいかな?」

「どうぞ、お姫様。」


ドアが開いて、夕日がさらさらの髪を透かす。


「やっぱりここだった!もうみんな帰っちゃったよ。」

「そっか、鶴林寺さんは?」

「私は、なんか・・・もう!摩耶くんの意地悪。」

「ごめんってば。ありがとう、迎えに来てくれて。」

「頑張ったのに、最後はひとりじゃあんまりだもん。さ、帰ろ!」


いつもの帰り道、こうして二人で並んで歩くのも今日で最後だ。


「五国祭、楽しかった?」

「おかげさまで!私、委員になってよかった・・・X組に入ってよかった。」


先ほど買ったケーキを座って食べる。

新学期初日のこと、家にお邪魔したこと、準備のこと、当日のこと・・・短い時間だったが、思い出話が途切れることなく続く。

食べ終わって、ベンチを立つ。

別れ道までの間、お互い何か言いたいことがあるようだが、しかし打って変わって切り出せない。

目印の街頭の下、この時間は誰も通らない。

蛙の声が遠くに聞こえて、涼しい夜風が頬を撫でる。

スポットライトがヒロインを照らした。


「鶴林寺さん、あのさ・・・」

「うん。」

「今から言うことは、俺のエゴかもしれない。もしかしたら、君にとって迷惑かもしれない。」

「・・・うん、いいよ。」


やさしく微笑む。


ここでやっぱり、といってさよならを言えばこのままの関係でいられるかもしれない。

もしかしたら、もっといい機会があるかもしれない。

嫌われるかもしれない。


でも、逃せばずっと後悔すると思った。

10年後、5年後、来年・・・いや、明日だって「あのとき伝えておけばよかった」と今日の自分を恨み、責めることになるだろう。

今まで好きになった人がいなかったわけではない。

ただ、たった一言伝えるのが怖くて、ステージの外から誰かとのハッピーエンドを見ていた。


「俺は・・・!あなたのことが、好きです─────」

「主役みたいにかっこよく言えないけど、好きな人がいるかもしれないけど!」

「付き合ってください・・・!」


一瞬、表情が虚になった。

頭が追いつくと耳が赤くなって、大きな目が更にじわじわ開いていく。

鼓動はスピードを上げて、胸がきゅっと絞まって、全身が熱くなる。

辺りはもう暗いのに、彼ごしに見る月が眩しくて・・・顔が見えない。


「わ、わっ、私は・・・」


言いかけて、よどむ。

思いが溢れても言葉にできなくて、やっと浮かんだフレーズも喉で渋滞していく。


「────私ね、劇の最後・・・王子様が摩耶くんだったらって思ったの。ここでキスされてもいいのに・・・って、だからさ。」

「だから・・・だから・・・」


恥ずかしくて、苦しくって最後の一言が出ない。

足が震える。でも自分の言葉で伝えたくて、気持ちを胸の底から引っ張り出した。


「​─────私は、あなたのお姫様に、なりたいっ・・・!」


鶴林寺が摩耶の手を取って、自分の頬に添える。

小さな顔は手で隠れるほどで、きれいな輪郭をしているのに赤ちゃんのように柔らかい。

下のまぶたがぐぐっと上がって、泣きそうな顔と目が合った。

呼吸を置いて、少しかがむ。

合わせて背伸びをして、瞳を閉じた。


ファーストキスは、ショートケーキの味がした。






























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ショートケーキエンド @magicalbullets

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