第2話 転生は突然にくるもの もちろん私もね

 全ての始まりは六年と少し前。オリクト・コーレンシュトッフの中にある過去が呼び覚まされた日だ。

 思い出すのは唐突だ。転んで頭を打った、病気で寝込んで起きたら。彼女が見たことのあるシチュエーションはある程度パターン化されている。

 彼女は前者だった。


「姫様!?」


 廊下でスカートに足を引っ掛け転んだ。顔を強く打ったものの、カーペットが衝撃を和らげ怪我は無かった。侍女達が慌てて駆け寄る中、幼き日のオリクトは目を点にし呆然としている。


(何…………これ?)


 脳の中に雪崩れ込む情報の数々。もう一人の人生だった。


(これ……まさか、異世界転生? 私が?)


 思い出した。前世の記憶の全てを。幼い身体に流れる三十年の人生。その濁流に意識が飲み込まれそうになるも意識を繋ぎ止める。

 彼女が自我を失わなかった理由。それは歓喜だった。


「オタクの夢、異世界転生……!」


 何を隠そう彼女は重度のオタクだった。二次元に生き人生の全てをそこに捧げてきた狂人。そのせいか不健康が祟り、あわや心筋梗塞で誰にも看取られる事なく人生を終わらせてしまった。

 しかしこれは転機だ。前世に未練はあった。人生を楽しんでいたが、幸せだったかと問われれば頷けない。


(ま、まずは現状の確認からね。チートがあるかも解らないし、この世界がゲームやアニメの中ならそれなりの対策をしないと)


 周りを見れば自身を囲む侍女の姿。本来持ち合わせた記憶から自分がこの国の王女であるのは解った。そして前世より大きく文明レベルの低い世界なのも瞬時に理解する。


(うーん? パット見ファンタジー世界っぽいね。もし魔王とかいる世界ならヤバイけど、覚えてる限りではそんなものは無いみたいだし……)


 相変わらずオロオロする侍女達。それもそうだ。一国の姫がすっ転んで、起き上がったと思ったら呆然としている。焦るのは当たり前だ。しかし現代人の価値観を取り戻したオリクトからすれば知った事ではない。今は現状の把握をするために脳のリソースを割いていた。

 そうしていると急ぎ足で近づく人物がいた。


「何事ですか」


 もう一人侍女が駆け寄る。歳は二十三、四くらいだろう。周りの侍女よりも背が高く男性と遜色ないモデルのような女性だ。まとめた赤毛にメガネの奥の瞳は鋭く、少々厳しそうなキャリアウーマンを彷彿とさせる。


「じ、実はオリクト様が転んでしまいまして……」


「私がいない間に何をしていたのですか! オリクト様、お怪我はございませんか?」


 女性がオリクトの様子を確認しだした所で我に返る。このまま黙って思考の海に潜っていれば、余計な心配をかけてしまう。


「大丈夫よマムート。ちょっと顔をぶつけただけだから」


 記憶の中からこの侍女の情報を引っ張り出す。マムート。彼女はオリクトの専属侍女だ。


「痛みは? お顔に傷は?」


「無いわ。心配し過ぎよ」


「……そのようですね」


 マムートもほっと一安心し肩を落とす。大げさだなと思いつつ、現代日本との乖離に不安が募る。

 価値観の違い、常識の違い。一歩間違えれば頭のおかしい異端者。異常者として隔離されるのもごめんだ。ひとまずは今の自分に合わせよう。


「それよりもマムート。私図書室に行きたいのだけれど」


「図書室ですか? かしこまりました。ご案内いたします」


 侍女達はそれぞれ仕事に戻り、オリクトはマムートに連れられる。

 インターネットの存在しないこの世界において、本は重要な情報源。地図も確認しなければならない。

 少なくとも今持ち合わせている知識は宛にならない。コーレンシュトッフ王国、その名前は前世の知識に無いものだ。


(さって。どんな世界でもしっかりしないと)


 現状把握、今後の人生プラン。やる事は山積みだ。

 二度目の人生。せっかく手に入れたチャンスを、またぐうたらして棒に振るのは嫌だ。より良い生活を、転生したからこそのアドバンテージを利用しなければもったいない。

 幼い身体の影響だろうか、それとも転生の事実に興奮しているのか。オリクトの心は踊っていた。




 明るい日差しが白い石造りの屋敷を照らしている。窓の外には広大な海が広がり、漁船が風を受け海面を走る。

 そんな美しい風景に目もくれず、一心不乱に机に向かって何かを磨いている少年の姿があった。

 褐色肌に映える銀髪。金色の瞳に映るのは傷だらけの手。


「ふう」


 少年、ドルドン・マグネシアは一息つき背もたれにより掛かると、手にしていた何かを置く。そのタイミングを待っていたかのように扉がノックされる。


「誰?」


「オトドゥスです。お茶をお持ちしました」


「……入って」


 扉が開きドルドンと同じ褐色肌の男性が部屋に入る。執事服に長い黒髪を三つ編みにまとめた若い男だ。

 ドルドンの執事、オトドゥスは無表情でティーカップを置き紅茶を注ぐ。慣れた手付きで砂糖を入れドルドンの前に出した。


「ところで若様、進捗はいかがですか?」


 オトドゥスの視線はドルドンの手元に向かう。少しばかり気はずかしそうだが、幼い少年は嬉しそうに机に置いた白濁色の何かを撫でる。


「順調だよ。ここまで磨くのに時間がかかったけど、絶対に間に合う」


「左様ですか。それは喜ばしい事です。手の傷は無駄ではなかったようですね」


 顔を赤くし手を隠す。


「恥じる必要はありません。若様は初めてです。それに、我々クド族にとって手の傷は勲章と成長の証です。誇ってください」


「でも、は違う。貴族ではなく平民の手みたいらしいね」


 うつむき心苦しそうに拳を握る。普通ではない。その悲痛な言い方にオトドゥスは眉一つ動かさない。無機物のような男だ。

 まるで真逆の二人。太陽と月のような人間性の違い。


「ですが……」


「それでも僕は期待に応えなきゃならない。この国の貴族として認められなくちゃ」


「……ええ、そうです」


 決意を胸にしたドルドンに釣られるように頬を僅かに歪ませ笑う。ここにきて初めての笑みにドルドンも嬉しそうだ。


「現国王陛下が即位し、旦那様に爵位を頂けるなど以前よりも待遇は格段に良くなりました。今回のパーティーも陛下のご厚意。解ってますね?」


「うん。同年代の貴族令息に令嬢。人脈ともだち作りは忘れないよ」


「あと婚約者探しです」


 婚約者。その呼び名に顔を赤らめる。まだ恋も知らない子供。異性の事を恥じらうのも当然だ。

 しかしこの仏頂面には通用しない。


「若様。貴族において結婚は家同士の重要な繋がり、協力関係、相互利益の構築です。ですので早い内に……」


「解ってる、解ってるよ」


 そう言いながらもドルドンの顔色は良いものではなかった。己の手、傷だらけの褐色の肌に触れてくれる人はいるのだろうか。

 ふと視線を動かせば、先程まで磨いていた白濁水晶の彫刻が目に入る。

 眠るように丸まった真っ白なウサギの彫刻。その頭を撫でながら、まだ熱い紅茶に手を伸ばすのだった。

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