紫陽花という少女への応援コメント
とても変な事を書いてしまいますが、途中からアリ地獄に引き込まれる様な、筆者様の手を感じました。ずるりと惹かれ、でも完全には堕ちない生殺しというサービス(笑)。読後に考えたのは「背徳」。でもこれはもう一人の少女を媒介とする感情で、「わたし」と「おじいさん」は既に最初から越えている。未熟と完熟の違い。ゆえに「解放」が正しいのかな? それでもやっぱり足りなくて、「発見」「発現」「甘露」と流れ、トリッガーは「嫉妬」ではなく「絶望」。私はそこに「遭遇」もしくは「ケミストリー」を感じました。普通に「わたし」の内面を深読みするだけでは、構造としての面白さには辿り着けないと思いました。
的外れな感想、どうかお許し下さい。ついでにそこから勝手に発展させて、主催者様の自主企画へ賭ける想いへと至ってしまうのは、考え過ぎですね(笑)。でもやっぱり企画とは「ケミストリー」が生まれるのを期待してしまうものです。面白く拝読させて頂きました。楽しい時間をありがとうございました( ;∀;)
作者からの返信
ご丁寧なコメントありがとうございます。
自作の説明や種明かしするのも野暮かもしれませんが、序盤からだんだんと読者の関心を掴んでおいて、最後に尽き離すのが好きみたいなんです。わたし。
で、最後に読後感を選択させるんです。それは「わたし」「おじいさん」「その子」で、その子は常識とか冷静さ、わたしは性への目覚め、おじいさんは感じてはいけない美ということになるのではないかと思います。最終的には読者がどれを選んでどう感じるかなので、わたしにもわかりません。一応ネタは提供しますので、あとはご自由に解釈してくださいねー、というところでしょうか。
さいかわ水無月賞へのご参加、ありがとうございます。あの企画は「参加者に火をつけてシバいて自分も火だるまになる」というドM企画なのです。福山さんにも笑いながら火だるまになっていただけると嬉しいです。
ありがとうございました。
紫陽花という少女への応援コメント
批評、感想部屋から参りました!
内容とは少し離れていますが、私の意見と致しましては、もう少し改行してもいいかと思います。字が詰め詰めで読みづらくなってしまうし、素敵な文章をもっと丁寧にゆっくり読んでもらいづらくなります。
その子が恥ずかしそうにモジモジするなか、わたしはその子に抱きついたままおじいさんの方を見た。おじいさんはいつものように正座をしたまま、その子が持ってきていた紫陽花の上にわたしの紫陽花を重ねる。
そして、心よりの感謝を込めた表情で手を合わせると、「きれいなものだねえ」とつぶやいた。
みたいな感じですかね。強調させたい部分は離した方がいいと思います。内容はとてもすきでした!!
作者からの返信
コメント及びご感想ありがとうございます。またアドバイスまでいただきまして大変恐縮です。
紫陽花という少女への応援コメント
紫陽花が象徴する一時的な美しさと、少女の無邪気さや成長が絡んだ感動を呼ぶ作品です。
少女がおじいさんの言葉に従って、紫陽花を自分のお腹に置く場面では美しさと儚さを、物語の終わり近くで別の少女と自分自身とを比較する場面では彼女が成長し自己認識を深めていることを、示しています。
最後に「きれいなものだねえ」というつぶやきは、紫陽花の咲いている状態と、お腹に載せられている少女、その少女の若さを指していると思います。
紫陽花の美しさは一時的で儚いもの。少女の無邪気さや成長の可能性とも重なるため、おじいさんはその一瞬一瞬を「きれいなもの」と評している部分は、いいなと思いました。
気になったのは、少女がおじいさんの家に行くことや、おじいさんが少女に対して行う一連の行動について、不適切に感じる読者もいるのでは、という点です。
その辺りがどうなのかは、わたしにはわかりません。この作品は、このままで味わえばいいと思うのですが、誰かに勧めるときに一抹の悩ましさがありますね。
作者からの返信
丁寧な解説と感想ありがとうございます。
オジキのいうとおり不適切な箇所がありますが、わたしは不適切を適切といいきって批判を怖れないのが小説だと思っているので、ご批判は甘んじて受ける覚悟で書いております、という感じです。まあ、指摘して来たら、ミステリーの殺人の方が不適切やんけ!と返すつもりですけど笑
ありがとうございました。
紫陽花という少女への応援コメント
少し前に純文学に分類される小説を読みました。
その時私は子供の頃母に、
「ピーマンはとても栄養があって体に良い食べ物だから、苦手でもしっかり噛んで味わって食べなさい」と言われたことを思い出しました。
何故思い出したのか。
それは、私が純文学というものを味わえないまま大人になって、未だに栄養として体に取り込めないまま、齢を重ねているのだなぁと感じたからです。
しかしこのお話は、そんな未成熟な私が、息をするのも忘れて一気に読むほど夢中にさせられるものでした。
「わたし」からの視点で語られていますが、同時に「おじいさん」からの視点も頭の隅によぎりながら読み進めました。
時間の経過とともに、物語は変化する意識と感情がどんどん不穏な感じになって、読者の私は、ラストに不条理さと、美しさと恐怖というバラバラな感情が湧いて混乱し、最後に残ったのは「これ凄いな」の一言でした。
私は未だにピーマンが苦手で、大人になった今では自ら進んで食べることはありません。
ピーマンを息を止めて噛み砕き、大好きなオレンジジュースで流し込んだあの頃から自分が少しは成長したのかとも思いましたが、違います。
これが「犀川ようさんの作品のなせる業なのだ」と今はただ、なんでしょうねこの感じ。すみません、砕けた表現ですが「こりゃ私には一生かかっても書けないわ」
これが一番素直な感想ですね。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
純文学なんてピーマンとは違い、齧らなくても齧っても大したことがないものですので、@zawa-ryuさんが受け入れられなければ吐き出してしまって良いとわたしは思います。わたしも実は自分以外の純文学ってあんまり得意ではありませんし(笑)
せっかくお褒めていただいたので、うんちくなど。
最後の方の部分ですが、一方(わたしに言動)に異常なまでに焦点をあてながら、他方(おじいさんに)でそれを何の疑いもなく是とした行動をとらせると、読者はそのヘンテコな世界を受け入れやすくなります。ちょっとこざかしいですが、そんなテクもあるよーということで、ご笑納いただければと思います。
ありがとうございました。
紫陽花という少女への応援コメント
『ごらんなさい』という言葉。一聞一見するに丁寧な言葉としてだけでなく、どこか期待に応えようとさせるような心に働きかける魔力を感じます。
私は人生で言われたことはほとんどありませんが、このような感情を直接受けたことはなく、むしろ活字から得られたこの心境が新鮮でさえあります。
もっと書きたいことはありますが、他者に譲るとしますので、この辺で。
素敵な小説をありがとうございました。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
>『ごらんなさい』という言葉。一聞一見するに丁寧な言葉としてだけでなく、どこか期待に応えようとさせるような心に働きかける魔力を感じます。
さすが刹那さんですね。素直かつ繊細な感性からのご感想だと思いました。
ありがとうございました。
紫陽花という少女への応援コメント
なんだかよくわからぬうちに引きずり込まれてしまったような気分です。
読み終わってゆっくりした後であれば、さすがに共感はできないかと思えるのですが、読んでる最中や直後だとまるで自分もその感性を持ち合わせているかのような感覚に陥ってしまいます。なんとなくですけど、生死という怖さと神秘さが混じったものと、性的な昂揚感の2つについて新しい扉が開いていくような感覚に魅入られてしまったのかと感じました。
こういった作品は私はもちろん書けませんし、そのせいで探すことも難しかったと思うので、わざわざ企画に参加していただいて本当にありがとうございました。
作者からの返信
コメントいただきありがとうございます。作品の世界に入り込んでくださったということ、作家冥利につきます。