第四章 光輝燦然

一 楽しむ事

 朝日で目覚めた瞬間に睡蓮の頭は、夜に自分が吐き出した言葉が脳裏に残ったままだった。その所為か、都へ行くという事が重く感じる。

 身体すらも重く、目を覚ましても中々起きあがろうとは思えなかった。だが――


「今日は随分と遅い目覚めね。朝餉に遅刻するわよ。それとも身支度を手伝った方が良い?」


 見知らぬ長い黒髪の女が、睡蓮の寝台横に立っていた。しかし、声には聞き覚えがある。間延びした、虎の――


「汕枝?」

「あら、私が獣人って気づいていたの」

「何となく……全然人にならないから、もしかしたら喋る虎かもとも思ってたけど――でも今日はどうして?」

「何となくかしら。さ、起きるわよ」


 汕枝に腕を引かれて、睡蓮はようやく目が覚めた気がした。世話を焼かれ、着替えを手伝い、まるで姉妹か母と子のように髪までくしけずる。

 睡蓮は少し気恥ずかしく感じながらも、されるがままに任せた。

 そんな折、背後で睡蓮の髪を結えていた汕枝が、ふと昨晩の続きを話し始めた。

  

「昨日の続きだけど……私ね、あなたの事情はある程度は把握しているの」

「……そう」


 汕枝の手先は器用とは言えなかったが、話をしながらも髪を簡単に編み込んでいくその手は手慣れていた。


「睡蓮は、私の事は信じてくれてるわね。どうして?」


 睡蓮は困ったように笑った。特に理由はなく、ただ話をしてしまっただけでもあった。

  

「……どうしてかな、虎の姿が話しやすかったからかも」

「それならやっぱり普段は虎の姿でいるわ。私も楽だし」

「楽なの?」

「楽よ。人の姿でごろごろしてると苦言が飛ぶけど、虎だと誰も近づいても来ないのよ。おかげでやめられないわ」


 汕枝は目を細めて愉快に笑う姿は、本音のままを語っていた。

 他愛無い会話が心地よく、口の回り始めた睡蓮の様子を鑑みてか、汕枝は重たくも昨晩の話の続きを口にした。


「あなたは、理由をつけて何をするにも諦めてるだけにも聞こえる。理由は何?」

「ずっとそうだったから。ある日突然能力があると知って、両親が喜んでくれると思っただけなのに、気が付いたら仙女と呼ばれてた。それでもみんなが喜んでくれるならと思って天上聖母様みたいになろうと必死になって生きてたら、今度は能力が消えてしまった。そうしたら今度は私を仙女と呼んでた人達が早替わりして私を貶める噂を流し始めたの。それならいっそ私を信じてくれる人達の為に――もっと気楽に生きようと思ってたのに、今度は第二皇子から婚約者に指名されて……私の意志なんて罷り通らない。多分、今度も勝手に決まるの」


 睡蓮の顔が言葉を吐く度に沈んで、声は尻すぼみになっていった。だが、そんな睡蓮の顔を汕枝がそっと持ち上げた。

 

「何も考えずに諦めていたらそうかもね。でも、今回は違うかもしれないわよ」


 前を向くように言われ、睡蓮は大人しく顔を持ち上げたまま問い返した。

 

「どうしてそう思うの?」


 髪を結い終えたのか。編み込んだ髪から手が離れて、汕枝の手がそっと睡蓮の頭を撫でた。


「ねえ、睡蓮。あなた今回の仔細は尋ねてみた?」

「ええ、第二皇子と破婚になった所まで。でも今後の事は後で考えれば良いって」

「あら、それが答えじゃない? あなたにそれを言ったのは誰?」

「秋雪様……」

「今、秋雪様は白侯はくこうの代理よ。その御仁があなたが好きに決めて良いと言っているのよ」


 睡蓮はポカンと惚けた顔をして振り返る。


「秋雪様だって勝手な事は言えない筈よ。あなたが平穏に過ごせるようにと言ったのは、白侯様かまた別の誰かか……詳しくは分からないけど、それを良しとしたのは皇族の誰かなんじゃないかしら」


 汕枝の辿々しい物言いに睡蓮はもう一度前を見て、俯いた。


 ――そうだ。罷りなりにも私は皇族の婚約者だった……しかも相手の不貞で丁重に扱われる状態になって……


 睡蓮はもう一度振り返る。そこには確信があるように、しかしどこか姉のように微笑む汕枝がいた。


「真偽は夜にでも秋雪様にでも訊いてみなさいな。取り敢えずは今日という日を楽しみなさい」


 睡蓮は汕枝に諭されて、昨日の天擂の顔が浮かんだ。落ち込む睡蓮をそっと慰めるような表情。

 その記憶が、睡蓮の胸の奥底を突ついて疼かせた。



 ◆◇◆◇◆    


  

 遥か太古の世。

 炎帝神農は皇都を燃えるような赤い都として創り上げたと云われている。朱塗りの柱に、朱く染まった壁、屋根まで朱く、夕陽が落ちる頃には殊更に赫赫かくかくと燃え上がった。

 果たして、炎帝が実在したかどうか――それはもう誰にも確認しようのない話だ。

 

 だが、阿洸あこうはその街並みを模倣したと伝えられている。

 白家は代を重ねながら、今はもう誰も知らない街並みを求めて赤い都を創り続けた。もちろん、当代諸侯もその思想は変わらず街並みの維持管理に努めている。



 睡蓮はそんな話を耳にしながら、城壁から見える街並みを見下ろした。丘陵な山肌を埋めるようにして、更に下方は山を囲むようにして家家が立ち並ぶ。その最上位にあるのが、明月城だ。

 上から見えるのは大きさが様々な建物のは全て同じ朱色屋根ばかり。

 

 高台から見下ろす赤は、鮮やかで雅。

 今はまばゆい陽光に照らされて。

 黄昏時は夕焼けに染められて。

 夜は行燈あんどんのあかりに包まれて。

 さぞや如何なる時間も美しいのだろうと連想させた。

 赤い屋根で埋め尽くされた街並みに、初夏らしい青々とした桜の木々が揺れる。

 春にもなれば、赤い屋根の隙間から薄桃の桜が咲き乱れ、秋にもなれば紅葉がより鮮やかに。街並みと合わせて一層に明媚なのだと。


 省都を一望するだけで、睡蓮は言葉を失っていた。

 汕枝が多くの者が街並みを観るために訪れるとは聞いてはいた。が、想像だにしなかった景色が睡蓮の心を奪っていく。

 そう、時間も――。

 

 景色に見惚れて、さてどれくらいの時間が過ぎたか。


「さて、そろそろ本命の都に行きますかね」


 睡蓮の隣で、和やかな顔をした天擂が楽しげに言った。


「こんなに凄いと思ってなかった……」


 感激で胸に詰まる想いを吐き出すように、睡蓮の言葉には熱い息が伴う。

 

「俺も初めて見た時は驚いた。これを見たら皇都も霞むな」


 皇都も華やいだ街ではある。恐らく規模としては、皇都の方が断然大きい筈だ。貴族外は整然と邸宅が並んで、しかし平民街まで合わせると此処までの統一感は無く。更に貧民街も目立つため、一個体の都と考えると見劣りがした。

 だが、そんな天擂の考えとは裏腹に、睡蓮はボソリと呟く。


「……皇都、どんなだったかしら」


 睡蓮は自分が住んでいた場所が、今一つはっきりと浮かばなかった。自分が生きていた範囲はそれとなく。だが、皇都という規模となると都がどんなものだったか、印象に残るものが思い出せない。

 そんな睡蓮に天擂はそっと「気にするな」と声をかけた。

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