二 転換期
睡蓮は立ち去る男二人を見送りながらも、人生で何度か感じてきた絶望故か諦めも早かった。あっさりと見捨てられる事など、もう何度もあったからだ。
思い起こせば睡蓮は誰かに期待した事などもういつだったかも思い出せなかった。
絶望ばかりの人生だったわけではない。ただ、度々起こる波のような大事が睡蓮の人生ごと飲み込んでしまうのだ。
言うならば転換期だろうか。
◇
睡蓮にはこれまでの二十三年の人生で三度の転換期があった。
一度目は八歳の頃。睡蓮に異能の兆候が現れたのだ。
如何なる病も怪我もたちどころに治してしまう『
この国では、異能自体が稀有だ。神々からの祝福、贈り物とされる異能を有する者は貴重とされ、程なくして睡蓮は皇族からも一目置かれる存在となった。
それに加え、幼くも貴族の端くれでありながらも貴族平民平等に接するその精神。睡蓮を天上聖母を重ねる者は次第に増えていった。
睡蓮が神に程近い『仙女』と呼ばれるようになったのは当然の事だったのかもしれない。
皇族の影響と、仙女の噂故か。睡蓮が治療を施す度に、多くの寄付金が集まった。純粋に睡蓮の行動を支援する者もあったが、中には治療を優先してもらおうとして多額の寄付を払う者もあったとか。
その寄付金を使い、睡蓮の両親は睡蓮の為にと言って、治療院を開設した。より多くの人々を救済する為だと言って、更には治療院の傍で併設した孤児院も開設した。支払いができない者には無料で施術を行い、子供にも無償の支援をする。殆どが寄付に頼った運営だったが、その財源だけでも十分に賄えた。
睡蓮は両親に従うだけだった。けれども、決して嫌々だった訳ではない。
睡蓮はまだ幼くも、自身の行いで人々が笑顔になるのだと信じていた。純粋な心と、天上聖母を見習う慈愛と慈悲。
それだけで、全てがうまくいくのだと信じていたのだ。
それから五年の日々が過ぎた頃。十三歳になった睡蓮に二度目の転換期が訪れる。
それが、異能の消失だった。
はっきりとした原因は今もわかっていない。だが、睡蓮は一度だけ死に近づいた。ある日突然高熱に見舞われ、生死の境を彷徨う日々が十日ほど続いたのだ。
なんとか意識を取り戻し、身体は元に戻ったが――その時には能力は消え失せていた。
周りが身体の不調の所為だろうと言って励ましたが、待てど暮らせど能力が戻る事は無い。次第に周囲の睡蓮を見る目は次第に変わっていった。
その中には、両親すらも。
あれほど睡蓮を讃えていた者達の目は、憐れむか、蔑むか……まるで、詐欺師でも見ているかのような卑下したもの。
勿論、それまでと同様に睡蓮を支える者もいたが、その数は少なかった。
だからと言って、睡蓮の日々は変わりはなかった。
治療院は睡蓮にとって拠り所も同然。異能を失ったとしても、治療方法は他にもある。
治療院を共に運営していた
普通の治療院であれば、それで十分だっただろう。睡蓮は若いながらも気を操る事、人の気脈に触れる事に長けていた。施術は他の者に劣るどころか寧ろ優れていた程だ。
だがしかし、今までと変わらずに治療院を運営していけると信じていた睡蓮を待っていたのは罵倒や嘲笑だった。
仙女の治癒能力に期待して皇都を訪れた者は時に落胆し、時に絶望した。病が治ると期待して、その期待が裏切られたと睡蓮を罵る。
それでも、睡蓮は治療院を続けた。救いを求める者は少なからずあったからだ。
貴族位の者は睡蓮を避け、寄付金は極端に減る。しかし、中には密かに寄付が届く事もあった。治療院は細々としたものだったが、睡蓮はそれで十分だった。
そんな時に、十四歳にして三度目の転換期――第二皇子との婚約話が浮上した。
睡蓮は
しかし、それがあり得たのは睡蓮が過去に仙女と謳われていた事実故だった。
十四歳にして皇族の婚約者となった睡蓮を羨む者もあっただろう。妬む者もあっただろう。仙女の地位に縋り付いた女と揶揄した者もあっただろう。
しかし睡蓮は、自身の考えを貫き治療院で自身を必要とする者の為にあり続けた。結婚が近づいて、治療院を手放すその日まで。
◇
そうして、今日。
睡蓮は、四度目の転換期に遭遇した。
今までの転換期は善し悪しのどちらにも転がったが、どれも睡蓮の意志が届くところには無い。
第二皇子の結婚とて断る事は不可能でしか無かったからこそ受け入れただけ。
だから、今回の転換期もまたどちらに転がるかを睡蓮は考えた。
はっきり言ってしまえば今の状況は絶望的だろう。人生で好転したのはたった一度だけ。それからは暗転の日々。
だからか、睡蓮は再び問いかけた。
「天上聖母様、これは私に対する罰でしょうか。それとも試練でしょうか」
勿論、返事はない。
また一段と風が強くなった。ザア――と、樹々の隙間を抜ける様な風の音で、遠のいた二人の気配は夜闇の向こうにあっさりと掻き消える。
そうして浮かんだのは、まだ見ぬ未知なる存在。今までは皇都に暮らしていたが故に遠い存在でしか無かったが、それでも獰猛さや人だけを襲う習性を知っている。
それほど危険な存在が近くにいるその場所で睡蓮は一人。
そうして襲った孤独。
睡蓮の青褪めた顔から更に血の気が引いて、身体が固まった。
――私……死ぬのかしら
もうそこまで来ている先行きが、脳裏に言葉としてはっきりと浮かんでいた。
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