第二章 ホラー編⑬
学校のチャイムが鳴り響く。
その音に気づいて荊華が目を覚ませば、そこは『探偵部』の部室であった。
まるで長い長い夢を見終えたあとのような寂寥感と倦怠感が身体を支配していた。
『探偵部』に殺人ピエロが侵入してからの一連の逃亡劇、さらには図書室での全ての終結、それは全て鮮明に覚えている。だが、今になって思い返せばそれらは全て夢だったのではないだろうかという思いが湧いてくる。
もしかしたら、それよりももっと前、自分が『探偵部』にストーカーの相談を持ちかけたこと、帰り道に詩録と波瑠とハンバーガー屋によったこと、詩録の家で波瑠と三人でお泊まりをしたこと、その全てが泡沫の夢なのではないだろうかとすら思える。冷静に考えれば、こんな臆病な自分が『探偵部』などというイマイチよくわからない場所に、ストーカーに付き纏われているという深刻な相談を持ちかけるはずがない。あのときは不思議とそうするのが自然だと思ったが、今になって思い返せばあのときの自分の行動は不自然極まりなかった。
そう思いながら、荊華は鈍く痛む頭を押さえながら周りの状況を確認する。
そこには、今さっきまでの自分と同じように、部室の床に倒れている、詩録、波瑠、智慧、凛の姿があった。その姿を見て、やっぱり今までの全ては夢なんかじゃなかったのだと荊華は安堵する。
よくよく見れば、四人にはあの図書室で負ったはずの傷がない。血を流していることもない。
『一八時三〇分になりました。もう間も無く完全下校時刻です。学校に残っている生徒は帰り支度をし、一八時五五分までに学校から退出してください』
部室に備え付けられたスピーカーからは、放送部の女子生徒の聞きやすいよく透き通った声が響く。実際、壁にかけられた時計は現在の時刻がもうすでに一八時半であることを示している。
慌てて自分のスカートのポケットからスマホを取り出し、その画面は確認すれば現在時刻は一八時三〇分である。いつの間にそんなに時間が経っていたのか。それと、今いるこの場所は圏外ではないこともスマホの画面を見て確認できた。
「……? ああ、そうか。全部終わったか。怪獣映画よろしく『怪物』たちが合体したとこまでは覚えているが、あとの記憶はねえな。……おう、荊華。無事で何よりだ。他の奴らも何事もないようだな。たぶん、荊華と波瑠が頑張ってくれたのか」
詩録が起き上がり、周りの状況から今までの経緯を推察する。
その顔を見た瞬間、荊華の胸に言いしれぬ思いが込み上げてきた。
彼女の瞳から暖かい雫が流れ、頬を伝う。
その様子を見て、詩録は一瞬驚愕の表情を浮かべてが、すぐさまそれを引っ込め、立ち上がる。そして、荊華のそばまで歩み寄ると、未だ床に座ったままの荊華に合わせてしゃがみ込み、その頭を優しく撫でる。
「……よく頑張ったな、荊華」
もう耐えられなかった。
荊華は子供のように泣きじゃくり、詩録の胸にその顔を埋める。
それは今まで体験した恐怖によるものか、あるいはあの無人の放課後の学校から生還したことへの歓びか、あるいはそれ以外の何かによるものか。
自分でもなぜ自分が泣いているのかなんてわからなかった。
それでも、今まで抱え続けてきた胸の中の虚無が満たされていることは無関係ではないはずだ。
* * *
そうして無事、絵度荊華が抱えていた【ストーリーライン】が生み出す一連の事件は解決した。
かのように思えた。
「…………あのー、わたしの肩にいるこの子ってなんなんでしょうか……?」
あの日、無人の放課後の学校から無事帰還したあの日。あのときは完全下校時刻が迫っていたこともあり、色々わからないことはあったがとりあえず解散した。
そしてその翌日の放課後。
不明な点が多々あるため、五人は再び『探偵部』の部室に集合していた。お互いの記憶を照らし合わせて、不明な点を解消しようというのだ。
だが、その前に荊華には気になることがあった。
「……今朝目が覚めたら枕元にこの子がいて……。気がついたらわたしの肩に乗って、学校についてくるし、他の人には見えないみたいだし……。……あの、この子なんなんでしょうか……?」
荊華の肩には、手のひらに収まるサイズの黒い狐のようなものが乗っていた。
教師にもクラスメイトにも何も言われないため、他の人には見えていないらしい。加えて言えば、詩録や波瑠、智慧、凛にはバッチリ見えてるそうだ。
昨日の今日、さらに【ストーリーライン】
「たぶん、それは【ホラー】の【ストーリーライン】が生み出した、『怪物』の残滓みたいなもんだな。【ストーリーライン】ってのはその人の願望によって形成されると言ったが、かと言って願望や悩みが一日二日で消え切るわけもねえ。だから割とあるんだよ、【ストーリーライン】の残滓が残ることが。といっても波瑠の【ファンタジー】で変質した結果というのもないわけではない。まあでも、そのサイズまで弱体化したんじゃできることもねえから安心していい」
詩録はそう軽い調子で言う。
「気になることといえばさあ、たっちー。ボクたち、あの図書室で割と致命傷を負ってた思うんだよね。ボクの【コメディー】すら貫いたあの攻撃の傷も後遺症も全くないんだけど、これどーして?」
「ああ、それあたしも思った。さすがに今回は、あたしの【アクション】の防御力も役に立たなかったからねー。死んだかと思ったよ」
それは荊華も気になっていた。
あの図書室では、荊華以外の全員が血まみれて倒れていた。にも関わらず、向こうから生還すると、全員の傷が綺麗さっぱり無くなっていたのだ。
「昨日も言ったと思うが、あそこはこの世界とは位相がズレた空間だったんだよ。言ってみりゃ、あれは【ホラー】の【ストーリーライン】が生み出した悪夢みたいなもんだ。向こうで起きたことはこっちに帰還すりゃ全て無かったことになるんだよ」
「ふー、そういうもんだねー。よくわかんなかったけど」
「よくわかんなかったのかよ……」
そう言い合う、詩録たちの様子を見ながら、荊華は一つの決心をする。それは、昨日家に帰ってからずっと考えていたことだ。
彼女は、汗ばむ両手を握り締め、意を決してある提案を詩録たちにする。
「……あ、あのっ! わたしを、この『探偵部』の、部員にしてもらえませんかっ!?」
声が裏返ってしまった。
そう言い切ってから彼女はまるで思わず目を瞑ってしまう。それは、断られるかもしれないという不安ゆえの行動だった。
そして、数秒、間をおいて詩録の返答があった。
「……すまん、それだけはできねえ」
彼にしては珍しく申し訳なさが浮かぶ声色だった。
「……そう、ですよね。わたしみたいなの、部員になんて……」
そう肩を落とす荊華に詩録は慌てて説明を始めた。どうやら、提案を断ったやむを得ない理由があるらしい。
「勘違いするな、お前が嫌いだとか入部資格云々がとかの話じゃねえ。……お前は物語に魅入られ過ぎている。これ以上、俺らと──俺と一緒にいれば、これから先【ストーリーライン】絡みの事件に巻き込まれ続ける。そうなれば、ほとんど無害化に成功しているお前の【ホラー】は他の【ストーリーライン】に触れて『感応』し、また再発しかねない」
一度【ストーリーライン】が発現した人間は、物語に魅入られやすくなる。ゆえにこれ以上、【ストーリーライン】に関わるべきではない。
そう言われて、荊華は仕方がないこととはいえ、少し悲しくなる。
この二日間、詩録たち『探偵部』と【ホラー】に立ち向かって、確かに怖かったがそれでも一緒に何かに取り組む楽しさがそこにはあった。
だから、できることならこれから先も、彼ら彼女らと一緒に、【ストーリーライン】絡みの事件の解決を、彼らとともに部活動を、したいと思ったのだ。
入部を断る理由を告げられてもなお、俯き、肩を落とす荊華の様子を見て、詩録はだが、とセリフを続けた。
「……お前は俺らの友達だ。たまに部室に遊びに来るくらいならたぶん大丈夫だし、相談が来ねえ日には放課後どっかに遊びに行ったっていい。別にこれが今生の別れじゃねーんだ。一緒にいる機会はいくらでもある」
そう言って明後日の方向を向く彼の頬は僅かに赤らんでいた。その様子に、荊華を含めた女子たちが思わず笑みをこぼす。
「そうですね。部活は一緒にできませんが、今度一緒に遊びに行きましょう。荊華さん。私たち、お友達なんですから」
「そうだよ、けいちん。一緒に遊びに行こうよっ! なんならボクと一緒にお泊まり会しようっ」
「いいなー、それ。あたしも荊華ちゃんとお泊まり会したいっ!」
ああそうか、とそうやって話しかけてくれる彼女たちの様子を見て、荊華は思う。
きっともっと早く一歩踏み出していれば、もっと早くこの景色が見れたのだ。
でもだからといって、もう遅いとは限らない。
「……みなさん、今度必ず遊びに行きましょうっ!」
そう言って、荊華は笑った。
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