第一章 ラブコメ編①
「早く起きなさいっ、
その日の目覚めは最悪なものだった。
とりあえず、来都は寝ぼけた頭を回転させ、周りの状況を冷静に分析する。
朝。自宅の自室。寝起き。ベットから転がり落ちている自分。そして、床に転がる来都の側にいる、掛け布団をひったくった人物。
それは桃色の髪をセミロングにした少女だった。気の強そうな瞳。綺麗というよりは可愛い顔立ち。
来都が見知った顔である。
よし、状況は理解できた。
「……
来都はそう言いながら、恨みがましい視線を桃髪の少女に投げた。
彼女の名前は
蛍はひったくった掛け布団を乱暴にベットの上に放り投げたのち、腰に両手を当てて言う。
「いくら起こしても起きないあんたが悪いんでしょ!?」
「いや、そもそも何で僕の部屋に勝手に入って来てるんだよ!」
「あんたを迎えに来たら、おばさまにあんたを起こすように頼まれたの。なによ、一緒に登校しようって約束したじゃないっ!」
「小学生の時になっ!? 蛍は毎日僕と一緒に登校しようとするけど、まさかあの約束まだ有効だったの?」
「……うっさい! 契約期限は決めてないんだから、あの約束は一生有効よっ!」
さて、そん言い争いしているうちに現在の時刻は七時五〇分。そろそろ学校に行く準備をしなければ遅刻してしまう。
「……蛍さん。遅刻をしてしまうのでそろそろ着替えをしたいのですが、部屋から出て行ってもらえませんか?」
「いくら起こしても起きないあんたが悪いんでしょ? ていうか、着替えくらい今更何よ。一緒にお風呂に入った仲じゃない」
「だからそれも小学生の時の話な!?」
そんなこんなで、蛍を部屋から追い出し、急いでパジャマから制服に着替え始める。
* * *
来都の自宅から
奏朔高校。一学年八クラスで三学年合わせて合計二三クラスの県内有数の進学校である。
来都と蛍は木々が青々と生い茂る歩道を並んで歩いていた。
「なんで母さんは蛍を僕の部屋にあげるんだよ……。僕のプライバシーはどこいったんだよ」
「だから、それもこれも起きないあんたが悪いのよ。というか、あんたにプライバシーなんて存在しないわよ。少なくともあたしに対してはね。なにせあたしはあんたが小さい頃にやらかしたあんなことやこんなことまで知ってるんだからねっ!」
「わたしにも聞かせて欲しいです、来都先輩の黒歴史!!」
急に会話に知らない声が混ざって来都と蛍は息ぴったりで振り返った。
そこにいたのは奏朔高校の青いブレザーを着た、小柄な少女。
金色に近い茶髪のショートヘア。くりくりした瞳。少しの幼さと可憐さが同居した顔立ち。制服を着崩し、スカートは膝上どころか太腿までしかない。
「おはよう、みのり」
「おはようございます、来都先輩」
「おはよう、みのりちゃん」
「おはようございます、雲隠先輩」
花の咲くような笑みで挨拶をするのは
「それで、雲隠先輩。来都先輩の黒歴史、私にも教えてくださいよー」
「うん、いいよー。減るものでもないし、教えちゃう」
「ちょっとやめて、蛍。減るから、減るから。具体的には僕の先輩としての尊厳が減るから。だから人の恥ずかしい過去を後輩に暴露しないで」
先輩としての尊厳を守るためにも必死で蛍の口を塞ごうとしている来都だが、そんな彼の元へみのりが駆け寄り、彼の右耳元に背伸びをして顔を近づけ蠱惑的な表情で囁く。その声はひどく甘美なものだった。
「なら、先輩の恥ずかしい過去を教えてくれたら、お返しに私の恥ずかしいところも見せますよ?」
「……!?」
もうなんか、刺激が強すぎた。
思わず、みのりからガバッと距離を取り、甘い声が残っているような錯覚がする右耳を押さる。朝っぱらから心拍数を上げないでほしい。
「ちょっ、えっ、いや、そっ、それはダメだよ……」
みのりの提案に対してなのか、みのりが今しがたした行為に対してなのかはわからないが、とりあえずしどろもどろになりながら否定しておく来都。
だが、
「ふふふ、来都先輩、顔真っ赤ー。もしかして、本当に私の恥ずかしいところを見たかったんですか?」
艶のするピンク色に唇に人差し指を当て、右目だけを閉じるみのり。そこにはあざとい笑みを浮かべる後輩の姿があった。
と、そんなことをしている二人だが、この場にはもう一人いることをすっかり忘れている。
蛍は頬を膨らませて、腕を組みながら
「ふーん、そうなんだ。来都、みのりちゃんの恥ずかしいところ見たいんだー。ふーん」
「ちょっと待って下さい、蛍さん。弁明させてください」
「いいんじゃない? 来都も男の子だってことでしょ? いいんじゃない?」
『いいんじゃない?』と二度繰り返すあたりが、全く良くないことを如実に表していた。もうそれは、大変ご立腹のようだ。
この後、学校に着くまで来都は蛍に機嫌を直すのに苦労した。
* * *
なんか朝からどっと疲れた。
あれから学校へ着いた来都と蛍は学年が違うみのりと別れ、二年四組へと向かった。
来都は自分の席──窓側から二列目の最も後方の席へと着席する。一方、蛍は自身の席──窓側の席の最も前方の席に座っている。友達が多く、クラスで人気者の彼女の周りには常に人がいて、今日も男女数人が彼女の席を取り囲んで楽しそうに談笑していた。
そんなクラスメイトたちの様子を見つつ、来都は教科書、参考書、ノートを机に広げている隣の少女の方を向き、
「おはよう、
と朝の挨拶をする。
来都が話しかけたのは、来都の隣の席の女子──
「おはよう、水本くん。……ええ、予習してたわ」
少女はニコリとも笑わず、そう淡白な挨拶を返し、また視線を机の上の教科書に戻す。まさに塩対応。
来都はそんな彼女の姿を横目で見る。
黒絹にような綺麗な長い黒髪。透けるような白い肌。モデルのような長い手足と細くくびれた腰。それでいて出るところはしっかり出ている抜群のスタイル。見るものを惹きつける美貌は可愛いといよりも綺麗という表現が似合う。
そんな常人離れした容姿を持ち、クラスカースト最上位に君臨していても不思議ではない葵だが、クラスメイトたちは誰も彼女に話しかけようとしない。
それは、彼女の人によっては冷たいとも言われるような反応と、愛想笑いすら浮かべない表情の平坦さが原因だ。実際、その言動と容姿から、一部の生徒からは『白雪姫』と揶揄されている。雪のような冷たさと、表情の薄さ、そしてその絶世の美貌を表しているのだろう。
だが、来都は知っている。この少女が意外と表情豊かなことを。
「……水本くん。今朝は随分とお楽しみだったようね?」
そう声をかけられ、来都は隣の席を見る。葵がノートを書く手を止めて、来都の方を見ていた。
「な、なんのことかな?」
「今朝、雲隠さんと茶髪の後輩の三人で仲良さそうに登校していたじゃない。わたし、見てたんだからね?」
そう言う葵は、軽く頬を膨らませ、ジト目を来都へ向けていた。
普段笑うことどころか表情を変えることすらしない葵のその様子に来都の心臓が思わず跳ねる。それと同時に、何やら言い知れない罪悪感が来都に募る。
さながら気分は浮気が彼女にバレた彼氏。
しかし別に来都と葵は付き合っているわけではない。ないのだが、今朝の小悪魔系後輩の際どい発言と、それにドギマギした大変思春期な自分の姿を思い出し、居心地が悪くなる。何もやましいことはしていないはずなのに、なんだか落ち着かない。
「雲隠さんは幼馴染らしいからまだわかるけど、あの茶髪の後輩は何なの? 随分デレデレしてたらしいけど。水本くんってそんなに節操ないの?」
これは水本にクリティカルヒット。みのりの発言にドギマギしていた手前、否定しずらい。
「…………」
思わず黙ってしまった来都。
そしてさらに追撃が来る。
「ふーん、否定しないんだ? やっぱり可愛い後輩に鼻の下伸ばしてたんだー? ふーん……。水本くんのスケコマシ」
ぐふっという効果音と共に、なぜか胸を抑えて机に突っ伏す来都。意外と毒舌な葵さんのコンボによってライフはゼロである。
しかし、一応弁解しないわけにはいかない。
「いや、あの子は僕がこの間ナンパされているところを助けた子で……。それから妙に懐かれちゃって、よく登校中に話しかけられるようになって。えっとそれで……」
身振り手振りを交えて、一生懸命しどろもどろになりながらも説明するのだが、なぜか説明すれば説明するほど葵の眼に軽蔑の割合が多くなる。
そうして結局、ホームルームが始まるまで来都は葵に弁明を続けた。
* * *
「やあ、水本少年。奇遇だね。君も学食かい?」
昼休み。いつも通り学食に行こうと思い、廊下を歩いていた来都に後ろから話しかけるハスキーボイスが一つ。
振り返れば、そこには大人びた美女がいた。
女子にしては高い身長に、長い緑の髪を束ねたポニーテール。凛々しさを感じさせる整った顔立ちとキリッとした目元。長い手足と細くくびれた腰、そして制服のブレザーを内側から盛大に押し上げる立派な双丘。まさにモデルのような容姿の美女がいた。
彼女は
「
「ああ、私も学食で昼食を取ろうと思ってね。……君さえ良ければ、一緒にお昼を食べないかい?」
「ええ、喜んで」
そう言って二人は食堂を目指し、並んで歩く。
「……水本少年。悪いんだが、今日も生徒会の仕事を手伝ってくれないか? 力仕事があるんだが、松風庶務が風邪で休んでしまってな。男手が足りないんだ。もちろんお礼はする。だから放課後生徒会室へ来てはくれないか?」
普段の凛々しい姿から一転、豊かな胸の前で両手を合わせ、上目遣いでそう懇願する胡蝶の姿に思わず生唾を飲む来都。
「……いいですよ。喜んでお手伝いさせていただきます」
「そうか! ありがとう。助かるよ。……お礼の件だが、何か要望はあるか? 私個人ができる範囲なら、なんでも叶えよう」
女の子がなんでもお願いを聞くと言っている。このシチュエーションに、頭の中に不埒な考えが過ぎりそうになるが、それを無理矢理抑え込み、来都は紳士の笑みを浮かべて返事する。
「ちょっと仕事を手伝ったくらいで大袈裟ですよ。別にお礼なんて要りません。むしろ僕の方が日頃から総角先輩に助けられてるんですから」
「いや、そういうわけにはいかない。労働には正当な報酬があって然るべきだ。それに、タダ働きさせるのは私の信条に反する。ぜひ、お礼させてくれ」
そうは言われても、意外と難しい。そりゃー、健全な男子高校生たるもの、美人の先輩に叶えてほしいお願いの一〇個や二〇個、当然ある。当然あるのだが、そこに「公序良俗に反しない」という文言がつくとあら不思議。大半のお願いが死滅する。
さて、どうしたものか。
できるだけ実現が簡単で、胡蝶に引かれないようなお願い。そのヒントを求めて周りを見回し、その視界に食堂の入り口が映った。
「じゃあ、お弁当を作ってください」
と口に出して早速後悔した。
軽々しく弁当を作ってくれと言ったが、そんな簡単にできることではない。人に食べさせるのならなおのこと、中途半端なものは出せない。特にこの目の前の美人な先輩は妥協というものを知らない。どんなことにも全力。それゆえ、弁当一つ作るにしても相当な労力をかけるだろう。
そう思い至って、来都は慌ててお願いを撤回しようとする。
「いや、やっぱなしで……。そうだ、今度ご飯でも奢ってください。それで大丈夫です」
だが、時すでに遅し。目の前の美女はその来都のセリフを聞き、唇を尖らせる。
「なんだい? 水本少年。まさか、私がお弁当の一つも作れないような女に見えるのか? ならば心外だ。自分で言うのもなんだが、これでも料理の腕は中々だ。……よし、いいだろう。明日、君にお弁当を作ってきてやろう」
唇を尖らせたかと思えば、胡蝶は立派な胸を張ってそう宣言していた。
どうやら、負けず嫌いの彼女に火をつけてしまったらしい。
来都と胡蝶の付き合いはまだ短いが、それでも来都は胡蝶が一度言い出したら曲げない頑固者だと知っている。よって、早々に説得を諦めた。
「わかりました……。お弁当、楽しみにしてます」
「ああ、楽しみにしといてくれ。君のほっぺたを落として見せよう」
そう、輝くような笑顔で言われたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます