1-2 王子と神官
俺は眠った。ただひたすら。
意識がなかっただけとも言える。
それほどまでに、黒い短剣に刺されてからのさまよっていた日々は過酷だった。
深い深い眠りのなか、微かに目が覚めると黒いモヤが見えた気がした。
薄っすらと周囲に漂う。
それは死の宣告なのかとも思ったが、二人のおかげで俺は一命をとりとめた。
青年ヴィンセントは王子の必死な願いを聞き届けた。
俺はベッドに横たわっている。
彼らの家で治療してくれており、手厚い保護を受けている。
ヴィンセントは魔術で俺の腰の傷をふさいだ。
だが、彼の魔術でも、俺の高熱は下げられなかった。
腰の刺し傷を放置しすぎて、良くないモノでも体内に入られたのだろうか。
しばしばカラダが燃えるように熱くなり、俺はかなりの大汗をかく。
ヴィンセントは汗で寝巻が濡れているのを忍びないと思ってくれているのか、彼は丹念に撫でるように隅々まで俺のカラダを一日二回は拭いてくれる。
傷の痕が残っているようで、彼は手でいたわりながらそこを特に優しく触れていく。
かいがいしいほどの世話は、本当に申し訳なくなる。
俺を助けてと主張してくれた王子も、お湯を沸かしたり、服やシーツの替えを用意したり、俺のために様々なことをしてくれているようだが、ヴィンセントの負担が大きい。たとえ魔術があったとしても。
意識があるときに口を動かしているのだが、声にならない。
すまない、ありがとう、と少しでも伝えたいと思っているのに。
食事はまだカラダが受けつけないが、薬や水を口に流し込まれる。
薬といえば、カラダを拭いてくれるときに、どうもヴィンセントに座薬も押し込まれていたようだ。
意識がないときは良かったが、さすがに恥ずかしく思う。
彼もオッサンの尻を見ても嬉しくないだろうが。
まあ、ヴィンセントはカラダ中を拭いてくれているのだから、今さら恥ずかしい言ったところで微妙な話だということは分かっているのだが。
けれど、熱を下げるには座薬が一番と聞いたことがある。
今まで熱を出したことがなかったので、一度も体験したことはなかった。俺は子供のときから風邪ひとつ引いたことすらなかった。
カラダが丈夫だったというよりは、それも俺のギフト『蒼天の館』のおかげだった気もしてくる。
なくなってから気づくギフトのありがたみ、あるのが当たり前と思っていた。神から与えられた能力で、英雄のギフトなのだから、それ相応の代物だったということだ。
ようやく俺の意識が熱の混濁から多少解放されて、目が彼らの姿を正常に認めた頃に、王子から名前を聞かれた。
「俺の名前はザット・ノーレンだ」
と答えたつもりだった。
が、王子から返ってきた言葉は。
「レン、良い名前だねー。よろしくねー、レン」
ほとんどが声になっていなかったらしい。彼らには最後のレンだけが辛うじて聞こえたようだ。
本当にこのカラダの衰え方がいちじるしい。
『蒼天の館』が奪われて、カラダすべてが悪い方に作り変えられてしまったようにさえ感じてしまう。
もう、俺に『蒼天の館』はない。
レンと呼ばれる方が良いのかもしれない。
ザット・ノーレンはここ神聖国グルシアでも、隣国アスア王国の英雄の名として知られている。
その名を名乗ったところで、同一人物だとは誰も思ってくれないだろう。
それに、ちらちらと目にかかる髪の毛が白いように見えて仕方がないのだから。
気のせいだと、光の加減だと、目が正常ではないからと思いたい。
俺の髪は黒の短髪だ。
クセ毛だったので短くしていた。
命の危険に遭い、白髪になってしまう人間は多いと聞く。
起き上がることができるようになったら、鏡を見よう。
現実の姿を直視したくないが。
腕や胸、腹を見ても、鍛えたはずの筋肉がどこにもない。
カラダの筋肉すべて痩せ衰えているのだから、別人のように見えても仕方あるまい。
俺はただ眠っている。
目が彼らを見ることができるようになってもなお、ベッドからほとんど動くことができなかった。
「レン、カラダをふくよ」
ヴィンセントが優しく声をかけてくれる。
彼はストレートの長めの金髪を後ろで束ねている。こんなところでオッサンの世話をしていなければ、女性にちやほやされる人生を送っていたのではないかと思われるイケメンである。
彼は普段からほんの少し堅苦しい服を好んで着ているようだ。詰襟の神官服を連想させる。
彼は俺を拾うことを渋っていたわりには、献身的に世話をしてくれる。
温かい湯でタオルを濡らした後、固く絞って俺のカラダをふく。しかも、少しお湯が冷めてくると熱い湯を注ぎ足している。
細やかな気遣いが嬉しい。
けれど、俺にはもうその価値がないように思える。
どうしたら、彼にこの恩を返せるのだろうか。
この頃、ずっと考えている。
俺の服を脱がして、ゆっくりとふいていく。まるで愛しい人を愛撫するように。
カラダがほとんど動かなくても意識がしっかりしてくると、この行為は本当に恥ずかしい。
他意はないとわかっていても、彼の瞳はひたすら優しく甘い。
なぜ、こんな何もない人間にここまでしてくれるのか。
彼に問いたくなる。
ひとつの理由として俺が考えついたのは、彼が神官だから。
ヴィンセントが直接俺に言ったわけではなく、王子との会話で出てきたわけではない。
この国が神聖国グルシアだからだ。
俺はアスア王国の人間だ。
隣国の神聖国グルシアにある街シアリーの南西にダンジョンが生まれ、魔物が地上にも大量発生した。
シアリーの街の北にはもう一つ他のダンジョンが存在していた。冒険者も多数いたのだが、多くが初級中級冒険者で新しくできたダンジョンの強い魔物には対応できなかった。
アスア王国は神聖国グルシアに恩を売るために、英雄である俺をシアリーの街に派遣した。俺は魔物討伐のため、ラスボスを倒して南西のダンジョンを閉じるために、この地に来た。
神聖国グルシアの情報も、ここシアリーの街周辺の情報も、来る前にある程度のことは仕入れていた。
宗教国家である神聖国グルシアは、国民の大部分が国教の信者である。
この国の聖職者は神官と呼ばれ、国の中枢を担っている。
シアリーの街のちょうど南西方向にある新しいダンジョンには、できるだけ最短の直線距離で行ってくれと領主から頼まれた。
それはシアリーの街の外壁から少し離れたところから西側、南側は教会の土地だから。シアリーの街の住民が自由に出歩けるのは既存のダンジョンがある北側、他の街につながる道路がある東側に決められているのである。この国で教会は絶対の存在だ。
つまり、一般人は入ることさえ許されない教会の土地に住むことができる王子とヴィンセントは教会関係者である。この国には神官という聖職者はいるが、王はいない。
この国に王子は存在しないので、王子はこの国の王子ではない。そんな機密事項、寝たきりの俺に話してくれることはない。
知らないフリをしているのがお互いのためか。
ヴィンセントはこの国の教会側が用意した王子の世話役と考えるのが妥当であろう。
教会側が内密に用意するのは若い神官であることが多い。
将来、国の中枢に戻すことを条件に、厄介ごとを押しつけることができる。失敗したら失敗したで切り捨てるのみだ。
ただ一つ、神聖国グルシアの黒い噂のひとつが俺の頭をよぎる。
八年に一度、八歳頃の子供を生贄にして、神聖国グルシアは繁栄を保っている、というものだ。
王子は五、六歳あたりだろう。
もしも。
赤茶色の髪のクセ毛の少年がベッドのそばに来る。
無邪気に笑うこの少年がそうだとしたら。
ヴィンセントがこの少年を王子と呼ぶのは、名前を呼んで愛着を持ちたくないからだとしたら。
俺は瞼を閉じる。
もしそうだとしても、今、俺にできることは何もない。
俺が今すべきことは無闇に憶測を広げることではなく、自分の体調を元に戻すことだ。
ある程度カラダが回復してきたら、ヴィンセントや王子に恩を返していこう。
俺はこの二人に自分の人生をすべて捧げてもいいくらいの救いを受けたのだから。
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