すべてを奪われた英雄は、余生を楽しむ

さいはて旅行社

1章 ボロボロな出会いから始まった

1-1 森を彷徨う

 鬱蒼とした森のなか。

 他に人影は見えない。


 俺はさまよっていた。

 俺は靴も履いておらず、装備もなく、上半身は裸。

 はだしの足どころか、全身が泥と血で汚れている。

 深い刺し傷が腰にあり、シャツを脱いで腰に強く巻いて止血したが、すでにその服は赤黒く染まり、意味をなしていない。

 痛みなどすでに感じない。

 ただカラダが非常に熱くなったと思えば、凍えるほどの寒さを感じたりもする。薬も何もない状態ではどうしようもない。治療もできない。


 一歩一歩、おぼつかない足取りで進む。

 剣身が黒い短剣を手には握っている。

 魔物が現れても何とか対処できているのは、その短剣のおかげである。

 さすがに俺も素手では魔物をどうにかできない。魔法が使える状態ならばどうにかできるかもしれないが、今は魔法も発動しない。

 カラダは疲労困憊。頭は朦朧としていた。


 街へはこちらの方向で良かったのかさえ、もう定かではない。

 それでも止まってしまえば死を待つのみ。

 カラダが動く限り、僅かな可能性にかけて歩き続けた。





 他人が俺の姿を見れば、盗賊にでも遭って命からがら逃げ延びたのかと推測するだろう。

 魔物に靴まで盗られることはない。


 けれど、盗賊ではない。

 ダンジョンに一緒に入った仲間である三人の内の一人に、俺は手に持っている黒い短剣で背中から腰を刺された。他の二人もグルだった。

 ラスボスと戦った後に、飲み薬で体力を回復する前のほんのひとときを狙われてしまった。


 俺の剣も装備もアスア王国の国王陛下から賜ったものだ。

 今の俺が半裸状態なのも、彼らは動けなくなった俺から、鎧も、長剣も、収納鞄も、すべて剥ぎ取っていった。

 そして、俺の靴さえも、いくら歩いても疲労しない魔術がかかっているため、彼らは忘れずに回収した。


 俺を刺した黒い短剣は、神から授かった能力であるギフト『蒼天そうてんやかた』を奪っていった。

 どういう類の剣なのかよくわからないが、刺されてからギフトが使えなくなった。

 俺のカラダの中から消えてなくなったという表現の方が正しいだろう。この黒い短剣は刺した相手から能力すらも奪う剣なのだろうと推測する。


 ボヤけた視野で見なくても、短剣で刺されてから俺の筋肉も痩せ衰えてきている。

 あれほど逞しく鍛え上げたカラダも失った。

 黒い短剣に刺されたせいなのか、それとも、もう何日も食事どころか、水さえも口にしていないからか。

 魔物を倒しているのだから、その肉でも食べれば良いと思うのだが、討伐後に意識を失う。気づいたときには自分の近くには魔物の死骸はなかった。自分が生きているので、魔物が生き返ったとかそういうことはなさそうだ。



 俺はダンジョンの最奥部から何とか脱出し、ふらふらと森のなかを歩いている。


 仲間の三人は、街に残って魔物退治していた他の仲間三人と合流して、俺が死んだとアスア王国に報告するだろう。

 隣国である神聖国グルシアに急に出現したダンジョンのラスボスを自分たちが倒したものとして、俺が築き上げた英雄としての地位も、名誉も、お金も他の仲間たちも何もかも、すべて奪い取っていくのだろう。

 だが、もし俺がギフト『蒼天の館』がなくなった状態でアスア王国に帰ることができたとしても、もはや俺は英雄としては役立たず。俺が英雄に選ばれてしまったのも『蒼天の館』があってこそだ。

 ギフトがなくなってしまえば、俺が能力的にも身体的にも冒険者としても続けていくことは難しい。


 俺は仕事も失ってしまったようだ。お金がまったくない状態では、この神聖国グルシアで何とか細々とでも暮らしていく方法を探さなければならないのかもしれない。

 仕事のことは生き延びた後に考えればいい。

 今、俺に残されているのは、このボロボロな己のカラダのみである。


 彼らを恨んでいるかというと、今はそこまでの怒りも湧いてきていない。

 カラダがこんな調子だからなのか、生死の境を彷徨っているからなのかは判断できない。


 ただ、俺を刺して装備を奪った後、俺を見下ろす彼ら三人の目には憎しみがこもっていたのは確かだった。









 微かに花の香りがした。

 穏やかな風が漂った気がした。

 安全な場所に出ることができたと思った。

 

 だが。


 ただの気のせいだった。


 唸り声が響いた。

 子供が大人の身長の二倍はあるかという魔物に襲われようとしている。

 魔物の口からはヨダレがしたたり落ちている。

 ダンジョンのラスボスの魔物を倒したからといって、ダンジョンから地上にあふれた魔物が消えてなくなるわけではない。一匹ずつ根気よく討伐していかなければならない。魔物が大量発生した後は隠れている魔物も多いので、必要がなければ単独で行動したりしない。


 だが、そこにいるのはまぎれもなく子供だ。


 親はどうした。どこにいる。

 何でこんな森のなかにこんな小さい子供が一人でいるんだ?

 待ち望んだ他人と会えたのに、残念ながら俺が救われる状況ではない。

 救いを切望しているのは俺だったはずなのに。

 とことん運がない。

 俺は黒い短剣をかまえる。


 魔物は少年の方に気をとられている。

 幸いなことに俺にはまだ気づいてないようだ。俺の血のニオイが恐ろしいほど辺りに漂っているだろうに。それほどまでに少年に夢中なのか。オッサンは眼中にないとか。放っておけば死にそうな人間は死臭だらけでおいしそうなニオイはしないか。


 少年は怯えて動けない。

 俺の姿は目にも入っていないらしい。

 その方が良い。

 少年の視線が動いていたのなら、きっと魔物もその目の先の俺に気づいてしまう。


 魔物が勢いよく少年に襲いかかった。

 少年は小さい身をより小さくして縮こまる。


 俺は勢いよく地面を蹴って、魔物の背に短剣を突き立てた。

 所詮は短剣である。

 言わなくてもわかると思うが、剣が短い。

 人間なら致命傷にもなるが、肉体が大きい魔物には大した傷にもならない。



 それでも。

 俺はこの少年を助けたいと望んだ。

 魔物は俺を引きはがそうと暴れるが、俺も短剣から手を離さない。

 できるだけ短剣を押し込み続ける。

 少しでも深く。



 長い時間だったのか、短い時間だったのかわからない。

 魔物は地面と仲良くなり動かなくなった。

 俺の手が短剣からようやく離れる。

 いや、もう握る力すらなくなったと言うのが正解か。


 少年は目に涙をためて、俺を見ていた。

 もう大丈夫だよ、と言ってやりたい。頭に手をのせて、安心させたい。

 けれど。

 俺は肩で息をしている。それすらもやっとだ。

 俺のカラダも自分の意志ではもう動かない。

 口さえも動かすことができない。

 すでに俺は魔物の上に倒れていた。


「王子、何をしているんですか」


 青年の声が聞こえた。もはや閉ざされた視界ではどのような姿か判別できない。

 そして、耳まで変になっていなければ、青年はこの少年を王子と呼んだ。こんな森のなかにいるってことはどこかの国の王の落し胤かもしれない。ここは保養地とか別荘とかがある土地ではなかった。

 旅行で訪れる土地ではない。


「ヴィンセントっ、この人が僕を助けてくれたんだっ」


 王子が必死な声で、青年に訴えた。


「そうですか」


 あまりにもあっさりと、無情な返答をした。

 そうだ。この世界では無償の人助けは馬鹿がすることだ。

 怪我も自己責任。

 俺の怪我はこの魔物にやられたものではないけど。

 口が開くのなら、せめて魔物にやられた傷ではないと伝えたいが、今の状態では無理な話。

 だからといって、仲間にやられたと真実を告げられるかというと、この二人が何者かわからない今、それもまた無理な話なのだが。


「ヴィンセントっ、おねがいっ。この人を助けてあげて」


 王子が背を向けようとするヴィンセントに必死に食い下がる。


「王子、貴方には貴方自身を守る結界が常に張られています。魔物に襲われようと傷の一つもつけることはできません。そこの彼が特にその魔物を討伐しなくても、何ら問題はなかったのですよ」


 ああ、そうなのか。

 それはそれで問題はないが、結局は王子を襲えなかった魔物は血のニオイをさせている俺を襲いに来たのではないか。

 どちらにしても、俺は魔物を討伐するしかなかったのだろう。


 俺はほんの少しだけまぶたを開ける。

 俺のボヤけた視界ではヴィンセントという人物はそこにいるということしかわからなかった。


 ただ、俺はそこの王子に恩を売る気はなかったということはわかってほしい。

 仲間に殺されかけた、仲間は俺が死んだと思っているのだろうが、殺したいほどまで恨まれていたという事実に直視したくない。


 俺は誰でも良いからほんの少しでも優しくしたかっただけだ。


「ヴィンっ、お手伝いもするからっ」


「王子、この人を助けるというのは、犬、猫のようなペットを拾うのとはワケが違うんですよ。傷は深いようですし、カラダもかなり衰弱もしています。治療も大変ならば、カラダを元に戻すためのリハビリも大変でしょう。彼を面倒みるということは、お手伝いどころか貴方の人生をすべて捧げるぐらいの覚悟が必要です」


 そりゃ、犬猫と同じに考えられると微妙だけど、今の俺は健康な犬猫よりも始末が悪い。

 まだ幼い王子ができることは限られている。

 俺の世話のすべての負担はこのヴィンセントに重く伸しかかる。

 見も知らぬ、何の義理も恩もない俺を世話させていいわけがない。


 俺は魔物に刺さっている黒い短剣に手を伸ばそうとした。

 けれど、その手は露ほども動かない。


「僕、この人に僕の人生をすべて捧げるからっ、おねがいっ」


 魔物に襲われても涙をためていたが泣かなかった王子が涙を流していた。

 人生を捧げるって、まるで求婚のような台詞だな。

 と思いながら、俺は意識を手放した。

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