第2話 弁当の約束

「は~あ、まあ、これからも毎日会えるからいいか……それじゃ、入学式に行こっと」


 深雪はスタスタと学校へ向かって歩き出した。


「ちょ、ちょっと待てよ!」


 俺も慌てて後についていった。


 ―――――――――――――――――――――――


 深雪も俺と同じ桜ヶ丘高校に進学した。


 桜ヶ丘高校に進学した理由は、『毎日俺を迎えに来る』という口実を作るためだと、俺はにらんでいる。


 桜ヶ丘高校は、俺の家から歩いて十五分のところにある。


 通学にはかなり楽な方だし、主婦業をこなしている俺にとっては、かなり便利だ。


 今日の夕飯は何にしようかな、帰りにスーパーに寄っていかなくっちゃ、などと考えていたら、不意に深雪が俺に話しかけてきた。


「ねえ、あんた、毎日、おじさまと同じもの食べてるのよね?」


「まあ、そうだな……でも、当たり前だろ? 家族なんだから」


「昼食はどうしてるの?」


「今日は帰ったら、今朝作ったご飯のあまりを食べようと思ってるけど……」


「あんたの昼食なんか、どうだっていいわよ。生米でもかじってなさい。おじさまが、どんな昼食を食べているか聞いてるのよ」


「生米……」


 俺は深雪の罵詈雑言には慣れている。


 昔からこんな調子で話をしているので、慣れてしまったのだ。


 だから、この程度ではいちいち怒ったりはしない。


「そうだな……今までは外食だったみたいだけど、これからは、基本的に俺が作った弁当を食べることになるな……今朝も作ったし……」


「まあ、なんて素敵なおじさま! 一人息子が作った不出来なお弁当を食べてくださるなんて! きっと、優雅にお召し上がりになるんでしょうね……右手の綺麗で男らしい指で箸を持って、繊細なピアニストのような左手でお弁当箱を持つ……そして、おかずを、あの、あの、あのバリトンボイスを発する素敵なお口の中に! ああ、想像しただけで鳥肌がたっちゃう!」


「ただ単に四十歳のおっさんが、弁当を食べているだけだろ……」


「おじさまみたいなダンディな方がお弁当を食べれば、それだけで絵になるのよ。あんたも覚えときなさい、まったく、これだから若い奴は……」


 お前だって、俺と同い年だろ……


 「そういうもんかね……まあ、確かにダンディだけど……」


 深雪は、突然立ち止まって、クルッと俺の方に振り返った。


「ねえ、あんた、私のお弁当も作ってよ」


「えっ!? 俺が? お前の弁当も作るの?」


「そうよ、あんた、これから自分の分とおじさまの分で、二人分のお弁当を作るんでしょ? あたしも、おじさまと同じものを食べたいの。二人分作るのも三人分作るのも、忙しさはそんなに変わらないわよね? お金もちゃんと出すから。ママには『購買で買う』って伝えておくし。ねえ、作ってよ」


「そりゃ、まあ、確かに、二人分でも三人分でも変わらないけど……俺も明日からは同じ弁当持っていくから、俺と同じ弁当を食べることになるんだぞ?」


「それは……仕方がないわ。我慢するわよ」


 我慢……俺が同じ弁当食べるのは『我慢』なんだ……ははは……


「そんなの、お前が弁当を二つ作って、親父に渡せばいい話だろ? 何で俺――」


「それが出来れば苦労しないわよ! あんたも知ってるでしょ!」


 俺は思いっきり叱られた。


 忘れていた。


 こいつは俺の親父と一緒で、家事全般が、特に料理が壊滅的に下手くそなんだっけ……


「とにかく、私の弁当も作ってよ。これは約束よ。いいわね?」


「約束って、お前、そんな勝手に――」


 深雪は不意に俺に近づき、下から顔をのぞき込んで口角を上げた。


「や、く、そ、く、しなさい……」


「……わかった、わかったよ。三人分作るよ……どうせ作る手間はそんなに変わらないし……」


「よろしい。芽吹、良い子ね。一応褒めてあげる。ちゃんと栄養バランスを考えた、美味しいお弁当を作りなさいよ」


「ありがとう……わかりました……」


 何で俺、お礼を言っているんだろう……どこまでお人好しなんだ、俺は……


 俺はお人好しついでに深雪に聞いてみた。


「何か苦手なものあるか? 入れないようにするけど……」


椎茸しいたけ春菊しゅんぎくは食べられないわ。外してもらえるとありがたいけど……」


「椎茸と春菊ね、了解。使わないようにするよ」


「よろしくね、芽吹」


 俺が椎茸と春菊を記憶しながら深雪と歩いていると、突然深雪が声をあげた。


「あっ! しーちゃんだ! しーちゃん! おっはよーっ!」


 通りの向こう側に友達を見つけた深雪は、友達に向かって手を振り、駆け出そうとして、もう一度、俺の方を振り向いた。


「約束したからね。絶対に、絶対に破らないでね」


 殺し屋のような顔をした深雪はそれだけ言い残すと、『しーちゃん』と呼ばれる友達の方へ走っていき、ニコニコ笑い話をしながら、通りの角を曲がって消えていった。


 ポツンと一人残された俺は、静かに、それでいて熱く、心の中で炎を燃やしていた。


 なるほど……俺はお前の料理番か……上等だ……燃えてきたぜ……お前も親父も驚くような弁当を毎日持たせてやるよ!


 俺はニヤリと笑い、メニューを考えながら大股で歩き出して、入学式へと向かった。

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